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10 ファインダーの向こう側で、きっと父は

 ベイカー家に戻り、私は父の日記を読むことにした。

 表紙に振られた番号が一番若い――離婚当時の日記を。


 心を落ち着けて、ページをめくる。

 何を知っても、きっと揺るがない――だって私が知りたくて、読むのだから。


 そんな心持ちで、私は日記に視線を落とした。


 しばらくして日記を閉じて、階下に降りていくと、ソファに座っていたジェイクが立ち上がる。


「読んだ?」


 彼には今から父の日記を読むと話していたのだ。


「うん」

「どうだった?」

「……思ってた、通りだったよ」

「そっか」


 彼が黙ると、玲香さんがキッチンから顔を出した。


「何を読んだの?」

「持ち帰ってきた父の日記です」

「……まあ!」


 玲香さんがすぐに私たちのもとへとやってくると、じっと私の顔を見つめる。


「うん、大丈夫そうね。顔色は悪くない」


 母親よりも母親らしい玲香さんに、微笑む。


「はい――父の考えていたことを知れて、なんだかすっきりしました」


 父の日記には、離婚理由が簡潔に書かれていた。

 父は母を責めていなかった。むしろ、異国で孤独の中で子育てをする母を支えられなくて申し訳なかった、と謝罪していた。母のことを幸せにしてくれるだろう、「彼」に感謝していた。

 それから、父は私への思いをたくさん、たくさん綴ってくれていた。


 側にいたい。

 けれど自分が側にいると、混乱させてしまうかもしれない。彼らは再婚するだろうから、そうなればきっと自分の存在が足かせになり、邪魔になるだろう。せめて養育費を払い続けることだけが、自分にできることだ。


 また、母とそのように『約束』をしたと。母との約束については詳細は書かれていない。


(約束、か……)


 ただ父は自分に言い聞かせるように、そう記していた。

 その日記の冊子を読み終わると、思い立って私とのやり取りが復活した十六歳の頃の日記を読むことにした。


 すると十六歳――アメリカでは運転免許を取得でき、義務教育が終わる年だ――になった私に連絡したいと母に申し入れたことが書かれていた。


『もし必要ならばアメリカに呼び寄せたい、夏休みの間だけでも一緒に過ごしたい、とも言ったが……せっかく日本で柚希が問題なく過ごしているのだから控えてほしいと返事が来た――当たり前か、いくら『約束』を守っていただけとはいえ、今まで側にいなかった自分が、何を今更父親の顔をして、と思われるだけだろう』


 ノートに書かれている文字は微かに滲んでいた。

 父は、苦しみ、悲しんでいたのだろうか。それでもなんとか母を説得して、私にメールアドレスを伝えてもらえることになったと書かれていた。


『柚希からメールが来た! なんて返事をしたらいいのだろう』


 何度も長いメールを打って、思い直して消し、また書いて消す、を繰り返し、最終的に連絡先だけをメールしたと書かれていた。


(そのメール、読みたかったな)


 もしあの時、父からその長いメールが来ていたら。

 私はどうしていただろうか。


 いてもたってもいられず、父に会いに来ただろうか。

 ――いや、結局母の反対に負けて、会いに来なかったのではないだろうか。


 ぱらぱらとノートをめくるとひらりと写真が落ちてきた。それは幼い頃の私の写真。洋服と場所が同じだから私が持っている写真と、きっと同じ日に撮られたものだろう。


 その写真はくたびれていた。きっと父は何度もこの写真を取り出し、眺めていたのだろうか。


(私を撮っているファインダーの向こうでお父さんは、笑ってくれていたはずだわ)

 

 私にはその父の記憶はない。けれど、今はそう思える。

 そう思えるだけで、もう十分だった。


 ◇◇◇


 それから私は玲香さんたちの手を借りながら、粛々と片付けを進めた。お陰で、予定通りに日本に帰国することができそうだ。

 私はそこで初めて母にメールを打った。


『お父さんの住んでいたアパートに行って、お父さんが撮った写真をみたよ。それから街にも連れて行ってもらった。お父さんのことを知っている人たちにも会えて、良い時間になった。来てよかった』


