第018話 【姉弟(前編)】 古城の主、夜の王を打ち倒せ
オットーとエルザは城の上階で妹を探していた。
ここは敵の本陣。
しかもロウと別れているので、二人は緊張気味で言葉も少ない。
長い廊下を無言で走りながら、念のために拳銃に銀の銃弾を換装する。
弾倉に装填されている六発と、ギードに渡された予備の十二発が持っている全ての銀の銃弾だ。
変わりに抜き取った鉛の銃弾をポケットに入れようとして、オットーはある事を思い出す。
ギードと別れる時に渡された小さな革袋。
上から指でなぞると硬くて丸い感触がある。どうやら中身は銃弾のようだ。
(これはひょっとして)
オットーがそう思い当たった時、廊下の突き当たりの明らかに怪しい部屋が二人の目に入ってきた。
古い城なのでほとんどの部屋のドアや窓は朽ちて無くなっていたが、この部屋だけは最近備え付けられたような真新しい大きなドアがはめらている。
「さあて、ずいぶんとそれっぽいけど……」
まずはエルザが壁を透過して中に入る。
その後、オットーが扉をゆっくりと開く。
新しく建て付けられたドアはギィッと、軋む音を立てて開いた。
その隙間から拳銃を構えて中の様子を伺いつつ侵入する。
何に使われていたのか解らないが広い部屋。
高い天井の近くに空気の取り入れ穴は開いているが、それ以外の窓はなかった。
壁には等間隔で火の灯ったロウソクが並び、真っ暗な部屋を照らしている。
床は敷物もなく石畳のまま。
壁などもいくつか言い訳程度に装飾の額や布がかかっている。
部屋の中央に丸いテーブル、その上には花瓶や様々な酒とグラスが並んでいた。
いずれも急ごしらえの物であったが、それだけでここが特別な部屋だと十分に理解できる。
「オットー君、あれ!」
思わずエルザが大声を出す。
部屋の中央の壁に設置されていた玉座にもたれかかるようにして眠るエルフの少女。
オットーは自分と妹の他には部屋の中に誰もいないことを確認しつつドアを閉め、急ぎ早に妹に走り寄った。
静かに寝息を立てるメルエ。首筋に噛まれた後はない。
さらわれた後、そのままここに連れて来られて眠っているだけのようだ。
ただ、逃げられないように足と首には枷が付けられている。
二人は妹が無事だったことに、まずは胸をなで下ろした。
「メルエ、起きろ、帰るぞ」
「……ん…ン……? …にい様……? ここは……? 私、お店で……?」
オットーが妹の肩を優しく揺すると、メルエは目を覚ました。
まだ状況が掴めていないようなので手短に説明をする。
「ごめんなさい、にい様。私、また――――」
「謝るのはこっちのほうだ。ボスから妹の事を任されていたのにな」
メルエの足と首を拘束している鎖を断つべく、黒いナイフを抜いて何度か床の上で突くように斬りつける。
古い鎖なのでこれでなんとかなりそうだ。
ナイフをしまい、切れ目からねじ切ろうとした瞬間。
「我が糧となる娘に何の用かな?」
ふいに後方から男の声がした。
「にい様!」
「オットー君、後ろ!」
エルフの姉妹の叫びと同時にホルスターから拳銃を抜き、振り向き様に撃鉄をあげて構える。
「突然後ろから話しかけられると、ビックリして撃ってしまいそうになるからやめてくださいよ」
オットーの銃口の先には四十歳ぐらいの白いタキシードに身を包んだ白い顔の紳士が立っていた。
――窓もなく、扉も閉まっていたのに一体どこから入ったんだ!?
三人とも鎖を切る事に気を取られていたとはいえ、扉が開く音を聞き逃すはずはない。
「街の人間ではないようだが……我が居城に何の用向きだ?」
明らかに吸血鬼くさい雰囲気だが、そうと決まった訳ではない。
古い城マニアとか吸血鬼のなりきりプレイ中の人を間違って銃で撃ったりしたらえらい事になる。
この状況でそんな事してる人は撃たれても文句は言えないのだが。
「妹の帰りが遅いので迎えにきたんですよ」
扉は紳士の後ろにある。もちろんこのまま帰らせてくれそうにない。
オットーは妹をかばうように自分の後ろに隠した。
「ほう、人間にエルフの妹が? いや……ただの人間ではないな、珍しい物がついておる」
紳士はオットーとエルザを興味深そうに眺めた。
「うちの家族関係はちょっと複雑でして……。
それに、これは生まれつきじゃないんです。半年ぐらい前の事故でね」
オットーは色の違う左目だけを一瞬だけ閉じて答える。
「……まあよい、それよりも多少城が騒がしいようだが貴様の連れか?」
紳士は部屋の中央にあった円テーブルに歩み寄り、赤ワインをグラスに注ぎ、何回か回して香りを楽しんだ後にグラスをかたむける。
その口元に長く延びた白い牙。
――コイツが例の吸血鬼だ!
