第009話 【夜会(後編)】 アナタは幽霊を信じますか?
オットーとエルザが一つの部屋に入ってしばらくした後。
オットーの部屋の扉に目を疑うような異様な事が起こった。
閉まったままの扉を透過するように突き抜けて、エルザの上半身がスウッと現れたのだ。
よいしょっと、そのまま扉から全身が抜け出てくる。
そのまま彼女はフワフワと空中を飛ぶように食堂を移動し、皆が食事をしているテーブルの上にプカプカと浮遊しはじめた。
よく見ると人魂のようなものも二つ彼女の周りを漂っている。
エルザ・クラージュ。
彼女は、エルフであり、オットーとメルエの姉でもあり。
そして――――幽霊なのだ。
「しかし……エルザの『それ』は何度見ても慣れねえなあ」
扉抜けの様子を見たロウが、厚く切ったカニのステーキを食べながら感想を言う。
エルザが幽霊なのは、ここにいる皆が知っている周知の事実。
幽霊とは思えないカラッとした性格なので普段幽霊という事を忘れそうになるが、浮いている所や扉抜けをしている姿は紛れもなく幽霊そのものだった。
「私はもう、とっくに慣れちゃったわよ。
それに、普通にドア開けてから出入りする幽霊なんて見た事ないしね」
エルザの言う通りではあったが、何か釈然としない一同。
「それを言うなら……そもそも私も、幽霊自体を見たのはエルザが初めてだ。
他に比較対象がないから普通の幽霊がどういうものかすら解らないぞ」
「へえ、ボスが見たことないって言うなら、もう他の幽霊はこの国にはいないんじゃないか?」
「……そうだな、なにぶん私は年増で見聞も広いからな」
年齢の事を遠回しに言われた事に気づいて、マーガレットがロウを睨む。
それを誤魔化そうと、エルザの話題を続けるロウ。
「東の方の言葉で言うなら、守護霊とか背後霊って感じかいな。
けど……取り憑いてるオットーからこんだけ離れられるから、その類の霊ともちょっと違う気もするんだよなあ」
「オットー君から三十メートルは離れられるしね」
自室にいる、壁の向こうのオットーの位置を確認するように眉間に指を当てて『ムムム……』と気配を読むポーズをするが、それで本当に位置や距離が解かるのかは定かではない。
「……距離が伸びてないか? この前は二十五メートル位と言っていたようだが……?」
「よくぞ聞いてくれましたボス! これぞ特訓の成果なのです。
それと見て見て、モノに触れられる時間もチョット長くなったんだから」
エルザは如何にも集中してますと言わんばかりにテーブルの中央に飾ってあった花瓶から花を抜いて見せた。
「……だけど、今はこれが精一杯」
開いていない、握ったままのエルザの手から透過するように落ちる花。
それをピッっと指二本で空中でキャッチして花瓶に戻すロウ。
「たった二秒程度じゃ何の役にも立たねーぜ。
包丁も持てないし、皿も運べない。
何時になったらエルザは厨房の手伝いをしてくれるようになるんだろうな」
「なによ! 幽霊が物に触れられるだけでも凄い事なんだから!」
「触れられると言ってもなあ……。
そうだ、エルザ! このスプーンにちょっと意識を集中させてくれないか?」
ロウが何かを思いついて、スプーンをエルザの目の前に突きつけた。
突然の申し出に不審な感じがしたが、言う通りにロウの左手で持っているスプーンに意識を向ける。
エルザが念力で曲げそうな勢いでスプーンに集中しはじめた。
そこを見計らってロウは。
彼女の胸を右手で揉んだ。
が、その右手は豊満な胸を透過してしまい触れられず、虚しく何度も空を切る。
「……何やってるの?」
「やっぱ集中してる時でも、こっちからは触れないか」
残念そうなロウ。
その意図に気づいたエルザが胸を隠してビンタを見舞う。
が、エルザの手もロウの頬を透過してすり抜けた。
「こっちから触れないって事は、そっちからも触れないって事だぜ。
ま……死んだヤツは、生きてる者には干渉できないって事だな」
エルザのビンタをかわそうともせずに受けて、得意げな顔で言うロウ。
その得意げな顔にエルザの投げつけた花瓶がめり込んだ。
「こうすれば幽霊にセクハラしようとするワーウルフぐらい倒せるわよ」
「前が見えねぇ……。
実際に揉んでないのにこの仕打ちは酷くないか!?」
「ゴホン」
ロウがエルザをからかっていたので、ギードが間に入るように咳払いをする。
どうやら彼はこの手の浮ついた話は苦手のようだ。
「幽霊が物に触れるという話に戻るが……。
何の原因もエネルギーも発生していないのに、物が動くなど物理的に絶対あり得ない事だからな。
無機物だけ、一瞬とはいえ物体を移動させられるのはかなり凄い事だと思うぞ。
