第2話 盛春、三姉妹のボウリングシャツ(11)
今回で第2話『盛春、三姉妹のボウリングシャツ』終幕です。
「大変だったね……」
「うん、しばらく動きたくないよ……」
「しかし、フリーターや社員はまだ働くらしいぞ……」
控え室でイスに腰をおろし、三人共ぐったりとうなだれている。
疲労困憊で、口をきくのもおっくうらしい。沖浦将は明け方まで徹夜で作業をしていたとかで、この日は休み、今もまだ、泥のように眠りこけているのだろう。
「やあ、お疲れさん。飲み物をもらってきたよ」
佐藤アンバーが顔を出す。なぜか三人と同じユニフォームを着ていた。
「どうされたんですか? その格好は……」
「入り口前で臨時のテイクアウト窓口を作ってただろう。そこで手伝っていたのさ。君らのいたレジの内側からだと、ちょうど死角になってしまうから気づかなかったのだろう」
直司と藤野幸が、ぽかんと佐藤アンバーを見た。辻亮治がメガネをすりあげ、
「自分は気づいてましたよ。この忙しいのに、店長が頻繁にそちらに顔を出していた」
「いやあ、彼はいい人だね。私もこのユニフォームを着てみたいといったら、快く承諾してくれたよ」
はははと快活に笑う佐藤アンバー。どうも手玉にとっている感じが色濃い。
「そうだ、明星君、クロック姉妹って何?」
藤野幸がふと思い出して問いかける。
「ああ、僕も後で思い出したんだけど、ここのチェーンの元になったお店で、三人の姉妹でやっていたんだよね。ううんと、なんて街だっけ」
「サンディエゴ。店の名は、クロック・シスターズ・ダイナーズ」
辻亮治が、直司の後を引き継いで説明をつづけた。その後彼らの事をさらに調べたのだろう、靖重に聞いたよりも話は詳細、レイチェルが十七人の子や孫、ひ孫に囲まれ大往生し、先立ったレイモンドの下に召されたところまで、その後の二人の人生を物語った。
「素敵なお話。いつか私もそんな恋がしたいなあ」
「ゆっきーは案外移り気だからね。そんなに一途でいられるかな?」
「そんなことありませんよ。好きな人と結ばれたら、絶対その人ひと筋になります。自分でわかりますもん。その人で、心の中が一杯になるはずだって」
「たしかに、盲目ってタイプだ」
「そうですよ。きっとレイチェルみたいに、ずっと一人に恋をしちゃうんです」
佐藤アンバーと藤野幸が、楽しそうに笑いあう。その相手が自分でなくとも、彼女を幸せにしてくれる人であってほしいと直司は願った。
「明星は心配しなくとも良いさ。ゴミまみれで道端に落っこちていても、私が拾い上げてあげるよ」
「そんな風にならないように、がんばります」
直司が即答した。
「そういえば、明星君のお父さんが、このユニフォームに思い出があるって言ってたけど?」
直司は藤野幸をちらりと見、
「うん。僕が小さい頃、問屋街まで家族総出で自転車こいで行ってたって、言ったよね」
「妹さんと、だよね」
「兄と姉もいると聞いた」
うん。直司はうなずく。
「その帰りに、いつも家族で寄った店が、これと同じユニフォームだったんだ。そこはハンバーガーショップじゃなくて、レストランだったけど」
「どうしてこの服が?」
目を丸くする藤野幸に、説明したのは辻亮治だ。
「系列のファミリーレストランだ。たしかに2号線沿いにも有った。五年前に事業を縮小し、今は完全に撤退してなくなっているはずだ。予算の削減かなにかで、利用後のそれらを流用したのかもしれない。そのフランチャイズは店舗数も少なく、存在したことを知る人間もほとんどいないだろう」
詳しい経緯はわからない。ただ、それがこのハンバーガーチェーンの古いユニフォームだということは知っていた。食事の席で母親が語っていたのを、鮮明に覚えている。
「父と、新婚旅行でアメリカに行ったって話をしてて、そのときのユニフォームだから、ここに来るとそれを思い出すって言ってた。母さんはうれしそうだった。その頃が、一番楽しかったな」
その数年後には店の経営が悪化、直司が中学に上がるころ、両親は離婚した。
「それを憶えてたから、このユニフォームの復刻を思いついたんだね」
「うん。評判がよくて、ほっとした。独りよがりな思い入れだったら、みんなに謝らなきゃって思ってた」
直司が寂しそうに笑う。
「そういう顔、ちょっといいな」
佐藤アンバーが、直司を見つめる。
「え?」
「いつか、三姉妹の店に訪れてみたいもんだ。旅の目的地に、そこも追加しよう」
「良いですね。そのときは、是非チーズバーガーを注文してください」
「そのお店の、一番の人気メニューなんですって」
直司と藤野幸が言う。
「ああ。きっといただこう。そこで絵葉書を書いて送るよ。最寄のポストから」
「素敵きっとですよ?」
「ああ。約束する。亮治と明星にも送ろう。もちろん将にも」
「楽しみにしてます」
辻亮治の返事に、直司も視線だけで賛同した。
「辻君、本社の人が、君に話を聞きたいって。少しだけ、良いかな?」
店長が顔を出し、佐藤アンバーににやけた会釈をする。
「わかりました」
辻亮治はしゃきっと立ち上がる。控え室を出るときには、疲れは微塵も見せてなかった。
「辻君は、すごいね。僕らと同じ年なのに、もう大人と対等の立場に立てるんだ」
「あれで努力家なんだ。人の見てないところで、実力を積み重ねるタイプなのさ」
佐藤アンバーが笑っている。
「クールぶってるときはどうとも思わないけど、がんばってるの見えちゃったときとか、格好良いって思うもん。私、将ちゃんの次に好きになったの、亮ちゃんなんだ」
直司がものすごいモディリアニ顔になった。
「ほう、それはいつの話だい?」
「将ちゃんが四歳の頃だからあ、五歳、かな?」
沖浦将の次に好きになったのが、辻亮治?
直司の鼻のてっぺんが、テラテラと脂っぽくかがやきだす。
「亮ちゃんはずっとモテてたから、そういう子たちの後ろで、陰からこっそりと好きになるの、楽しかったなあ」
しかも陰からこっそり、ですって?
直司の顔のモディリアニが加速する。
「それもすぐにあきちゃったけど。一緒に遊んでるうちに、結局いつも通りになっちゃって」
「それで? 今、好きな人はいるのかい?」
「いますよお、もちろん!」
いるのだ。
「それは誰?」
「アントニオ・バンデラス! インタビュー・ウィズ・バンパイアの時の! すっごいセクシーなんですよ! 目力すごいし! 濃いぃし!」
勝てない。
直司は思った。
顔の濃さも目力も胸毛も経済力も、強力すぎるライバルを前に、直司には何一つ立ち向かえる部分がなかった。
「まあそう気を落とすな。お前の恋は絶望的だが、意外と当たれば砕けるかも知れんぞ」
直司が幸に当たって砕けるのはべつに意外でもなんでもない。
「それに、お前には私がいるじゃないか!」
佐藤アンバーがにたにた笑って言う。
なぐさめかたがわざとらしい。
直司は聞いてなかった。
ただ、モディリアニの絵っぽい顔で固まっていた。
つづく
次回より第3話『初夏、反抗とプライドのエナメルシューズ』を投稿します。
続きを書いていないので、連作の最終話になります。