2話
作曲者さん探しは相変わらず難航していた。
分かってはいたけどそう都合良く見つかってくれない。
引き続き陽毬が探してくれているけど、私にはお金も無いし実績もあるわけじゃない。簡単に首を縦に振ってはもらえない。
そう考えるとなんだか自己嫌悪に陥りそうだ。私はマックスさんのような良い人に甘えて楽をしたいだけなんじゃないか。
私がオリジナルソングにこだわっているだけで、最初は何かのカバーソングにした方がいいのかもしれない。
とは言え立ち止まっているわけにもいかないので、作曲は一旦後回しにしてできることをやっていくことにした。
ここはVR空間のゲームセンター。
陽毬とは別行動……とは言ってもリアルでは同じ部屋にいるけど。
私はそこにあるダンスリズムゲームをプレイしている。
数ある曲の振り付けを真似して高得点を狙うタイプのもので、素人考えだけどある程度ダンスのコツはつかめるんじゃないかなと思ってる。
ゲームと言えど侮ってはいけない。実際、他の人のプレイを見ていても高得点を出せる人の動きは綺麗だ。
なんていうか無駄がない。本当のダンサーみたい。
私はまだまだぎこちなくて、30分もプレイしたらもう汗だくになってしまう。
あえてオープンサーバーでプレイしているのも、他の人の様子を見たいからだった。
実際に他人のプレイをみたりネットで攻略記事を見て、高得点を出す参考になればいいなって思ってる。
私は少し休憩するために筐体を離れると、その隣に新しい人がやってきた。
あくまでアバターの情報だから実際はどうかわからないけど、歳は私と同じくらいの女の子。手足がスラッとしてて心配になるくらい細い。
髪はボブスタイルにパーマがかかっていて、後ろ姿なのでその表情ははっきりとは見えないけれど、ちらっと覗いた口元はなぜだか笑っているように見えた。
彼女がクレジットを入れて選んだ曲は、さっきまで私がやっていたのと全く同じ曲、同じ難易度だった。
そんなの注目しないでいられない。というより私に見せるためのように思えた。
私は訝しげにその様子を眺める。
彼女は上手かった。これまで見てきた誰よりも。
細い手足が流麗に動く様はすごくダンス映えするし、途中途中でアレンジを入れる余裕もあるみたい。このゲームを熟知している感じが見て取れる。
そして私がさっきこの曲を最後までやって出した得点を、彼女は3分の1くらいプレイしただけで追い抜いてしまった。
すると彼女は曲の途中であるにも関わらずピタッと止まると、私の方を振り向いた。
前髪の隙間から除く視線と目が合う。
挑戦的な瞳。不敵な笑み。
私は思わずムッとすると、彼女の隣に戻ってクレジットを入れた。
彼女は楽しそうに私のプレイを眺めている。
負けず嫌いが功を奏したのか、さっきよりは高得点を出すことができた。
でもおそらく彼女がフルプレイしたら出るであろう、さっきの得点の3倍と比べると、その半分にも満たなかった。
彼女はまたしても無言で同じ曲を選ぶと、余裕でその得点を上回って途中でプレイを止めた。
「ぐぬぬ……」
それからはいたちごっこだった。
彼女は涼しい顔で高得点を出してみせ、私はムキになってその得点に追いつく。
最後は私がバテて大の字になって床に転がる羽目になった。
結局、彼女には一度もフルプレイさせられなかった。
「あなた面白いねぇ」
初めて聞く声。可愛いけれどどこか嘲笑を含んだ妖しい音色。
彼女はしゃがんで私の顔を覗き込む。
その言葉はきっと本心なんだろう。私をからかって満面の笑みだ。
「あ、ありがとう……」
からかわれたのはわかるけど、邪険にしようとは思わない。
実力があるのは本当だし、理由はどうあれ私に興味を持ってくれた子だ。どんな子なんだろうっていうのは気になる。
「そのカッコ、リアルのままなの?」
体を起こして私は頷いた。あの時以来、なるべくリアルをそのまま反映するようにしている。
「へぇ……自分に自信があるのね」
「いや、そういうわけじゃないよ」
