第2話 盛春、三姉妹のボウリングシャツ(7)
「直司、わが息子よ。僕のスコッチコレクションを駄目にしてしまって、酷いじゃないか」
家に帰ると、酔いから半ばさめた靖重が、泣きそうな顔で言った。あれからすでに一ヶ月近くたっている。今頃になって気づくとは遅すぎる。
「父さん。ハンバーガーチェーンのレイクロックのユニフォームって、ある?」
面倒臭いので、直司は相手の非難を無視する。アル中一歩手前から救ってあげたのだから、感謝されてもいいぐらいに思っていた。
「レイクロック? アメリカの物ならもちろんあるが、それがどうしたのかね?」
「うん。すぐに必要なんだ。で、それっていくら位かな?」
「先に言っておくが、ズボンは無い。シャツだけだぞ。それならそうだな、2800円ってところか」
安い。辻亮治の見積もりよりも、さらに1000円近く安かった。
「なにせ物が物だからな。素材は安いし、大量に生産して使用後は倉庫に眠っていたものだから、とても美品とは言えん。それを承知なら、用意してやる」
「うん。ありがとう。それで構わないと思う」
直司はすぐに辻亮治に電話を入れた。
「でかした」
受話器の向こうで、メガネはきっと輝いていただろう。
翌日、ちょうどシフトが入らない曜日だった直司と辻亮治は、揃ってBRIGHT☆STARを訪れた。
「やあいらっしゃい。注文のものは用意しとるよ」
すっかり酒の抜けた靖重が迎えでた。まともに受け答えの出来る父を見るのは何週間ぶりだろう。直司はちょっと冷めた目で靖重を見た。
「レイクロックは、1950年代にカリフォルニア州のサンディエゴで生まれたバーガーショップだ。サンディエゴをしっとるかね? あのトム・クルーズが主演した映画TOPGUNの舞台になった街だ。その名前からも解るとおり、ラテンの色合いを色濃く残した土地で、アメリカでもっとも良い都市といわれている」
「サンディエゴは、たしかスペイン語でしたね。その前についていた名は、たしかサン・ミゲル」
辻亮治の合いの手に、靖重が満足したようにうなずく。
「さて、レイクロックは、サンディエゴ市の中心、サンタフェでクロック三姉妹が出したレストランがその始まりといわれている。その名は“クロック・シスターズ・ダイナーズ”。三人が三人とも美人で、店は彼女たち目当ての男たちが大勢、まあ、引きも切らず通っとったそうだよ。その中で、レイモンドという目端の利く男が、三人に店を広げることを提案した」
「なるほど。それで、レイ・クロック?」
「おっと、気が早いな。頭の回転が速いところは、ポケットに隠しておいたほうが得をするよ? そう、君の考えたとおりだが、まだ幾つか説明を加えようじゃないか」
直司はこの時点で後悔していた。考えてみれば、どちらも無類の薀蓄好き、話が長くなることは火を見るよりも明らかだったはずなのに。
靖重が咳払いをして、口火を切る。
「レイモンドの当初の目的は、三姉妹の長女アデレードと親しくなることだった。ところが彼女にはすでに恋人がいてね。だが、レイモンドはそれで諦めるような男じゃなかった。店構えや出されるサンドイッチ——ハンバーガーのことだ——のすばらしさを前面に押し出したフランチャイズを立ち上げないかと迫ったのさ」
「そして、それは成功した」
「うむ。当初事業の拡張を渋っていた姉妹も、レイモンドの熱意についに根負けし、破格の条件で契約した。レイモンドは、以前から考えていたキッチンシステムの効率化をその中に盛り込み、ハンバーガーショップ、Raykrocsは最初の店を出した」
「レイクロックス?」
「そう、当初は複数形のsがついていたんだね。さて、事業は順調に軌道に乗り、五年後にはカリフォルニア州内に十店舗、十年後にはワシントンとオレゴン、そしてネバダとユタを加えた計五州に百店舗を構えた。このあたりでsの字がなくなる。さらに二十年後には、全米の主要都市でレイクロックの文字を見かけない街は無い言われるほど大きな企業となった」
「美人姉妹とそのお店はどうなったの?」
大企業の勃興よりも、そこが気になる直司だ。
「お目当ての長女アデレードは、他の男と結婚した。古馴染みの、しがない電気工だったらしい。次女のジャニスもまた、近所のバーの支配人とねんごろになった。そして、三女のレイチェルが、彼のハートを射止めた」
「年の差はなかったの?」
「十五も離れていたそうだ。レイチェルはまだ少女の頃から、姉に会いに来るハンサムな実業家に恋をしてたのだそうだよ。さて、二人の蜜月は長く続き、売り上げも伸びつづけた。レイモンドとレイチェルは理想的な二人三脚でフランチャイズを盛り上げた。二人の関係はレイクロックにもじって、レイズロックと呼ばれた。つまり二人のレイの絆の固さを、錠前にたとえて語られたのさ。さて、1980年代、ついにレイクロックは日本にも上陸を果たす。その頃のユニフォームが、これだ」
靖重がシャツを広げる。
「裾入れしないボウリングシャツ風のデザインは、今のコンビニユニフォームの先駆けといえますね。現代の感覚で見ると、少々バタ臭くはありますが」
「だがそこが良い。違うかね?」
辻亮治が深々と頷く。直司には解らないセンスだった。
その後も二人は、あれこれと薀蓄を語り合う。
「ところで、三姉妹のお店はその後どうなったんですか?」
「次女の孫が受け継いで、今もそこに残っているよ。君もサンディエゴに行く機会があったら、是非訪れてみるといい。三姉妹の夢の名残があちこちに感じられる、素敵なレストランなんだ」
そんな店なら、直司も行ってみたいと思う。頭に浮かんだ三姉妹は、長女アデレードが直司の姉、三女レイチェルが直司の妹、次女のジャニスは、なぜか藤野幸だった。妄想はなはだしい。直司は自分が恥ずかしくなる。
「ユニフォームを頭数分そろえるつもりといっていたが、布地を手に入れる当てはあるのかい?」
「日曜日にも問屋街を巡ろうと思っています。レイクロック・キャットのバックプリントは、パソコンで出力したものを、アイロン圧着出来るツールが揃ってますので、それで片づけようと思っています……正直風合いの面で満足は出来ないのですが」
「なあに、バイト先で期間限定に着る分には上出来さ。まだなにか相談したいことがあれば、直司に言っておいてくれたまえ」