1、恋を凌ぐ友情を語る女
私は恋をしている。
今日も私は彼に恋をしながら、大切な大切な友人である彼と同じ時を過ごしている。
「お昼何食べる?」
それはそれは輝く笑顔でもって私の肩に手を置く彼に、私も笑顔で答える。
「ミシャのとこのシチューが食べたい。」
私の笑顔が輝いているかどうかは、彼の見方次第だ。
いや、輝いてはいないのは分かっているのだけども。
それでも好きな男に可愛く見られたいのが女ってものだ。
けれど決して、女として見られたいわけではない。
そもそも可愛らしく、なんて出来るような性格でもない。
そんな風に振る舞えるような賢く可愛いタイプの女の子なら、彼に恋なんてしないだろう。
ついでに、私の性格を誰よりも理解しているのが彼であるからして今更どうこうしたところでどうなるものでもない。
「あ、いいね。行こ。」
私達の職場である魔道具開発研究所から二人一緒に食堂街へと向かうのは、入所してから3年変わらぬ日課である。
視線を右上に向ければすぐ近くにある輝くご尊顔を拝謁しながら、いつも通り腕が触れ合う距離で共に歩き出す私達は側から見れば仲の良い恋人同士に見えるに違いない。
けれど彼を知っている人ならば、決してそうは思わない。
腕を絡め合いながら歩いても、頬をつつき合いながら歩いても、そうは思わない。
だって彼はゲイだから。
こんな不毛な恋をして早数年。
この関係は変わることはないと思っているし、私はそれを望んでいる。
私は確かに彼に恋をしているけれど、同時に彼とともに育んできた友情を持っているのだ。
そして彼と積み上げてきた年月の中で、恋情よりも友情の方が先輩で有り、そして尊く大切なものだった。
この恋と友情のどちらかしか残らないのであれば、一秒も迷わず友情を取る。
それで欠片も後悔しないと自信を持って言えるくらいに、私は彼を大切な親友だと思っている。
今はこの恋を抱えながら、彼との友情を大切にし、いつか彼ではない人と結婚し、歳を重ねていく。
それが私の描く未来であった。
「マリー聞いてよ。今日朝からライと話しちゃったよ。
何あの爽やかな笑顔。眼福。あー、潤う。」
眉尻を下げながら明後日の方向に視線を向ける彼もまた、長い長い片思い中だ。
窓から差し込む陽光に照らされた柔らかい猫っ毛がキラキラと輝いていて、撫で回したい衝動に駆られながらも私はスプーンを口に運ぶ。
「毎日楽しそうで何よりだわ。羨ましい。
あ、シャル、サラダ食べないならちょうだい。」
「ん、どうぞ。」
浮かれた笑顔のままサラダの入ったお皿を私に差し出すシャルは喋ることに夢中でフォークは動きを止めている。
「ありがと。」
まだ続くらしい恋する男の恋する男の話に相槌を打ちながら、私はシチューを味わうのだ。
会話を交わす前から、シャルがゲイであることは知っていた。
出会ったのは学生時代。
綺麗な顔に、人好きのする話術、成績優秀者の張り紙に毎回名前が載る優秀さ、更にそこそこの家柄である男子学生であったシャルは、当然のように女子学生達の噂の中心にいる1人であった。
人気者は他にも居たけれど、ある時一躍彼が学園一の有名人になったのは他でもない、ゲイであるということが噂になったからだった。
シャルはそれを隠していなかったし、尋ねられれば是と答えた。
当時シャルとは同じクラスになったことも、話したこともなかった私は、クラスメイトが興奮気味に話すその噂に対してへぇーとしか思っていなかったけれど、彼に恋をしていた女子生徒達は涙する者、嫌悪する者、友人の振りをして万一のチャンスを窺う者と様々だったらしい。
私とシャルの接近は、最終学年になった時だった。
専攻課程によってクラス分けが行われ、魔道具研究課の技術専攻であった彼と私は同じクラス、隣の席になった。
自然と会話を交わす機会も多く、一月が経った時にはお互いに気が合うなという認識を持っていた。
学院の日常の中で起きる出来事について、学業について、互いの進路について、そして恋愛について、何でも話せる親友になっていたのは半年を過ぎた頃だったろうか。
