はなし1 病める薔薇
「お母さん、夕飯できたよ」
「あらもうそんな時間かい?」
古い母屋に母子ふたり、寄り添い合うように生きてきた。この時前世の私は11歳くらいだったが、忙しく仕事をしている母のために料理や洗濯、たまに近くの森で狩りをし食材を手に入れたりして頑張っていた。現世とは違ってレンジも全自動洗濯機も無く、不便な生活をしていた。時代は中世ヨーロッパみたいな雰囲気だったがどこだかもわからない。地球ではない、異世界みたいなところだった。
「今日はねー、森で仕留めた鳥があるから、スープに入れてみたんだ。角のお兄ちゃんにチーズも貰ったんだよ」
ニコッと笑うと、母は泣きそうな顔をしていた。私の髪の毛を撫で、震える声でこう言うのだ。
「ごめんねぇ、こんな貧乏な生活で…」
昔は踊り子で華やかな生活をしていたらしい母はいつもいつも私に謝ってきた。カチカチの固いパン、萎びて色の悪くなった野菜。カビの生えかかったチーズ。滅多に手に入らないお肉。家事で荒れた手と森で狩りのため怪我をして擦りむいた足。娘にこんな生活をさせるのが忍びないのだろう。交わす言葉の端々に、罪悪感を感じているとわかる言葉を含んでいた。だけど、私はこの暮らしについて何とも思っていなかった。母はこれでもかと愛情たっぷりに育ててくれたし、ふたり一緒にいられるのなら苦にならなかった。
「今からでも遅くない。お前だけでも…」
「何言ってんの?アタシはお貴族様の生活なんて嫌だね」
妊娠していると判明したとき、王の傍若無人さを知っている母はこのままでは自分の子供が国のために利用されてしまうと考え何も伝えず王宮から去ったそうだ。一時期は捜索隊も出されたようだが、王宮騎士団は必ず見つけなければならないという指令では無かったらしく上手くやり過ごし見事逃げ切った。
その後、市井で私が生まれ、その外見は王には似てなく安堵したそうだ。王族の大半は綺麗な金髪で碧眼をしている。血が近ければ近いほど、それは顕著に出やすい。だが私の外見は母と同じ赤い髪と瞳の色をしていた。なので余程のことが無い限り、王族の血縁だとバレることはない。この髪の色も王国では珍しいので、いつもはフードを被って生活をしているのだが。
金髪碧眼で無くホッとしたのも束の間、生まれてからしばらくして私に魔法の力があることが発覚したのだった。魔法は王族にしか使えない。王族の祖先はその力を以て国を統一したと言い伝えがあった。魔法には様々な種類があり、火や水、土など自然物を扱う能力が多かったが、私には稀有な「未来予知」の能力があった。いつ、どこでといった確かな日時はわからないが、魔法を発動すると頭の中に未来の映像が流れ込んでくるのだ。しかし魔力濃度が高まる満月の夜に一度…つまり一ヶ月に一回しか使えないというピーキーなものだった。なのでそうポンポン発動出来るものでもない。私は窓の外をチラリと見て、月の様子を確かめる。満月になるのは明日のようだ…
そこで母の伺うような眼差しに気づき、テーブルに向き直った。
「いいから食べよっ!冷めちゃうよ」
「そうね。ちゃんとお祈りをするのよ」
「……はーい」
この国では夕食の前に祈りをする。手を組んで神に今日も一日見守ってくれてありがとう、と。この世界で信じられている神とは、大いなる大地の神アイークである。アイークが恵みをもたらし、花や果物を咲かせ幸せをもたらしてくれると考えられている。人間は死後、身体は土に還りアイークの元へ導かれるらしい。それが最大の幸せなのだと人々は言う。だけど私はハッキリ言って神アイークを信じてはいなかった。そんな偉大な神様がいれば、王国に大量の餓死者が出ることも無かったし熱心な信者の母が苦しむことも無かったのでないかと思ってしまう。食前のお祈りをするのは、母に付き合ってあげている感覚の方が強かった。
「…っ!ゴホッゴホッ」
「大丈夫!?お母さん!」
近頃の母は痩せた。一度病気にかかり、大金をはたいて医者に見せなんとか持ちこたえたのだったがそれからずっと体調が悪い。それにも関わらず、私を養う為にずっと働き詰めなのだ。酷く咳をする母の背中をさすりながら、どうにかしないとと考えた。今は薬を買えるだけのお金がない。神殿に行くなんてもっと無理だ。
