8話 腕利きクッキング
自然に目が覚める。薄暗い室内を見渡し時刻を確認しようとしたのだが、掛け時計など文明の利器は置いていない事を思い出した。変な体勢のままに寝てしまったのか、身体の節々に違和感を感じてしまう。深呼吸をする為にも身体をぐぐぐと伸ばしたり捻ったりすれば、背後から「ズ、ズ、ズ」と衣擦れの様な音がした。
振り返りソファの上を確認すると、緑色が床の上に転がっていた。滑り落ちてしまったのだろうか。ピクリとも動かず、深い睡眠に落ちているようだ。
(眠るという概念はあるのか……?)
全体的な色を無視して見れば人間の子供だが、良く分からない生き物である。床から持ち上げソファの上、元いた場所だと思われる場所に設置すれば、思い掛けない事実に気付いてしまった。位置的に自分が寝ていた頭の下敷きにしていたらしい。枕の代わりかよ。良く分からないがレイハルドは『魔女の末裔』と言っていた。つまり、魔女の子供なのだろう。緑色をしているとは言え、子供を枕代わりにしてしまった事に何とも言えない気分になってしまう。
薄暗い中ではあるが、活動するのに困るほどでも無い。緑色の胸元にそっと耳を置き、鼓動を確認してみる。
「…………」
何も音がしていない。やはり人間では無いらしい。
そっと口元に手をかざせば、微かに息づかいは感じられた。呼吸は必要らしい。
頭を撫でればザラザラとした手触りがし、パラパラと何かが床やソファの上に零れ落ちる音が聞こえる。おそらく砂ぼこりなどの汚れが付いているのだろう。住処は知らないが、基本は外で活動しているのだろう。髪の毛代わりの蔦はゴワゴワしていて指に絡みついてくる。無理に引っ張ればブチブチと切れてしまいそうで怖い。
そのまま手を移動させていく。顔を触れば木の表皮の様にザラザラしているし、身体を触れば柔らかくはないが固すぎても無い微妙な弾力が返ってくる。脂肪はついていないらしく、摘もうと思っても贅肉が無い。なかなか面白い生き物である。
「外の空気でも吸うかな…………」
知的好奇心を満たす事は出来た。
爽やかな自然の空気を身体中に取り込み、朝食の準備をするべきだろう。
――――
一時間ほど森の中を散策すれば、人数分と思える程度の果物を収穫する事が出来た。ついでに仕掛けておいた樹液採取の場所を確認してみれば、差し込んでおいたホースから非常にゆっくりではあるが、ポタポタと滴が垂れている事を確認できた。バケツの底をうっすらと覆う程度に溜まった樹液に指を付けぺろりと舐めれば、やはり昨日同様のうっすらとした甘みを感じられる。しかし、量が足りなさ過ぎる為、あと数日、下手したら数週間ほどは貯まるのを待たないといけないかもしれない。
果物を洗おうと裏の井戸ポンプの場所に向かえば、そこには先客がいた。
遠慮も何もなくレバーを動かし、わしゃわしゃと頭を洗っているのはレイハルドである。彼女の横には脱ぎ捨てられた衣類と、綺麗に畳まれた衣類が並べられていた。
「おっ、朝早いな。それは果物か? 私に一つ寄こせ」
「おはようございます、日の出もまだなのに早いですね」
適当に果物を投げ渡せば、片手で受け取った彼女が豪快にかぶりつく。
「鍛錬があるからな。お前も鍛錬か? 寝汗を流したら付き合ってやるぞ?」
「私は朝食の準備があるので遠慮しますね」
「そうか。それなら背中を拭くのを手伝ってくれ。気持ちが悪くて仕方が無い」
「はいはい」
果物の入った籠を置き、彼女に近付いていく。彼女の裸体、ありのままの上半身は肉付が良い。鍛えられ引き締まった部分と、女性らしい柔らかさが混在している。渡されたタオルが粗塩だとしたら、余分の筋肉の付いていない背中は噛み応えの有りそうなサーロインだろうか。美味しく食べる為には丹念な下ごしらえ、味付けを施したくなってくる。
「熱心に拭いてくれなくとも良いぞ。鍛錬すれば汗をかくし、水浴びは再び行う」
「果物しかないので、食いでのある物を食べたいと思いまして」
「米と乾燥肉なら私の荷物に入っているぞ。必要ならば使っても良い」
「ありがとうございます」
「ちなみに朝の鍛錬は数時間行う。朝食の時間には気を付けろ」
「具体的には」
「日が昇り人々が活動し始める時刻だ」
(…………八時から九時までの間くらいか?)
