はなし3
「それではお休みなさいませ。」
「あなたもご苦労さま。」
メイドは扉に鍵のかけ、コツ、コツ、コツ……と足音が遠ざかっていく。しんと静まり返る室内、私はベッドから起き上がりナイトドレスにショールを羽織って扉を見つめた。いつも兵が一人門番に立っているのだ。だが少し時間が経つと兵がイビキをかいて寝ているのを私は知っていた。王宮と違い夜間に人通りもなく早朝にメイドが来るまで暇なのだ。人によってはどこか遊びに行ってしまう兵もいた。勿論、騎士団副団長のウィリアムはそんなことしていなかったが。
「……よいしょっと」
本を半分ほど出し軽くしてから本棚を動かした。髪留めを手に穴を掘り始めると、壁は直ぐに崩れていく。あまりにも脆いので、部屋の中に土が舞ってしまった。一度に大量に掘れないようだ。それに思ったより掘る音が響く。土を布袋の中に入れ、鉄格子の隙間から外に落とた。窓の下は木がたくさん生えているので、分からないだろう。
そこから毎日、私は兵の目を盗み少しずつ壁を掘り続けた。ウィリアムが門番の日もありその日は扉から気配を感じ掘れなかったが、それ以外の日では順調に進んだ。
そして2週間後、ついに壁は完全に開いた。ランプで照らすと下に石で出来た階段が続いているようだった。カツン、カツンとゆっくり降りていく。螺旋状の階段の先にあったのは、人が一人やっと通れそうな小さな窓だった。足をかけ登る用の出っ張りがあるので、そこからよじ登り窓を開ける。
「……っ、えいっ」
肩をねじ込み、這い出すように外に出た。ボトッと地面に落ちる。後ろを振り向くと塔にかけられた認識阻害魔法のせいで塔は完全に消え、森が広がっているように見えた。秘密の出入り口の目印なのだろう、切り株がひとつそこにあった。空を見上げると星が爛々と輝いている。久しぶりだ、久しぶりの自由だ!しんと静まり返る森の中、王宮に来て以来私はやっと深く息をすることができた。
私はそのまま駆け出し、王宮の外を目指した。今は真夜中、北を指す星を頼りに走った。方角的に塔から見た花園があるはずだった。ハァハァと息があがって苦しい、どこまでも森が続いているように思えた。まるで迷路のようだ、同じ道を何度も通っているような気がする。ここはどこだろうと考えていると、切り株の元に戻ってきてしまい、気のせいでは無いことに気づく。
私はストールを破り、布切れを木にくくり付けた。高価なストールは月に照らされて瞬くように光を反射している。これなら、目印になるはずだ。少し離れた木に点々と付けていく。そのお陰か、やっと森を抜けることが出来た。
「…………着いた……」
抜けた先はバラのみが咲く園であった。開けたそこでは王宮の奥までよく見える。果てにまた建物があって、そのまた奥にも何かがあって、そこの奥にも……どこまでも続いているようだった。この花園まで来れば、出口があると思ったのに。全て同じ王宮の庭だったとは。
私は力が抜けペタリと座り込み、空を見つめた。空が少し白み始めている。
……夜明けが近いようだ。風が靡いている。
笑いが込み上げてきた。そうか、ここはそんなにも広く遠く終わりがないのか。ふふっと笑い、うずくまる。大粒の涙が溢れ、頬を伝う。この王宮から出られないと悟ったのだ。
苦しんでいる母のところにいけない、どうすれば……どうすればいい……!
「深紅の髪の君。薔薇の精かい?」
突然の声に驚き振り向くと、そこには私と同じくらいの年の男の子が立っていた。私は慌てて涙を拭いた。金髪で碧眼、整った顔立ち。天使のような笑みを浮かべたこの人は家庭教師が持ってきた肖像画で見たことがある。
この国の第一王子であるライアンだった。つまり、私の兄…………
「……っ!どうか、どうか。ここで私を見たことは誰にも話さないでください……!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔でそう一方的に告げ、私はナイトドレスを飜えし走り出した。ライアンの目を見開き驚いた顔が横目に見える。
「…君の名前は!?」
ライアンが後ろから叫んで尋ねてくる。私は振り向かずに声を出した。
「フローラ!」
その後は布切れを辿りつつ回収し、走って走ってどうにか明け方までに切り株へ戻ってきた。
足を切り株に乗せると、塔の認識阻害が薄れるのか秘密の通路の窓が出てきた。よじ登って中に入り階段を駆け上がる。早く、早く!
