1話
「おかあしゃん!」
小さな女の子が母のもとへ駆け寄る。目一杯に小さな手で人形を抱えている。小さく肩を揺らし、汗ばんでいる女の子の額を彼女は拭った。
「どうしたの?」
「あのね——」
つたない言葉で思うがままに母に話す。一気に話しているからか、息がまた乱れて呼吸を整えてまた喋り始める。その一生懸命に話すその姿を微笑ましく見つめていた。
「——しゃん、おかあしゃん!」
女の子はムッと頬を膨らませた。
「うん? どうしたの?」
「おとおしゃん、いつかえってくるの?」
「お父さん? うーんそうねぇ。もうそろそろ帰ってくると思うけど……」
すると、ドアの向こうから足音が近づく。ドン、ドンと低くて地面が揺れるような特徴的な足音を立てるのは間違いなく彼だ。ガチャ、とドアがと開く。
「おかえりなさい。あなた」
「おかえり!!」
女の子が男に飛びつく。それを微笑ましげに彼の元へ歩み寄った。
——またあの夢だ。
深いうめき声と共に目を開ける。
あの日の事が悪夢として出てくる。何回も、何回も嫌というほどに夢に出てきた。
自分が汗でビッショリに濡れていることに気付く。
ため息をつきながら体を起こす。気分を変え、男は目を覚ます様に窓を開けた。外には花が咲き、鳥達がさえずりをしていて気持ちがいい。
去年の秋、故郷を出て西へ歩き続けた。途中、村で盗賊を退治し、謝礼で食糧と毛皮を分けてくれた。
そして、更に西へ進むと廃村があるらしい──と村の老人は今住んでる家となる廃家はいかを教えてくれた。お陰で凍りつく様な冬の到来を前に何とか暮らせるように整えて、無事に乗り越えることが出来た。
狩猟してを繰り返すこの生活も慣れてきた。以前の生活に比べたら大きく変わったがこれもまたいいだろう。
昨日作っておいた鹿肉のシチューを温めて食べよう。火をつけようと暖炉へ寄ると不意にドアを叩く音が聞こえた。
ノックにしては乱暴過ぎる音。彼は剣を取り、用心しながらドアを開けた。
「むっ! 本当にいるとは」
ドアの前立っていたのは大きな男だった。鎧を着ていても屈強な体をしているのが分かる。思わず後退りしてしまいそうな程の迫力だ。後ろに騎士が3人横に並んでいる。
「貴公がクラトス・デスフィリアか?」
男が尋ねた。クラトスは柄つかをギュッと握る。
「だったらどうする?」
「安心しろ。貴公を殺したりはしない」
その証拠に、と自身の剣を後ろの騎士に渡した。
「殺しはしないが、修道院に来てもらおう」
「それはつまり......俺を捕えるという事か?」
「そう思っても構わない。詳しい事は道中で話そう」
「拒否したらどうなる?」
「貴公にその選択肢はない。必ず連れてこいと修道院長からの命令だ。もし剣を抜くつもりなら辞めておけ。たとえ白き獣と呼ばれている貴公でも俺と、後ろにいる奴らを相手にするのは野暮だぞ」
男の言う通り、この人数を相手にするのは分が悪い。この男もそうだが、後ろにいる騎士達も相当手だれているのが分かる。
——ここで剣を抜いても死ぬ、か。
だったら、とクラトスは半ば諦めた様子で言った。
「分かった。お前達に着いて行こう」
「話の分かるやつで助かる。我々は外で待っているから準備が整ったら出発するぞ」
あぁ、とクラトスはドアを閉めた。
シチューを温める時間はなさそうだ。冷たいシチューを胃にかきこむ。少しの着替えと、もしもの為に鹿の干し肉をカバンに詰め込んだ。
ふと、窓の外に目をやると外に騎士がこちらを向いて立っている。きっと逃げるのを防ぐ為だろう。クラトスは目を戻して準備に勤しんだ。
騎士達と出発した夜。クラトス達はたき火を囲むようにして休んでいた。
「そういえば名前を言っていなかったな。俺の名はアイネイだ」
「あぁ、よろしく。俺の名は......ってもう知っているか」
彼は誤魔化す様に咳払いをした。
「修道院というのはどのあたりにあるんだ?」
「王都から南に外れた所にある。明日には着くだろう」
そうか、とクラトスは再び焚き火に目を向ける。
「貴公はこの国の人間じゃないだろう? なら修道院のことは知っていたか?」
クラトスはいや、と首を振った。
「恥ずかしい話だが、俺が今どの国にいるかも分かってなくてな」
「なに!?」
それを聞いたアイネイは口を開けて豪快に笑った。ヒィヒィと息を切らす。ムッっとする気持ちを抑え彼が落ち着くのを待った。
ひとしきり笑い終えた後、涙を浮かべてこちらを見た
「すまない。つい笑ってしまった」
「別に構わん」
「そう怒るな。まさか自分がどこにいるか知らないなんて思わなかったから」
クラトスの返事がないことが分かると続けて言う。
「今いるのはエルヴァル王国だ」
そうか、俺はエルヴァル王国まで歩いて来たんだな——クラトスは我ながらよくここまで歩いたもんだと感心した。
エルヴァル王国は故郷から西に離れた国で間にはサージュ国がある。つまり一国を跨いで歩いてきたという事だ。
「そうだったのか」
「あぁ。遥々遠く離れたこの国でも貴公の噂は耳にしていた」
あぁ、そういえば確かに。アイネイが自分の異名を呼んでいたことを思い出した。
「まさか俺の事を知っていてくれていたなんてな」
「その辺の情報の収集は欠かさないようにしてるからな」
他に聞きたいことは山のようにある。
何故、自分が修道院に呼ばれたのか。そしてこれからどうなるのか。聞きたい気持ちがあるが聞いてはいけない様な気がしてならない。考えてもそこから出てくるのはどうしても良からぬ事ばかりだ。
「明日で修道院には着きたい。今日はもう寝るとしよう」
アイネイはそう言って横になって背を向けてた。彼にならうように横になる。これ以上考えても答えは見つからないし、気持ちが疲れるだけだ。
クラトスは強引に目を瞑った。