多数の視線
探査船には三人のクルーがいたが、今生きているのは私一人だけだ。
私達三人は重要な使命を持ってこの任に就いた。すなわち、この星系の詳細な地図を作ることだったが、二名の人員を失った今は任務続行――私の生命さえ危ぶまれている。
酸素ボンベも最後になった。ボンベは一本で十時間酸素を供給できる。
十時間持って何なのだろうか。
意味などない。救難信号は出したが、ここは未開の地――大宇宙から砂漠の中の砂金一粒を探すより難しい。
今、私は宇宙服を着たまま船内で漂っている。
――ことの始まりは五日前だった。
光発電システムが故障し、その原因が外部からの物理的な破壊であると宇宙船のコンピューターは判断したのだ。
外は宇宙空間だ。人間の住む惑星の周囲ならいざ知らず、物体が宇宙船に衝突するものだろうか。対衝突用の重装甲材をこの宇宙船に備えているが、デブリが激突したならば何らかの衝撃があってもいいはずだ。
しかし、どんなにありえなくとも実際にコンピューターは破壊されたと訴えているし、送電は止まっているのだ。幸運なことだが、光発電システムの破壊されたパーツは予備が存在していたので、早速私達は修理に取りかかった。
私は電装室で電力供給が止まったことによる不具合がないか点検を、船員の一人のシンは絶空の空間でも生存可能にする文明の利器を装着し、エアロックを経て宇宙空間へ出た。もう一人の船員であるアキラはシンの補助としてオペレーターとしてモニター室に行った。
シンは幾度の船外ミッションをこなしたプロフェッショナルであり、アキラはそのパートナーとして数々の航海をやりのけてきた。
私はそんな二人を頼もしく思っていた。私はこのトラブルもすぐに解決し順調な航行ができるだろうと、そんな風に思っていた。
だが、それは笑い声とガラスが砕けると共に崩れ去った。
「ひははははははっ! くひひひひふふっ!」
この声は外にいるシンだった。正気を失った声がスピーカーを通して電装室まで聞こえてきた。
尋常じゃない事態に私は自分に与えられた仕事を放棄し、モニター室まで急いだ。
モニター室に入ると、惨状を目にすることになった。きらきらと光を反射する粉々になったガラスが浮いていた。
その中で吐き散らされる冒涜的な言葉と、シンのバイタルサインが危険域であることを示す警報音をバックグラウンドミュージックに、アキラは船外を映し出しているはずのモニターを、これでもかというぐらいに執拗に砕き続けていた。破壊に使用されたアキラの右手は大小様々なガラス片が突き刺さって血に塗れており、見るだけでも痛々しかった。
「やめろ!」
私は叫び、自身を痛めつける右腕を掴むとその腕は止まった。
「おい、どうしたんだ!」
気が変になりそうな音楽に負けない音量で問うた。もしかしたら正気であることを自覚するために、自分に言い聞かせる行為だったのかもしれない。
突然ブッツリと垂れ流しになっていた狂気じみた音楽とシンの生存を示す信号が切れた。
「えっ……おい、大丈夫か! シン!」
私は沈黙するスピーカーに無駄だと分かっていても呼びかけていた。
「無理だ。死んでいる」
「何があったんだよ!」
もう一度問うた。私はアキラに掴みかかりそうだったが、密閉空間での仲間割れは命取りだということは宇宙飛行士にとっての常識だったので、何とか抑えられた。
「……船外は危険だ。光発電システムの修理は中止、今後船外の活動も禁止だ。シンの遺体は残念だがそのままにしろ。窓にも近づくな。あとは……傷の手当をしてから話す」
私はアキラの異常な状態に閉口した。アキラは掴む手を振り払う――体は熱を出したかの如く震えていて、汗を大量に噴出していた。
その後、アキラの右手は包帯でぐるぐる巻きにして止血された。
船内は赤色灯で真っ赤に染められていた。電力供給が失われた今、限られた電気を長く使うために生命維持と救命信号を出す装置以外の電源は落としたからだった。
私は突然の仲間の死と、納得できない指示に混乱していた。
「説明してくれるんだろうな」
「――アストロノーツに伝わる噂だよ。聞いたことないか? 宇宙を漂う死神の話だ。俺も噂だと思っていた……だけどな、見たんだよ。実際にいた、いたんだよ」
「死神……」
私は息を飲んだ。
「シンの体に群がっていた……大量の目玉がピンク色の半透明な粘液のような体で繋がっていたんだ。しかも呼吸しているように脈動しているんだ。宇宙空間でだぜ。一つ一つの眼球がさ、ぎょろぎょろ別個に運動して視線をばら撒いていたんだよ。瞳孔が閉じたり開いてしてさ、虹彩の模様も時間で変化してさ……」
アキラがその死神を子細に描写すればするほど平静さを失っていく。
「その二、三個と目が合ったんだよ。カメラ越しにも拘らず……そしたら、そいつらは気付いたのかカメラに向けて……いや、俺に全部視線を向けて――!」
アキラは自分の『目』を潰さんばかりに押さえ、母親の子宮にいる胎児のようにうずくまった。
「嘘だと思うなら、外に出てみろ」
「いや、分かった……もう話さなくていい」
宇宙を漂う死神――聞いたことがある。実際に遭うまで眉唾物だと思っていた。その話では遭遇した船は必ず全滅すると言われているが、私はまだ諦め切れなかった。
電力は少ないが、燃料は残存している。救難信号が他の船に届く位置に移動すれば、助けてもらえるかもしれないからだ。
私は早速行動に移った。
操縦室で一番近い宇宙船停泊基地を目的地に定め、直ちに発進させようとした。計算によると、電力が尽きる前に基地との通信範囲には移動できるはずだった。
