里井怜奈は、悟れない。
「あたし、きづいたの!」
僕の幼なじみ、里井玲那がそのセリフを始めて口にしたのは幼稚園の時だった。
「お日さまって、いっつも同じところから出てくるのよ!」
そう続けた玲那は幼稚園児らしく前歯が抜けていてかなり間抜けな顔だった。
けれど、そんなことお構いなしにむふー! という鼻息が聞こえそうなくらい自慢げな様子。
「そうなの?」
たぶん同じくらい間抜けな顔をした僕が間抜けな声で聞き返すと、玲那は元気よく答える。
「そうよ! きのうも、おとといも同じだったから、まちがいないわ!」
「すごい! 玲那ちゃん、すごい!」
当時の純粋だった僕は、素直に感嘆した。正直、何がすごいのかよく分かってなかったけど、とにかく玲那ちゃんはすごい、と思ったのだ。
「ほかにもね! きづいたことがあるの!」
僕の賛辞に気を良くしたのか、玲那は次々と色んなことを僕に教えてくれた。
今思えば、それは大したことない発見ばかりだった。所詮は幼稚園児が気付いたことだから仕方ない。けど、当時の僕には、色んな事に気付く玲那は光り輝いて見えた。
……いや、よく考えたら日の出の方角を突き止めたのは普通にすごいな。
「ママ、聞いて! あたし、きづいたの!」
玲那は、お迎えに来てくれたお母さんにも世紀の大発見の数々を自慢げに伝える。そのことを玲那のお母さんは盛大に褒めてくれた。
この日以降、それは玲那の口癖になった。
※※※※※※
それからというもの、玲那は色んなことに気付いた。そして、その発見を僕に自慢げに報告してくれた。その度に僕は玲那を褒め倒した。
「あたし、気付いたの! サンタさんって、お父さんなのよ」
「すごい! ………………え?」
「わたし、ちゃんと確認したの! あのね――」
それから、玲那は事細かにサンタさん実在しない説を展開してくれた。
……そうか。だから、僕のお父さんは高いゲーム機じゃなくてラジコンを猛プッシュしてきたのか。
時には、まだ純粋だった僕の夢をぶち壊し。
「あたし、気付いたの! 昨日の夜のドラマの犯人、あの秘書の男よ」
「すごい! えっ、なんで分かるの?」
「あの会議室で話してたシーンが――」
玲那は秘書が犯人であることを筋道立てて説明してくれた。
翌週、玲那と一緒に見たドラマの解決編は面白さが半減した。
時には、完璧な考察のせいで盛大なネタバレを食らい。
「あたし、気付いたの。今すれ違ったおじさん、カツラだったわ」
「すごい! ……けど、声が大きいよ」
「大丈夫よ。結構分かりやすいから」
僕は気付かなかったし、そういう問題じゃないよ。
そして、おじさんが若干肩を落としていたのは気のせいだと信じたい。
時には、見知らぬおじさんの心にダメージを与え。
「あたし、気付いたの。机の一番下の引き出しに何か隠してるでしょ?」
「すごい! ……って、え? もしかして中見たの⁉ 見てないよね?」
「何で気付いたかっていうとね」
「待って、先に中を見たかどうかを教えて」
玲那は最後まで見たかどうかを教えてくれなかった。
ちなみに隠してあるのはただの日記だ。書くことがなさ過ぎて、ほぼ玲那に教えてもらったことを記録してるだけなので、玲那の観察日記みたいになってる。玲那にだけは読まれたくない。
時には、僕の隠し場所を容易く看破した。
こんな感じで、日常の小さな秘密によく気が付く子だった。
