第007話 【調理(後編)】 狼男の厨房、焼き物、蒸し物、お粥編
ロウ達は巨大カニの足の付け根部分の調理に取りかかった。
二人で小型の包丁を使い、身に残った殻や筋を綺麗にとり除いてゆく。
「ここの身は抱き身と言うんだが……肉厚だし、折角だからステーキ風にしてみるか」
塩と胡椒を万遍なく振りかけて表面に薄く薄力粉をまぶしただけのシンプルな味付けをして、そのままフライパンに投入する。
「でも、ロウ師匠……これって中まで火が通るまで焼くと表面部分だけがまっ黒に焦げてしまいません?」
分厚く切った巨大カニの身を油通しもせずに焼いているのをオットーが心配する。
「それはな――――こうするんだ」
ロウがフライパンの中に赤ワインを回し入れると突然、赤い大きな火柱が立ち上がった。
「おおっ……!」
「きゃあ! もぉ~、ビックリしたじゃない!!」
「ハハハ、度数の高い酒……特にワインなんかは良く燃えるんだ。
ま、アルコールが飛ぶと消えるから炎が出るのは一瞬だけなんだけどな。
香り付けの為によく使われてる技法で、泥臭さなんかも消す事ができるぜ」
驚いて思わず一歩下がったオットーと、その背中にしがみ付く様に隠れたエルザを見ながらロウは楽しそうに声を出して笑いながら作業を続ける。
「このまま蓋をして、弱火で焼くと中に閉じこめた水分で蒸されるから焦げないんだ。
後は火から外して暫く置いとくと余熱で中まで火が通る。
これで『カニの蒸し焼き』の完成だぜ」
「なるほど……勉強になります」
「じゃあ次は俺が粥を作るから、お前は外で足の焼き物を頼む」
「わかりました」
オットーは厨房の奥にあるゴミ出し用の裏口から、文字通り山のように積み上がっている巨大カニの足と残りの部分を何度かに分けて屋敷の外に運び出した。
そして周りに燃え移るものが何も無い場所で、薪を使って焚き火を起こし始める。
「流石エルフと育っただけあって、ああいう類の事はオレより上手いな」
鍋を用意しつつ、厨房の窓からその様子を見て感心するロウ。
「ふっふーん、あれは私が教えたのよ。
昔から素直で物覚えの良い子だったから、すぐに覚えたわ。
……まずは風の当たらない様に穴を掘るか石を積む。
そこへ乾燥した小枝や枯葉を重ねて、徐々に太い枝を組んで焚き火の土台を作ってゆく」
エルザはスッと目をつむり、手を胸の前で組んで祈るようなポーズで昔の事を思い返しながら、ゆっくりとした口調で語りだした。
「色々物知りなお姉ちゃん大好き……ニコッ。
私もよ愛してるわ……キリッって。
――――そして二人の愛は焚き火のように燃え上がってゆく。
今もそうだけどあの頃も可愛かったなぁ~」
頬を紅くしながら身をクネクネとよじるエルザ。
「ノロケ話のうえに、全く関係ない……だと。
しかも後半、明らかに思い出話が美化されているッ! ったく……真面目に聞いて損したぜ」
遊ばれていると感づいたロウは、先に研いで水に漬けておいた米を鍋に入れて火にかけた。
そこへ食べやすい大きさに切った巨大カニの身、人参、玉葱、みじん切りの生姜、少々の酒と塩を入れて蓋をし、コトコトと煮込み始める。
「これでしばらくすれば『カニ粥』の完成だ」
ロウが外の様子を見ると、オットーが大きく燃え始めた焚き火を中心に巨大カニの足を互い違いにキャンプファイアーのように組んでいた。
そして味付けに全体に塩を撒き、火に香草をくべる。
先程ロウから聞いた『アルコール度数の高い酒はよく燃える』を実践するべく料理酒を香りづけに振りかける。すると一層紅い炎が高らかと巻き上がった。
最後に燠火を調節して余熱で巨大カニの足全体に熱が通るようにする。
これもしばらくすれば『カニの焼き物』の完成だ。
そのまま食べてもいいし、今日食べない分は冷ましてから塩水に漬けておけば大分持つだろう。
「豪快だなぁ」
「なあ……エルザ。
今、オットーがいないから聞くんだが……いいか?」
外のオットーの様子を見ていたエルザに、ロウが寸胴鍋にお湯を沸かしながら少し真面目な顔で話し始める。
「今まで聞く機会が無かったけどさ。
オットーは半年前まで自分がエルフ族だと思ってたんだよな?
