第1話 春、愛と情熱のアロハ(11)
愛と情熱のアロハ、ここに終幕です。
「やっぱりきちんとお礼を言っておこうと思って。ありがとう。おかげで、お祖父ちゃん、元気になれました」
高峰枝実利は、すっかり変わっていた。
いや、身なりが特に変化したわけではない。
陰鬱な空気がさっぱり晴れ、瞳がきらきらとかがやいている。
——きっとこっちが本当の彼女なんだろうな。
直司は「いえいえ」とか「こちらこそ」とか、被服室の中央で、アホの子がやるようなダメな返事を連発しながら、相手の倍以上ぺこぺこ頭をさげている。
それを見て、高峰枝実利はくすりと笑った。
「明星君って、不思議」
「は? 何がでしょう」
「ううん。なんでもない」
ちらりと横に目をやると、手芸部員たちが入り口に出てきてこっちを向き、どっかりと構えていた。
なんとなく威嚇している風でもある。
高峰枝実利は直司に目を戻し、つま先立ちになって、耳に息がかかるほどの近さでささやいた。
ありがと。
いつかお礼、ちゃんとするね。
それから、さっと小走りで廊下にでた。
その顔が心なしか赤かったのは、気のせいだろうか。
「……明星君って、結構女の子泣かせるタイプ?」
「いや、自覚がなくて、咲きかけの芽を腐らせるタイプではないかな」
藤野幸と辻亮治がぼそぼそと言葉を交わしあっている。
沖浦将は会話に加わらず、盛大にアクビをした。
「ふん。まあ今回は明星の一人勝ちという部分は否めまい。どうでもいい造作の顔で一見とっぽいが、他人の感情のアヤをよく読み、現実的に動ける。高1とは思えんおっさん臭さだ」
ほめられてるのかけなされてるのか。
かぎりなく後者っぽいのは、おっさん臭いという単語がどう活用してもほめ言葉たりえないからだ。
佐藤アンバーはずかずかと大股に直司へ歩みより、そのあご先を指先でちょいともちあげた。
「フム。まあじっと見るとそんなに悪くもないか。望外に優しくされ、高峰が気に入るのも無理ない」
ならんで立つと、佐藤アンバーのが少し背が高い。
直司は彼女を見上げる形になる。
顔が近い。
近すぎる。
琥珀色の瞳は、何もかもすいこみそうに深い。
「先輩、その体勢はちょっと……」
「顔を近づけすぎでは?」
「無防備すぎる。そいつがその気になれば、キスされちまうぞ」
何て破廉恥な発言を。
直司が目だけで三人組を見る。それは佐藤アンバーから目をそらす格好の理由にもなった。
そして、事件は起こる。
「ほう?」
と面白そうに笑った佐藤アンバーが、いきなり直司の口をふさいだ。
もちろん唇で。
とっさに離れようとした直司の胸ぐらを、女子とは思えない力強さで佐藤アンバーが引き寄せる。
彼女の唇は捕食動物のように動いて直司の唇をとらえてはなさず、濡れた舌は歯をこじ開けて口内に侵入してくる。
んぐー、んぐ、んんぐうううううううう! 直司が言葉にならない叫びをあげる。だって自分は今、佐藤アンバーにとんでもなく情熱的なキスをされて、それを真横で藤野幸がばっちり見ていて、他に辻亮治と沖浦将もがっちり目撃していて。
「ぶはあ!」
なんとか身を離すと、二つの唇の間で細い光の糸がのびた。
「ほう。お前はぷっちょが好きなのか」
赤い舌で唇を舐めとる。
その表情が色っぽすぎて、女性に免疫のない直司はくらくらした。
「うわわっうわわっ、そうです明星君は、ぷるっぷっちょの白桃がお好きらしいですう〜」
藤野幸がさくらんしている。
「やってくれたな。佐藤先輩の唇を、よりにもよってそんなやり方で奪うとは」
辻亮治は怒りをたぎらせている。
「亮治以外にお前までが俺の敵とは。これは本気を出さねばならんらしい」
沖浦将がゆっくりと上着を脱ぐ。
殺るつもりだ。
それも直司を。
言葉どおり本気で。
——ああ誰か、誰か僕に平安な日々をください。
初めて彼らと会った日、やっぱり自分はここに来るんじゃなかったと、直司はいまさらながらに強く後悔したのだった。
つづく
次回から第二話『盛春、ファウンダーと三姉妹のボウリングシャツ』を投稿します。
アルバイトを始める彼らに、乞うご期待。