私は自分を特別可愛いと思ってるんじゃなくて、単純に見栄を張りたくないだけなんだけど、やっぱりこの子みたいに思われちゃうのかな。
「あなたは?私と同い年くらいに見えるけど」
「あたしはねぇ、年齢だけはリアルと一緒にしてるの」
彼女は口元を抑えてクスクスと笑った。
「あなたと歳が近いってわかったほうが、ショックを受けるでしょ?」
思わず顔を引きつらせてしまった。
私に嫌がらせするために自分のクレジットを棒に振る子だ。本当のことを言っているかは怪しい。
「怒った?あたしのことブロックする?」
不敵な笑顔はそのまま、全く残念じゃなさそう。
「しないよ、これくらいじゃ」
私はようやく立ち上がると、彼女と目線を合わせた。
「あなたのおかげでスコア更新できたのは事実だし……」
彼女は一瞬だけ目を丸くして、すぐにまた嘲笑に戻った。
「やっぱりあなた面白いね。仲良くなれそう」
彼女は手を差し出した。
「あたしはダイア。あなたは?」
「私はエル。よろしくね、ダイアちゃん」
私はその手を握り返す。
「呼び捨てでいいよ。ねぇ少し話しましょ。時間あるかしら」
「エルをみてすぐにわかったの。レイヤー1のアバター使ってるって。なんというか……印象薄いもの、あなた」
「薄い」
「誉めてるのよぉ?み~んな可愛いアバターにしてるから、エルみたいな子ってすごくあたしの目につくの」
「そ、そうなんだ」
「あたし、リアル大好きです、みたいな子っていじめたくなっちゃうの。そんな子がこれみよがしにヘタクソなプレイしてて……ね?この気持ちわかる?」
ここまで正直に言われると不快にも思わない。なにか事情があるのかなって思うだけだ。
「少しだけ意地悪だったよねぇ?ごめんねぇ?でも友達になりたいのはホントなの」
「好きなだけからかえるから?」
ダイアは答えずにウフフとだけ笑った。
「あたしはネットが大好きなの。好きなだけウソがつけるから」
ダイアは腰を下ろすと、遠くを見つめた。
「あたしねぇ、リアルはと~っても醜いの。まともに見られないくらい。顔が悪いと性格も歪んじゃうのかしら」
私は口が空いていたと思う。
ここまであけすけに自分を卑下する人がいるだろうか。
突拍子もなさすぎてこれすらもウソじゃないかという気がする。疑い続けるとどこまで本当かわからなくなってくる。
「幸せって、他人の不幸の中にしか存在できないの」
そうつぶやく彼女はゾッとするような美しさがあった。
真偽あやふやなダイアが語る言葉で、これだけは真実だと確信できた。
「だからぁ、エルにはあたしの友達になって欲しいの」
ダイアが言う友達というのは多分普通の意味とは違う、そう、主従関係のようなものな気がする。
もちろん私が従者の方。私はそんな子と友達になれるだろうか?
……どうだろう。もちろん従者になる気はないけれど、私の好意で付き合うっていうのも違う。
好きとか嫌いとか、そういう次元じゃない気がする。なんというか、あまりに別の生き物すぎて理解したい。そう、そういう気持ちがしっくりくる。
「私は……友達になれるか分からないけど、ダンスで負けるつもりは無いよ」
「へぇ……」
ダイアは新しいおもちゃを見つけたみたいに嬉しそう。
「あたしのベストスコア、知ってるの?」
「知らないけど……がんばるもん」
「がんばってねぇ。ちなみに現時点でのローカルスコアの一位はあたしだから」
さらっとそう告げた。世界一位と言わないまでも、あそこでプレイした中で一番上手いのはダイアらしい。
「せいぜいがんばって追いついてみてね」
「ち、ちなみにコツを教えてくれたりとかは……」
恥も外聞もなかった。
「イ、ヤ、よ」
即答だった。
まぁ想像はできていただけにショックは少ない。
「でもそうねぇ……どうしてエルはそこまでしてこのゲーム上手くなりたいのかしら。あたしみたいな嫌な子に頭まで下げて……それはちょっとだけ気になるわ」
「話したらダンス教えてくれるの?」
「理由次第かしら」
バカにされるだろうか?
