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2 父が暮らした街、アレクサンドリアへ

 電話の主は、「ベイカー 玲香(れいか)」さんと名乗り、綺麗な日本語を話した。


「米香……?」


 珍しい響きにとまどう私に、玲香さんはちょっとだけ苦笑したようだった。


「分かりにくくてごめんなさい。私の主人の名字で、Bakerなの。主人と大輔さんが釣り仲間でした。バージニア州のアレクサンドリアって街で暮らしています」


 バージニア州のアレクサンドリア。

 確かに父が最後に送ってきた住所は、その街の名前が記されていた。


「そういうことですか」


 もしかしたら、今父が付き合っている恋人なのかもしれないと思ったが、どうやら違ったようだ。


「ええ。それでお電話した理由は、死亡届を大使館に出さないといけないの。他にも細かい手続きがあって……。あと、お部屋のどこかに、遺言があるはず――まだ残された荷物を触ってはいないんだけどね」

「……」


 死亡届。

 遺言。


 聞き馴染みのない言葉が、私を襲う。


「お部屋の荷物の片付けは、私たちがしてもいいけれど、死亡届まではできかねて――大輔さん、ずっとお独り身だったから、連絡するには貴女しかいなくて、電話しました――もしもし、聞こえています?」


(ずっと……独り身……?)


 そこで玲香さんが黙り、私は息を止めて聞き入っていた自分に気づいた。


「あ……、び、っくりしてしまって」

「ああ、そうよね。本当に突然でごめんなさい」


 玲香さんが謝ることではない。


「分かりました。その……、いったん、母に連絡を取ってみます。玲香さんの連絡先を教えていただいてもいいですか? 折り返し電話します」

「もちろん」


 玲香さんの電話番号とメールアドレスを聞き、礼を言って電話を切った。即座に母に電話をかける。


「柚希ちゃん、どうしたの?」

「ママ、あの……、びっくりしないでね。その……お父さんが亡くなったって」


 母はしばらく無言だった。


「お父さんの近所の人が……電話くださったんだけど、その死亡届を提出する必要とか荷物の片付けとかあるらしくてね」

「――ん」


 ようやく応じた母の声は湿っていた。


「どうもお父さんは再婚しなかったみたいで、娘の私に連絡がきて――」

「そう。でも、柚希ちゃんには何の責任もないわよね?」

「え、で、でも……」

「アメリカに行くとなると大変でしょう? それにどれくらい時間がかかるかわからないじゃない。大学はどうするの? 今、10月だし、まだ学期の途中じゃない。お金なら払うから、業者を雇って始末してもらいましょう」


 母が割り込むように口を挟んできた。

 母はきっと、私に父のためにアメリカに向かってほしくないのだろう。それがまざまざと口調から伝わってきた。


(でも、お父さん、のことだし……私が必要とされているみたいだし……)


 私にとっては世界に一人にしかいない、実の父親だ。これまで縁遠かったけれど、最期くらい、彼が本当に父だと感じたい。


(そうだ、私は、そうしたいんだ……!)


「ママ、あのね……」

「お金はいくらかかってもいいわ。直久(なおひさ)さんだって良いって言うと思うし」


 私の言葉に被せるように、母の恋人の名前を呼ばれて、頭の中がショートしたような感覚になる。


(直久さんは、関係ない……っ)


 いつもの私ならば、母の希みを叶えようと、母の望む娘になろうと、彼女の気持ちに沿う返事をしたかもしれない。けれど母のその言葉を聞いた瞬間、どうしてかまったく違うことを口にしていた。


「ママが何て言っても、私、行くわ」


 ◇◇◇


 一週間後、私はワシントンDCにあるロナルド・レーガン・ナショナル空港に降り立っていた。


 あれから母は何度も電話をしてきて、私にアメリカに向かわないように説得してきた。

けれど私が頑として首を縦に振らなかったから、最終的に諦めた。母が「アメリカでかかるお金は私が払うわ」と言ってくれたので、それには素直に甘えることにした。

 まず旅行会社に向かい、直近のロナルド・レーガン・ナショナル空港までの航空券を押さえた。どの席でもいい、一番早いもの、といって事情を説明したら、なるべく近い日程で、と航空券を押さえてくれたのだ。

 幸いパスポートは期限内だし、また私はアメリカ生まれのため、アメリカ国籍所有者でもある。話は早かった。

 大学の事務局に事情を説明したら、忌引ということもあり、特別措置を取ってくれた。要するにしばらく休学扱いにしてくれたのだ。

 玲香さんにその旨を連絡すると、最後に私が父の顔を見られるよう病院に頼んでくれ、また空港まで息子さんと迎えに行く、といってくれた。メールのやり取りだけでも、彼女はとても優しく、親切だった。


