恋愛結婚した貴族ですが、この度離婚することになりました
他の作品と違い、暗くて淡々とした話です。
『お互いを想いあって……』とか、そういうハートフルな話でも全くないです。
嫌な方は結構嫌な部分もあるかと思いますので、気になったら閉じてくださいませ。
侯爵家の令嬢だった私と伯爵家の跡継ぎだった夫は、貴族にはまだ珍しい恋愛結婚だった。
愛しい彼に優しくエスコートされるデビュタントを終え、幸せな婚約期間を過ごし、溢れる祝福の歓声の中で結婚式を挙げた。
しかし、結婚して五年も経つ頃には……夫からの愛は枯れ果ててしまったらしい。
きっかけは何だったのだろう?
顔を合わせてもよそよそしく、邸に帰らないことも増える日々。
私なりに関係を改善しようと苦心したものだが……全てが無駄だとわかったのは、夫が愛人を連れてきた日であった。
私よりも若く艶めかしい愛人との睦まじそうな様子には、かなりショックを受けたものだけど……。
そんな私に対し、その日から夫は申し訳なさそうな表情を浮かべるものの、私の顔すら見ようとしなくなった。
夫の連れてきた愛人が、我が物顔で邸を歩き回る。
私のドレスや宝石も、次々と取り上げられた。
「貸してほしい」と言いながらも、絶対に返ってこないことは十分承知している。
夫へ早々に爵位を譲渡し田舎の領地へ引っ込んだ義両親からは、跡継ぎがいないことを責められることもあったが、そもそも共に過ごす時間が無いので、仕方のないことであった。
悲しい気持ちも、悔しい気持ちも、一体何故? どうして……と嘆く気持ちも、当然あった。
だけどそれも、日々少しずつ削れ薄れていって――愛人との間に子供が出来たと知らされた頃には、夫への愛すら失っていた。
そのまま子供は私の継子となり、ゆくゆくは跡継ぎとなるのかもしれない。
かつて愛した人との間に出来た子供ではないのに、後継者として守り育てなければいけないことに言い様のない惧れを抱いたのも、仕方のないことではないだろうか。
けれど夫が愛人を囲うのも、対外的に愛人との子を実子として迎えることも、貴族の女性として見れば『よくあること』であった。
そう思うことで私は、自らを慰めることしかできなかった。
はじまりが恋愛結婚だったことが、一層私を虚しさで満たしたが……それでも私は、私を取り巻く環境を『仕方ない』『こんなことはよくある普通のことだ』と自らに言い聞かせていた。
大っぴらに離縁するまでのことでもなく、そうしたところで恐らく『大袈裟な』と顔を顰められるだけだろう。
また私の父が夫より上の爵位を持ち、愛人は下級貴族出身だったことも夫側が離婚を言い出さなかった一つの要因だったのかもしれない。
かつて愛した人が別の女性と幸せそうに暮らす様子を見せつけられることは苦しかったが、邸の自室で本を読んだり刺繡をして過ごす日々も、そう悪いものではない。
……というより、そうして過ごす以外の方法を、私は知らない。
すっかり邸ではパーティーを開かなくなり、夫婦揃ってどこかに顔を出すことも滅多にない。
女主人として采配を振ったところで夫が帰ってくることもなかったし、愛人に口を出されようが波風を立てるのも煩わしいので素直に従えば何か起こることもなかった。
かつての私たちと同様に恋愛結婚だったという両親なら、泣きつけばまた実家に迎え入れてくれるかもしれないが……侯爵家の跡継ぎである兄夫婦の迷惑にもなるだろうし、そこまでするほどの事か判断がつかないまま、空っぽな日々が過ぎていた。
そんな風に自らを誤魔化し続けた私の心を砕いたのは、たった一つの些細な出来事であった。
胎が少し目立つようになってきた愛人が、嬉しそうに目を細めて告げた、あの言葉。
「適度な運動がよいとお医者様に言われたものですから、お散歩の休憩のために、あの木が植わっている辺りに東屋を建てていただくんですの」
『あの木』というのは、私や夫が生まれるよりもずっと以前から伯爵家の邸の庭に植えられていた栗の木のことだ。
そして、私と夫にとっての思い出の木であった。
恋心に気づく前から共に遊んだりピクニックをしたのも、想いを伝え合ったのも、夫からプロポーズを受けたのも、全部全部、あの木の下だった。
私にとっては、幸せだった日々の象徴のようなものだった。
これを告げる彼女は、そのことを知っていたのだろうか?