体内時計が正しければ今は早朝の五時。三時間以上余裕があるなら、朝食の準備だけでなく掃除や洗濯も出来そうである。それならば、と、朝食の準備を始めるために彼女に背を向ければ、頭に柔らかい物をふわりと被せられた。多少の汗臭さと女性特有の柔らかい匂いに包まれるが、一体何の嫌がらせなのかと彼女に視線を向ける。
「その服は君を騙す為に露店で購入した安くて低品質のものだ。臨場感を演出するために汚したり破ったりしてみたが、君には一切通じなかったようだがね。もう着る予定も無いから火種として使ってくれ」
「服装が乱れた女性を目にすれば、誰だって心配しますよ。それは私とて同じ事です。だからこそ部屋に招き入れ、警察を呼ぼうと提案しました。その点について詰られる意味が分かりません」
「そもそも『けいさつ』って何だい? 警備兵の訛りか? お前の出身はどこだ」
「警備兵の訛りです。常識知らずな者で」
「ああ、一つ言っておくが」
「なんです?」
「飛竜と対峙した時の荒々しい言葉遣いのお前、格好良かったぞ」
「貴女の後ろに結った今の髪型も素敵ですよ」
用件は済んだとばかりに笑いながら彼女は広場の隅に移動し、型のような動きを始めた
それにしても必死だった一面を揶揄されるとは思わなかった。彼女も彼女で意地が悪い。朝一から何とも言えない微妙な気持ちになってしまった。
――――
子を産んだドラゴンからミルクは搾れないものかと思案して見たが、気持ちよく眠っているドラゴンをひっくり返して乳頭を探す勇気が俺には無かった。そもそも、孵化した子供と早々に別れて暮らし始めるなら、ミルクで育てるという文化が存在せず乳腺が退化している可能性もある。好奇心の為に命を危険にさらす事は出来ない故、ミルクを用意する事は出来なかった。
俺は菓子職人である。具体的な材料が足りなかったとして、卵と乳があれば誤魔化し半分でそれなりの食事を作れる自信はあったのだが、乳が無いなら潔く諦めるしかない。
(…………レイハルドから母乳は出ないのか?)
乳不足から頭がおかしくなってしまったようである。母乳は乳製品ではなく血のようなものである。潤沢な量が搾れたとしてもそれを料理に使うなんて狂人のする事である。俺は真っ当な菓子職人であって狂人でも変態でも無い。仕込みを始めようか。
レイハルドの言う通り、彼女の荷物には袋に入った相当量の米が準備してあった。対面した時は荷物など持っていなかったと思ったがどこに置いていたのだろうか。所々に土汚れが目立っている為、地中に埋めていたのかもしれない。自称勇者に恥じない用心深い女のようだ。
(………………)
厨房の調理台に材料を並べる。
米、果物、とても大きな卵、はい終わり。
米を炊いて卵料理を作って完成。デザートは新鮮な果物だ。
(………………)
ステンレス製の収納棚の中を確認すれば、やはり必要な機器は揃っていた。製麺業者じゃない為に粉末機が無いのは理解できるし、その補填の為にミキサーだけでなくミルサーまで準備されているあたり、このログハウスを建てた人物は相当に分かってると言う他ない。
ミルサーに米をザラザラと入れ、スイッチをオンする。ゴリゴリと言う音の末に機械音が厨房内に響く。騒々しさから二匹の緑色が起きて来てしまう可能性もあるが、菓子職人の家で寝るという事はこういう事なのである。俺は悪くない。
さて、厨房での調理はここまでにしておこう。自分の今の服装を思い出せばわかるのだが、昨日の騒動に巻き込まれてしまった結果、上下の一張羅は土汚れが酷い有様なのである。汚れた状態で長い間、厨房に立っていたくない。散布用の消毒も手に入るか分からないし、なるべく清潔な状態を保っていたい。
――――