部屋に戻り、本棚を動かし穴を見えなくする。本を適当に戻したら、ベッドへ飛び乗った。
それと同時にドアからノック音が聞こえた。メイドが扉を開けて入ってくる。
「……姫様、もう起きてらっしゃったのですね」
「ええ、まぁ。寝覚めが悪くて汗をかいてしまったの。お湯を持ってこれる?」
「かしこまりました」
パタパタと部屋を出ていくメイドを見送り、おもむろに考える。王が母を北の辺境送りにしたことも、こんな塔に閉じ込められていることも、全て私に力が無いせいだ。広大な王宮を目の当たりにして思い知った。今の私は王の気まぐれで生かされているだけの存在。一方、ライアンは正当な王位継承者で母親……王妃は当然裕福な生活をしているだろう。塔から出られずここで生きていくなら、もっと権力を付けなければならない。
だが、目下の問題は別にある。まさか王太子に会うと思っていなかった。もし兄が誰かに言いつけたら…思わず爪を噛んだ。
「なんであんなところに!」
母の治療費を打ち切られてしまうかもしれない。私はどうなってもいい。だけど、それだけは絶対にあってはならない。私のことはまだお披露目会まで隠蔽されているはずだ。だけどこの見た目だ。存在を知っている人からすれば、聞けば私だとすぐにわかってしまうだろう。ぐるぐると考えて青ざめた。
しかし、日が経っても誰かから呼び出されることもなく、10日ほどが経った。家庭教師も毎日厳しく指導してくるし、ウィリアムも変わったことはなさそうだ。
もしかしたらライアンは頼んだ通りに誰にも言ってないのかもしれない。確かめなくては。そして、言いふらさないように念を押さなければ。そうしないと安心出来ない。私はそう決意し、また夜のバラ園に忍び込むことにした。今日は朔の夜だった。もしライアンに会っても顔を隠せるから都合がいい。
久しぶりに来たバラ園は、前回より綺麗になっていて、品種も多くなったように思えた。この短期間で何があったのだろう。首を傾げていると、後ろから声をかけられた。
「フローラ!来たんだね。あの日からずっと待ってたんだよ」
思った通り、ライアン王子はそこにいた。先日会った時と同じように柔らかな笑みを浮かべながら嬉しそうにしている。この男には私と同じ血が流れている…だからこそ信用出来なかった。
「あの…待っていたとは?」
「またお話したいなぁと思ってた。僕はライアン・クリンギー・ド・トワイライト。名前で呼んでくれて構わない」
タラリと汗が流れる。どういう意図だか掴めない。脅すつもりか?私はドレスの胸元に隠してあるペーパーナイフに手を添えた。母の治療費の邪魔になるなら、ライアンを殺害する気だった。幸い、ライアンはこの間と同じようにこの深夜に護衛も連れず一人で散歩に来ている。相手が魔法で攻撃してきたとしても、こちらは度々森で狩りをして生きてきたんだ。ぬくぬくと王宮で育ってきた奴に俊敏さなら負けない。隙を見せたなら寝首をかいてやる。
「それはそれは…身に余る光栄でございます。失礼があったかと心配しておりましたので…」
ニッコリと笑ってみせた。自信を持て。私は母に似て美人だ。こんな儚げな女の子が殺意をもっているなんて思わないだろう?ほら、口を滑らせろ…
「いやいいんだ。それよりも…君がどんな人か気になってね。」
「わたくしのことは、誰かにお尋ねになりましたでしょうか?」
「誰にも話してないよ。そうじゃないと、僕の外出がバレてしまうからね」
照れながら言うその言葉に、私はやっと一息をついた。言いふらしていないなら良かった。こちらもなるべく、ライアンを殺して疑われるような状態にはなりたくない。ひとまず安心といったところだった。
「そうでしたか。私も夜中の散歩が周囲に知られると良くないのです。ありがとうございます。」