 しかし、あまりにも慌ただしく出発準備を整えたため、ワシントンDCに向かう十五時間に及ぶ飛行中、私はただただ眠った。おかげで、余計なことを考えずに済んだ。

 数日前にひどい別れ方をした、恋人のことだって。


「もしかして、柚希ちゃん?」


 無事入国審査を終え、バゲージクレームで預けたスーツケースがでてくるのを待っている私は、おずおずと男性に声をかけられた。振り向いた私の目の前には、同じ年頃くらいの、しかし私よりは三十センチは背の高い男性が立っていた。彫りが深く、くっきりした二重のヘーゼル色の瞳は大きく、また鼻も高い。

 明らかにアメリカ人らしい特徴があるけれど、どこか親しみがある気がする。

 短めに切られた髪の毛の色が、まるで黒髪に見えるからかもしれない。身体つきはがっちりしていて、十月だというのに、白い半袖Tシャツに、グレーのスエットパンツを合わせている。


 しかしこんなイケメン、まったくもって知り合いではない。


(えっ……、と、なんで私の名前を? ていうか、日本語……?)

 

「柚希ちゃんだよね?」


 もう一度尋ねられ、戸惑いつつも私は頷く。


「はい、そうです」


 すると、彼はぱあっと笑顔になる。


「よかった。大輔さんに似ているから、そうかなって思って。待ってて、今、母親を呼んでくる」


(大輔さん……、お父さんの名前……って、母親……? あっ、そうか、玲香さんの息子さん、かな?)


 メールに息子と一緒に空港に行くと書かれていたではないか。玲香さんにも会ったことがないが、彼女があれだけ日本語が堪能なのだから、息子さんが日本語ができるのは不思議ではない。納得した私は、去っていく彼の背中から、スーツケースが回っているレーンに視線を戻した。


『大輔さんに似ているから』


(私って……、お父さんに似てるんだ)


 そこで私のスーツケースを見つけて、取るべく手を伸ばした。


 ◇◇◇


 玲香さんは、電話やメールの印象通り、とても優しげな眼差しの女性だった。それこそ生きていれば父や、また母と同じ年頃くらいだろう、だが少女のように笑顔の可愛らしい、ふんわりとした印象の人だ。息子とは違い、玲香さんはちゃんと長袖のジャケットに、ゆったりとしたパンツを合わせている。


「ようこそ、アメリカへ。長旅で疲れたでしょう――あ、ジェイク、荷物持ってあげて」

「ああ」


 さっと彼が私のスーツケースを持ってくれる。


「あ、ありがとうございます」

「気にしないで」

「そう、本当に大丈夫。だってジェイクは荷物持ちで連れてきたのよ」


 玲香さんが微笑む。


「じゃあ、パーキングに行きましょう。詳しくは車の中で話すわね」


 アレクサンドリアまでは、この空港から車で二十分くらいだという。玲香さんの運転する車の助手席に乗り込んだ私は、車窓を流れていく景色に目を奪われていた。

 とんでもない高級車が走っているかと思えば、錆びついた車がのろのろと走っていて、驚かされる。そもそもここは高速道路らしいが、日本とは逆の右車線通行ということで、異国を感じている。

 物珍しそうにきょろきょろしている私に気づいたのか、玲香さんが質問してきた。


「アメリカは久しぶり?」

「十五年ぶりです。その、両親が離婚してから、これが初めてで……実は何も覚えていないくらいで」


 正直に答えると、玲香さんが、あら、と声をあげた。


「こんなことじゃなければ、案内してさしあげたかったわ……! うーん、でも一日くらいはあるかもね? よかったらDCに行きましょう、ホワイトハウスとか見たほうがいいわよ、アメリカの中枢だから。きっと大輔さんならそうしようって言うはず――」


 大輔さんなら。

 父なら。

 

 その父を、私は知らない。


「母さん、勝手に先走らないで。今、母さんが言ったように彼女は観光で来ているわけじゃないんだから」


 後ろの座席からジェイクが呆れたように言った。


「そうよね。確かに……ごめんなさい」


 しゅんとした玲香さんが謝罪して、私は慌てて手を横に降る。


「いえいえ、まったく謝ることなんてないんです。お気持ちがとっても嬉しいです、ありがとうございます!」

「優しいのねえ、柚希ちゃん。ジェイクとは大違いだわ」

「悪かったな」

 

 親子関係はとても良好のようだ。

 私と母との間に、常に流れている緊張感のようなものは、この親子には感じられない。


「まずは病院に行くのでいい? 大輔さんに、会いたいでしょう?」

「はい、お願いします」

 

 私は頷いた。

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