ミルサーとレイハルドの荷物等、必要なものをログハウスの表に異動させる。真横には未だに眠っているドラゴンの姿があるのだが、調理中の匂いに誘われて俺の事を食料と勘違いして丸呑みしたりしないだろうか。
さて、籠の中に入っているたくさんの果物をまな板の上でどんどん切り分けていこう。皮付きのまま薄く切り分けたもの、皮を剥き一口大に荒く切り分けたもの、それよりも更に細かくみじん切りの様にしたもの、三種類を別々の皿に取り分けておく。
薄切りにしたもの、一口大に切ったものはそのままウォーターピッチャーに入れ、バケツに用意しておいた水を注ぎ、残ったバケツの水で一時間以上冷やすのみ。本当は冷蔵庫に入れておきたかったが、寝起き早々の冷水は身体に良いとは言えない。フレーバーウォーターは数種類の果実を使うのが基本だとは思うのだが、昨日見付けた三種類の果物分の知識しかない為に、甘みのある一種類だけを使って完成としてしまった。更なる種類の果実を知ってから、本格的な一杯を作ろうとは思っているが。
次いでは長時間労働となる。用意しておいたすりこぎ棒とすり鉢を手に取り、ゴリゴリと米を粉末状にする。ミルサーを使うだけでは十分な量の米粉を用意できない上、自分が納得するほどの粉末状に加工出来ないが為の策である。ミルサーで挽いた米粉をすりこぎ棒で挽けば、粗さも確認できる。
――――
無心で挽いてたらかなりの時間が経っていた。太陽の位置的に恐らく現在七時過ぎくらいか。
無心で挽いていた為に大量に米粉にしてしまったのだが、レイハルドの持参していた米の残量を確認すれば残りは四分の一になっていた。正直やり過ぎたと思っているのだが、時間は元に戻らない。謝って許されなかったとしても、俺にはどうする事も出来ない。そもそも、自分は鍛錬をしといて朝食の準備を人に任せるなど、なんと育ちの良い事だろうか。文句があるなら手伝えば良かったのだ。以上。
挽きすぎた米粉問題より、大きな問題に対面している事に自分は気付いている。ドラゴンの大きすぎる卵を一体どう容器に移せば良いのだろうか。大鍋か、大鍋に割れば良いのか。割ってしまえば日持ちはしないだろうに、どうやって調理に使ってしまおうか。まあ、酵母も乳製品も無いからパンケーキもホットケーキも作れないし、米粉ベースの生地を作ってそこに卵料理を挟んだ何かを作ればある程度の味にはなるし消費できるだろう。余りそうならドラゴンにたくさん食べてもらえば良いだろうし。自分の産んだ卵を自分で食べる気持ちは一体どうなのだろうとも思ってしまうが、無精卵だから単なる餌に違いない。
そう言う事で納得しようと思ったら、今度は硬すぎて割れないのである。まったくふざけている。どうしてこんなに殻が硬いのだろうか。それは恐らく子供を食べられないようにする為である。仕方が無いのでレイハルドに頼んだら細腕にも関わらず綺麗に割ってもらえた。自称勇者は頼りになる。そのまま生の卵を飲み始めた時はあまりの豪快さに苦笑いをしてしまったが、この世界での栄養摂取の方法の一つであると思えば納得は出来る。ドラゴン成分が濃縮されている卵である為、滋養強壮にも良さそうだ。
――――
焚き火の準備をする。大き目の石を組んで竈を作る。どうして最新機種のコンベクションはあるのにコンロが無いのだろうか。優先順序が違うだろうがマジで。水道もないし基本的な部分がガタガタで不便な部分が目立ってしまうあたり、このログハウスを建てた人物は相当に常識が無いと言う他ない。
レイハルドの荷物内にあった火打石を適当に打っていれば、どうにか火花が彼女の古着に着火した。彼女の皮脂が染み込んだ古着が芳ばしい匂いを立てながらもくもくと燃えていく。本当の所は繊維に着火して燃えているだけなのだとは思うが、良く燃えているのは事実である。『君の古着は良く燃えました。脂性肌なんですね』くらい言えば恥ずかしがってくれるだろうか。