玲那が発見した秘密の話を聞くのは楽しかった。玲那も教えてくれる時は嬉しそうにしてたし。まぁ僕が条件反射のように褒めていたからかもしれないけど。
そして、そのせいで僕は同じくらいダメージを受けてるような気がする。
観察眼が鋭い、目ざとい、周りが良く見えてる、大人はそんな風に玲那を高く評価した。
実際に、玲那は優秀だった。小さいころから賢く、成績は常に上位。観察するのが得意だからか、コツを掴むのが早くスポーツも万能だった。
玲那は、何でも出来て何でも見抜く神童のように扱われていた。
たしかにそれは事実だ。玲那はすごいという点に僕も異論はない。
だけど、それはあくまで玲那の一面でしかない。玲那はいつも何にでも気付いてるわけじゃない。僕に言わせてみれば、玲那はかなり間抜けでおっちょこちょいだ。
ご飯粒がほっぺに付いてても高確率で気付かないし、普通に道を歩いてても小さな段差に気づかないで良く転びそうになる。会話してる途中でも何かに気付くと、流れを全く無視して話始めたりもする。
僕にとって玲那は、すごいけど若干天然の入った変わった女の子だった。
だが、そうした玲那の特徴はずっと一緒にいる幼なじみの僕だからこそ分かることらしく、周囲の人から玲那は超人のように扱われていた。
※※※※※※
その日、僕たちは運悪く満員電車に乗っていた。
僕の真正面に立っていた玲那は、斜め後ろをチラッと振り返り不愉快そうに眉をひそめる。
どうしたの? と僕が聞く前に玲那は僕の方に向き直って口を開く。
「あたし、気付いたの」
それは、いつものお決まりのセリフだった。けど、ボリュームがおかしい。明らかに、僕の目を見て喋ってるのに周りにもしっかり聞こえる大きさだった。
そして、そのままの声の大きさで、玲那は僕の目をしっかり見つめながら続けた。
「あなた、痴漢よ」
そう言いながら、玲那は斜め後ろに立っているおっさんを指差していた。
当然、電車内はざわついた。
ただ一番驚いたのは僕だと思う。指こそおっさんを指していたけど、明らかに僕の目を見て痴漢よって言ったよね?
この人痴漢です、のテンション感だったよね? 一瞬、玲那に痴漢の冤罪で突き出されるのかと思ったんだけど。
そんな僕の考えをよそに、痴漢のおっさんは烈火のごとく怒り狂った。
言いがかりだ! 俺を誰だと思ってる! これだから最近の若者は! などなど、痴漢を咎められた人はこう言うよねというテンプレ通りの対応だった。だが、テンプレ通りだとしても迫力は十分ある。僕は、普通にビビった。
しかし、玲那はそれらのテンプレ発言をすべて無視して、被害者の女性に声をかけていた。あまりにも華麗に無視するから、おじさんも一瞬黙っちゃったじゃん。あれ、儂の気のせい? でも、明らかに儂のこと指してたよね? みたいな顔してるじゃん。
でも、気のせいじゃないことはすぐに分かる。そして、おっさんは冷静さ? を取り戻し、玲那から目線を外す。
で、そのツケは僕に回ってきた。
なんだおまえの連れは! 年上に対する敬意がまるで感じられん! といった感じで、ありがたくもなんともない説教まがいの戯言を垂れ流す。
なんで、僕、痴漢のおっさんに怒鳴れなきいけないの? まぁ、キレたおっさんが玲那に手をあげたりするよりはマシなんだけど。
玲那は何事もなかったかのように、おっさんにゴミくずを見るような視線を向ける。ちょっとは、動揺しても良いんだよ?