大いに有り得るけど、本当にアイドルになるつもりなら否定的な人にも胸を張って言えるようじゃないといけないとも思う。
私は正直に理由を話すことにした。
アイドルライブを開催したいこと、ママに許可をもらえなかったので個人でMV作成しようとしていること……。
ダイアは頬杖をついて私の話を聞いている。
相変わらずニヤついているのでどのくらい真剣に受け取っているのかは分からない。
私の話を聞き終わると、ダイアは一瞬だけ目を伏せて立ち上がった。
「やっぱりあなたはあたしと友達になるべきよ」
てっきり嘲笑されるかと思ったけど、以外にもそんなことはなかった。
やけに確信したような口調でそう言われる。
その理由はわからないけれど、何か心変わりはあっただろうか。
「気は変わった?」
「そんなこと言ったかしら?」
話し損だった。ガックリとうなだれる。
さんざん私を弄んで満足したのか、ダイアは踵を返した。
「アドレス交換は?」
友達……という名の従属関係を望むダイアがそのまま去ろうとしたので私はそう言った。
「あなたがアイドルを目指してるなら、また会えるよ」
ダイアは髪をかきあげる。
「必ずね」
その後、もう少しだけ続けたけど思うようにスコアは伸びなかった。
勢いで負けないなんて言ったけど、本当にダイアを超えることはできるんだろうか……。
休憩がてらネットで攻略記事を探していると、部屋の扉がノックされた。
「エルちゃんちょっと来なさい」
ママだ。声音からして怒ってるとは言わないまでも機嫌はよくなさそう。
陽毬は空気を察してさっさと物陰に隠れた。
私はすぐに原因を察するが、まずは少しでも機嫌を損ねないよう急いで扉を開けた。
ママは腕を組んで私を睨みつけている。
「何をしているのかは察しがついています」
私は2階にある自室でスクロールをつけたままダンスゲームをしていたのだから、1階で家事をしていたママは当然、私がドタドタ足音を響かせるのを聞いていたことになる。
そしてアイドルになると告げたママが察しているというのだから、なんで練習をしてたのか理由も分かっているということだ。
「ご、ごめんなさい……」
「次からはお外でなさい」
「はい……って、え?」
私は思わず顔を上げてママを見返した。
MV作成を秘密にするつもりはなかったけど積極的に話すつもりもなかった。
この話題になったら絶対にアイドルの真似事は辞めろって言われると思ってたから、暗黙の了解くらいにしてなあなあで続けていこうと思っていた。
けどこの言葉はママが私の活動を認めてくれるってこと?
ママはため息一つ。
「本気なの?」
ママの言葉はいつも簡潔で短い。
「本気だよ」
「どんなに辛いことがあっても耐えられる?」
「耐えてみせる」
ママは私の目からスクロールをすっと外すと、畳んで私の頭の上に載せた。そして手に持っていたハンディモップを私に手渡した。
「それを落とさずに部屋の掃除。それが終わったら晩御飯の準備」
「え?え???」
私は訳がわからずにママの顔と渡されたモップを交互に見た。
その拍子にさっそくスクロールが頭からずり落ちた。目の前のママがすかさずキャッチ。
私の頭をスクロールでぺちっと叩いてから元に戻した。
「つべこべ言わない。ダンスが上手くなりたいのでしょう」
私は頭に疑問符を浮かべながらつべこべ言わずに部屋の掃除を始めた。
終わったら台所に顔を出す。今度は野菜を切らされる。
混乱する私の隣でママは仁王立ちで作業を監視している。
「いいですか。すべての物事はたった1つの真理に通じています。ある人はそれをイデアと言うでしょう。またある人は黄金比とも呼ぶでしょう」
ママは私の手を掴んで細かく包丁使いを修正していく。
「本来名前のないそれらには共通点があります。それはすべからく美しいということ」
ママは人差し指を立ててゆっくりと言った。
「だからって料理でダンスがうまくなるなんて……」
「料理は最高のマルチタスクです。それらの所作を全て無駄なく流麗にこなしてこそ美に至るというものです」
それから何故か私の家事修行が始まった。
廊下のモップがけ、お風呂掃除。
何度も何度もスクロールを取り落として一向に作業が進まない。
「ママ、こんなのいきなり言われたってできないよ」
「美しさのヒントは様々な場所に存在しています。陽毬を見てみなさい」
急に水を向けられた陽毬はビクッとして毛を逆立たせた。
ママとの特訓中はスクロールをつけられないので何を言っているのかは分からない。
「動きのしなやかさ、バランス感覚、空想上の生き物であるエルフが現出したかのようなことごとく美形。御覧なさいあの美しい歩き方を」
ママは厳しいように見えて結構猫好きで、親バカを発揮している。
対する陽毬はあんまりママに懐いてない。いわく完璧すぎてキモいとのこと。
残念だけど実子の私でも理解できる部分はあった。
