6 NIKON
玲香さんと共にキッチンの片付けをすすめる。
食器は一人暮らしとは思えないくらいの多さで、あまりこだわりはなさそうだったが、驚いたことに和食器が何枚もある。
小鉢を手にした私は、玲香さんにそれを見せる。
「和食器を扱っている店があるんですか? それとも、日本から持ち帰ったんでしょうか?」
「うーん、大輔さんのことだから、日本に帰国する知り合いにもらったか、日本人のガレージセールで買ったんじゃないかなと思うけど。他の食器も結構バラバラだからそうじゃないかな」
そんなものか、と思う。
玲香さんによれば、父は現地のみならず日本人の友達も多く、頻繁にこの家で宴会を開いていたようだった。食器の数が多いのは、彼らをもてなすためのようだった。とはいえ、ここ一年ほどは体調が優れないこともあって、そういった集まりも控えめにしていたとか。
そんな中、ベイカー家との付き合いは、ピーターさんととりわけ気が合ったということもあって、かなり親密だったという。
「大輔さんが亡くなったとき、ピーターはそれはそれは落ち込んでたわ。もちろん、覚悟もしていたけれど……やっぱり、どうしてもね」
(そうやって想ってくださる友達がいたなんて、お父さんは幸せだな)
ぼんやりと私はそんな風に思う。
「柚希ちゃんが差し支えなかったら、お別れ会を開いたほうがいいかもしれないわ。大輔さんとお別れしたい人は、たくさんいるもの」
続けられた言葉に、私はなんと答えたらいいのかわからなかった。
故人の偲ぶ会は、故人との思い出がある人が参加するものだ。父との思い出がない私が、開く資格はない気がする。
「もし、よかったら、ピーターさんに開いていただいたら、いいかもしれないです」
私がそう答えると、玲香さんは少しだけ眉根を寄せる。
「そうよね、うん、そうさせてもらうかも。ごめんね、押し付けるようなことを言ってしまって」
「いいえ、そんなこと、ありません」
私は首を横に振る。
そしてじっと小鉢を見つめた。手のひらにすっぽりおさまるサイズで、白の陶器に青い横線が入っている。日本でもよく見るタイプではあるが、私はこの食器が父の家にあることすら、今日まで知らなかったのだ。私にはやはり父を偲ぶ会に参加する資格すらない。
「そういえば、カメラはなかったかな?」
「カメラですか?」
「処分しちゃったのかなぁ……大輔さんといえば、NIKONのカメラっていうイメージがある。デジタルじゃなくて、アナログね。人の写真は頼まれないと撮らなかったけど、景色のはたくさんあるはずだけどなぁ。アルバムもなかった?」
写真。
そういえば、私も、父が撮った幼い頃の私の写真を持っている。
(そっか。お父さん、写真が趣味だったんだ……!)
私は持っていた小鉢をカウンターに置く。
「本棚にあるかもしれません。見てきます」
「うん」
しかし本棚を再確認しても、アルバムらしきものはなかった。そこで思い立って、クローゼットの扉を開けた。そういえば奥にひとつ、大きめなベージュ色のボックスがあったのを見かけていたからだ。果たしてそれを引っ張り出してみるとずっしりと重かった。
(もしかしたら、そうかも!?)
期待と共に蓋をあけてみると、そこには一眼レフカメラと、何冊ものアルバムが整然と並んでいた。
「ありました……っ!」
予想外に大きな声をあげてしまったが、すぐに玲香さんがキッチンから飛んできた。私は彼女にカメラとアルバムを見せる。
「あー、これこれ、このカメラ。今じゃアンティークカメラなんだよって言ってたよ。やはり処分はしてなかったのね」
「そうでしたか……あの、このアルバムも持っていってもいいでしょうか?」
日記を読むよりも、アルバムの方がハードルが低そうで私がそう言うと、玲香さんはにっこりと笑った。
「もちろん、いいと思うよ。全部持ってく? 運ぶの、手伝うからね」
「ありがとうございますっ……」
私はベージュのボックスを自分へと引き寄せた。
◇◇◇
ベイカー家に戻ってから、まずはアルバムを開いてみることにした。父はアルバムの表紙にも丁寧に年代を書きつけていたので、最新のものから開くことにする。
開いて、すぐに息を呑む。
(待って、これってば……結構すごい……かも……)
写真は一目で、このアレクサンドリアの市街地だと分かった。レンガ通り、街路樹、街角、カフェやレストラン、そしてポトマック川のほとり。注意深く、人の顔は避けられているが時々歩行者がフレームインしている写真もある。
どの写真にも、不思議な温かみが感じられる。ほわっと発光しているかのような、そんな魅力が感じられる。
(なんだろ……、光の具合のせい……? それとも私の気のせいかな……?)
私は最後までアルバムのページをめくった。父の写真は「人間」ではなく、あくまでも「風景」が主役だった。
とある写真で、私は手を止める。
「あ、これはピーターさんだ」
水辺で、一人の男性が釣りをしている写真だった。
ピーターさんも例にもれず顔は写っておらず、あくまでも後ろ姿だけだ。けれど背格好でピーターさんだとすぐに分かる。
(本当に釣り仲間だったのね……! じゃあピーターさんに聞けば、ここがどこか分かるってことね――あ、この写真……!)
それは父の住んでいたアパートを正面から撮った一枚だった。どうやら夕暮れらしく、オレンジ色の柔らかい光が、レンガの壁に差している。私はその写真をしばらく見つめていたが、やがてふうっと息を吐く。
(ああ……、お父さんはやっぱり、この街で生きていたんだな)
時間を共有した思い出がない私にとって父はどこか非現実的な存在でもある。だが、この写真こそが、父が確かに『ここ』にいた証だった。