確信を持ってオットーが引き金を引く。
素早く撃鉄を引いてさらにもう一度。
ほぼ同時に放たれた二発の銃弾は一回の発射音で吸血鬼に迫る。
それを吸血鬼は腕を突き出し、無造作に手のひらで受け止めた。
もちろんそんなことをしてただで済むはずがない。
血飛沫が舞い、吸血鬼の手からは血が流れる。
だが、まるで痛みを感じていないかのように、吸血鬼はグラスのワインを飲み干した。
「銀のタマか……人間は百五十年前から進歩していないようだな」
退屈そうに手のひらを握り再び開くと、床に銃弾が落ちて転がる。
信じられない事に、受け止めた時に出来た傷が跡形もなく治っている。
これにはオットーもエルザも驚きを隠せなかった。
メルエなどは血を見て短い悲鳴を上げて蒼い顔になっている。
ギードから今回の敵は普通の吸血鬼とは少し違うと聞いていたが、まさか銀の銃弾がこのようにあしらわれるとは思ってもみなかった。
「で……まさか次はニンニクか?」
「うっ……」
内ポケットからニンニクを出そうとしたオットーは図星を指されて再びニンニクをしまい込んだ。
「ですよねー。僕もちょっと古典的すぎるとは思ったんですけどね――――」
言い終わる前に再び銃を腰に構えて二連射。
だが目にも止まらぬ早さで銃弾は全てかわされた。
「では、食事の前に多少遊んでやるか」
吸血鬼が空になったワイングラスを机に置いた。
歩いてくる吸血鬼に向けてさらに二発撃ち込む。
しかしこれも先ほどと同じくかわされる。
そのまま敵が急加速し、一気に間合いを詰められ――――
――まずい!
弾の尽きた拳銃をホルスターにねじ込んで、二本のナイフを両手に抜いて応戦する。
だが、吸血鬼の動きはオットーの予測を遙かに越えていた。
そのまま胸元を殴られる。
吸血鬼の冷たい拳が身体に触れた瞬間、オットーに悪寒が走った。
――これは、人のそれではない。
身体がとっさに反応し後ろに飛んでパンチを受け流すが、それでも威力を殺しきれてはいなかった。
一瞬呼吸が止まった後に、激しい痛みが襲ってくる。
なんとか体勢を立て直すが身体も頭も、もうハッキリと理解してしまった。
――この吸血鬼は戦いを挑んで良い相手ではない。
先刻の攻撃も飛んできた弾を避けながらめんどくさそうに歩み寄り、なんとなく殴った程度の事だ。
身体能力のポテンシャルが全然、まるで違う。
「にい様!!」
「オットー君!!」
姉と妹の悲鳴が重なる。
それが、少年の折れそうだった心に再び火を灯す。
もう二度と家族を失うわけにはいかない。
半年前とは違い、今の自分には戦う力がある。
再びナイフを構えて吸血鬼に向き合う。
――とにかく考えるんだ。必ず勝機はある。
そこへ吸血鬼のソバット。防御するも、吹っ飛ばされるオットー。
円テーブルの上にもんどりうって床に転がり込んでせき込む。
倒れたテーブルからいくつもの酒瓶が床の石畳に落下し、割れて中身の酒がこぼれ出る。
――これは無理だ。一人では絶対勝機はない!