「猫は歩くときに前脚と同じ位置に後ろ脚をつけて歩くといいます。だから足跡が前脚分の一組だけになるのですね」
陽毬は目を見開くと、自分の脚をまじまじと見つめた。
「なんか本人も驚いてるけど」
「あれは『マジィ!?』と言っていますね」
普段からスクロールをつけないママは猫語の翻訳もお手の物だ。まぁこれくらいだったら私でもわかるけど。
「本人からしたら無意識でやっていることでしょうから。エルちゃんもそのレベルで猫の所作を取り入れるのです」
そんな無茶なと思うけど実際ママは立ち居振る舞いから美しい。私と同じように頭に物を載せても落とさないで家事をやってのけるだろう。
「陽毬、歩き方のコツ教えなさいよ」
抱きかかえようとすると陽毬は逃げていった。
それから私はママの特訓をしていないときは陽毬にくっついて回った。
陽毬の真似してモンローウォークしてみたり、日向で仰向けになってお昼寝したり、顔を洗ってみたり。
陽毬はめちゃくちゃ迷惑そうだったけど。
「十全十美。完璧であることは美しくあることです」
私はしごきにしごかれた結果、おぼつかなかった家事を段々と素早くこなせるようになっていった。
それにつれて頭の上のスクロールは辞書に、次第に2冊、3冊と増えていく。
「小路は大路に通ず。一つを極めんとすれば自ずと美に通じます」
最終的に私は空気椅子をした状態で体中に熱湯入りのお茶碗を載せられた。
少しでも体幹がブレると熱湯がこぼれて体にかかるという寸法だ。
プルプル震える私を尻目にママは優雅に紅茶を嗜んでいる。
「ママ、これは!?」
「様式美です」
そして一度も本を落とさず一日の家事をこなせるようになった頃……
「そろそろいいでしょう」
ママはスクロールを私に手渡した。
「三ヶ月間、よく修行に耐えました」
「はいっ!」
しごきぬかれた私は鉄棒のごとく直立して敬礼した。
今の私ならば異世界トラックがぶつかってきても跳ね返すことができるだろう。気持ちだけは。
「基本だけは教えました。ゆめゆめ忘れてはいけませんよ」
ママは優しく私の頭をなでた。
「もし私がいなくなったとしても、ね」
急に深刻な口調でそんなことを言うので、私は少しだけ毒気を抜かれて疑問符を浮かべた。
「さ、行ってきなさい」
その疑問を断ち切るようにママはそっと背中を押して私を送り出す。
「行ってきます!」
私はそれ以上深く考えず、勢い勇んで玄関を飛び出した。
そして私は再びダンスゲームの筐体の前に立っている。
目指すは最高得点。
流麗で無駄のない精錬された美しさだ。
クレジット投入の了承ボタンを押す。
電子マネーが引き落とされたことを示す効果音。
思い通りに体が動く。3ヶ月前とはぜんぜん違う。
今に余裕ができると次にやるべきことも見えてくる。
心の余裕は動作も精錬させていく。
頭から爪先まで、細部の美しさを意識する。
3ヶ月の思い出が走馬灯のように駆け巡る。
猫と遊んで、料理して、猫と遊んで、掃除して、猫と遊んで……いや結構遊んでるな。
でも確かに気付きはあった。普段のほほんとしていたらこうはならなかったろう。
そしてゲームが終了したころ、私のスコアはローカルランキング一位の載っていた。
「へっへーん、どんなもんよ」
ドヤドヤのドヤ顔で私は陽毬に胸を張った。
私と陽毬はいつものVRカフェテラスでくつろいでいる。
「はいはい、すごいすごい」
胡乱げな表情で陽毬はストローをすする。でもその表情には少しだけ褒めるような笑みが浮かんでいた。
しばらく喜びの宴に興じていると、通りの掲示板から不意に聞き慣れないギターソングが流れ始めた。
私はぎょっとする。だってあの掲示板にいつも流れる音楽番組はランキング入りした曲の紹介番組だから。
つまりクラシック以外が流れるはずないんだ。
曲に合わせて画面に表示されているのは……あの人を小馬鹿にしたような笑顔は、間違いなくダイアの顔だった。
『ギター・ポップとしては実に5年ぶりにランキング入りとなる、ライアー・ライアーですが、実はこの曲、ダイア・ミュラーさん一人で作曲を手掛けているということです。しかも彼女、若干13歳という若さで……』
私は目の前が真っ暗になって、それからはまるで情報が耳に入ってこなかった。
かろうじて私は、ダイアが本当に同い年だったことを理解した。
その日、私は壁の方を向いて寝た。
普段は同じ部屋の自分のスペースで寝ている陽毬も、こういうときだけ空気を読んで私の背中にくっついて寝てくる。
背中越しに陽毬の暖かさを感じるけど、絶対に振り向いちゃいけない。
陽毬の優しさとか、それに甘えられない自分のプライドとか、悔しさとか、色んな感情がごちゃまぜになって、私の胸で渦巻いている。
私は泣いちゃいけないんだ。
だってこの気持ちは13年間何もしてこなかった自分のせい以外の何者でもないからだ。
私が泣いて、喚いたって、それはないものねだりでしか無いんだ。
だから私は断じて泣いてなんかないんだ。