 それから、アメリカへの旅費を出してくれてありがとうと結んでメールを終えた。母からの返事は、また日本に戻ってから読もうと思う。


 週末にはピーターさんに連れられて父の好きだったという釣りのポイントに連れて行ってもらった。そこは川の中洲の広い空間で、釣り人たちがたくさんいた。ピーターさんはさすがに今日は釣りは我慢するという。


「大輔はここによく座ってましたね」


 父のお気に入りだったという大きな石に座ってみたり。


「この人、知り合いですよ、紹介しますね――Hey,she is Daisuke's daughter coming from Japan(彼女は日本から来た大輔の娘です)」

「Whoa, what, Daisuke has a daughter?(待って大輔って娘がいたのか!?)」

 

 釣り人仲間だという、ごついアメリカ人のおじちゃんと挨拶を交わしたり。


「これ大輔の好きだったチキンヌードルスープです。魚のあたりを待ちながら飲んでましたね」


 父が好んでいたというスープを店で買って飲んでみたり。


 ちなみにこの川で釣れた魚は、持って帰ってはいけなくて、川に戻すのだという。キャッチアンドリリースといって、アメリカではよくあるらしい。


「何時間か待ってやっと釣れた魚をすぐに川に戻すんだろ? 何が楽しいか分からない」

「ジェイク=ベイカー、それは釣り人への冒涜です。釣ることにロマンがあるんです」 

「うわ、親父がガチで怒ってる……」


 ジェイクとピーターさんの会話を苦笑しながら聞いたり。


「お天気がよくて、最高ねえ。柚希ちゃん、アイスコーヒーとブラウニーでも買いに行かない?」

「玲香はピクニック気分だね。でもそれでいいんだけどね、うん、正解だよそれでいいんだ。だって釣りをしないんだもんね」

「あ、親父が落ち込んでる……」


 私が思わず吹き出すと、隣でジェイクも楽しそうに笑った。そうして私達が笑っていると、ピーターさんも笑い始めた。私達三人を、玲香さんが優しげな表情で見つめている。


 ああ、いいな、と私は思った。

 何より、私がここまで自然に笑えているなんて。

 アレクサンドリアに来る前と、来た後の私は、まるできっと別人だろう。


 それもこれも父のお陰だ。


(私……、またこの街に来よう。お父さんの住んでいたこの街に。それでお父さんの撮った場所を、ひとつひとつ辿っていきたい)


 そして何より、この街で自分がどんな明日を迎えるのかを見てみたい。

 ポトマック川の水面が、太陽の光を反射しながら輝くのを眺めながら、私はそう思った。


 ◇◇◇


 その後のことを簡単に書いて、この話を終わらせようと思う。


 日本に戻った私は、大学卒業後にアメリカに渡れるように準備を始めることにした。幸い、私はアメリカの国籍所持者だが、アメリカに住んで働くなら、もっと英語が出来なくてはならない。

 あれから玲香さんやピーターさんとはもちろん、ジェイクともメールで頻繁にやり取りをするようになった。私がアメリカに移住するつもりだ、と告げると、彼は殊の外喜んでくれた。

 

『ジェイクの胸、あいてますからね』


 そう書いてきてくれるジェイクとの間に、もしかしたらこれから何か生まれるかも知れない。二人とも何も言葉にはしてないが、そんなほのかな期待があった。


 彼と過ごした時間は短かったけれど、しかし深い感情のやり取りがあり、彼のことは信頼できる。人との出会いというのは不思議だ。恋人として長く付き合った純大が立ち入れなかった場所に、ジェイクのことは自然といれることができた。これが相性、もしくは縁とタイミングなのだろうか。


 純大のことを信頼しきれなかったのは、私にも責任はあるかもしれないが、しかしやはり何がどうあれ浮気は許せない。だから、これが純大と私にとっての最善の結果だったのだ。

 私はそうして折り合いをつけたけれど、純大は違ったようだ。

 

「おい」


 ある日、私の部屋の前で純大が待ち伏せをしていた。一瞬無視をしようかと思ったけど、ちょうどいいから彼の私物を返そうと応じることにした。


「荷物、取りにきたの?」

「は?」

「まとめてあるの。ちょっと待ってて」


 私はドアノブに鍵をいれようとして、一瞬だけ考える。純大はもしかして押し入るつもりだろうか。それであれば、ここで扉をあけるのは得策ではないかもしれない。

 それはもう私にとって純大は恋人ではなく、他人にすぎないということを意味していた。

 

