第26話『名に恥じぬ行いを』
なんとなく今の状況を予想していたかのように、ブリジットは黙ったまま頷いて、落ち込んだ様子で母親と一緒に馬車に乗り込んだ。アールが御者台に飛び乗り、皇宮へ戻っていく。フレアはフードを被り直して、出発した馬車を見送った。
「あの、陛下……。ブリジットにも処分を?」
「もちろん。とはいえ軽い謹慎のようなものだ。大した事件でもない」
母親に厳罰が下るのと同じで、ブリジットも早々に除名されてしまうのではと危惧したシルヴィだったが、心配の必要はないらしいとホッと胸を撫で下ろす。
「それにしても、私たちの近くにいたんですね」
「あぁ、今は大人しくしている貴族派の連中も簡単な相手ではない。メンテルと面識のあった奴らは、お前たちの口を塞ぎたがるだろうから」
今回のメンテル公爵失脚に関する記事は既に出回りきった。次はいつ自分達が処断されるかも分からない派閥の人間は言い逃れをする理由が要る。だから、まずはメンテルやアマリー以外の目撃者である第三者を消そうとして動いた。
「既に皇后宮で働いていた者たちの殆どは殺されたか、行方知れずだ。お前やブリジットも例外ではない。とはいえ外には出た方が良い。気分転換になる」
「……私たちの家族も危険な目に遭ったりするのでしょうか?」
胸の前で両手をぎゅっと固めて、シルヴィは不安そうにする。
「さあな。だがオルキヌス騎士団を相手にする以上、リスクとリターンが見合わない行動は起こさないだろう。団員とはいえ非力なお前たちを狙った方が確実だ。そのためにアールに護衛までさせてる」
シルヴィの肩をパシッと叩いて、フレアは先を歩く。
「家族の物資は今日にも届けさせよう。ひとまずは帰るぞ、犬は捕まえた」
「犬って、もしかして暗殺者的な……」
頭に疑問符の浮かんでいそうな顔のシルヴィを見て、フレアはくすっとする。
「さあな。それより早く来い。首都の道には疎いんだ。今日は新しく雇う侍女たちの面談を行う予定もあるから、お前も手伝え」
「ええ? め、面談って、私もやるんですか?」
慌てて駆け寄り、一歩後ろを歩く。隠せない戸惑いに声が大きくなった。
「それはそうだろう。ギデオンが選出した人数だけでも百人を超えるんだ。お前もオルキヌス騎士団の仲間になった以上、侍女長として働いてもらわないと」
「ですが……ただの平民である私がよろしいのでしょうか……」
俯いて遠慮がちになり、僅かに体を丸めて縮こまる姿にフレアは呆れた。
「いつまでそうなんだ? お前にはもっと自信を持ってもらわないと。領地こそ持っていないにしても、今のお前は明確に貴族と成ったんだから」
その通りだ、とシルヴィは否定できずに言葉が出てこなかった。
晩餐会が終わって数日経った頃、多忙をなんとか脱したフレアは今後にシルヴィやブリジットが他者から甘く見られないために、その実力を認めるものとして爵位を与えた。今のシルヴィはシルヴィ・シャトーの名に加えて『エリストル男爵』の名を授かっている。だからこそ名に恥じぬ行いが伴わなければならない。
「気品を持てとは言わん。ルイーズやアールのように、貴族らしからぬ振る舞いで接する者もいる。私たちの前では、いつものお前でも構わないが、これからは社交界でも名の通った〝オルキヌス騎士団のエリストル男爵〟である事を忘れるな」
オルキヌス騎士団。なんと重い名だろう。ついこの間までは平民として、粛々と他人の指示に従うだけの侍女であった。だが、シルヴィは既に爵位まで与えられ、侍女長としての責務を背負っている。
まだ、明確に自覚はない。それでも背負ったものの重さは分かる。応えたいと本気で思った。シルヴィは申し訳なさを握った拳に潰して、呼吸を整えた。
「────はい、皇帝陛下。これからさらに努力いたします」
「うむ。良い顔になった。では行こう」
覚悟の決まった表情がシルヴィを強く見せる。少し前までは青二才とも呼べた、いつも不安を持ち歩いていたような姿はない。フレアも満足げだった。
「(ま、実のところ、私自身に言い聞かせていたところでもあるが)」
悩ましい問題だ。不思議な事に、日数が経つにつれて、前世とも言える己の記憶が部分的にぼやけていた。思い出せないわけではない。だが、どれほど思い返しても、友人の顔が。両親の顔が。声さえも思い出せなくなっていた。
極めつけは自身の名前だ。名前を失った。自分がフレアだと受け入れてから、加速的に記憶に霧がかかり始めた。もう引き返す道はない。シルヴィが〝オルキヌス騎士団のエリストル男爵〟ならば、自分は〝フォティア皇帝〟であらねばならない。だから相手を慮りながら、自身への強い後押しの言葉としたのだ。
「陛下はすごいですね。私と同じ平民出身とは思えないです」
「────だから皇帝なんだ」
堂々と帰ってきた言葉は燦然と輝く星のように魅力的で、シルヴィも思わず聞き惚れて押し黙ってしまうほどだった。ローブで姿を隠しているというのに、なんとも頼もしい後ろ姿が前を行く事に、感動すら覚えた。
「(……ああ、私はこの方の専属侍女で良かった)」
心からの敬意を抱き、今度こそ間違えないとシルヴィは追って歩いた。