火の調整をしながら二つのフライパンを熱する。
低温でじっくり焼きたいので火の調整が実に大変なのだが、使い慣れたガスコンロであればこんな苦労も無かったのに、もうイライラして堪らない。俺は単なる朝食を作りたいのではない。菓子職人として少しでも美味しい朝食が作りたいだけなのである。材料が足りな過ぎるという問題はギリギリ許せるとして、火の調節くらい自動でどうにか出来ないのだろうか。魔女とかドラゴンとか勇者がいるのだから、根本的な発想として魔法くらい存在しているべきである。俺は火の魔法を今すぐ使いたい。
ボウルに取り分けていた卵白や卵黄を米粉と混ぜながら混ぜ合わせれば、生地が完成する。それを二枚のフライパンを使ってどんどんと焼いていく。菓子職人として膨らみが足りないのが実に不満ではあるのだが、今回は仕方が無い。ある程度の米粉は確保してあるし、ドラゴンの卵も残り四個ほどある。ミルクは無くとも果実を使って天然酵母を作り出せばふっくらとして柔らかいパンケーキやホットケーキを作る事も夢ではなくなる。一つずつ困難を回避しながら料理を作るという事など、今までの人生で無かった経験である。現代日本では手軽に材料が手に入った為に、何の苦も無い製菓が可能だった。今は不便で仕方が無い。作りたい作品が全く作れない。だからこそ、やりがいがあるというものである。
――――
「みー……」
「みみー、みーみーみー、み」
朝食の準備を応接間のテーブルに並べていたら、緑の二匹がのそのそとソファから起き上がる。キョロキョロと周囲を確認していたようだが、目の前のテーブルに並んでいるパンケーキを目にするや否や手を伸ばして食べ始めようとする。
「みんなが揃ってから食べましょうね」
「みー?」
そのままにしておくと食べられてしまいそうなので、二匹を両脇に抱えてログハウスの裏で汗を流しているレイハルドに声を掛けに行く。
「出来たぞ」
「今行く」
淡白な会話すぎる。俺達は倦怠期の夫婦だろうか。
両脇の育ち盛りの子供たちに目を向ければ、どうにか抜け出そうとモゾモゾと動いている。元気なのは良い事だが、人の気持ちが分かる優しい子に育ってもらいたい。強くたくましく、それでいて穏やかな子だ。そもそもこいつらに性別はあるのだろうか。魔女とか言われていたからメス個体なのだろうか。確かに早朝に眠っている二匹の全身を確認した所で、男の生殖器は確認できなかった。しかし、この二匹はそもそも人間じゃないのである。人間の常識が通用するかは別問題だ。
「ほら、二匹とも、お母さんに挨拶なさい」
「みー?」
「みーみーみー!」
「家族ごっこか?」
「ペットのドラちゃんもお腹を空かせていますからね」
「みーみー」
「みー?」
「私はどうすれば良いんだ?」
どうやらレイハルドには母性が欠け落ちていたらしい。
悲しい事である。
――――
「…………米は使わなかったのか?」
「有難く使いましたよ」
「は?」
「干し肉は使いませんでしたが」
「いや、は? ……私の米はどこだ?」
「今日の朝食は米粉パンケーキです。口に合えば良いんですけどね」
「いただきます」と手を合わせ、食事を始める。
表に待機しているドラゴンの前にはパンケーキを三十枚くらい焼いて置いてある。その横には果物を大量に置いてきているし、底の浅い大皿に水も用意してやった。それで文句言われたら俺はこの身を差し出すしかなくなる。
「みー! みーみー!」
「ああ、行儀が悪い……」
「みっ、みっ、みっ」
二匹の緑が両手を伸ばして皿ごと引っ張る為に、皿に乗せられたパンケーキが皿から振り落とされそうになってしまう。果物のピューレには指を突っ込もうとするし、コップを上手く扱えないのかフレーバーウォーターを零しそうにするし、もう見ていられません!