「なあ、本気で別れるのか? 俺のことブロックして、SNSアカウントも消しちまって」


 彼が掠れ声で呟き、私はぽかんとする。

 何を言っているのだろう。

 

()()()私と付き合いたくないんでしょう?」


 彼がくしゃりと顔を歪めた。


「どうしてすがってこないんだ?」

「すがる……?」

「結局柚希にとって俺はどうでもいい存在ってことか?」

「そんなわけないでしょ」

「でも俺から告白して付き合ったから……俺だけが好きだったのか?」

「やめて。ちゃんと好きだったよ――私はちゃんと好きだったけど、貴方には足りなかったみたいだけど」


 そう言えば、彼はぐっと息を呑む。


「浮気したって、全然、柚希は嫉妬したりしないんだな」


 あまりにも身勝手な論理に、かちんとした。


「どんな理由であれ、浮気は許さない。これからも私の気持ちを確かめるために、浮気をされたらたまらないし、もう貴方のことを信じられないってだけ」


 絶句する純大をよそに、怒りのままにドアノブに鍵をさして、扉をあけた。玄関に置きざりになっていた彼の私物のつまったボストンバックを抱えて戻り、そのまま押し付ける。


「柚希……俺……やっぱり柚希じゃないと……」


 呆然と立ったままだった純大の瞳に浮かんでいるのは罪悪感か。


「彼女とお幸せに。"元カノ”の家にはもう二度と来ないでね」


 きっぱりと告げ、身を翻して家に入り、鍵をがちゃんと締める。玄関によりかかり、大きく息をつく。これが一年半付き合ってきた私達の終わり。けれど、浮気している彼を見つけた日とは違い、ようやくこれでちゃんと終われると、どこか安堵した気持ちになった。


 母は、私が大学卒業後にアメリカに行くというと、予想通り良い顔はしなかった。何度も電話をかけてきて、思いを翻すように説得してきた。


「側にいてほしいのに」

「どうして、私を置いていくの?」

「日本でも仕事はできるでしょ?」


 以前の私だったら、すぐに折れていただろう。けれど、もう私は自分の人生の責任は自分で取ろうと決めた。母の人生がずっと母だけのものだったように、私の人生は私だけのものだから。


「私、アレクサンドリアで暮らしたいの」

「……あの人がいたから?」


 母の声に、怯えが混じっていることに気づく。

 母が隠したかった事実を私がもう知っていることは、告げるつもりはない。私にとって大事にするべきことは、父も母も、私のことを確かに愛してくれていることだけ。両親の間の問題は、私の問題ではない。


「違うよ。すごく素敵な街だったからだよ。あの街で暮らしてみたいと思ったの。いくらお母さんが何を言っても、変えないよ。だって私の人生なんだもの」

「……そう、なの? もう、変わらないの?」


 弱々しい母の声は、子どものようだった。


「うん。でもお母さんには直久さんがいるでしょ。だから心配していないわ」


 私がそう言うと、母は黙りこみ、小さく「わかった」と呟いた。


 こうして、全てが変わった。

 今、初めて未来が楽しみだと、そう思えている。


 未来に何があるのかは誰にも分からない。幸せだったり、楽しいことばかりではなく、辛いことも、悲しいこともあるだろう。それでも自分の人生は、自分だけのものだ。


 だから私は自分の足で、確かに一歩を踏み出す。


 私は、海を越えた、川べりのあの街で明日を生きることに決めたのだ。


<終わり>


読んでくださってありがとうございました!!

普段書いているジャンルの小説ではないのですが、

夢中になって書くことが出来ました。


柚希の母は、共依存気味かなと思っています。

父である大輔が、最期に母から離れる手助けをしてくれました。


でも柚希は、母のことが嫌いなわけではないんです


家族って、切り離せるようで離せなくて

子供ってやはり親が好きだったり、親に認めてほしかったり。

でも側にいると、存在が毒になったり。足かせになったり。

生きる原動力になったり。

他人と過ごすほうが、生きやすかったり。

家族って私にとって永遠のテーマです。

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