第001話 【戦闘(前編)】 近所の湿地帯の主とは?
「アレぐらい大きくなると人を襲うようになるんですね」
「ああ、アイツらは雑食だからな……エサが多くて天敵がいないと、際限なくデカくなる」
夕闇がかかる湿地帯の横にある薄暗い森の中。
帽子をかぶった男と黒髪の少年は、二人して木の陰から巨大な生物の様子を伺っていた。
「何か弱点は無いんですか?」
「……東の方の昔話で、寺に住み着いたアレを坊さんが謎かけ問答をして倒したという逸話があるな」
「えっ、クイズでどうやってアレを倒したんです? しかも全然言葉が通じそうじゃないんですけど?」
「オレに聞くなよ! そういう昔話なんだから。
……思うに、正解を叫びながら殴ったんだろ」
「坊さんがそんな非道な事を? それに殴って倒すなら別にクイズに答える必要は無いと思うんですが?」
「いいんだよ細かい事は! ええと、じゃあ作戦は……俺が前面で注意を引くから、お前は迂回して背面へ回り込め」
大柄な男は作戦会議に焦れたようで、単純な妥協案を少年に指示する。
「わかりました、ロウ師匠」
「じゃあ行くぜ」
『ロウ師匠』と少年から呼ばれた、歳の頃二十六歳ぐらいの青みがかった銀髪の大柄な男。
服装はジーンズに肩を出したタンクトップと動きやすさ重視のラフな格好だが、頭をすっぽりと覆う大きなツマミ帽子が幾分かしっくりこない為にチグハグな印象を受けてしまう。
ロウが、合図と共に身を隠していた木の陰から飛び出し、敵の前に立ち塞がる。
敵――――その生き物は、浅黒い甲羅の大きさが幅三メートル。
二メートルにもなる足が甲羅の左右に四本ずつ。
そして二本の腕には毛に覆われた巨大なハサミがそれぞれついていた。
「カニもこれだけデカけりゃ完全に妖怪だな……マジで突然喋り始めるかも」
ロウも背丈は百八十センチと大柄な方だが、この巨大なカニはさらに二回りも大きい。
巨大カニの甲羅の上についている甲殻類の感情のない二つの目がロウを捕らえた。
無駄のない動きで、左右のハサミを突き出して獲物を捕獲しようと迫ってくる。
目の前の人物を捕食対象と判断したのだ。
「だが、所詮はカニ……縦の動きにはついてこれまい」
帽子が脱げないよう押さえながら華麗なバク転でハサミをかわし、そのまま後方に距離をとる。
が、巨大カニは九十度方向転換し、横向きに追いかけてきた。
「うん!?」
機械のように駆動する八本の足の先には鋭い爪がついている。
これに巻き込まれたらタダではすまない。
間一髪、背後の岩を蹴って跳躍して巨大カニのハサミの届かぬ所へ逃れる。。
「……キャタピラもないくせに超信地旋廻とは器用な事をしやがる。
さて、どうするかな」
再び巨大カニと向かい合うロウ。
考えていた唯一の攻略法が破られ早くも手詰まりになってしまった。
「ロウさん! ハサミ! ハサミ! 左右のハサミで大きさが!」
そんな安直な彼を助けるべく、黄色い声援が何処からともなく飛んできた。
見ると崖の上に隠れていた女性がロウに向かって大声を出している。
まだ二十歳にはなっていないだろう、十八歳位の娘。
身体の起伏を強調するようなピッタリとした布地に、森を歩くには場違いとも言えるような肌の露出の多い儀式的な服装。
遠目でも目立つ薄らと緑色を帯びた長い金髪と、ピンと尖った耳に金色の瞳が特徴的なエルフ族の美しい娘だ。
「左の方がハサミが小さいわよー!」
彼女は大きく腕を振って左側に回れと示しているようだ。
線が細そうな壮麗な見た目の割に、活発な動作でロウに助言をくれる。
「……なるほどな、エルザ。」
エルフ族の娘、エルザの意図に気づいたロウは小さくつぶやいた。
巨大カニは再びロウを捕食しようと二本のハサミをいい動きで繰り出し、迫ってくる。 ロウはエルザの助言通り、リーチの短い小さい左のハサミの側に回り込んで相手の注意を引こうとした。
しかし、そこへ何処からともなく飛んできた石がロウの後頭部に命中する。