「ほら、こっちに来なさい」
「みー!」
「みーみーみ!」
両腕で強引に二匹を俺の膝の上に乗っける。片手で落ちないように支えながら、もう片手で二人の口に朝ご飯を持っていく。二匹も何をされているのか理解したのか、暴れるのを止めて大人しく口を開けて待つだけになった。しかし、千切ったパンケーキを口元に持っていこうとすると、二匹同時に口を開けるのはどういう事なのだろうか。こいつらには譲り合いと言う精神が無いのだろうか。お母さん、二匹とも自分勝手な子に育ちそうですよ。
「おい」
「なんですか?」
「これはパンなのか? フワフワしてるじゃないか」
「材料があればもっとフワフワさせられたんですけどね」
「…………これはジャムか?」
「ピューレです。木になっていた果物を使いました。甘さが抑えられるように気を付けたので食べやすいと思いますけど、甘かった方が良いですか?」
「いや、これで良いが……」
スプーンで謎の果物ピューレをどんどん口に運んで行くレイハルド。パンケーキに塗るなり挟むなり付けるなりして食べて貰いたかったのに、黙々と食べ続けている。前述したように、パンケーキを経由して食べて貰おうと思っていたので、ピューレは中央の皿に全員分を用意している。言葉にはしないが、皆で食べるんだから口に入れたスプーンを直にピューレに突っ込むのは衛生的に止めてもらいたい。別にレイハルドの口内が不潔と言っているわけでなく、これが日本人の正常な衛生感覚なのである。
「この黄色いのは何だ? 大成功のパンか?」
「卵焼きですよ」
「は?」
「パンケーキに納得いかなかったので卵焼きは本気で作りました。卵を焼くだけなので」
「は? 卵を焼くだけじゃこうはならないぞ?」
「なります。菓子職人なので」
「………………」
「作り方お教えしましょうか?」
「いや、遠慮しておく…………」
「みー?」
俺の手が止まった事を不思議に思ったのか、緑色が腕をペシペシと叩き始める。
「あ、ああ、はいはい、ご飯でちゅよ」
「みー」
「……お前、なんか気持ち悪いけど料理は上手いんだな」
「は?!」
「そいつは魔女の末裔だ。世話をしてどうするつもりだ。お前はそいつに殺されるぞ」
「ああ、昨日の話の続きですか。魔物は」
「殺す。人間種の為に根絶させねばならない。それが人間種の願いであり、私の役目だ」
「昨日も言いましたが、基本線はそれで良いと思います。それを否定する材料が私にはない」
「み?」
「しかし、人に危害を加えない魔物まで殺す必要はないと思っています。共存は絶対に不可能なのでしょうか。家畜と野生動物と魔物の違いがあるのであれば、説明が頂きたい。木々の間を飛び立つ鳥たちを殺さないのは何故でしょうか。人に危害を加えないから? それなら、人に危害を加えない魔物を殺さなくても良いと思いますが」
「人に危害を加えない魔物など有り得ない。魔物は人を食らう。魔物は知恵を使い人を襲っている。今まで出会った魔物は全てそうだった。例外など有り得ない」
「今まで出会った魔物が全てそうじゃないでしょう。少なくとも、この山のドラゴンと緑色は貴女に敵対している様子が一切なかった。先に手を出したから、防衛本能として貴女に襲い掛かった魔物がいた可能性が無かったと言えますか? 絶対?」
「そこを突かれるとなかなか厳しい」
「勿論、人間社会に現れた魔物を狩るのは素晴らしい事だと思っています。私も危険に怯えながら生きるのは嫌ですからね。今までの発言も、力も無く守られて当然の立場にいる自分が偉そうに言える事では無いと理解しています。机上の空論だと言われても仕方が無い。しかし、問われたから自分の意見を言ったまでです」
「いや、それで良い。先に聞いたのは私だからな。お前は一切間違った主張をしていない」
「ありがとうございます」
「みーみー」
「ああ、はいはい。お腹が空いてるんでちゅね」
「……やっぱりそれ、気持ち悪いぞ」
「は?!」
レイハルドがコップに注がれた水を一気に飲み干した。
「お前に聞いて欲しい事がある」
「何でしょうか」
「私は昨日も言ったが、魔物を斬り殺す事しか出来ない。他の方法は、無い」
「はい、誇り高い仕事だと思います」
「私の脳裏に一つの仮説がある。魔物たちが人間を襲うのは、腹が減っているからなのでは、と」
「人間は餌だと」
「他に食う物が無いからな」
「自然の恵みが足りていないのですか?」
「足りていないというか、ほぼ無い。大地が枯れているからな」
「なるほど――――」
「人間だって生きるのに必死だ。そこにある物を使って飯を作っている。固くてパサパサのパンだって下位市民にとってはご馳走だ。肉や魚だってなくはないが、貴族や上級市民の余り物が市場に流れるだけだ。筋張っていたり、身が少なくても文句も言えない。食えるだけ有難い」
