第3話 初夏、反抗とプライドのエナメルシューズ(2)
「明星とゆっきーは、同じクラスだったっけ?」
放課後、いつものごとく被服準備室。
佐藤アンバーが雑誌に目を通しながら話しかけてきた。
「はい、そのう」
「いっつも一緒にご飯を食べてるんですよ。おかずの交換っこしちゃったり。明星君、自分で料理しちゃうんですって! 卵焼きが甘くて美味しいんですよー」
一気呵成の藤野幸。
思い出の中の卵焼きを反芻し、ふくふくとその味わいにひたっている。
一方の直司は、昼食のたびクラスメイトの視線が気になってしかたがない。
「おいおい妬けるな。私のダーリンを取らないでおくれよ」
「まさか! 明星君はアンバー先輩一筋ですよ! 浮気の兆候もないですよ! 猫まっしぐらですよ! 悪い虫は私がどーんと追っ払っちゃいますから、御安心あれ、ですよ!」
——……どうして藤野さんが、僕の潔白を保証するんだろう。
わけしり顔に笑う佐藤アンバーを目の前に、猫まっしぐらとか言われて、実に微妙な気分の直司である。
「そういえば、明星には兄弟姉妹が何人かいたな」
「そう! 妹さん! サヤネちゃんって言うんですって!」
「ええ。それと、姉と兄が」
「すっごい可愛いんですよ! 見た事ないけど! でね、今度のお休みに会わせてもらうんでーっすぅ!」
いつの間にか決定事項にしてしまっている藤野幸である。
本気度が高い。
これはまじで会うつもりだ。
直司はきむずかしい年頃の妹に、なんと説明すべきかなやむ。
「なるほど、それなら私も同行せざるをえまい」
「……ぇ?」
「自分の目の黒いうちは、明星とアンバー先輩を二人きりにはできませんね」
「全くだ。こうなったら俺も行くしかない。そいつは玉子焼きを甘くするようなヤカラだからな」
え? え?
直司は顔を『?』だらけにしている。
自分と妹のプライベートな時間に、なぜ彼らが顔をだすのだろうか。
のどの渇きを覚え、紅茶カップを取り上げると、中身は空だった。
「あ、紅茶入れるね? んっふふ、楽しみ楽しみー」
「私もお代わりがほしいな。もうポットに水がなかったはずだ。ゆっきー、一緒にどうだい?」
「お、ガールズトーク、いっちゃいます?」
二人は仲良く部屋をでた。
その姿がドアの向こうに消えるまで、直司の目はなごりおしそうに、藤野幸へむいたままだった。
「まさか、と思うが明星。幸に想いを寄せているのではあるまいな?」
「え?」
メガネをきらめかせた辻亮治にモロ核心をつかれ、直司は心臓をつらぬかれる思いがした。
「まさか冗談だろう? あの幸に惚れるバカなんて、この地上にいるはずがない」
「……たしかにそうかもしれない。すまなかったな明星。失礼な事を言った」
沖浦将と辻亮治が、どういうわけかなやましげに会話をうちきった。
むろん直司は藤野幸に恋をしていて、二人が言うところのバカそのものなのだが。
——なんで藤野さんを好きになると、バカなんだろう……。
可愛くて優しい藤野幸。
きらきらしててフワフワしている藤野幸。
脳内麻薬の補正が入りまくって、直司の中の藤野幸像はまるで美人画か天使画のように神々しい。
そんな彼女に恋しちまうことは、あまりに自然ななりゆきのはずなのに。
——藤野さんにはなにか、自分の知らない裏の顔があるのだろうか。
たとえば夜の蝶、たとえば闇の工作員、たとえばジョワって巨大化する余所の星から来たヒーロー、いやヒロイン? 直司の貧弱なる妄想力が暴走する。
「ただいまー。ねえ、今さっき誰か私のこと悪く言ってなかった?」
「お前の悪口なんて誰が言うか」
「そうだ、たとえそれがお前にとって不本意でも、それが正しい評価なのだと受け入れろ」
ひょっこりもどった藤野幸。
どこからどう聞いても悪口にしか思えない二人の言葉に、
「おかしいよそんな理屈っ! うううー、明星くんっ、こんな人たちの言うこと耳に入れちゃダメだよっ!」
「う、うん……」
「すごい剣幕だなゆっきー。それでは明星に悪印象かもだぞ?」
「キャー、アンバー先輩までーっ」
ショックを受けた藤野幸が、ショックだーショックだーとうめいてミュージカルのようにくるくる回ってスカートを遠心力でふわりと広げた。
子供っぽいしぐさに、直司は胸ときめいてしかたがない。
なお、佐藤アンバーの一言が藤野幸の自分に対する感情を微妙にくもらせる類のものと気づいたのは、だいぶ後になってからである。
「ねえねえそれでいついこっか、妹さんに会いにぃ」
「え? い、いや、そんなのまだ具体的に考えてないし」
「それじゃあ今すぐ考えよう、レッツだゴーだ、アポイントメントだ。とにかく連絡を取って、都合が合う日をきいちゃえばいいんだよ」
ゴーゴーレッツゴ−レッツゴー明星!
グーにした両手をチアガールのボンボンのようにワンツーワンツー、藤野幸はしきりに直司を急いてくる。
直司相手のシャドーボクシングにも見えるが、そのとおりである。
直司は慌てふためいてスマホをとりだし、それからためらう。
妹は現在花咲ける中学2年生、全方位につんけんしてて、やたらあつかいにくいのだ。
どうにも気が進まないなあ、と思ったらスマホが着信した。
「うわったっと!」
あわてて通話ボタンを押し、
「はい明星です」
つい家電話の対応をしてしまう。
個人事業主の明星家にはまだ家電がある。
通話は無音。
「あの、もしもし、どなたですか?」
『……………………………私、なんだけど?」
「……あ、莢音?! え? どうしたの? なにかあった?」
連絡をよこしたのは小西莢音。
ウワサのウワサの直司の妹だった。
『……………………………今、来てるんだけど』
「来てるって、どこに?」
『……………………………学校の、前』