第1話 春、愛と情熱のアロハ(9)
「それで彼女は探していたんです。そのパウライダーって柄のシャツを。お祖父さんとお祖母さんの思い出のシャツを」
他人からすれば、それがなくとも大差ないと思っただろう。
色と柄が似たようなものを用意すればいいと。
だが、彼女はそこにこだわった。
祖父母を大切にするからこそこだわった。
そのシャツさえそろえば画竜点睛、一点の曇りもないと思った。
祖母とのハワイ旅行にはおよぶべくもないが、それでも祖父につくしたいという、高峰枝実利の心づくしの気持ちは伝わってくる。
「いいお話ね。素敵なファミリー。素敵な歴史。お話だけでも、彼らの人柄が伝わってくるよう」
シズコは血肉の通った物語を、じっくり味わうように目をとじた。
どこにでもあるだろうあたりまえに幸せな一家の、だからこそとうとい物語を。
「それにお話もお上手。その年とは思えないぐらい。あなたも愛情を持って育てられ、そして少しの苦労を知る人なのでしょうね」
シズコが微笑み、直司を見つめた。
直司は慈愛のこもった視線にまごつく。
「僕としては、彼女のために頭をさげるしかできません。お願いします。どうか彼女に、思い出のものと同じシャツを貸してあげてください」
立ちあがって、ふかぶかと頭をさげる。
「お座りになって。お名前、なんといったかしら?」
「直司です。明星、直司」
「直司さん。素敵な名前ね」
シズコが靖重と目くばせをかわす。
それから足元から紙袋をとりだし、直司の前においた。
にこやかな笑顔に促され、その中をあらためる。
薄い黄色地のパウライダー。
「そのシャツは進呈するわ」
なんて気前のいい申し出だろう。
直司はシズコを見た。
「ただし条件があります」
シズコの顔には相変わらず笑顔が浮かんでいる。
なにか大きないたずらをたくらんでいるような、そんな期待にみちた目。
「シャツは彼女本人が取りにくること。それぐらいはいいでしょう? 私も、その健気なお嬢さんに会ってみたいもの」
「それはもちろん、」
「次に」
直司の返事をさえぎり、女主人はつづけた。
「旅行の顛末や、彼女たちのその後を、あなたたちから私に教えてちょうだい。私はお金も時間も友人もたくさん持っているけど、若いお客様は不足しているの。どうかしら?」
「構いませんよ——こんなに美味しいお茶やお菓子が待ってくれるのでしたら、ですが?」
佐藤アンバーが、こちらもいたずらっぽくかえす。
「なら決まりね。訪問はいつでもいいけれど、事前に連絡をくださいな。お菓子を焼く時間が必要でしょう?」
中村・ジェームズ・シズコはゆったりと窓際によりそい、
「ハワイイがつむいだ素敵な出会いと思い出に感謝しなくちゃね。私は、彼の地が大好きなの。この日本に負けないぐらい。ところで、パウライダーってなにか知ってらっしゃる?」
客人たちは各々顔を見合わせた。
「たしか、パレードのクイーンではありませんでしたか? アロハフェスティバルで、馬に乗って練り歩く」
ALOHA!
靖重の言葉に、カルメンのように両手で舞い、シズコが声をあげる。
「そう。フローラルパレードの騎手たち。ゴージャスに飾った馬に乗るのは、ハワイイ各島のクイーンやプリンセス。彼女たちは、それぞれの島の花で身をかざるの。ハワイ島は赤いレフア、オアフ島は黄色いイリマ、ラナイ島はオレンジのカウナオア、モロカイ島は緑のククイ。どれも素敵にきらびやか。全部生花よ。造花なんて一つもないわ。その花に色をあわせた彼女たちのドレスは、スカートを守るための巻き布がその始まりで、十メートルを越える布を体に巻きつけたものなの。それをパウというのね。プリンセスたちは馬上で、『ALOHA!』詰めかけた見物人たちに、こんなふうに挨拶を投げかけるのよ!」
「本当にお姫さまなのね……素敵……まるでサリーみたい。あれよりもさらに長い布なんて……」
そうつぶやいて、藤野幸は直司の手元のシャツの柄をうっとりと見つめている。
簡素に描かれた馬と女性。
彼女はその中にどんなきらびやかさをみだしているのだろう。
直司はといえば彼女の頭頂部で分けられた髪の地肌と、ほのかに嗅ぐわうシャンプーの匂いに、またどぎまぎしていたのだが。
「私も若い頃、パウライダーの一人になったの。選ばれた家は大騒ぎ! 一族一丸となってプリンセスをかざるの! あれほど自分が誇らしく思えた時はなかったわ。だけど大変なことも。だってパウがずれてはいけないから、パレードの前十二時間は何も口にできないの。それでもプリンセスはやり遂げなくちゃならない。私は困難に挑み、ALOHA! そして、そして旅行中の夫に、見初められたのよ」
「なんて……運命ですね!」
「アロハという言葉には、愛という意味もあるのよ。私はこの呼びかけと共に、本物の愛を知ったというわけ」
シズコは藤野幸と視線を絡める。
「麗しのハワイイ。私もまた、あの島々に夫との思い出を拾いにゆく一人なの。それは島のあちこちにあって、見つけるたびに大きく輝いて、そして瞬く間にほろほろと崩れてゆく。よき思い出は、欲ばるとすぐに傷ついて枯れてしまう。まるで摘まれた花の花弁のよう。だから最近は、あまりもどらないようにしていたの。だけど、久しぶりに帰りたくなってしまったわ」
彼女はハワイをハワイイ、と語尾をひとつ足して言うのに直司は気づいた。
それがよりネイティブに近い発音だというのは、だいぶ後で知ったことだ。
「かぐわしい大気、色とりどりの花、空にはどこよりも美しい星。それが私のハワイイ。枝実利さんのお爺様が、奥様の姿と共に焦がれた思い出の島よ」