「あたし、気付いたの。あなた、動揺隠せてないわよ? あと、うるさい」
それはもうはっきりと言いきり、バッサリと切り捨てる。
再び、おっさんがフリーズ。しかも、今度は再起動までに時間がかかった。そのせいか、周りから向けられている冷たい視線の数々に気付いたようだ。
顔を真っ赤にして必死に堪えている若い女性。そして、露骨に動揺しているおっさん。状況証拠はばっちりだ。仮に、冤罪だったとしても、もう無理な気がする。
まぁ玲那が言うってことは、冤罪じゃないんだろうけど。
次の駅に着いた途端、全力で逃げだそうとしたおっさんを周囲の人が取り押さえるためにひと悶着あったが、玲那はどこ吹く風の様子だった。
その後、被害者の女性に何度もお礼を言われ、周囲の人から賞賛の言葉を浴びながらも、やはり玲那はいつも通り平然としていた。
そのメンタルを僕にも少し分けて欲しい。そして、僕が突然の出来事に対応させられて疲れていることにも気付いて欲しい。巻き込むのは一向に構わないんだけど、せめて事前に一言欲しかったな。
こんな感じで玲那の観察眼は僕の心に若干のダメージを残しつつも活躍していた。
一緒にいて冷や冷やさせられることは多かったけど、玲那はいつでも正しかった。
だから、順風満帆とは言えないまでも、大きな問題は起こっていなかった。
――あの日までは。
※※※※※※
そのときの玲那の表情はいつも通りだった。
「あたし、気付いたの」
だから、僕は気付かなかった。玲那が相当の覚悟を持ってそのことを告げていたことに。
「あたしのお父さん、毎週、女の人と会ってるわ」
「………………。えっ⁉ それって浮気なんじゃ」
「そうだと思う。というか浮気よ、それ以外に考えられない」
それから、玲那はいかにしてその考えに至ったかを説明してくれた。うん、玲那のお父さん、これは擁護できないわ。完全に真っ黒じゃん。最低じゃん。
ただ、これをいつものようにストレートに言うと大変なことになる気がする。というか、絶対大変なことになる。
一応、やめた方が良いんじゃなかとは言ったけど、玲那はそれをきっちりと真正面から両親に報告した。
そして、里井家は崩壊した。
当然のように、玲那の父親と母親は大喧嘩。もう少しで殺し合いになってもおかしくないくらいには白熱。喧嘩の場に包丁こそ登場しなかったけど、食器は何枚も割れ、テレビがお釈迦になった。
感情と、理性と、慰謝料と、養育費と、世間体がバチバチにしのぎを削り合った結果、とりあえず離婚はしないという結論に落ち着いた。世間体が目を見張る活躍を見せたのだ。
しかし、その場で父親が家を出ていくことになり、母親も精神的に不安定になることが多くなった。
その引き金となったのは、もちろん玲那の発言。
――といった内容を、玲那はなぜか淡々と報告してくれた。
なんで、お昼ごはんの相談をするぐらいのテンションで報告できるのかな? 普通に話し始めたから、いつもの雑談のテンションで聞いたせいで、心に予想外のダメージを受けちゃったじゃん。
だが、いくら冷静で、悟ったようにしていても、玲那だってまだ年頃の女の子。
自分の発言で家庭が崩壊した玲那は、それ以降「あたし、気付いたの」という事はなくなり、元気がなくなっていった。
――なんてことは全くなく、玲那は普段通りの生活を続けた。
どうやって慰めようかと心配していた僕が拍子抜けしてしまうくらい玲那はいつも通りだった。ちょっと普段より気付くことが増えた気がする。
なんなら、教師の浮気を摘発していた。メンタル強すぎない?
ただ、小さな変化として、玲那が気付いたことを僕にだけ報告することがちらほらとあるようになった。
※※※※※※
「あたし、気付いたの」
玲那が、そのことに気付いてしまったのは高校1年生の夏だった。
「あたしって、どうも嫌われてるみたい」
それは、僕が一番気付いて欲しくない事実だった。
「みんなあたしのこと、冷めてるとか何考えてるのか分かんないとか言ってるのね」
それは紛れもない事実だった。
玲那は周りから浮いていた。というよりも、避けられていた。
神童としてみんなから尊敬されいていたのは小学校まで。中学生になり、学年が上がるにつれ、その評価は変わっていった。
そして、高校生になった今では、空気が読めない変な奴というのが玲那の印象になっていた。
綺麗な黒髪に、視線を奪うのに十分な容姿。玲那は、そもそも近寄りがたい雰囲気を持っていた。そこに、玲那の独特の性格と全く忖度しない物言いが組み合わさった結果。
玲那は孤立した。
