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悪女皇帝は返り咲く  作者: 智慧砂猫


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第20話『小さな体に詰まっているもの』

「随分お疲れのようですナァ、皇帝陛下?」


 静かに扉を開けて、ひょこっと顔を覗かせるのはルイーズだ。フレアは彼女を『笑顔の可愛い捻くれたうさぎ』と、やってきたのを嬉しく思った。はだけさせるように着崩した騎士団の制服は、袖が腕の丈よりも長く、すっぽりと覆い隠すほどで、ルイーズの希望に従ったデザインだった。着丈もひざ下まであり、なぜか中でも外でも基本的に裸足で歩いているのに、砂汚れのひとつもない。


「どうした、私の可愛いルイーズ。暇でも持て余したか?」


 手伝ってもいいんだぞ、という熱いまなざしを送った。ルイーズはまったく気にも留めず、ぺたぺたと床を踏んで、応接用のソファにどっかり座った。


「アタシは手伝わねぇヨ。苦手だもん。あ、クッキーあるじゃねぇのサ」


 ふわっと浮かせたクッキーをぱくっと口先で咥えてバリボリと食べる。手は一切使わず、フレアはそれが魔法の力だけで行われているのだろう、と眺めた。


「あ、陛下も欲しいなら飛ばすヨ」


「いや、私は太るから別に……。それより、その制服は気に入ってるか?」


 ぱっと顔を下げて自分の制服を眺めるルイーズは、フレアに向き直るとぎざぎざの歯を見せて、ニカッと笑った。


「おう、気に入ってるゾ。あんまり手は出したくねェからナ」


「……それは何故」


「自分の細い枝みたいな手が好きじゃねェの」


 また一枚、クッキーがふわっと浮かぶ。


「アタシの体はこれ以上、太りもしなけりゃ痩せもしねェ。時間が止まっちまってるから、健康的じゃない自分の体ってのがあまり気に入ってなくてネ」


「時間が止まってるって、何か病気を患っているのか?」


 心配そうな視線にルイーズがクッキーを咥えたまま首を横に振った。ひと息に口の中に放り込んで、慌ててかみ砕き、ごくっと飲み込んでから。


「不老不死なんサ。これでもアタシは世界でただひとりの大魔法使い!……調子こいて霊薬なんか作っちまって、好奇心に飲んだら、このザマ。ガキだった頃のアタシをぶん殴って止めてやりてェナ……」


 じゃあ実年齢はいくつなのだろう、と頭を過ったが、言葉に出そうなのをフレアはグッと呑み込んで堪えた。


「随分と苦労したんだな。今さらだが、そんな魔法使いが何故、拷問官に?」


「そりゃアタシが得意だからヨ。テメーにされた事をやってるだけサ」


 フレアはニコニコと話を聞いているが、内心では激しく後悔した。これは聞かなければ良かった話だなぁ、と思わず笑顔が崩れそうになる。当事者はけろっとしていて、そんな過去など大した事もない風に振舞っているのが余計に怖かった。


「(原作の序盤でいちばん会話の少なかった子だから、ちょっと仲良くなって色々知った方がいいかなと思ったんだけど、間違ってたかなぁ)」


 これまで、いつも囁かれてきた頭の中の声は、とうにない。その代わり、フレアが持ちうる記憶の全てが頭に焼き付いている。その中でもルイーズはそれらしい接点が少なく、他国の民族であるルイーズが、生活の基盤を作るために帝国へ受け入れの申請をしに来たが、門前払いを喰らったときにフレアが助けた。


 そこから関係が築かれているため、具体的なルイーズ・ンドゥリアナという娘が何者であるかは、元から描写すらされていない。知っておこうとして、深い闇に手を突っ込んでしまったのではないかと自分の地雷の踏み方に不安を覚えた。


「すまない、嫌な事を思い出させてしまったな。ふと、お前が自分から拷問官として雇わないかと言ったときの事を思い出して」


 話を違う話題に変えようと、終わらせるために謝罪と言い訳を口にする。だが、ルイーズはそんな気持ちを汲む事はなく、話を繋いだ。


「あァ……。アタシは自分の村で迫害を受けてたのと、不老不死ってんで、他国じゃ捕まったときに人体実験の道具として扱われてきたからよォ」


 指折り数えるのも馬鹿らしい拷問を受けてきた。爪を剥がされた。指に何本もの釘を打たれた。目を抉られた。舌を抜かれた。生きたまま腹を裂かれ、はらわたを引きずり出されても、ルイーズは死ねない。たった数分で再生してしまう。


 たとえ心臓を抉られてようと、首を切り離されようと、不死身の肉体は痛みだけを残して死を忘れさせた。何度も気が狂いそうになって────。


「────這う這うの体で逃げ延びた先が、帝国だっタ。おかげで命拾いしたヨ、陛下がいてくれなきゃ、アタシは今頃精神がぶっ壊れてたかもナ」


 そこから先は、フレアもよく知っている。初めて会ったときはみすぼらしい服装で異民族である事から首都に入れようとしない衛兵に口利きしたのだ。たとえ異民族であっても帝国領内では庇護の対象である、と。


 ルイーズは袖をまくって、自分の細い枝の様な手を晒す。何度も閉じたり開いたりして、ぐっと痛みを堪えるような苦い顔を浮かべた。


「こうして手を見る度に昔を思い出すんだヨ。情けねぇ体が、魔法ひとつ使えないようにされると抵抗もできやしねェってサ。それが嫌で隠してんダ。────じゃねェと、殺したい奴で世の中が溢れちまうダロ?」


 怨み。憎しみ。復讐心。消化しきれない負の感情が湧きあがり、不信感があらゆる人間に対する敵意を生む。自分の手を見るだけで殺意が込みあげてくる。それらのどす黒い感情を発散するのに、拷問官はルイーズの天職だった。


「(こんな子が持つべき感情ではないのに)」


 腹立たしさと申し訳なさが胸に込み上げてくる。残虐な好奇心を満たすためだけの道具にされてきた少女に差し伸べられる手の、なんと小さな事か。表情にはおくびにも出さず、机の下で静かに拳を握りしめた。


「だけどヨ。拷問官の仕事をしてるときは気分が良いんだなァ。連中の悲鳴とか懇願ってェのが、何も気にならねェ。アタシ以外には出来ねェと思うゼ」


 およそ精神的負担がない。いくら頑強な精神でも、人の心が欠如でもしていない限り拷問は罪悪感で己の胸を抉りながら行われるものだ。ルイーズは人の心こそ持っているものの、悪人に対しては冷酷になれる。だから、当初はクライドがやっていた仕事を引き継ぎ、今に至っていた。


 握った拳を静かに解き、これもひとつの正解なのだろうと受け止める。


「ルイーズ。今の仕事は好きか?」


 嫌だと言うだろうか。いや、分かり切っていることだ。


「────あァ、すっげぇ大好キ!」


 無垢で邪悪な満面の笑み。捻くれたうさぎの本音。


「……そうか、なら構わない。今後も頼むよ」

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