苦しそうに咳をする母をベッドに横にし、少しでも痛みを和らげることが出来ればと、子守唄を歌った。母の手を握り、思いに耽る。
もし、私が生まれなかったら母が苦労することも無かったのではないか。王宮の踊り子として活躍をしていたのではないか。痩せ細った今でさえ美しいのだ。当時はもっと魅力的で素敵だったはずだ。それをこんな落ちぶれた生活にしてしまった。ずっとずっと、罪悪感を持っているのは私の方だ…
母の額の汗を濡れたタオルで拭き、ベッドの隣りにある椅子に座り、目を閉じた。
「お母さん、ご飯食べれる?」
「……う…」
次の日になっても、母の容態は一向に良くならなかった。むしろ悪くなっているようにさえ思える。苦しそうな母に、パン粥を作り食べさせる。少しでも体力を付ける為に、無理にでも飲み込んでもらう。私に癒やしの魔法があったら、すぐに治してあげられるのに。
とにかく薬を買えるだけのお金が欲しい……森に行って狩りで獲った動物を売っても高額な薬代へ手は届かないだろう。ではどうすべきか。寒い寒いとうなされる母に布団をかけ、私はそっと部屋を出た。今日は満月の夜だ。月明かりに照らされて浮かび上がってくる道を駆け抜ける。街をひとつ越え、ふたつ越え、走った先は王国で有名な商家だ。私は最近、母の言いつけを破り月に一度商家に未来予知の情報を売っていた。それは高値で売れるので、生活費や薬代を賄うためだった。
「商家さん!今すぐ情報を売るから買って!」
「ああ、今月も来たんだね。じゃあ部屋に入って待っていてくれ」
商家のきな臭い主人にそう言われ、私は奥の部屋に通される。未来予知をすると、大量の魔力を使うので身体が動けないことが多々あった。大人になれば多少は良くなるのかもしれないが、まだ子供の身体では魔法の強さについていけないのだろう。いつもソファのある部屋で未来予知を行い、少し横にならせて貰うのだった。今回も誰も入らないであろう部屋で私は未来予知の呪文を唱えた。
「…ソーフィナル・スカイティア!」
パァッと周りの空気が光ると同時に、頭の中に予知が流れ込んでくる。一度しか見れないので、集中して見た映像を全て記憶するようにしている。
…これは、古く寂れた塔の中?メイドのような格好の人がいる。豪華なご飯を沢山運んできているようだ。テーブルに並べられて、お祈りもせずに食べ始める。そこで映像は途切れた。私には何のことだか全く分からなかったが、取り敢えずペンを持ち紙に絵を描いていく。文字が書けないので、出来るだけ細かく描き込んだ。これを見て、商家さんが値段を決めるのだ。今回は情報量が少なかったし未来の情勢が分かるわけではないのであまり良い金額にならないかもしれない…
それでも一通り描き終わり、ふぅ。とソファに沈み込んだ。急いでここに来たから眠い、そして魔力を消費して疲れた。だけどお金を貰ったらその足で薬を買いに行かなければ。そう考えていた時だった。
「ーーー失礼する。」
私は顔を勢い良く上げた。ノックもせずにドアを開けて入ってきた人は甲冑を被り鎧を纏っていた。そこには王国騎士団の紋章が刻まれていた。サッと血の気が引く。魔法を使ったところを見られたはずだ!
逃げなきゃ、と思ったときにはもう遅かった。部屋の中には数名の騎士が私を取り囲んでいた。その奥には商家の主人の顔が見える。やられた…彼は私を国に売ったのだ。金髪碧眼では無いにしろ貴重な魔力持ち、かつ未来予知が出来るとなれば王族の血筋だと丸わかりだ。商家には褒奨金が入ることだろう。
私は部屋の中を見渡した。窓のない奥まった場所にあるこの部屋では、出口は一つしかない。走れば躱して脱出出来るだろうか。攻撃魔法を持っているかもしれないと、ジリジリと近寄ってくる騎士団を横目に見つつ足に力を入れようとした。だが、身体が動かないことに気づくいた。魔力を使ったからだろう、頭がクラクラしてきた。鎧の男たちが盾を持って近づいてくる。腕を振って拒否をしようとしたが、もうどうしようも出来なかった。
「……っ!こっちに…こない…………で……」
そう呟いたのを最後に、私は気を失ってしまった。