はなし8
「そろそろロゼッタの婚約者も決めないとな」
そう国王が言い出した。お披露目会から一年が経った頃だった。
今日は珍しく王家の人間が揃う晩餐だった。国王に王妃、第一王子から末端の第十王子まで席に着席している。私の立場は低く、幼児の第十王子より下なので遊び相手になりながら隣に座っている。そんな国王と離れた場所なので話を振られチャンスだと思った。
「お父様。私、早く結婚がしたいわ。どんな年上のオジサマでも良いの」
なぜなら、どこに嫁ぐのでも王家という最高位の立場上、母親を連れていけるからだ。自分の小遣いから母への支援は多額にしていたが、この王城へ母を呼び寄せるのは危ないと考えていた。それに最近体調が良くないみたいだ。以前は婚約するのなら好きな人と、と思っていたがそうも言ってられなくなってきた。なので早く結婚して、王城から出ていきたかった。王妃も私を厄介者だと思っているようでこの話に笑みを浮かべていた。
しかし、それに反比例して遠目から見えるライアンの顔色はみるみると悪くなっていく。
「……父上、お言葉ですがまだ早いかと。この前もソレは廊下を走ってました」
拾ったハンカチを渡した時のことだろう。確かに走ってライアンに声をかけたが、恩を仇で返されたような気分だ。しかも、ライアンはいつまで経っても私を名前で呼んでくれない。王族として認めてないのだろう。
「そう言うな。それよりライアン、お前はクレマチス嬢とどうなんだ?」
「……仲良くさせて貰ってますよ」
「なら、そろそろ結婚式の日取りを決めるか」
カシャン!とフォークの落ちる音がした。途端にメイドが駆け寄り、拾い上げる。無言のライアンに、国王は楽しげに話しかける。これ以上ないほど盛大にやろう、次期国王に相応しい、豪華絢爛な式を挙げようと。そして、そうだ。と思いついたように言った。
「ロゼッタの婚約者発表も同日にやろう。釣書を用意しておくから目を通すように」
「わかりましたわ」
私は笑って頷く。早く結婚式が来るといい。そうすれば、この愚王の管理下からも逃れられるし、ライアンが即位する可能性も高くなる。いい事ずくめだ。
「ライアン」
国王が圧をかけるように声をかけた。ビクリとライアンの肩が揺れる。
「……どうせお前の想い人は妾にさえ出来ん。諦めるんだな」
その瞬間、ガタッとライアンは立ち上がり、カトラリーが流れるように床に落ちる。震えているようだ。その勢いのまま、ライアンは部屋を出て言ってしまった。
国王の言葉で、私はライアンに好きな人がいると初めて知った。ライアンはクレマチスと仲良くさせて貰っていると言っていたが、最近関係が悪化しているとの噂があった。初めてその話を聞いた時は、あの真面目で優しいライアンが?と、とても驚いたが。それの理由は、ライアンが誰かに懸想しているからなのだろう。妾にも出来ない相手ということは、身分は平民だろうか。どうするつもりなんだろう、と私はライアンが出ていった扉を見つめていた。
「さて、私の婚約者候補はどんな方かしら」
夕食が終わり自室に戻るとさっそく用意された釣書が1冊置いてある。どれだけ年上だろうか、薄い目をしながら恐る恐る釣書を開いた。
「あら、随分カッコいいわね」
釣書に描かれている肖像画は、青紫色の髪の毛をした鼻筋の通った男性だった。自分が赤毛だからか、暗い色をした髪の男性が好きなのかもしれない。
「それはアルペングロー公爵家のスターチス様ですね。クレマチス様のお兄様ですよ。間違って渡してしまったようです。」
メイドはスターチスの釣書をそのままどこかへ持って行ってしまった。確かにアルペングロー公爵家の人とは結婚出来ないが、もう少し肖像画を見ていたかった。メイドが今度はちゃんとした婚約者候補の釣書を持ってきた。さて、どんな人だろう……開けてみると、意外な人物がそこにあった。
「さっそくこの方をお茶会に招待するわ。すぐにペンと便箋を持ってきて貰える?」
「かしこまりました」
メイドが一礼して部屋を出ていった。釣書を閉じて机の上に置く。私が椅子に座り、どんな手紙を送ろうかと思案を始めた。
ふふ。あの人を招くなんて、久しぶりね。元気にしているかしら……だけど、充分慎重に動かないといけない相手ね…
数日後、婚約者候補の男性はお茶会にやってきた。彼は髭は相変わらず生えていて、筋肉は更に太くなっている。最近、騎士団副団長から団長へと昇格し、伯爵の身分を賜ったという、ウィリアムだった。いつも騎士団の服を着ているから今日のような畏まった格好は初めて見る。
「どうぞお座りになって」
「姫様……!」
ウィリアムは苦虫を噛み潰したような表情だ。なかなか着席しないので、扇子を閉じて大きな音を鳴らす。するとウィリアムは渋々といった様子でやっと席に座った。
メイドがお茶を淹れ、香りを確かめる。ウィリアムが前に薦めてくれた茶葉だった。しかし彼は紅茶に手を付けず、真っ直ぐに私を見てきた。懇願するような瞳をしている。
「姫様の方から、破談にしてください」
「嫌よ」
即座に断った。私からしてみたら、ウィリアムは最優良物件であった。まず、何と言っても母を大事に思ってくれているところ。次に気心が知れていること、お金もそれなりに持っているところ。伯爵の身分とあっても、一代限りなので子宝が必須ではないところ。
「俺には愛した人がいるんです。結婚出来ません」
他に好きな人がいるところも、良いところだと思った。
「知っているわ。だから国王に無理矢理この縁談を組まされたのでしょう?」
