第1話 春、愛と情熱のアロハ(8)
高峰枝実利の祖父母は見合い結婚だった。
昔はほとんどの夫婦が、相手を誰かから紹介されて一緒になったそうだ。
時はちょうど戦後。
敗戦の混乱を二人で乗り切り、高度経済成長の中、たくさんの子をもうけた。
家計は決して楽ではなかったが、笑顔絶えない団欒があった。
核家族化がすすむ社会の中で、時と共に子らはひとりだちし、一家はまた二人っきりのちいさな家庭にもどる。
それぞれの地で新しい家族をつくりあげた子供たちも、盆正月に帰郷してはつかの間のにぎやかさを楽しんだ。
そのうち、一つの家族に不幸があった。
父母が時を同じくして戻らぬ人となった。
そして祖父母は、彼らののこした二人の子をひきとった。
高峰枝実利と、その姉だ。
四人の生活はぎこちなくはじまり、徐々に円滑さを増した。
大きな不幸をのりこえ、夫婦と孫二人はやがてみちたりた家族となった。
年老いた二人は彼女たちの成長を毎日楽しみ、孫たちは思春期をむかえ、愛情深い祖父母に感謝しながら大きくなった。
「それを言葉に出して言う事はなかったけれど、彼女たちは大事にしてくれたお祖父ちゃんお祖母ちゃんを、同じように大切に思っていたそうです」
そんな中、祖母もまた帰らぬ人となった。
通っていた病院でインフルエンザに感染し、肺炎を併発、それから幾日も立たないうちに息をひきとった。
一家は悲しみにくれたが、平穏な日々の中で心痛もやわらぎ、しだいに明るさをとりもどした。
やがて姉が大学にすすみ、卒業して就職し、家をでた。
その頃、祖父に異変がおきた。
「彼女、高峰枝実利さんを、お祖母ちゃんだと思うようになったらしいんです」
最初はただの呼びまちがいかと思った。
訂正すれば、おおそうか、と照れて笑っていたから。
だが、その頻度がだんだんひどくなった。
それだけではない。自分でも気づかないうちによだれをたらし、尿を漏らし、夜中に徘徊する。
身におぼえのない怪我をつくってくる。
高峰枝実利は祖父を医者に連れて行った。
最初の診断結果は見るまでもない。
老人性アルツハイマー型認知症。
そしてもう一つ、予期していなかったものがあった。
肺がんだ。
病巣は深く大きくほうぼうに転移していて、すでに摘出できない状態になっていた。
「今、お祖父さんはほとんど寝たきりで過ごしているそうです。そして時々高峰枝実利さんを、サエコさん、と呼ぶのだそうです。そうです、サエコは彼女のお祖母ちゃんの名です」
今、高峰枝実利は献身的に祖父を介護し、そして学校の勉強もとどこおりなく収めている。
ヤングケアラーというやつだ。
はなれて住んでいる姉も週末ごとには帰ってきてくれるというのだが、それでも一人でなんとかなるというものではない。
業者に介護士の派遣もたのんでいるのだが、人手不足を理由に週二回来てくれればいい方だという。
八方ふさがり。
彼女、高峰枝実利は、学校を退学することも考えていた。
そして働きにでて、そうすれば経済的にもよゆうができる。
「そして、先日のことでした。お祖父さんに昔のアルバムを見せていると——失われゆく記憶を呼び起こすために、そういう事をするそうです——1枚の写真に行き当たりました。それは、祖父母夫妻がまだ若かりし日の一枚。新婚旅行で撮ったものだったんです。場所はハワイのオアフ島、ワイキキビーチ」
それをじっとながめて、祖父は言ったという。
いいなあ、サエコさん、またもう一度行きたいねえ。ハワイで、ゆっくりとしてみたいものだねえ。サエコさん、この服を覚えているかい? 向こうで二人でおそろいで買った柄シャツ。あれ、どこにいっちゃったかねえ。大切に片づけておいたと思ったのになあ。
最近ではまともに話すこともほとんどなくなった祖父だったが、その言葉だけは、やけに明瞭だった。
祖母は物持ちのいい人だったので、もしかして探せばまだ家にあるかもしれない。高峰枝実利はそう思いたった。
果たしてシャツは見つかった。
一着だけ。
もう一着はあて布にでも使ったのか、残骸のような端切れがひとかたまり。
高峰枝実利は考えた。
うちにはハワイに行くお金もないし,弱りきった祖父に医者は渡航を許可しないだろう。
それでも、一・二泊なら、近場の温泉へ湯治に連れて行くぐらいはできる。
もしかして、ハワイアンのショーをやっている所もあるかもしれない。
本屋やネットで条件を満たす旅館をさがし、そして見つけた。
そして彼女は、佐藤アンバーに相談した。