きらきら
グリム童話賞に応募した作品です。
あるところに小さな子猫がいました。子猫はあるとき蝶々たちがしていた噂話を聞きます。
―ひそひそひそ。ねえねえ知ってる?ひそひそひそ。人間にはいろーんな“かんじょう”っていうのがあるんだって。それはもうたくさん。うれしい、たのしい、おこる、かなしい・・・もっともっと数えきれないほどに。一体どんなものなんだろうね。ひそひそひそー
その噂話を聞いてからというもの、子猫の頭から“かんじょう”という言葉が離れませんでした。
(かんじょう。かんじょう。人間のかんじょうというものは一体どんなものなんだろう)今日もぐるぐるとかんじょうについて一匹で考え込んでいると、頭の上からがらがらとしゃがれた声が聞こえてきました。
「おやおや小さな子猫さん。そんなところで考え込んで一体どうしたんだい?」
子猫が声をする方を見上げると、町で一番の長生きの雲じいさんがにこにこゆらゆらしていました。
「やあ。雲じいさんこんにちは。実はね、人間の“かんじょう”っていうものはどんなものなんだろうって考えてたんだ。それはもう種類がたくさんあるんだって。雲じいさんは人間のかんじょうについて何か知っている?」
雲じいさんは少し考えながらこう言いました。
「うーん。わしも長く生きてはいるが人間についてはあまり詳しくないんじゃよなあ。ああ、でもどこかで日の光に当たるときらきらして四角い形のものを覗き込むと人間のことがよく分かると聞いたことがあるぞ。だけどたまに四角じゃなくて三角や丸い形もあるからそこは注意じゃ。それを探して、覗いてみてみたら人間のことが少しは分かるかもしれないのう」
「日に当たるときらきら。なるほど!ありがとう!雲じいさん!」子猫がそう言うと、雲じいさんはまたにこにこゆらゆらしながら去っていきました。
「よーし!探してみるぞ!」子猫がさっそく活き込んであたりを見回しながら歩いていると、きらきらしたものが目に入ってきました。
「きらきら、四角い。あれだ!」子猫が一目散に走っていき、きらきら四角いものを覗き込んでみると、そこには小さい人間の女の子がいました。小さい人間の女の子はお人形さんを腕に大事そうに抱いて、くるくる回っています。
「嬉しいな。嬉しいな。新しいお人形さん嬉しいな」
くるくる回る女の子のまわりは、まるでお花畑が見えてくるみたいだと子猫は思いました。
(うれしい。嬉しい。嬉しいはきっと良いことに違いないんだ)子猫はそう思いました。
しばらく様子を見た後、子猫はふわふわしながら、一つ目の四角いきらきらから去っていきました。
子猫がまた歩き始めると、今度はさっきより大きめな四角いきらきらを見つけました。子猫がまた覗き込んでみると、そこにはさっきの小さな女の子より大きめで、同じような服を着た人間たちが、なにやら話していました。うふふ、あはは、笑い声があちこちに飛び交っていて、まるで小鳥さんたちの綺麗な歌声の大合唱みたいだと子猫は思いました。そして、笑い声と混じって、「楽しいなあ。このまま卒業なんかしたくない。楽しいなあ」という声が聞こえてきました。
(これがたのしい。楽しいもなんだかすごく良いことだ!)
子猫は思わず、ぴょんとその場でジャンプして、大きめの四角いきらきらから去っていきました。
(なんだか人間の“かんじょう”っていいものばかりなのかも。こんなに素敵なものばかりならもっともっと知りたい!)子猫がさらに活き込んで、歩いていると今度は三角のきらきらが目に入りました。
「あ!三角のきらきらだ!」子猫が三角のきらきら目掛けて走り出して、覗き込むと、大きい女の人と男の人が向かい合ってなにやら話していました。
「なんでいつもあなたはそうなの」
「きみにだって悪いところはあるじゃないか」
「だけど、あなたの方が悪いわよ。私とっても怒っているんだから!」
大きな声で叫ぶ二人の周りは、まるで炎がメラメラと焚き込んでいるみたいだと子猫は思いました。
(あれが、おこる。なんだか、怒るっていうのは嫌だな)
胸がちくりとした子猫はそそくさと三角のきらきらから去っていきました。
(かんじょうっていいものばかりじゃないんだな…)さっきの様子を見てまだ胸がチクリと痛む子猫がとぼとぼ歩いていると、次は丸い小さなきらきらを見つけました。
(丸いきらきらだ。気になるけど、また嫌なかんじょうだったらどうしよう…)子猫は迷いましたが、少しだけ覗いてみることにしました。
―しくしくしくー丸い小さなきらきらを覗いてみると、小さな男の子が膝を抱えて泣いていました。
―しくしくしくー「お母さんもお父さんもいなくなっちゃて、悲しいよう」
男の子の周りはまるで、延々と止まない雨がしとしとと降り続いているようだと子猫は思いました。
(あれがかなしい。悲しいか…)子猫の胸はさっきチクリと痛んだものと比べものにならないほど、ずきずきと痛み始めました。
「一人はさみしいよう」男の子がまたぽつりとつぶやきました。
(さみしい。さみしいは聞いたことないな)でも子猫はさみしいを知っている気がしました。誰よりも知っている気がしました。一人が寂しいことを誰よりも分かっているような気がしました。子猫の心に、夕暮れ砂浜で、たった一匹ぽっちで海を眺めている自分の姿が浮かびました。
気が付くと、子猫は丸いきらきらの隙間から中へと入り込んで、男の子の側にかけよっていました。子猫は、男の子の側にぴたっと張り付いて、足を伝ってきている、男の子の雨のような涙を舐めます。それに気づいた男の子は最初は驚いた様子でしたが、子猫の頭をゆっくりと撫でて、こう言います。
「お前は優しいんだね」
男の子の目は潤みながらも細くなり、まるで水面に浮かび上がる三日月みたいだと子猫は思いました。
(やさしい?優しいもよく知らないけど、君が少しでも笑ってくれるなら、それはきっと素敵なものだね。それなら僕はずっとやさしくいるよ)
小さな丸い窓から差し込む日の光が、一匹と一人をきらきらと優しく照らしていました。
あったかいお話です