物語の丁寧な説明について考えてみた
物語にはこと細かな説明がある方が良いか・それともない方が良いかという論争を見かけたので、書いてみようと思います。
私は、物語というものは読者が想像を膨らませて読むもので、作者がすべてリードするものでは無いと考えています。
こと細かに説明することは読者の想像を固定してしまいますし、物語のスピード感も減ると感じます。
例えば、主人公Aがカップを落としたとしましょう。
【思わずカップを落とした】
上記の文章では、誰が・どうしてカップを落としたか分かりません。もしかしたら前後の文章で分かるかもしれませんが、ここだけピックアップすると分かりません。読者は誰が落としたんだろう?と想像します。
【Aは思わずカップを落とした】
主語が入ると、誰がカップを落としたか分かります。これで読者の「誰がカップを落としたのだろう」という疑問は解消され、読んだ誰もがAだと分かります。ですがどうしてAがカップを落としたんだろう?と想像します。
【Aは驚きのあまり思わずカップを落とした】
ここまで書くと、誰もがAは驚いてカップを落としたんだな!と理解できます。
ですが、私は二番目の表現くらいで留めても良いと思います。勿論、受け取る側により賛否別れるでしょう。しかし「思わず」は「うっかり・意図せず」といった意味です。
思わずが入っているので、Aという主人公が意図せずカップを落としてしまった=何か驚くようなことがあったのだろうと想像できます。
もうひとつ例えてみます。ファンタジー世界の姫が主人公とします。
【姫は花冠を貰った】
最低限の情報から、どんな花冠だろう?と十分想像できますが、少し表現として物足りない気がします。
【姫は色とりどりの花冠を貰った】
次は、花の色が入ることでどんな花で作られたかまでは分かりませんが、沢山の彩りのある花冠を想像できます。ひとつの花ではないだろうこと、花を探すのも大変だったろうと作った相手の行動も想像ができます。
【姫はバラやガーベラを中心に華やかで色とりどりの花冠を貰った】
グッと形状が具体化されましたが、具体的な花の名前を出したばかりにファンタジー世界へのトリップが少々薄まります。現実世界の植物の名前が出ると、違和感を覚える人がいるかもしれません。また、バラやガーベラは育てるものであることから、庭園などから摘んだのだろうと推測されます。
それでも嬉しいものですが、少々労力が低く感じてしまいます。
花を特定することである程度の色彩を思い浮かべることはできますが、作者の考える色と同じ色の花冠を想像できる人は少ないでしょう。また、花に詳しくない人には想像が難しいでしょう。
この場合も、二番目くらいの説明で十分伝わりますし想像できます。
あまりにも細かな説明というものは、自分の想像と違う・ガッカリ感まで演出してしまうのではないでしょうか。
伏線を嫌ったり、どうしてそうなるの?という過程を想像して楽しまず、終わり方を先に教えて欲しいと言う人も一定数いらっしゃると小耳にはさんだ事もあります。所謂、先にネタバレを見たいということですね。
丁寧な説明を求める人が多いのも事実ですが、丁寧な説明は時として読者の想像を奪う行為だと思います。
元から小説にはほとんど挿し絵がついておらず、書かれている言葉の中で想像を膨らませて読む物ではないでしょうか。
子どもの頃は読めても理解できない言葉も多く、きっとこうだろうと想像の世界へ浸り、ワクワクしたりドキドキしたりしたものです。
もしかしたら、今はそんな時代ではないのでしょうか。
少し調べれば何でも出てきますから、すぐ答えを求めてしまう人の方が多いのかもしれませんね。
それでもやはり親切丁寧でこと細かな描写は必要なものでしょうか?
自分の想像や予想に反した展開を楽しむのも読書の醍醐味だと思います。
いくら細かく描写しても、作者の思い描く世界を確実に完璧に寸分違わず共有することは、恐らくどんなに丁寧に描かれていても難しいでしょう。
それなら、「こと細かな説明がある方が良いか・それともない方が良いか」という論争に関しては、想像の余地を残すことが読む楽しみのひとつでもあるので、私は無い方が良いと考えます。
皆さんはいかがでしょうか?
ただ純粋に、お話は100人いたら100通りの想像があって良いと思います。
「あなたはあの文章からこんなことを想像したの? 私はこう思ったよ」と、感想を言い合うことで作品の造形を読者同士で膨らませるのもまた、読書の楽しみ方ではないでしょうか。
最近お気持ち表明エッセイばっかりで申し訳ないです。
お時間がありましたら、一部の層にしか刺さらない私の書いた物語たちも読んでいただけると嬉しいです。