「ぐえっ」
「あっ! ごめん、ロウさん!」
エルザが巨大カニの気を引こうと崖の上から蹴り落とした小石がロウに命中したのだ。
もう一度よく狙って――――蹴り落とした石は、またもやロウに命中する。
「ぎえっ」
その隙を突いてカニの左のハサミがロウを捕らえた。
「ぬうっ!?」
潰されまいと両腕でハサミを抑えるが、万力のような力でメリメリと徐々に締め付けられる。
「ロウさん! 今助けるわ!」
ロウが見上げるとエルザがさらに大きな岩を落とそうとしていた。
「おい、やめろ! 待て! 今結構ピンチなんだけど!!」
叫びながらロウの左足が地面に大きく踏み込み、それと同時に右足は下から真上に蹴り上げた。
大きく百八十度に開かれた開脚部と流れるような美しい動きから、鍛えられた柔軟な身体と何か武術による蹴り技だという事が一目瞭然にわかる。
その天を突くような蹴りは下方からハサミを穿ち、弾き上げる事に成功。
拘束が解けたロウは、そのまま巨大カニの左腕をとって甲羅の後ろに飛び乗る。
「カニの関節は構造上、一方向にしか可動しないからな!」
体重をかけて関節を逆にひねり上げ、左腕を封じる。
この位置ならば右のハサミも届かない。
「オットー、今が好機だ!」
「わかりました!」
ロウの合図と共に、巨大カニの死角となる背面の茂みが揺れて、オットーと呼ばれた十五歳ぐらいの黒髪の小柄な少年が拳銃を構えて走り込んでくる。
先程の、ロウと隠れていたごく普通の人間の少年。
ただ一つ普通と違う事と言えば、前髪の間から見える瞳。
右は黒色だが、左は先ほどのエルフの娘と同じ金色。
左右で色の違う瞳が象徴的だ。
「この距離なら!」
オットーは巨大カニの背後に立ち、リボルバー銃を至近距離から甲羅に向かって右手で腰に固定する様に構えた。
衝撃に備えて身体の関節をロックして引き金を引く。
撃鉄が落ちて撃針が実包の後部を叩き、薬莢内部の火薬に火をつける。
爆発的に燃焼したエネルギーが弾頭部を押し出して、炸裂音と同時に銃口から銃弾が発射された。
それはそのまま巨大カニの甲羅に向かって飛翔し、そして。
弾かれた。
「くっ!」
さらに間髪入れずに、もう一度左手で撃鉄を起こして銃弾を撃ち込む。
森に響いた銃声と硝煙の白い煙と共に発射された銃弾だったが、むなしくも先程と同じように甲羅に弾かれる。
命中した所に多少の弾痕は残ったものの、まるで効いてはいなかった。
「――っ! ならこれは!」
左の腰につけていた鞘から刃渡り二十センチ程のドロップポイント型のナイフを左手で抜き放ち、三回斬りつける。
だが、浅い引っ掻き傷は残ってはいるが、こちらも全く刃が通らない。
それならと右手の拳銃をホルスターにしまい、両手でナイフを構えて体重を乗せて思い切り突いた。
だがそれでも腕がしびれただけで、切っ先が甲羅に二センチ程入った程度。
もちろんその程度では致命傷にはほど遠い。
その攻撃で巨大カニが背後の敵の存在に気づいて向きを変えようとする。
「オットー君、危ない!!」
崖の上からいち早くその動きを察知したエルザがたまらず声を出す。
その声に反応してロウが巨大カニから飛び降り、オットーの身体を地面に引き倒す。
そのおかげで方向転換しようとしたカニの足に間一髪巻き込まれずにすんだ。
だが、避け損なった爪に切り裂かれたオットーの肩口からは血がにじみ、服の袖を赤く染め始めていた。
「くうっ……!」
「いったん引くぞ!」
ロウはオットーを抱え込んで起こすと、そのまま飛び込むように後ろの茂みに逃げ込んだ。
それを追いかけようとする巨大カニの前に立ち塞がるエルザ。
「うちの弟に何すんのよ! ここから先は通さないんだから!」
巨大カニの気を引こうとして小石を投げつける。
しかしエルザの事を眼中に無いかのようにオットーとロウの追跡を始める巨大カニ。
悔しそうにしていたエルザだったが怪我をした弟の事が心配になり、後を追うように茂みの中に消えていった。