……知らなかったところで、私がいつもぼんやりと眺めている木のことを、『何かある』と思うのも当然かもしれない。
夫の愛人である彼女にどんな悪意や思惑があったにせよ、それを承諾したのは共に同じ時を過ごしたはずの夫である。
――私との『思い出』すら、不要なのね。
ガラガラと音を立てて崩れていく私の空っぽな心を埋めたのは、やはり空虚な妄想だった。
もうここにはいられない。
いたくない。
でも、何処にもいけない。
私が泣いて叫んで暴れたところで多少の醜聞にはなるだろうが、それでも大した傷にはならないだろう。
そもそも『何に対して』叫べば良いのか、それすらも既に朧げだった。
でも、それでも。
何か一つくらい。
何も成せない私にも、一つくらい夫を歪める方法はないだろうか。
ぐるぐると思考を巡らせたが、今まで大して頭を使うことのなかった私が結局思いついたのは、とても単純なことだった。
***
年に一度王宮で開かれるパーティー。
新年を祝うために全ての貴族が参加するそれに、私と夫も参加する。
王に目通りするのに、伯爵である夫の隣を愛人が埋めるわけにはいかない。
何より今は妊娠中とあって、外出は許されなかった。
私は昨年までと同様、お飾りとして形だけ顔を出す予定だ。
これまでは当たり障りなく過ごしてきたけれど――今回は、違う。
運命の日、私は賭けに出た。
夫がただの一度でも私の顔を見ていれば、全ては水泡に帰していただろう。
だけど……幸か不幸か、私をエスコートした夫は邸を出てから馬車に揺られ会場に入るまで、私の拙い復讐に気づくことはなかった。
その日の私の格好が、随分と流行遅れなことは自覚していた。
勿論、目ぼしいドレスは全て夫の愛人に取り上げられていたということもあったけれど……それでも新しく作ることはせず、古すぎて捨て置かれたドレスを纏った。
肌を大胆に晒し胸元を強調するドレスが流行している中、私は首元まですっぽりと覆う生地の厚いドレスに、袖のない肩から指先には手袋とショールを羽織ったことで肌の露出は殆どなく、相当古めかしく、野暮ったく見えることだろう。
私も複雑な心境で俯いていたのだけど、特に触れられることがなかったということは、やはり夫の中で私への興味は全て失われたのだろう。
馬車を降りて会場へ向かっているときから既に私は俯くことを止め、顔を上げて進んだ。
ざわつく会場の中、その原因が自分たちであることに、夫はまだ気づかない。
***
「――アディ!? アデリーン! 一体どうしたんだ!? マイク……貴様、娘に何をした!?」
そうだ、私の名前はアデリーンだった。
誰からも呼ばれることがなくなって、自分でもすっかり忘れてしまっていた。
マイクというのが夫の名前であることすら、私の濁った意識から取り出すのに苦労した。
それほどまで、お互いを呼び合うことが無くなっていたのだ。
血相を変えて私に駆け寄ってきた両親の腕の中で、私は夫を見上げた。
ようやく絡み合った視線には、何の感慨も浮かばなかった。
驚いた表情を浮かべる夫だが、彼は既に私が愛した男ではなく……そして夫が見つめる私も、かつての私ではないのだろう。
会場中の人間から穴が開くほど見られている私の姿は、大層酷いものだった。
化粧をしていない顔の目元や口元には青痣が浮かび、はだけたショールの下からも同様の痕や擦り傷が見える。
首まですっぽりと覆うドレスや手袋で隠された他の部分も、同じようなことになっているのではと想像して余りある状態だ。
これ以上ない暴力の痕跡に、両親は怒号を上げて夫を非難しているが、当の本人は頭の整理が追いつかないのか、呆然と立ち尽くしている。
「旦那様」
私が口を開くと、その場にいた誰もが口を噤み息を呑んだ。
声は、震えなかった。
「私をこのような姿にしたのは、旦那様ですわ」
そう告げ、夫の表情が絶望に染まる様を、じっくりと見つめる。
思い出の木が無残にも斧で切り倒され、根まで掘り起こされ打ち捨てられたときも、私は同じように見つめていた。
目は、逸らさなかった。
更地となった庭の一角でしばらく立ち尽くした私は、復讐の決意が揺らぐことはないと悟った。
それでも、夫の愛人やその子供を害そうとは思えなかった。
そこまで堕ちてしまうことだけは、どうしても許せなかった。
そんな中で私に思いつくことができたのは、夫の評判を歪め、私が彼のせいで壊れてしまったと思い知らせてやることだけだった。
夫の愛人は、私が少し高圧的な態度で罵ると、あっさりと手を上げてくれた。
邸に来てから散々見下し続けていた私に反撃をされて、我慢が出来なかったのだろう。
