第2話 盛春、三姉妹のボウリングシャツ(4)
翌日の昼休み、直司は店長に渡されたマニュアルを読み込んでいた。
「明星くうん。それなあに?」
藤野幸がそれを目ざとく見つける。
「うん。アルバイトが憶えることが書いてある冊子。昨日の帰り際、店長にもらったんだ」
「見せて見せてー。うわあ、一杯書いてある」
藤野幸が直司に身を寄せ、覗き込んだ。直司の心臓が高鳴る。
「ほうほう、『用語は大きく明瞭な発音で、単語等の間違いが無いように。』なるほどなるほど。昨日二人でならんでやってたやつだよねー。いらっしゃいませー。ありがっとございましたー!」
あはははは。藤野幸が朗らかに笑う。クラス中から向けられる視線がピリピリと痛くて、直司はイス深く身を縮めた。
「なんと、もうバイトを決めたのか」
「ええ。駅へ向かう途中にある、レイクロです。明星が飛び込みで決めました。ついでなので、僕らも社会勉強がてら同じ職場で働くことにしました」
放課後、被服準備室にみんなで集まってバイトまでの時間を潰す。
「ほう。方向性を決めたら決断は早いか。そういう所、好きだぞ」
佐藤アンバーが色っぽくウインクした。
・危険を感じた直司が一歩さがる。
・辻亮治と沖浦将が剣呑な視線を向けてくる。
・藤野幸が物陰に退避し、熱烈なラブシーンを期待してうるんだ視線を送ってくる。
以上の行動がほぼ同時におこなわれた。
嫌な空気だ。
直司はなにか話題をさがす。
「それで、今日は藤野さんと沖浦君が、シフトに入っているんですが」
「ほう、お似合いじゃないか。天然のゆっきーとワイルドな将、身長差も程よく、釣り合いが取れてる。そう思わんか、明星?」
にたにた笑いながら直司をながめて、佐藤アンバーが楽しそうに言う。
解ってやってるとしか思えない。
「わ、本当ですか? やった嬉しいー、私ねえ、将ちゃんが初恋の人なんですよ! ん? 将ちゃん今、舌打ちしなかった?」
「……いや、してない」
「うそお、したよ、したしたーしたもんね! ホントもー、どうしてこんなふうに育っちゃったかなあ。昔は素直で可愛かったのに」
「そうなのかい? その仏頂面で生まれてきたのかと思ってたぞ。面白いじゃない。その話、聞かせてよ」
「ええー、一杯ありますよー? んふふ、どれから話そうっかなー」
「手前、やめねえとひどいぞ」
「おどしても言っちゃうもんねー。これは舌打ちの罰なのだ! あ、将ちゃん何歳までサンタさん信じてたか、知ってますう?」
藤野幸が楽しそうに話す。
直司にはその内容がまるで聞こえてなかった。その顔はモディリアニの描く女性画のように、ぼうようと間延びしていた。
顔全体にふきでた脂汗は、名画には表現されなかった要素かもしれない。
初恋の人?
沖浦将が、藤野幸の初恋の人?
衝撃の新事実を目の当たりにし、思考がそこから一歩も前に進めなくなってしまっていたのだ。
直司が沖浦将と藤野幸のトレーニングを店内で見守る、と聞いて、
「お前、殺されたいらしいな」
沖浦将の反応は、予想していたものよりほんの二ミリ激しかった。
「乱暴だめー、だよ。私が頼んできてもらったんだから。ね? 明星君」
「う、ん」
さっきから、藤野幸と沖浦将をまっすぐ見れない直司だった。
「自分は帰らせてもらうよ。仕事には、新鮮味を持ってのぞみたい」
辻亮治はそう言って、一人さっさと帰っていった。
「気にしないで。あの人、やりたいこと一杯ある人だから」
いつもクールに決めている辻亮治のやりたいこと、というものが直司には思い浮かばない。
二人についてお店にゆくと、
「今日も来たのか!」
店長はそう言って笑い、
「青春だねえ」
なにやらしみじみつぶやいた。
コーラのLサイズを注文し、昨日藤野幸たちがいた席に座る。
しばらくして、控え室からユニフォームに着替えた二人がでてきた。
沖浦将は昨日直司たちが着たものと同じ、パーツごとに色の違うカラフルなシャツと、色をあわせたスラックス。
藤野幸も上は同じものを着ていたが、ズボンがキュロットスカートだった。
すらりと伸びた足がまぶしすぎて、直司ははじかれたように目をそらす。
彼女を見ているとよけいなことを考えすぎる。
そう思って、直司は教科書とルーズリーフを引っぱりだし、宿題を片づけはじめた。
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませえー」
用語というやつの復唱をやっている。
視線をあげると、藤野幸と目が合った。
復唱をつづけながら、小さく直司に手をふってくる。
そしてそれを店長にたしなめられていた。
あまりここに長居しない方がいいのかもしれない。
昨日と同じくレジのトレーニングがはじまり、客足が少し混みだした頃、直司はそっと店をでた。
二人は店長の説明を熱心に聞いていて、直司には気づかなかった。
邪魔しないように店をでられたというのに、直司は少しさびしくなった。