はなし4
それから夜中にバラ園に何度か通った。行くと必ずといっていいほどライアンがいた。そこで一時間ほど話すのが常となった。どうやらライアンの寝室から森がちょうど見えるらしく、ランプを持った私が来ると分かるようだ。他の誰かに気づかれていないかと心配したが、みんな光は衛兵の見回りだと思っているとのことで安心した。
真夜中のお茶会が何回か行われ、段々とライアンの人となりが分かってきた。真面目で優しく、努力家であるようだった。まさに人格者といって差し支えないものだ。
「一ヶ月ぶりくらいかな?随分来なかったね」
「忙しいものですから」
嘘だった。最近、塔から抜け出せる日はバラ園へ行くのではなく、森で体力作りをしていた。昔狩りをしていたので基礎体力は常人よりあるはずだが、今は殆ど身体を動かすことがなくなってしまったので翌日は筋肉痛になるほどだった。私の武器は今ペーパーナイフしか無い。とにかく身を素早く動かして躱すことや防御を目的にしている。狩りのときも早さには自信があったが、それを特化しようという魂胆だ。なぜ私が訓練をしているかというと、ライアンから聞いた情報によるものだった。王妃は薄暗い噂があり、ライアン以外の……王位継承権を持つ子供たちへ暗殺を試みているという話だった。
未だ私の存在は公になっていないので、王妃の耳にも入っていないと思われるが備えておくに越したことはない。体力もついてきたし逃げるだけの脚力は手に入っただろう。お陰でダンスの授業でもウィリアムに振り回されることは減ってきていた。
「では、今回は続きからでよろしいでしょうか?」
「うん。前回は街の衛生面について教えてもらったよ」
ライアンと出会って分かったのは性格だけではない。彼は王宮で育ち、過保護なまでに周りに囲まれてたのだろう。大層な世間知らずであった。知識としては学んでいるようだが、国の大半を占める平民の実際の生活を理解していなかった。平民が何を食べ、どう働き、生きているのかを知らないのである。これでは、失策続きの現王と同じレールを走ることになってしまう。それを危惧してライアンに平民とは何たるかを教えることにしたのだ。初めは令嬢が何故そこまで詳しく…?と怪しまれたが、平民の暮らしを知ると領地改革に役に立ちますので…と言葉を濁した。ライアンはいたく感動していた。私も情報収集とお披露目会前にマナー練習を同時に行えるのでWin-Winである。
これはどういう意味?これはこうなの?と質問してくるライアンに諸々教えていると、一時間が経っていた。まだ真夜中だが、私はこの王子と会うのは一時間だけど決めていた。それ以上いるとボロが出そうだと思ったからだ。塔へ帰る道も余裕を持ちたい。
「では、私はそろそろ……」
そう言って立ち上がろうとした時、ライアンから手首を掴まれた。今までライアンから髪の毛だって触られたことがない。急なスキンシップに眉をしかめた。
だがライアンはそんな私を気にせず、じっと見つめてきた。
「……今度、城で僕の婚約者候補を集めてパーティをするらしい。聞いたかい?」
触らないで、と無言で伝えるようにグイッと自分の腕を引くとライアンは手を離した。後ろに隠しながら手首を擦る。掴まれたライアンの手はとても冷たかったので驚いた。突然の展開に少し居心地が悪い。
「いえ、初耳です。まだ決まってなかったのですね」
「あぁ、縁談はひっきりなしに舞い込んでくるけどね。会いもしないから強制的に開かれることになった」
自虐的に笑うライアンはいつもより大人びて見えた。月が雲に隠れ、光が消えていく。影にかかって歪んだ口元だけが浮かび上がっているようだ。
気持ちは痛いほど分かる。私もまだ婚約なんて考えられない。この王宮で母と過ごす日が来るまでは…
だが、もし将来婚約者が決まるなら、それは自分が好ましいと思った人がいい。ライアンもそうではないだろうか?