元々、彼女が使用人に手を上げているところを何度か目撃していたので、予想通りの反応だった。
目立つような傷をつけてもらうためには相当怒らせる必要があると、彼女を貶めるときはかつて社交界で見かけた大人の女性たちのやり取りを真似してみたのだけれど、あまりに効果があったので思わず笑ってしまいそうになるほどだった。
あることないこと彼女に言ってはみたけれど、私の心はまるで晴れることはなかった。
真っ青になった夫が別室へ連行されていくと、私の中はようやく満足感のような虚しい何かで満ちていった。
夫に告げた言葉は、嘘ではなかった。
実際に暴力を振るい私の肉体に傷をつけたのが夫の愛人だったとしても、私がこのような醜い計画を思いつき、実行するような卑しい人間に成り下がってしまったのは、間違いなく今までの夫の行いが全ての原因だった。
***
私の言葉は夫に対する告発となり、両親や兄の奮闘のおかげで、離婚が成立した。
夫がどんなに「やっていない」と騒ぎ立てようとも、実際にあの場で私の状態を目にした人間が多かったため「卑劣な上に往生際の悪い奴だ」と一層冷たい目を向けられることとなったが、日々新たな醜聞が生まれる世界なので、私と夫の一件もそう遠くないうちに擦り切れて忘れ去られてしまうだろう。
取り上げられたドレスや宝石を含め、私物も返却された。
家族から贈られた物もあったので安心したが、かつて夫から贈られた物に関しては全て売り払った。
あの居心地の悪い邸から抜け出すことができたものの、私は依然として壊れてしまったままだった。
実家にかくまわれ、ぬくぬくと平穏な日々を過ごした私だったが、自分が笑えなくなっていることにすらようやく気づかされる始末であった。
変わり果ててしまった私に対して、両親も兄夫婦も「ずっとここにいても構わない」と言ってくれたけれど、いつまでも迷惑をかけ続けるのは心苦しかった。
そんな折、一回り歳の離れた辺境伯の後妻だがどうかと打診があったので、これ幸いと私は再び嫁ぐこととなった。
新しい夫は、前の奥様とは死別だったそうだ。
既に後継者である幼い息子もいるため、私に求められたのは今度こそ本当にお飾りの妻であったが、それでも良かった。
新しい夫が未だに亡くなった奥様を深く愛している姿は、粉々に砕け散った私の心を随分と慰めてくれた。
還らぬ人となった妻へ向ける彼の変わらぬ愛は尊く、まるで奇跡のように思えた。
いくらお飾りの妻とはいえ、彼は私にも礼儀正しく優しい人で、時が過ぎていく中、いつしか私たちは次第に惹かれあっていった。
お互い、かつて愛した人へ向けるのとはまた違った熱量の、穏やかな気持ちだったけれど……。
「都合の良い愛の形はいくらでもある」「お互い傷を舐めあっているだけ」と、過去にどこかで耳にした言葉が稀に過ることもあるけれど、それでも良かった。
新しい夫と亡くなった奥様との間に生まれた幼い息子は、新しい母としてやってきた私に対して臆することなく接してくれた。
ニコリとも笑わない私を母と呼び、慕い受け入れてくれたことは何事にも代えがたい大切なものとなった。
この子が私を救ってくれたと言っても過言ではなかった。
歳の離れた妹が生まれたときも、誰よりも喜んだのはこの子であった。
私は優しく穏やかな愛に包まれ、次第に声を上げて笑うことも増えていき、これ以上ないほど、温かく幸せな日々を送った。
元夫は私と離婚した後に愛人と再婚したものの、病気療養を理由に生まれた子と離して暮らさせているそうだが、私には既に関係のないことであった。
年に一度、変わらず開かれる新年を祝うパーティーで、眩しそうな眼差しを感じることがあるけれど……私が振り向くことは、ない。
私の中では拙いながら、かなり胸糞悪い内容を意識して書いたお話です。
「ぬるい」という方も「どこが?」という方も、「やっぱり胸糞悪い」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
別でざまぁ系のお話も書いていますので、お口直しによろしければそちらもお読みいただけましたら幸いです。
内容がアレなので、もうちょっと後書きっぽいことは活動報告に書かせていただいております。
よろしければこちらもご覧ください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/684063/blogkey/2943259/
評価ボタン、いいねボタンもポチポチっとしていただけますと嬉しいです。