だが甘かった。
目玉の化物は知能を持っているらしく、燃料タンクさえ壊したのだ。燃料が漏れ出している状態でエンジンを掛ければ確実に爆発する。
いよいよ、待つ以外の方策を私達は失ったのだ。
「ははは……」
自然に乾いた笑いが漏れ出す。ついに自分も狂ったのかと思ったが、そうでないと判断するぐらいには私は正気だった。
生き延びる希望を見出せないまま戻ると、うずくまっているはずのアキラがいなかった。
一人は心細い。アキラを失ってしまったら一番近くにいる人間まで何光年あるのだろうか。そう考えると私はいてもたってもいられなかった。
私は探した。ブリーフィングルーム、電装室、食料庫、トイレ、寝室……電気の通っていないドアを手動で開くのはかなりの重労働だった。外を見るための窓にはできるかぎり背を向けた。
宇宙服の数は減っていないし、空気も漏れていない。外には出ていないのなら、最後に残ったのはモニター室。なるべく近づきたくなかったが、可能性はここしかなかった。
ぎぎぎ、と金属が擦れる音を出しつつモニター室に繋がるドアをこじ開けた。
胸糞悪い鉄の臭いが流れ出した。
モニター室で見たのは脱力して浮いているアキラの体。液体の球が幾つも浮かんでいる。球の中に特異な物が存在した。
眼球。
見つけられるだけで二個。白い紐のような視神経がそれから垂れていた。
「おい、大丈夫か!」
私は液体の球――血液で汚れるのも構わずアキラに近づいた。アキラの顔を見て、私は息を呑んだ。
二つの眼窩には黒くぽっかりとした穴が開いていたのだ。
冷静になれ、と自分に言い聞かせながらアキラの頚動脈を探るとそこを中心にベッタリと血に濡れていた。手にはモニターのガラス片を掴んでいたので、目を抉った後、喉の頚動脈を切断したのが推測できた。
もう見たくないという思いで目を抉ったのだろうか。それとも、アキラの言うような化物と同じ器官が付いていることに耐えられなかったのだろうか。
私は宇宙空間で一人になってしまった。
発せられる音は自分の呼吸だけになった。
狂気は、禁忌は人をことごとく人を魅せる物だ。
外に出たい欲求に駆られるのをぐっと堪えるのと希望のない現実に逃避しようとしたのか、おそらく、自分の心を仮死状態にしてしまったのだろう。ここからの記憶は胡乱になっている。
その間汚れた衣服を着替えたのかもしれないし、何か食べた覚えもない。ただ無駄に命を永らえさせる行動をとっていた。
私はバッテリーの残量がなくなる前にエアロックの近くにある宇宙服に着替えていた。
ついに電力は費えて赤色灯も消え、完全な暗闇になった。私は今までと異なる環境に我を取り戻した。いままで降り積もった恐怖が雪崩の如く正常になった心に押し寄せてきた。私は叫んだが、ここは真空に浮かぶ筒だ。外には届かない。声を潰してしまった後は、自分は冷静だ、と頭の中で呟き続けた。
それでも生き残ろうと言う意志は微かにも残っていたらしい。宇宙服のヘルメットを装着して空気だけは確保したが、人間の領域はさらに狭まった。
いつしか、私は夢を見ていた。
夢の中でアキラは言った。
「外に出てみろ、きっといいものが見れるぞ」
暖房機能がなくなったせいで船内の気温は氷点下になり、彼の体はところどころ霜が降りていた。依然眼球のある場所は真っ黒で、冥界を見つめているようだった。
「窓を見るだけでもいい。楽になる」
バリバリと凍った体を動かして、誘惑の声は続く。喉にはガラス片で傷付けた切り口が赤い肉を見せていた。
私は焦り無重力なのに足をバタバタと動かしてエアロックを背にしてしまった。
「ひゃははははっ! あははははははっ!」
背にしているエアロックから――いや、外から笑い声が聞こえてきた。
「ほら、シンも待っている」
「う……うわああああああああっ!」
使い物にならなかったはずの喉で私は悲鳴を上げた。
悪夢はここで覚めた。しかし、現実も悪夢だった。
酸素ボンベの交換はもはや時計代わりだ。一本十時間の砂時計。最後の上下反転はやり終えた。
「私は……」
言葉が続かなかった。
もう耐えられない。なにも考えたくない。夢でのアキラの甘言が頭の中でループする。
栄養が断絶した体を動かすのは辛かったが、楽になれると思えば何ともなかった。エアロックを力ずくで開けると、船内の空気が宇宙空間へ放出される。
私は死の世界へ踏み出した。
まずはシンの宇宙服を見つけた。船体の角に引っ掛かっている。近づき、シン顔を見ようと思った。ヘルメットが光を反射しているので見える位置まで手繰り寄せた。
なにかしら、表情があると思った。人間の顔があるはずだった。
しかし、隙間なく詰まっていたのはピンク色の物体だった。
沸騰するように出てきた泡は一つ一つ眼球を形成し視線をばら撒く。いつしか眼球とピンク色の割合は逆転し、ヘルメットが全て眼球で埋まる。大きさはまちまち。瞳孔の大きさと虹彩の色を変化させていたが、急に変化は止まった。
眼球が一斉にぎょろり、とこっちを見た。
「く……ふふふふははは……」
その瞬間、私は狂気の海に身を任せた。
このテーマは聖騎士先生から頂きました『閉塞感』です。
閉塞感が味わえたならいいな、と思っています。
モンスターに言いたい。
こっち見んな。
あ、只今ニュースが入りました。スリーSはまだテーマを募集するようです。
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これにてニュースを終わりにします。