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4 懐かしい香り

 玲香さんの夫であるピーターさんは、信じられないくらい日本語が上手だった。


 それもそのはず、バージニア州で生まれ育ったピーターさんは幼い頃から東洋、とりわけ日本に魅入られ、独自で日本語を勉強したのち、東京の、とある大学で一時期学んだことがあるそうだ。

 奥さんである玲香さんとはその時に知り合ったという。


 今は、ワシントンDCにあるジョージワシントン大学――ちなみにジェイクも同じ大学の学生という――で、日本語の授業のサブ教師を勤めている他、英語が第一言語ではない留学生たちが学ぶESLで教えつつ、そういった学生たちと日本の企業をつなぐ役割も担っているとか。喋りには少しアクセントはあるけれど、「てにをは」含め、ほぼ完璧だった。間違いなく私の英語より、ピーターさんの日本語のほうが上手だろう。


 どこからどうみてもアメリカ人なのに、話しているうちについその事を忘れてしまうくらいだ。


「柚希ちゃん、釣りは好きですか?」

「釣りですか? いえ、したことはありません」


 玲香さんの作ってくれた晩御飯は絶品だった。食べられないかも、と思っていた私ですら、一皿ぺろりと食べてしまったハンバーグに、お味噌汁にご飯、漬物まであった。ジェイクもピーターさんも箸を綺麗に使いこなし、会話は全て日本語で。ここがアメリカだとはにわかには信じられない。


「そうですか。大輔が好きだったので、柚希ちゃんも好きなのかな、と思ったのですが」


 食事をしながら聞いたところによると、父はどうやらここ一年ばかり体調を崩しがちだったという。本人も死期が近いかもと身辺整理をしていた矢先だったとか。

 そのことを知っていたベイカー一家は、友人の死に悲しみこそすれ、心の準備はできていたのだという。


「父とは小さい頃から会ったことがなかったので……」

「うん、それは大輔から聞いています。でも親子はなんだかんだいって好きなものが似たりするのでね、聞いてみたんです。もしお好きだったら、大輔の気に入っていた釣りポイントに連れて行こうかと思ったのです」


 そこで私は動きを止めた。


「父さん、ただ単に釣り仲間が欲しいだけじゃ……」

「フキンシンな」

「あ、あの……っ」


 ジェイクとピーターさん、似ている二人の視線がこちらに集中する。


「もしよかったら、父の好きだった釣りのポイントに連れて行ってください」


(お父さんの、好きだった場所を……知りたい!)


 それは衝動に任せた言葉だったが、ピーターさんはにっこりと微笑んだ。


「モチロン。いつまでこちらにいられるんですか? よければ次の日曜日に一緒に行きましょう」

「いる期間は決まっていません……、なので、是非よろしくお願いします」

「玲香は行くでしょ? ジェイクも行く? 君は行かないか、釣りが好きじゃないものね」

「――行く」


 ぶすっとしてジェイクが答えると、ピーターさんがおや、とばかりに片眉を上げた。その仕草はいかにもアメリカ人といった感じだった。


「珍しいね、君がついてくるの。釣りには興味ないんでしょ?」

「いいだろ、別に」


 ジェイクがハンバーグをつめこむと、ピーターさんがちらりと玲香さんに視線を送った。夫婦は物言わぬ会話を交わしてから、どうやら合意したらしい。それ以上そのことについては触れず、玲香さんが食後のお茶を淹れに席を立つと、ピーターさんが口を開いた。


「柚希ちゃんは、大輔に似ていますね」

「似ています、か?」


 そういえば最初にジェイクにも言われた。

 

「うん。大輔の面影があります。遺伝子(ジェネス)って凄いですね」


 似ているかどうかは自分では判断がつきかね、私は曖昧に微笑むしかなかった。そこへ玲香さんがお茶を淹れてもってきてくれる。お盆に載っていたのは、湯呑みがひとつと、マグカップがみっつ。


「ごめんね、湯呑みはピーターの分しかないの」


 渡された温かいお茶が入ったマグカップを、両手に包み込むように持つ。


「明日、大輔のアパートに行くんですか?」


 ピーターさんに尋ねられたが、私の代わりに玲香さんが答えてくれる。


「うん、私が連れて行こうかと思っていたけど……それでいいかな、柚希ちゃん」

「ありがとうございます、お願いします……!」


 私が頭を下げると、玲香さんが、任せて! と左手を拳にして自分の胸元にあてた。


「大輔のアパート、僕も一緒に行きたかったです。でも明日は月曜日、仕事しないとね。ジェイクも向こうに帰るんだろう? 乗せていくよ」

「俺の車、置いておいていいのか?」

「うん。週末戻ってくるんだろ? 授業は木曜までだろ、だったら夕方に僕が乗せてこちらに帰ってくるのでどうだ?」

「そうか。じゃあ、それで頼むよ、父さん」


 父と息子の関係もとても良さそうだ。


(そうか、明日は月曜日か……)


 私にとっては非日常の出来事だが、彼らにとっては日常の日々なのだ。


(私、アメリカにいるんだなあ)


 ここにいるとそんな気がしないけれど。

 私はゆっくりとマグカップに入ったお茶を口に運ぶ。玲香さんが淹れてくれた番茶の、馴染みのある味がゆっくりと身体に染み渡っていった。



 ◇◇◇


 父の終の住処は、ポトマック川のほとりに立っていた。


 玲香さんによると、アレクサンドリアではよく見られるタイプのアパートだという。外壁はレンガだが、どこか長屋のようにも見える。どこが入口のドアで、一体何階建てなのか、見慣れない私には、ぱっと見では分からない。


「大輔さんの部屋は、三階よ」


 エレベーターは、日本のものよりも断然大きいが、動きは鈍かった。誰も乗ってはいなかったけれど、甘ったるい香水の残香があった。

 ブン、という重い音と共にエレベーターが動き始め、映画でよく見るような開放廊下を玲香さんに連れられて歩く。三つ四つ、白い扉を越えてから、彼女が足を止めた。


「3156、ここよ」


 玲香さんに続いて、部屋に足を踏み入れる。


(――あ)


 ふわりと、どこか懐かしい香りがした。

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