……が、玲那はそのことに気付いてなかった。なぜなら、周囲の人間が隠してなかったから。それと、ほんの少しだけだけど、僕のフォローの影響もあったかもしれない。
玲那は隠してあることに気付くのは得意だけど、逆に分かりやすく提示されている事実はぬるっと見落としたりするのだ。
クラスのみんなは玲那を避けていた。それも堂々と。これが陰湿なタイプのいじめだったら玲那はすぐ気付いたんだろうけど、そうじゃなかった。
クラスメイトも玲那から話しかけられて露骨に無視したりはしない。聞こえるように陰口を言ったりもしない。それは玲那に気を遣ってるからとかではなく、そうした方が玲那と関わらないで済むからだった。
そんな対応でも全く態度が変わらない玲那に、周囲の人の我慢が限界を迎えたのだろう。
「あたしって変に目ざとくて邪魔な存在だったのね」
僕はそれを強く否定する。心の底から否定する。
「そんなことないよ。邪魔なんかじゃないよ。それに、みんなが思ってるより玲那は鈍感だよ」
「嘘よ。あたしは、色んなことに気付いちゃうもの」
そうだけど、それだけじゃない。玲那には気付いていないことを沢山あるのだ。
どうやって伝えたら良いか迷っているうちに玲那が続ける。
「それにね、あたし、気付いちゃったの。みんなに嫌われてることが別に悲しくないってことに」
そう言って笑う玲那は、今までで一番悲しそうに見えた。だけど、玲那はそのことに気付いちゃいない。やっぱり玲那は鈍感だ。でも、それをどうやって玲那に伝えればいいのか、僕には分からない。
それ以来、玲那が「あたし、気付いたの」と言うことはなくなり――こそしなかったが、人前で言うことはほぼなくなった。
放課後とかに、僕にだけ報告をしてくるようになったのだ。僕は、放課後の度に「あたし、気付いたの」報告会に付き合った。
それは、やっぱり僕にとって、とても楽しい時間だった。
※※※※※※
僕が玲那からそのセリフを引き出せたのは、高校の卒業式の日だった。
卒業式が終わった後。体育館の裏。一人できて。伝えたいことがある。
今朝、僕は、玲那にそれだけを伝えた。何がしたいのか丸わかりのベタベタな内容だと自分でも思う。
だけど、当の玲那はしれっとした顔で「分かったわ」と言うだけで、何にも気付いた様子はなかった。
本当なら、自分達の卒業式の日にしようと思ってた。だけど、最近の玲那は元気がない。やはり、あの件が尾を引いているのだろう。
僕は自分に出来ることを考えた結果。ほぼ何もないのでは? という悲しい結論に至った。
僕に出来るのは、せいぜい玲那の話を聞いてあげるだけ。
だから、僕はこれからも玲那のそばにいるという宣言のために。そして、玲那にも気付いてないことがあるよということを伝えるために。
僕は一番大事な秘密を玲那に打ち明けることにした。
そして、卒業式の後、体育館の裏で。
僕の気持ちを伝えた途端、玲那は真っ赤になり何も言えなくなった。
「だから、言ったじゃん。玲那は、鈍感だって」
「~~っ⁉」
目線は泳ぎまくってるし、両手をわたわたと意味もなく動かしている。さっきから、何かを言おうとして口を開いてるけど、結局言葉にならずもにょもにょと言ってるだけだ。
「やっぱり、僕の気持ちには全然気づいてなかったみたいだし」
「だって! いや……でも」
勢いよく言いかけて、僕と目があった途端、勢いを失い尻切れトンボになってしまう。
まぁ、今まできちんと口に出さなかった僕が悪いんだけど。というか、とっくの昔に気付いたうえで、気付かない振りをしてるって可能性もあった。
だけど、僕は気付いていない方に賭けた。玲那は自分が隠し事をするのは苦手なのだ。
それから、数分間、玲那は何度も何かを言おうとしては失敗を繰り返した後。やっと口を開いた。
「……い、いつから? いつから、あたしのこと………………その、……なの?」
「ずっとだよ。たぶん、幼稚園の頃からかな」
出会ったのはもう少し前。その時から、僕は玲那ことが好きだったとは思う。でも、きっかけは、あの日の玲那の自慢げな笑顔を見たことだと思う。
自分から聞いたくせに、僕の返答を聞いて玲那は身悶えしている。
しばらく、沈黙を貫いた後。
意を決したように顔を上げ、真っ赤な顔のまま、蚊の鳴くような声でささやいた。
「…………あたし、気付かなかったわ」
それは、僕が玲那の口から一番聞きたいセリフだった。
お読みいただきありがとうございます。
ジャ○プとかマガ○ンに載ってる恋愛モノの読切のイメージ。
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