性格とか趣味とか考え方とか、そんな理由なんてなくて、お互いにお互いが一番に落ち着く、心地良い相手になっていた。
そこに、いつしか恋情なんてものが混じり込んでいただけだ。
純度百の友情に混ぜ物がされてしまったけれど、友情成分高濃度、準純正と言って良いと思っている。
「マリーがライに惚れないのが不思議で仕方ないよ、本当に。」
いつだったか、シャルはそう言った。
ライを私と奪い合うなんてことにならなくて良かったと笑うシャルに、「私が惚れたのはどうやらお前だったようだよ!」と言ってやったらどんな顔をするだろうかと考えながら溜息をついたことを何故か良く覚えている。
彼のこの長い長い恋は、私が彼と出会う前から続いていた。
「マリー、最近気になる人いないの。」
やっと今朝のライとのひと時の回想から戻ってきたらしいシャルは鴨肉のオイル煮にフォークを刺しながら私に尋ねる。
前の恋人と別れて数ヶ月が経ってから、毎週のように聞かれるお馴染みの質問に私は呆れ気味に答える。
「いない。」
「あのさ、この前聞いたんだけど。
企画部のラフがマリーのこと気にしてるって。あいつ、中々いい奴だよ。」
ラフ、という同僚を頭に浮かべてみる。
やや下がり気味の目尻に、形のいい眉、通った鼻筋に柔らかく微笑んだ口元。
仕事以外のやりとりをした記憶はないが、懇切丁寧で物腰柔らか、常にこちらを気遣ってくれるような優しい人物だ。
「いい人そう過ぎて無理…。」
思わず呟くと、シャルは大きく息を吸い込んでから私の方に身を乗り出してくる。
「いい人で何が悪いんだって…。いい人じゃない奴なんて、俺が認めないからな。
てか良い加減、腹黒好きなのを改めろって。」
「別に腹黒が好きなんじゃないってば。
これぞ良い人!っていうタイプ、なんか苦手なんだって。」
真に実直、剛直、廉潔な人間に、私のように世俗に塗れた人間が触れてはいけない。
汚してしまうのも、軽蔑されるもの怖い。純真な正論ほど恐ろしいものはないと思う。
別に自分を悪人と思っている訳では無いけれど。
「また言ってる。マリーは普通にいい子だよ。
別に純真でも無いけど、この歳でそんな子いたら、逆にどうかと思う。」
手にしたフォークをわざわざ置いて、テーブルに身を乗り出しながらシャルは私の目をじっと見つめた。
「俺はマリーを最高の女性と思ってるし、マリーみたいな子を彼女にできる男はすごく幸せだよ。」
知っている、分かっている。これがシャルの本心だということは。
彼に何度となく言われてきたし、こういうお世辞をいうような人間では無い。
が、女性を恋愛対象として見ることのない彼の意見は、世の異性愛者の男性の心理を如何程反映しているのかは判断し難いものがある。
本心から素敵だと思う女友達を男性に紹介したのに、男性からは微妙な反応を返されるアレと同じだ。
そしてただ確かなのは、シャルにとってこの言葉には「恋愛対象が女性である男性にとって」という暗黙の枕詞が付くということで、「シャル自身にとって」ではないということだ。
彼の褒め言葉に、今更傷付くことも無い。
と思えど、やはり心に小さな棘が刺さるのは仕方ないだろう。だって好きなんだから。
目の前のシャルは、柔らかい笑顔に私への親愛を隠すことなく、青灰色の瞳を細めている。
うん、かっこいい。いや、かわいい。いやいや、かっこいいとかわいいの共存なにそれ。私の親友最強。
「前の人からそろそろ1年は経つんじゃない?」
最後の彼氏と別れて1年、次の相手の気配もない私はシャルの言葉に嘆息しながら応えるのだ。
「だから、気になる人なんていないってば。」
最後の恋人と付き合った時も、私はシャルに恋していた。
けれどシャルへの想いが不毛であることはそれに気づいた瞬間から分かっていたし、それまでの彼との関係を変えたいとも思っていなかった。
恋する相手であるよりも、共に過ごすことが誰よりも心地よい大事な親友であることの方が、私には大きかったのだ。それは今でも変わることはない。
