第012話 【敵影(前編)】 降りかかる災難、愛をとりもどせ
その事件に、オットーが気づくのは無理と言えただろう。
一ヶ月前、この街に下見に来た時は治安も良く、スラム等もない。
一緒に下見に来ていた亜人、ワーウルフ族のロウに対しても物珍しそうな住人の眼はあったものの、差別や悪意があるようには感じなかった。
それでも彼はエルフの妹を初めて街に連れて来ているという事もあり、警戒を怠るような事は決してなかったのだ。
メルエ達が女性用雑貨店に入った後も店内を外から観察し、ずっと入り口で不審な人物が入って行かないか見張ってもいた。
そんなオットー自身の姿が、すでに不審者だったのだが。
まさか、女性ばかりの店内でそのような事件が起きているとは想像できなかったのだ。
それはエルザが店内の服をもっと物色しようと、更衣室のカーテンを透過して先に抜け出た後の事だった。
エルザがメルエから目を離したのは、ほんの数秒。
着替えが終わってリュックを背負ったメルエが更衣室から出ようとカーテンに手を伸ばした時。
背後の壁板が開き、見知らぬ女が個室に入って来た。
背後の気配に気づき、振り向いた少女の口に女が手早く布をあてがう。
「――ンンッ!? ン――ッンンンツッ!!」
布に何か薬を染み込せていたのだろうか。
多少抵抗するものの、数秒で意識が途切れて少女の身体から力が抜ける。
「……メルエー?」
妹が更衣室から出てこないので、エルザがカーテンを透過して中を覗く。
しかし誰もいない。
もう既に出たのかと、店内を見回すがそれらしき姿もない。
ふと、嫌な予感がして『スタッフオンリー』と書かれた扉を透過してバックヤードを除き見る。
すると、見知らぬ中年女性に抱きかかえられるようにして裏口から外へ運び出される妹の姿が姉の目に映った。
「!!!」
その瞬間、何が起こったかを理解したエルザは弾かれたように飛んで追跡を開始した。
裏口のドアを透過して店外に飛び出す。
外には待機していたのだろう、四頭立ての馬車が停めてある。
それに乗り込む中年女性と、ぐったりしたメルエの姿。
二人の到着を待っていたかのように馬車は急ぎ早に走り出した。
「待ちなさい! メルエを何処に――――」
さらに追いかけようとするエルザだが、そこで身体が縄で引っ張られるようにガクンと止まってしまう。
――活動限界!
そこがエルザの行動できる範囲、オットーから半径三十メートルの距離だった。
――なんとかオットー君に知らせないと!
店の表にいるオットーに合流しようときびすを返したエルザだったが、通りの角から出て来たよく知る亜人の姿が目に飛び込んできた。
街の入り口で別れた人物。
彼が妹のお使いを終えて、皆に合流しようと偶然この道を通り掛かったのだ。
「ギードさん! あの馬車! メルエがさらわれた!」
その言葉で一瞬驚いたギードだったが、次の瞬間にはやるべき事を理解していた。
手に持っていたバスケットボールや盆栽を投げ捨てて、肩から下げたギターケースを開く。
中枢となる引き金がついた金属製のパーツに木製のストックを取り付け、金属製の長い銃身を取り出して素早く正確に差込み連結させる。
上部へスコープを取り付けた後、弾倉をジャコッっと差し込む。
ボルトハンドルを往復させて銃弾を装填し、発射準備が整う。
百五十センチほどの長銃身のライフルが完成するまで、四秒。
「――――狙撃銃・シューティングスター・イクシードカオスⅦ」
「そんなのはいいから早く撃って!」
エルザにせかされたギードが組み立てたライフルを立ったままで構えた。
呼吸を止めながらスコープを覗いて、走り去る三百メートル先の馬車に狙いを定める。
風は無い。遠く離れて金貨程の大きさなった車輪を狙う。
立射。そのまま引き金を絞るように撃つ。
火薬の爆ぜる轟音と発火炎が起こり、銃弾が銃口から発射される。
それは街中の空気を裂いて馬車へ迫り、車輪の木製スポークを三本破壊した。
本来、組み立てたばかりの銃器は弾道と照準が微妙にズレている為にゼロインという照準調整をする必要があるのだが、それでもギードは的を外さない。
彼は鍛冶を得意とする亜人、ドワーフ族の天才。
現行人類の何世代も先を進んだ製鉄技術で作った銃器と弾丸がその正確な射撃を裏打ちしていた。
「後、一発」
ボルトハンドルを引いて空薬莢を排出し、戻して次弾を装填する。
再び構えて先ほどの射弾観測から弾道を修正し、馬車の車輪に狙いをつけた。
今度は馬車との距離は五百メートル。
同じ様に木製スポークを破壊すれば車輪を破壊できる。
そうすれば車軸で繋がった後輪は自壊して馬車は止まるだろう。
『五百メートル先の走行している馬車の車輪の狙撃』
普通の人間になら不可能だと思えるが、ギードにとっては外す条件ではない。
集中し、引き金を引こうとした瞬間。
突然、射線を遮る黒い影。
ギードの射撃を邪魔するように男が飛び出してきたのだ。
「ギードさん、後ろも!」
エルザの叫びと同時に、背後からの殺気。
ギードはとっさに身をかわしながら、棍棒で殴りかかってきた暴漢の顔面をライフルの銃尻で打ち据える。
強烈な一撃を受けて、後ろにもんどり打って倒れる男。
それを見て、前方の馬車との間に立ちふさがった男も襲いかかってくる。
が、ギードは道に落ちていたバスケットボールを蹴り飛ばす。
それは男の顔面に命中し、折れた歯が空中に散乱する。
そのまま建物の壁に頭を打ち付け、うなり声を短く上げた後に気を失ってしまった。
邪魔者を排除したギードは、再びライフルを構えて馬車を狙う。
「……チッ――――射程外か」
そのまま走り去っていく馬車を見ながら彼は苦々しくつぶやく。
メルエを誘拐した馬車は、もう建物の影に隠れて見えなくなっていた。
同時に路地から大勢の人間がワラワラと出て来る。
大通りの前後を塞ぐようにしてギードとエルザは囲まれてしまった。
その数は徐々に増え、もう退路は何処にもない。
店の壁を背にして群衆と向き合う二人。
目的は解らないが、ギードの邪魔をして馬車を逃がした事から考えて、この集団は敵である事に間違いはないだろう。
――昨日のロウの天気占いは結果を聞いてなかったが。
――これは血の雨が降りそうだな。
ギードはチラリと辺りを見回して、ライフルを左手で構えて銃口を人垣に向ける。
「エルザ、一応確認しておくが……コイツらはロウ達が迷惑かけたら怒ってる、という訳ではないよな?」
彼は隣にいる幽霊にそう聞きながら、腰の剣を右手でゆっくりと抜いた。