5話 味見と二匹と
☆コンベクションとは☆
飲食店の厨房にある大型なコンベクションオーブンの略であり、熱風による加熱調理機
仮に存在する寄生虫を滅するには高温で長時間の加熱が効果的だとは思うのだが、新鮮さのある果実を焦がすわけにもいかずに低温での調理を試みてしまった。しかしやはり、コンベクション内で熱される果実に目を向けると、庫内に生まれているであろう芳ばしい香りに想像力が刺激されてしまう。水分を飛ばした事による甘味や酸味の濃縮にどうしても期待してしまう。
『ピー』
一分経過である。コンベクションを開ければ軽い風味が鼻孔を刺激するが、一皿取り出し即座に再び閉め直す。熱処理に加え、時間経過による味と感触の変化も楽しむ予定なのである。庫内の温度を下げるわけにはいかない。自分の人生に対する妥協はあったとしても、菓子職人としての仕事に妥協を許す事は一切できない。追及に追及を重ねた結果、ようやく手の掛かる到達点。ミシュランガイドに認められるなど些細な通過点であり、世代や人種、国籍すらも超越した最高傑作を作り上げるには短い人生の中で寄り道はすべきでは無い。
『ピー』
三分経過である。同じように取り出し、先ほどの物との比較を始める。小さく切り込みを入れれば、刃は先ほどよりも力を入れずに繊維を切り分ける事が出来た。
一口大をさらに半分にしたモノを口にし、歯で押し潰す事はせずに舌で感触を楽しむ。
(…………刺激は感じないし即効の毒性は無さそうか?)
そのまま飲み込み、残していた物を完全に冷める前に口の中に入れる。
『ピー』
六分経過である。
調理台の前からコンベクションの前に移動すれば、そこにはなぜか先客がいた。
「みー……?」
「みー! みー!」
緑色の二匹である。首を傾げたような姿勢でコンベクションを見上げている。
どこから侵入したのか、いつの間に存在したのかと、湧きたつ疑問をどうにか押し込みながら冷静な対処を心得る。それにしても先ほどと同じように木の枝を持っているのは、やはりコンコンと叩く為なのだろうか。
「…………俺は危害を加えるつもりは無いから、お前たちも大人しくしていてくれよ……な」
刺激しないように二匹を跨ぎ、コンベクションを開く。
途端、先ほどとは違った強い芳香が厨房内に広がった。切り分けた事により断面から効率的に水分を飛ばす事に成功したのだろう。瞬間的に滾った興奮をそのまま行動へと移し、庫内に置かれた果実を躊躇なく口に入れる。
「………………くっ、うっううう」
滅茶苦茶なほどに、濃縮された甘みが口の中に広がる。果実から発せられた香りが喉を通り鼻を抜け、脳天に届くのを実感する。やはり、未体験の食材は素晴らしい。この調子なら生食でも平気だったかもしれない。しれないのだが、危険は犯すべきではないし、そもそも俺はこの新機種のコンベクションの使い心地を試したかったのである。新しいおもちゃを与えられたかのような童心を思い出させてくれたコンベクションに感謝の気持ちを伝えるのを忘れてはいけない。やはり熱伝導の効率が違うと甘みが際立つ。
「みー!! みー!!」
「みー!! みー!! みー!!」
匂いに反応したのか、それとも新機種のコンベクションによって手が加えられた果実が気になるのか、足元の緑が少々、小うるさくなり始める。だが、この喜びを独占するほどの心の狭さを持っているわけでもなく、むしろ共通の喜びを分かち合った方がこの良く分からない生物とも仲良くなれるかもしれない。仲良くなる必要があるかどうかは全く以て謎なのだが。
「加熱したモノは食べた事はあるのか? 少しずつ食べるんだぞ?」
二匹と目線を合わせるように腰を落とし、小さく千切った果実を掌に乗せて差し出してみる。
「みー……?」
匂いの正体がこれだと知らなかったのか、二匹は不思議そうに手の中のモノを見つめる。しかし、見せるように一欠けらを自分の口に入れれば食べ物だと分かったのか、同じように口に運び始めた。
「…………みっ!」
「みっ、みっ、みっ、みっ」
一匹が味わうように口を動かせば、もう一匹はすごい勢いで口の中に詰め込み始める。同じ生き物なのに個性が存在するのは人間らしさが重なる。やはり二匹を食べるのは諦めるべきだろう。
「さて……」
モグモグと咀嚼をしている二匹が無害そうなのでとりあえず放っておく事にする。それより、自分が見付けた果実は三種類。熱も冷めてしまっただろうが、残りの二種類も味見をしてみるべきである。
「…………ふむ」
「んっ、ふーん……」
「うわ、硬いぞこれ。歯が折れかねない……」
「匂いも焦げ臭いな…………いや、どうにか粉末状に出来ないか……?」
珍味に心躍らせていたら、二匹の存在をすっかり忘れてしまっていた。いつの間にか現れたのだから、いつの間にか消えてくれていれば面倒も無いのだが。しかし現実はそう上手い具合に進むはずもなく、応接間に繋がるドアが半開きになっている事に気付いてしまった。
「おいおい、悪さはしないでくれよ……?」
早足で応接間に移動するも、既に生物の気配は感じられなくなっていた。
否、緑色の身体は嫌でも目立つ。ガラスの無い窓から外に飛び出る瞬間がどうにか目に入った。応接間に繋がるドアを開けられたのなら、玄関のドアも開けられるはずなのだが。それとも、そこまでの知能は無いのだろうか。
「さて、果物が食えるとなれば食事の心配も和らぐが……」
しかし、果糖の摂り過ぎは身体に悪い。健康を維持するのならば、肉と魚と野菜も口にしていくべきである。しかし、野菜はともかく肉と魚の入手方法が浮かばない。木々の合間を迷わず彷徨い、川や湖を見付ける確率はどれほどだろうか。そして、肉厚な獣を自分が狩る事は出来るのだろうか。ロッカーに入っていた弓矢はこのための備品だったのだろうか。だが、自分は弓道の経験など一切ない。
(それは良いとして……)
食料の心配が多少解消された事により、思考に余裕が生まれ始める。
最適解は肉と魚である。それは誰でも分かる。馬鹿でも分かる。分かるのだが――――。
「自然な甘みも良いが、砂糖が欲しくなってしまった、ぞ」
驚くほどに馬鹿げた思考であるが、欲しくなってしまったものは仕方が無いのである。俺は冒険者でもキャンパーでも何者でもない。生粋の菓子職人なのだから。そもそも料理の基本は『さ・し・す・せ・そ』なのである。満足感を上げる為に調味料を欲するのは的外れな考えだとは思えない。
「さて」
腕を組み、頭を働かせる。
サトウキビが存在したとしても、純粋な砂糖を生成するには機材が足りなさすぎる。
では、可能性を信じて自分の出来る範囲で試してみようじゃないか。
「次は樹液、かな――――」