「それは……」
国王は愚王だが中々に性格が悪い。嫌がらせに余念がない。王妃とウィリアムが恋仲なのを既に知っているのだろう。調べたところ、王妃とウィリアムはその昔公爵家の令嬢と彼女に拾われた平民の関係であった。令嬢に釣り合うべく騎士団へ入り力を付けたが、その前に公爵家の令嬢は国王と結婚させられてしまったということだった。
私はこの話を聞いたとき、ウィリアムを利用出来ると思っていた。自分の王宮内での価値を上げ、有利にことを進める方法を思いついたのだ。
「私は貴方を応援しているわ。取り持ってあげてもいいのよ」
「しかし…」
「この縁談は、私より立場の低い貴方から断れないのは分かっていてよ。」
「……」
それに、私とウィリアムが結婚しなくても、いずれ誰かしらがウィリアムに充てがわれることになるだろう。伯爵の身分になったということは、そういうことなのだ。
どうせ誰かと結婚することになるのなら、事情も知っていて王妃と内通出来る私が一番適任だろう。
ウィリアムは全て理解している。だがまだ王妃の為に抗おうとしているのだ。
「……はぁ、仕方ないわね。白い結婚でよくてよ」
「ですが、それだと姫様の立場が……」
「その代わり、人目に付く場所では仲の良い夫婦の振りをしなさい。勿論王妃様には演技だとお伝えしておくわ」
「……わかりました」
ウィリアムはようやく観念したようだった。私の最大限の譲歩に、諦めないと悟ったのだろう。私は母と一緒に暮らせるなら白い結婚でもウィリアムが誰と恋仲であろうとどうでも良かった。ただ条件が良いから何としてでも婚約をしたかった。
直ぐに侍女に婚約誓約書を持ってこさせて署名をする。ウィリアムは少し震えた字で名前を書いていた。これでやっとこの城から離れられる。少し力が抜けてきた。あと少し。あと少しで自由になれるのだ。ライアンの結婚式はいつだろう、そこで私の婚約者発表もすると言っていた。今度、ライアンに結婚式は何月頃になりそうか聞いてみるとしよう。
婚約誓約書を提出し、無事にウィリアムが婚約者として内定した頃。
ウィリアムは度々王城の居住区、つまり私の部屋の方へ足を運ぶようになった。大きな花束を持ち、楽しげな姿は端から見れば婚約者の元へ足繁く通う浮かれた様子に見えるだろう。
しかし、実際は違う。私の部屋から隠し通路を使い、ウィリアムは王妃の部屋へ行っているのだ。つまり、私は彼らの逢引の手伝いをしているのだった。王妃にこの話を持ちかけた時はよからぬことを企んでいると疑われたりしたが、必死の説得により無事橋渡しができ、今や王妃は私の味方となった。ウィリアムとは結婚しても別宅で過ごす計画を立てている。そこで母と二人、静かに暮らす予定だ。
「戻った」
「お帰りなさいませ」
ウィリアムが王妃のもとから帰ってくると、私は寄り添いながら外へお見送りするのが恒例となっていた。どこからどう見ても仲睦まじい婚約者同士であろう。ウィリアムも砕けた口調になってくれた。元々、お互いに平民出身なので気も合った。仲良く談笑をしながやその腕に手を回し、更に密着をすると後ろから刺すような視線を感じた。
「……!?」
「どうした?」
「いえ、何でもありませんわ」
最近、ウィリアムと二人で話していると時折突き刺さるような視線を感じることがあった。だが、振り返っても誰もいない。それが気味悪くあった。初めは王妃が何かしているかと思ったが、ウィリアムの話を聞く限り私の評判は上々らしく特段問題は無いようだ。
それならば、誰から……?と思ったが、明々白々だった。ウィリアムのファンだろう。ウィリアム本人に自覚は無いが、隠れファンクラブがあるほどモテるのだ。逞しい筋肉、髭で隠れているが愛嬌のある顔立ちであり王国騎士団長だ。きっと、彼のことを好いている女性が睨んできているのだろう。王妃と恋仲なので、私のことを敵視するのはお門違いなんだけど……と思いつつも私はため息をついた。
そこから少し離れた場所、ライアンは自室で水魔法を使っていた。水が楕円を描き、映像が映し出されている。それは術者が一定の距離までならば遠視を出来る水鏡の魔法だった。水鏡には赤い髪の姫がユラユラと浮かび上がっている。
「あの男を…君まで……」
忌々しげに呟きながら、水鏡に指を入れる。彼女の髪の部分を触ると、波紋が広がり映像は歪んでしまった。
彼女の婚約者が決まってから、僕の心は常に不安定だった。わざと距離を置いているのに、彼女を見ていたくて仕方なかった。苦悩している時、偶然魔導書で水鏡の魔法を知り、欲望に抗えず使ってからは毎日覗いてしまっていた。ちゃぷん、と指を動かす。髪から顔の輪郭を流れるようになぞり、唇へと触れる。
幼い頃のままに、純粋に君を想えていたらどんなに良かっただろうか……
コンコン。
扉の向こうからノック音がした為、水鏡の魔法を止めた。魔法は光の粒となり消えていく。部屋に入ってきたのはクレマチスだった。
「ライアン様。結婚式の日取りが決まりましたわ」
「そうか……いつだ?」
私は勢い良く椅子にもたれ掛かった。通常、王族の結婚式は一年ほどの時間をかけて準備する。今回、父上は盛大にとの話だったのでそれ以上の期間があるだろう。つまり、彼女の結婚式はそれよりさらに先なわけで……。それまでに気持ちの整理を……
私は自分の髪をクシャリと掴んだ。
そんな私を見ながら、クレマチスは言いづらそうに答えた。
「急ですが……一ヶ月後です」
あと残り2話で完結です。