「ライアン様は…どういった方が好みなどありますでしょうか?」
「えっ!?」
大きい声を出したライアンは何故か動揺したように目を逸した。こういった嗜好の話をするにはまだ親密さが足りなかったかもしれない。私は兄妹としてライアンを一方的に認識しているけれど、彼にとっては私はただの他人なのだから。それでも真面目なライアンは真っ赤になりながらも答えてくれた。
「ぼ、僕は…堅実で民のことを考えるような人かな…」
声が震えているような気がした。もうこんな時間だ、寒いのかもしれない。首筋に通り風を感じ私も身を震わせた。
「実直な方が良いですよね。そういう人を選べばいいと思いますよ」
同調するように頷いた。これで話は終わりだろう。ニッコリと笑って再度立ち上がった。
「うん……それに、嘘をつかない人」
引き止めるかのようにライアンの声のトーンが低くなり、私は目を見張った。ドキリと身体が強張る。俯いているライアンは寂しそうだった。
先日、塔の門番がヒソヒソと話していたので心当たりがある。王妃は王以外の男性と関係を持ち、その浮気現場をライアンが目撃してしまったとのことだった。王妃はその男性と昔から懇意にしていたとの噂だ。この様子だと本当なのだろう。誰も王に知らせてないのか王妃は処罰などされていないようだ。
更に、情報収集をする際に知ってしまったのだが王妃はライアンに対して過剰なまでに躾と称した暴力を加えているようだった。長袖を着ているので分かりにくいが、たまに裾から痣が見えるのだ。愛しているから、との名目で鞭を使われていたのに、王妃が実際に愛していたのはライアンでも王でも無く間男だったのである。
「……知っているんだろ、母上の話……あんな女、家族なんかじゃない」
ライアンは吐き捨てるように言った。いつも微笑みを絶やさないのが嘘のように酷い表情をしている。地雷を踏み抜いてしまったようだ。
この噂を知るまで、てっきり彼は恵まれた環境にいるのかと思っていた。父と母の二人から囲まれ、幸せなのかとばかり思っていた。だが、実際は自分本位の両親のせいで心をすり減らしている。可哀想に。なんて哀れなんだろう。心の底からそう思った。私には優しく尊敬出来る母がいる。だけど彼には頼れる父も寄り添ってくれる母も仲の良い兄弟もいないのだ。お金はあっても心は貧しいものね。
ーーー私はこの時、ライアンを、第一王子を下に見た。勝ったと思ってしまった。だから不用意な発言をしてしまった。
「そうしましたら、私のことを家族のように思ってくださっても構いませんよ」
お披露目会をしたら正式に異母妹を名乗ることが出来る。名乗り出せるまでの間でも、家族のように慕ってくれてもいいのですよ、最終的には王族に加わるのだから。という完全な上から目線の言動だった。
すると途端にライアンは目を輝かせながら勢い良く顔を上げた。その顔、なんだか嫌な予感がする……
「それって婚約者候補者のパーティに出てくれるってこと?リストを見たけどフローラという名前は無かった」
そう切り込まれ、私はブフォッと吹き出した。それほどまでに突拍子も無い提案だったからだ。淑女たるもの、みっともない姿を晒してしまった。ハンカチで口を拭きながら、残念ですが。と前置きをして。
「私はそれに出る資格がありません。」
「どうして!?」
ライアンが強い口調で食いついてきた。話を濁そうとしたが、誤魔化されてくれなそうだ。
そこまでの圧で理由を聞かれるとは思ってなかった。どうしよう、貴女の異母妹だからです。なんてまだ言えない。上手い言い訳が思いつかない。
「い、家柄が……良くないんです……?」
「もしかしてフローラは男爵家なの?」
確かに男爵家と王族では身分の差が大きくそう受け取られても仕方ないかもしれない。今までライアンは私の個人情報について聞いてこなかったのに、チャンスとばかりに根掘り葉掘り聞こうとしてきた。彼に現在教えているのは、フローラという名と庶民の暮らしに詳しいということだけ。好きな花も、年齢も、何も伝えてないのだ。彼は秘密主義の女の子だと思っているのだろう。私は自分から家の話を出したので餌を撒いてしまったようだった。
「いえ……そういうわけではなく……」
なるべく嘘を教えたくない。後で異母妹と知ったときに関係が悪くなるのは防ぎたかった。
「じゃあどうして?婚約者でもいるの?」
ここで婚約者がいるから、と言っても誰?どういう人?と突っ込んでくるだろう。ライアンは純粋で興味を持ったらとことん気になる性格のようだ。詰め寄られている間にも時間は過ぎていく。早く帰らねば……
「…お母様との決まりで…王族に嫁げないのです……?」
なんとか捻り出した答えがこれだった。疑問形になってしまったが嘘ではない。それを受けてライアンはショックを受けた顔をしている。それはそうだろう、自分は反王派と言っているようなーーー別の意味でまずい回答をしてしまったことに気づいた。不敬過ぎる。なんとかリカバリーをしなければ。焦った私は立ち上がり、ライアンの顔を覗き込んだ。
「いえ!違うのです!私は反王派というわけではありせん!!政策の話でして!!殿下は税金が何に使われているかご存知ですか?街で餓死する人が出てもスープも配らず、家もない浮浪者が彷徨い治安も最悪ですのに税金の使い道の殆どが不透明なんですよ!?」
一息で思いの丈をぶつけた。この税金の話は国民の暮らしを教えた後に誘導しようと思っていた内容だ。王家を更に批判するもので、もはや婚約者の話どころでは無く、首が物理的に飛ぶかもしれない。最高神アイーク様、貴方を信じてはいないけど、もしいるならもうすぐ会うかもしれませんーーー天を仰いだ。今日も星が綺麗だなぁなんて現実逃避をする。だが、ライアンの反応は思ったものと違かった。
「王家に不信感があるってことだね?それらが解消できれば?」
「は……い……?それが叶ったら…お母様も喜ぶと思います…」
王が傍若無人では無く、国民に寄り添い私腹を肥やさない性格だったら母は王宮から逃げ出さなかったかもしれない。飢饉がなくなり平和な世界が訪れたらどんなに素晴らしいことだろう。ライアンが国に対して何か考えてくれるのはいいことだ。
「そうか。ではそれを目指すことにしよう」
「は、はい…頑張ってくださいませ」
上機嫌になったライアンはやっと解放してくれた。物理的に首が飛ばなかったのは良かった。そう思いながら帰路に着いた。…はて、そもそも何の話をしていたっけな。