「厳しい世の中なんですね」
「皆、暗い顔をして生きている。楽しみなんて無いからな。生きる活力も当然無いし、死は隣り合わせだ。魔物は突然現れるし、突然徴兵される事もある。病が流行ったらお陀仏だ」
「もうお手上げですね」
「ああ、お手上げだ。だからお前、こんな山に籠ってないで料理人として働かないか?」
「どういう事でしょうか」
「私はお前の料理を食べて、明日も生きようと思った。それだけだ」
「なるほど」
「大した材料も無いのに美味い料理が作れる才能を、自分の為に使うのも良くない」
「仰る通りですね」
「魔物も人間の作った美味い料理を食べれば、人間をむやみに殺さなくなるかもな」
「魔物は知恵があるからですか?」
「そうだ」
――――
彼女と話をするのは面白い。
彼女は優しく、会話を俺のペースに合わせてくれている。
そして、彼女は聡い。俺の実験を見抜いていた。
俺は魔女の末裔と呼ばれた二匹の緑を手懐けようとしている。魔物が恐れられている理由は、人間社会の常識や規則を容易く破るからだろう。理不尽な暴力を与える存在を人間は許容できないし、する必要も無い。ならば、魔物が魔物らしい常識を身に着ける前に、人間社会の常識を教え込んでやればと思ったのだ。途中で失敗しても問題は起きない、俺が襲われて終わるだけの話だから。
「レイハルド、貴女は面白い事を考えますね」
「いや、お前ほどでも無いぞ」
「はは、謙遜しないで下さいよ」
「いやいや、本当だ。私は魔物を使った気持ち悪い家族ごっこをしようとも思わないからな」
「いつでもお母さん枠は空けておきますからね」
「ははは、結構だ」
互いに朗らかに笑いあう。
「それで、この世界の話はどれくらい本当なんですか? 荒れ地ばかりですか?」
「先ほどの話の半分くらいだと思ってくれれば良いぞ。人間に覇気がないのは事実で死と隣り合わせなのも事実だが、そこまで悪い世の中でも無い」
「なるほど、麻痺してるんですね」
「そうとも言う」
「それより、片付けが終わったら街に行ってみたいんですけど付き合って頂けますか」
「ああ。そもそも私はあの飛竜に乗って帰ろうと思っていたからな。私はお前と共に街へ戻るが、お前はこの霊峰に戻りたかったら再び飛竜に乗って帰って来ればいい。簡単だ」
「料理人の話、本気だったんですよね」
「本気だ。しかし、お前は好きに生きれば良い。魔物を暴力以外の力で従わせようと考える奴に初めて会ったからな、つい興奮して誘ってしまった。元より勇者は一人旅。互いの人生を楽しく生きようじゃないか」
「そうですね。では、街までの案内よろしくお願いします」
「料理の片付けが終わったら呼んでくれ。荷物の整理は終わらせておく」
――――
朝食の片付け以外にログハウスの掃除や菓子作りの下準備を終えて外に出れば、太陽が天に昇り気持ちの良い遊泳飛行日和になっていた。ドラゴンに乗るなど人生初めての経験である。恐怖と楽しさが半々くらいの高揚感は、俺の気持ちをフワフワとさせる。
既に準備は終わっていたのか、レイハルドはドラゴンに取り付けた手綱を上手く操っている。その度に、ドラゴンは右に進んだり左に進んだり、賢い限りである。
「おお、準備は良いか? 荷物は少ないが平気か?」
「お土産をたくさん買うので平気です」
「なるほど、田舎者の発想だな」
「森で生活していますからね」
彼女に手を引かれながらドラゴンに騎乗すれば、徐々に鼓動が早くなってしまう。
「みー!」
「みーみーみー!」
「俺が留守の間に悪さはしないでくれよ? 用が終わったらすぐに戻るからな」
「みー?」
「みーみー!」
意図が通じた気配は無いが、二匹は元々山で生活をしていた魔物である。
俺の姿が見えなくなれば、再び森での生活に戻るだろう。あとあと俺が戻ってきた時に再びログハウスを尋ねてくれれば嬉しい事この上ないが、過度の期待は止めておこう。
「では、行くぞ!」
そう言った彼女が勢いよく手綱を引けば、ドラゴンは翼を羽ばたかせ宙に浮く。
「おお…………」
「気持ち悪くなっても我慢してくれよ? 私の背中を胃液塗れにしないでほしい」
「落ちそうになったら抱き着いても良いでしょうか」
「許す」
徐々に加速しておく。
眼下を望めば、一匹の緑が手を振っている様子が見えた。
留守は任せろと言っているのだろうか、まったく頼もしい限りである。
一読ありがとうございます。
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今後とも、楽しんで頂ける文章を書ければな、といった感じで頑張りますね。