だから、他の恋を見つけようと思っていたし、実際にこの恋に気付いてから、それなりに好ましいと思える男性に交際を求められれば応じてみること3人。交際にまでは至らなかったものの、良い雰囲気になった相手も何人かいた。
「あーもったいない。モテるくせに。
ラフ、いい奴な上にかっこいいし。爽やかだし。」
「それはシャルの好みでしょ。」
「俺の好みはライ一択だから。一途なの、俺。」
「はいはい、知ってる。いいね、毎日職場にときめきがあるなんて羨ましい。」
「そうだろう、羨ましいだろう!マリーにもこのときめきをお裾分けしてあげたい!」
胸を張って自慢するシャルは実に幸せそうで、二心なく羨ましいと思い、同時に自然と笑みが溢れる。
恋をする相手である以前に、大切で大好きな親友なのだ。
シャルが幸せそうなら私は嬉しいし、ライがシャルの気持ちに応えてくれる日が来ればいいと願ってもいる。
それくらいには、私は自分の恋心を冷静に捉えているし、自制と俯瞰ができている。
「まぁ、マリーって誰と付き合っても長続きしないから。」
その一言に、私の唇がやや尖る。
好きになれるかもしれないと思って付き合ってみても、結局は私の心が動かないから。
好意のバランスの不均等さに罪悪感と、そして僅かな面倒さを感じて関係を終わらせてしまうというのがこの数年のパターンだった。
もちろん努力はしたし、交際相手に対しては誠意を尽くしたつもりだ。
ただ、最後まで感情が付いてこなかった。
「変に焦って誰かと付き合うより、長く付き合える人をじっくり見つけたらいいけど。
そろそろいい歳だし、将来を見据えてさ。
俺は結婚も子供も望めない分、マリーの子供を可愛がるって決めてるんだから。
って、こら、その口やめなさい。」
そう、そして私は、そろそろ結婚というものを考えなくてはいけない年齢なのだ。
周りでは婚約を決める友人が増え始め、先月には両親から重い言葉を頂いた。
注意された口元を直して、軽く嘆息する。
「確かに、それは本当にそろそろ真面目に考えないといけないんだよね。
っていうか、もう好き勝手に誰かと付き合うとか無理。
この前父に、本格的に結婚相手の選定に入るって言われた。」
「え、嘘。」
シャルは男性にしては長い睫毛に縁取られた大きな瞳を見開き、私を見つめたまま動きを止めた。
彼は我が家の放任子育てを良く知っているから、意外に思うのも当然だろう。
「本当。勉強することも、働くことも、なんでも私の好きにさせてくれたけど、結婚だけはそうはさせられないって。
私も初めて聞いたから驚いちゃった。」
「…あのお父上がねぇ。ちなみに何か理由があるの?」
「自分たちが元気な間はいくらでも見守っていられるけど、いつかそれが出来なくなった時、自分たちに代わってしっかりと私を大切に守ってくれるような人じゃないと安心してあの世に行けない、って。
親の愛を感じすぎて、素直に受け入れるしかなかった。」
「…確かに、愛だねぇ…。」
店内の客がちらほらと入れ替わり始め、お昼時間の残りが少ないことに気付いた私達は職場への道を戻り始めた。
食堂街の喧騒の中、シャルがぽつりと呟いた。
「マリーが結婚したら、俺淋しくなるんだろうな。」
心臓が一度、強く鳴った。
けれど横を歩くシャルを見上げれば、言葉そのままの表情で私を見つめていた。
こら、私、間違えるなよ。大丈夫、分かってる、分かってるから。
「それはそうでしょう。逆の立場だったら、私もそう思うわ。
でも、親友を取られたからって、私の旦那様に当たらないでね。」
余裕ぶって、微笑みながらシャルをちらと見やって言えば、シャルは少しの間を置いてから私から視線を逸らして上を見上げて呟いた。
「うーん、ちょっとくらい意地悪言っちゃうかもしれないな。あ、なんか小姑っぽい、それ。
…いや、でもやっぱり、夫婦揃って末永くお付き合いして貰える方がいいから、頑張って仲良くするよ。」
この上なく寂しがってくれ。
それが、親友に対する想いでしかなくても、せめて。
せめて手放しで喜んでくれるな。
それだけが、私の恋が昇華する瞬間かもしれないな、と午後の日差しの中を歩きながら思った。