それで自分が人間だと知って……その、ショックとか受けてたか?」
オットーはエルフの里で育った、ただ一人の人間。
拾われた事も、自分が人間だという事も知らされずにエルフとして育てられたのだ。
それを前に本人から聞いたロウは、ずっと気になっていた事をエルザに尋ねた。
「ええ、凄い受けてたわよ。
あの子は大人になったら、自分の黒い髪や目が他のエルフと同じように金色になるってずっと信じてたから」
「そういう事じゃねーよ!」
真面目な話をしようとしていたロウはズッコケながらも、沸いた鍋に葱と生姜、塩と酒を一緒に入れて小さいサイズのカニを四匹入れた。
「オットーが他の人間……里を襲った人間と自分が同じ種族って知ってどう思ったのか、って事だよ」
半年前、オットー達兄妹がこの屋敷に来るきっかけとなった事件の事だ。
あまりにも陰惨な出来事だったので、オットーはこの話題には触れたがらない。
それを慮ってか、ロウもギードも本人に聞いたりはしなかった。
「そりゃあ少しは思うところはあったでしょうけど……。
メルエも私もオットー君が人間だってずっと知ってたから、あの子に対する態度が何か変わったわけじゃないしね。
だから本人はそんなに気にしてないのかも。
ま、本当はあれから半年のうちに色んな事が起こりすぎてそんな事を考えてる余裕がないのかもねぇ」
弟の事をしんみりした顔で語るエルザ。
「一番身近にいる姉貴がそう思うんならその通りなのかもな……」
「なになに? 料理長はそんな事まで心配してくれるの?」
「オレは武術も教えてるだろ。
この流派は心技体、共にそろって意味を為すってのがモットーだからな。
人間とか亜人とか細かい事で悩まれると成長に陰りが出ちまうのよ。
そういう訳で、師として弟子を正しい道に導かなければならんと考えてただけだ」
「も~、ロウさんも過保護だなぁ」
「ギードの野郎にはかなわんさ」
言いながら寸胴鍋から赤く茹で上がった普通サイズのカニを取り出す。
正真正銘の『茹でガニ』の完成だ。
美味しい物はそのままで十分美味しい。これもまたロウのモットーだった。
「お風呂から上がった後みたいに真っ赤になるのね」
「甲殻類は熱を加えると殻部分のタンパク質が変化してアスタキ……サンチンとかいう色素が表面に出ちまうのさ。
熱が通りやすい、火を入れると甲羅が脆くなるって事も合わせて考えると、案外カニの弱点は火なのかもな」
「へぇ~。あれ? じゃあ何で捕まえる時に火を使わなかったの?」
エルザは先程の食材捕獲劇でオットーの攻撃が分厚い殻によって全く通じず、窮地に立たされていた事を思い出しながら怖い顔でロウの首を絞める素振りをした。
「網に油を染み込ませてカニに巻き付けて火を点けるとか、周りの木を燃やすとか」
「カニを捕まえるだけで何で森を燃やす必要があるんだ。
まあ、ギードの野郎なら地雷を踏ませて腹からドカンとやっただろうがな」
「そういうの何かで見た事ある!」
ロウは邪魔だからアッチに行ってろと、めんどくさそうに首を振って振りほどく素振りをした。
そこへ、裏口からオットーが焼けたカニの足を何本か抱えて戻ってくる。
「ロウ師匠、足の方はこれでいいと思います」
「おお、凄い……完全に火を通すと本当に真っ赤になるのね」
「こっちも出来たから皿を出してくれ」
何枚も重ねた皿を棚から出すオットーと、それを落とさないか心配そうに見守るエルザ。
(やれやれ『過保護』か……一番、過保護なヤツに言われちゃしょうがないぜ)
そんな姉と弟の姿を見ながら、ロウは壁にかけてある食事ができた事を皆に伝える呼び鈴の紐を何度か引いた。