このまま時間を稼げば、誰かが援護に駆けつけてくれるかもしれない。
だが、ギード先生も騎士相手に苦戦しているかもしれないし、ロウ師匠も今頃女の子と戯れている公算が高い。
それを考えると朝まで後十時間ほど粘って日の出を待つ作戦のほうが成功率が高いかも。
――自分でなんとかするしかない。
そう考えたのはオットーだけではなかった。
――にい様をお助けしなければ。
自分を助けに来てくれた兄が、一方的に打ちのめされているのを怯えて見ているだけなど出来るはずもない。
「メルエ」
「わかっています、ねえ様」
戦闘中の二人に気づかれないように声を殺して話し合うエルフの姉妹。
まず、メルエが考えたのは逃げ出す事だった。
自分が逃げ出す事に成功すれば、兄も逃げる事ができるだろうと。
切れ目が入った鎖を千切ろうとするが、十二歳の少女の力では到底そんな事はできそうになかった。
「何か道具があれば……!」
防戦一方のオットーと部屋を見回しながら苦々しくつぶやくエルザ。
そこである物に気づく。
床に散乱した割れた酒瓶だ。
「メルエ、リュックに酒瓶があるわね?」
「……はい、あります」
それは輸入洋品店でボス・マーガレットの為に購入した、ウォッカの瓶だった。
「前に見た映画だとロリコン野郎は酒瓶で後ろから殴られると昏倒してたわ」
「ドーリスさんが見せてくれた、あの有名なヤツですね。空飛ぶ島の」
姉妹の会話がしばし途切れる。
「……これで、やれと?」
メルエが酒瓶を手にとって素振りをする。
「ねえ様は幽霊になって何だか発言が過激になった気がします」
言いながらもメルエは兄にだけ見えるように、吸血鬼が背中を見せた時に酒瓶をチラチラと見せる。
その妹の意図に兄も気づく。
何度か殴られ、蹴られる内にオットーも相手の攻撃が見えてきた。
いかに動きが早いとはいえ、吸血鬼の予備動作は大きい。
さらに相手は、こちらを完全に舐めてかかっている。
防御だけに徹するならなんとか対応できるようになってきた。
――メルエに危険な事をさせたくはないが、他に方法はない……!
身体能力や回復能力は高くとも、先程の銀の銃弾を撃ち込んだ時の事を考えると身体そのものの防御力は普通と変わらないハズ。
メルエの攻撃で一瞬でも吸血鬼に隙が出来れば……一撃、出来る事ならば心臓に刃が届けば勝ち目はある。
問題があるとすればメルエは鎖に繋がれており、玉座から動くことが出来ない。
そこまで吸血鬼に気づかれずに誘導しなければならないが。
吸血鬼の攻撃を受けて防戦一方のフリをして、何とか自然に場を移動させる。
――吸血鬼が、後一歩下がれば!
メルエが玉座の席に立ち、酒瓶を大きく振りかぶって構える。
幸い、敵に作戦は気づかれていないようだ。
ここまで苦労して芝居を打ってバレたなら、本当にもう何も打つ手がない。
オットーがやられながらも銀色のナイフを振ると吸血鬼は引いた。
――今だ、メルエ!
エルフの妹が酒瓶を力一杯振り下ろす。
だが、それは吸血鬼の頭には命中しなかった。
酒瓶を手のひらで受け止めた吸血鬼は、そのままメルエを玉座に押しつけるように打ちつけた。
「あぐっ!」
低いうめき声を立てて、メルエはそのまま座り込むようにして気を失ってしまう。
「メルエっ!」
兄と姉の声が妹に向けて重なる。
「兄と妹、力を合わせた兄妹愛溢れる良い作戦だったが……最後に妹を心配方してそっちの方を見てしまったな。
それでは後ろに何かあると、視線で教えている様なものだ。
……目立つ瞳がついていると何かと損ではあるな」
「こ……の……!!」
妹に手をあげられた事で頭に血が上ったオットー。
ナイフを構えて突進し心臓を狙う。
それは半ばヤケに近かった。
もう飽きたぞという顔で、遊びを終わらせる為に吸血鬼も構える。
だが、二人の距離が後三歩という所に迫った時、吸血鬼の顔が驚きに変わった。
「姉を忘れてもらっちゃ困るのよね!」
エルザがオットーと吸血鬼の間に割って入ったのだ。
幽霊に遮られ、吸血鬼の視野からオットーの姿が消えた。
次の瞬間、エルザの身体を貫くように透過してくるナイフを構えたオットーの姿。
思いもかけなかった、予想外の攻撃に吸血鬼の反応が遅れる。
死角からの刃は深々と胸に刺さり心臓を割った。
ように見えた。
「ほう……なかなかに味な真似をする……が、残念だったな」
――手応えがない、何だこれは!?
ナイフが刺さるハズだった胸部は実体の無い、紫色の霧に姿を変えていた。
その驚きを上書きするように今度は吸血鬼の身体全体が霧になり拡散する。
その霧が離れた所に集まって濃度を増し、再び吸血鬼の姿を形作った。
「姉弟の奮闘を称えて教えてやろう。
私の名は、ドラキュラ・ヴラド・ツェペシュ。
さあ、始祖のヴァンパイアの本当の力を思い知るといい」