暗に今後も話すなよという意図を含めながらライアンにお礼を言うと、手を取られバラ園の奥にあるガゼボに案内された。こんな豪華なガゼボは今までここに無かった気もするが、いつもバラ園に来るのは夜だったので見えてなかったのかもしれない。ライアンにエスコートされながら、椅子に座った。そして、ライアンは持っていたカゴのバッグを開いた。そこには二人分のティーセット一式とお茶菓子が入っていた。私はギョッとし、ライアンに話しかける。
「あの…私、あまり長居は出来ないので……」
早く帰りたい、という態度を出したがライアンは無視して準備を始める。手慣れた手付きで茶葉をポットに入れ、ライアンが手をかざすとお湯が湧き出てきた。どうやら水系統の魔法が使えるようだ。自分以外の魔法を見るのが初めてなのでじっと見ていると、ライアンは少し顔を赤くしながら気まずそうにしていた。
「フローラはこの前、どうして泣いていたの?」
ライアンはお茶を注ぎながら尋ねてきた。
「それは、その…」
「行儀見習いで嫌なことがあった?」
私の所作を見て勝手に、どこかの貴族令嬢で行儀見習いで王宮にいると思っているみたいだった。夜中にバラ園にいたのも息抜きの為だと思っているようだ。あえてそれは訂正をしなかった。そちらの方が都合がいいからだ。
ライアンはじっとこちらを見てくる。回答を待ってるようだった。どう答えよう、母ならなんて返答するかな……
「……女性に涙の理由はお尋ねにならないでくださいまし。また悲しくなってしまいますので……」
「ご、ごめん!」
慌てたようにライアンは立ち上がった。そして私の目尻に指をかざす。
「……ライアン様?」
「もう泣いた理由は聞かないよ」
それを聞き、ホッとした。ライアンへ微笑むと伸びていた腕は下ろしてくれた。こうして真正面に向き合うと、ライアンの異質な程の整った顔に驚く。母も美しいか、ライアンも人形のように端正な顔立ちだった。しかし、どこか疲れているような…無理をしているようにも思える。彼にとってここに来てバラを愛でるのは息抜きになっているのかもしれない。
「あの…私、もう時間が……」
「気分を悪くさせてしまったかい?」
帰りたい旨を再度伝えると、酷く苦しそうな顔で聞いてくる。ライアンの方が気分が悪そうだ。私は首を振りながらゆっくりと立ち上がった。
「いいえ、そんなことありません。」
「ではまたここで会える?」
「…約束は出来ませんが、お会いしましたらお話しましょう」
私はカーテシーをしてその場をする離れた。
本当を言うと、またこのバラ園へ夜中に来るか考えあぐねていた。塔を抜け出したとバレれば、母の治療費は打ち切られ今後どうなるか分からなくなる。だが、これから王宮で生きていくのならリアルタイムな情報が欲しかった。今私は王宮の塔に来て1年ほど経ち、12歳になった。お披露目会まであと4年ほどあると聞いている。家庭教師には宮廷内の情勢は聞いているが、後ろ盾もない私は誰を懇意にするか決めかねていた。ライアンの母である王妃が、側妃やその子供に対してどういった感情を持っているのかも調べなくてはならない。偶然だったとはいえ、第一王子と会えたのは幸運だったかもしれない。うまく立ちまわらなくては、誰かの手で殺されるのかもしれないのだから…
去っていくフローラをライアンはずっと見つめていた。向こうには森しかないはずなのに、どこに行くのだろうか?だけど、きっと身元を聞いたらここには来なくなってしまうだろう。一定の距離を取られているのは気づいていた。普段、女の子と接すると必ず媚びるような態度や目線を向けてくるのだから。寵愛を貰おうと躍起になっている様が醜くて嫌いだった。
カチャリ、とティーカップを片付ける。一口も手を付けずに帰ってしまう令嬢なんて初めてだった。ポロポロと溢れる涙は真珠のようで、掬い上げたいと思ってしまった。
「君のことが知りたいな」
呟いた願望は暗闇の中に落ちていった。