ワシもエルザを見るまでは、オカルトパワーの類は全く信じていなかった」
ギードの言葉に酒を飲んでいたマーガレットも口を開く。
「エルザの存在自体が、霊魂や死後が存在する決定的な証明であるしな。
錬金術師や物理学者からすれば、もの凄く貴重なサンプルである事は間違いない。
エルザ、他に何か幽霊らしい事は何か出来るようにはなってないのか?」
「さっすが~! やっぱりギードさんとマーガレットさんは私の価値がよく分かっていますね!」
誉められて得意げなエルザ。空中で一回転。
「幽霊らしいと言えば……こういう事とか?」
エルザが横に浮かんでいる人魂でお手玉を始める。
「……いや、そういう事ではなくてだな。
もっと幽霊らしい……例えば他人に乗り移るとか……」
マーガレットとエルザの会話を聞いているうちに嫌な予感がしたロウ。
さり気なく椅子を引いて、皆と距離を取った。
「うーん、乗り移る……憑依かあ。誰かの中に入るってコトよねぇ。
やれない事はないと思うけど、恐らく条件がいくつかあって……多分、幽霊を信じていて、好意を持ってくれてる人。
つまり、私を受け入れてくれる心構えが出来てる人になら、ひょっとしたら上手く入れるかもしれないわ。
ついでに言うとオットー君の状況にもよると思うケド」
「話を聞く限りもの凄くあやふやなんだが……本当に出来るのか?」
ギードが呆れた顔でエルザを疑ってかかる。
「だって試した事がないもーん。
なんなら、先ほどオカルトパワーを信じると言ってくれたギードさん。
ちょ~っと、憑依の実験をさせてくれませんかね!」
「えっ!?」
ギードの顔が露骨に嫌な表情になる。
「ふむ、興味深いな。
よし、ギード……少し実験につきあってやれ」
ギードは内心『しまった』と思ったが、時既に遅し。
ボスであるマーガレットが関心を持ってしまったので、渋々憑依の実験台をすることになってしまう。
「ちゃんと取り憑かれている時の自身の記憶や体の状態、後の後遺症等の報告も怠るなよ」
後遺症等とサラッと恐ろしいことを言われて、ギードは初めて事の重大性に気づき顔を青ざめさせる。
それとは対照的にニヤニヤしているロウ。
エルザとマーガレットの会話の中で『乗り移り』という単語が出た時、自分かギードが実験台になる事を予想して気配を殺して空気になっていたのだ。
そんなロウの意図にギードが気づいた時にはもう後の祭り。
今更何を言っても状況は変わらないのを良く理解していたので、ギードは大人しく諦めることにした。
「……で、どうやればいいんだ? ポーズは? 詠唱がいるのか?」
「いえ、ギードさん、そんなのはいりません。
そういう事をされるとよけい入りづらいです。
……では入りますよー」
ギードの身体にスウーッっとエルザが入っていく。
――――その瞬間。
「ポーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーゥ!!!!」
突然ギードがイスをはねのけて、靴のかかとを鳴らしながらもの凄くキレのあるダンスを踊り始めた。
バババと顔を左右に振ってカカカカっとステップを刻みながら足を上げる。
置いてあったロウの帽子をかぶってスッスッスッと前に歩きながら後ろに下がる。
「おお凄い! ムーンウォーク! 私、生で初めてみたわ」
「ねえ、これ別の人が入ってない!? スーパースター的な人が!!」
マーガレットがサインをもらおうと色紙とサインペンを持ってくる。
先程までの威厳は何だったのだろう、と思うほどテンション高めで少女のように目を輝かせていた。
「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーオッッ!!!」
ひとしきりダンスをして帽子を客席に投げて声援を浴びると、ギードは前のめりに角度をつけてフィニッシュし――――そのままバターンと倒れた。
しばらくして、ギードの中から抜け出る様に分離するエルザ。
ギードは青い顔でそのまま床から起きあがる事ができずにピクピクしている。
「うう……頭がいたい……目の奥が熱くて身体が動かない……。
吐き気もするしとノドも焼けるようだ。
あと背中がビキッって痛いし……物凄くロウに殺意が芽生える」
ギードが痙攣しながら実験体としての報告をマーガレットにしている横でロウが楽しそうに安全圏から酒を飲んで笑っていた。
「ハハハ、いやあ俺としては、首を百八十度回したりブリッジして階段上り下りするかと思ったけど意外な実験結果になったな」
暫くしてギードが自力で椅子に座れるまでに回復してから、先程の事について話合うことになったのだが。
「うーん、やっぱダメだったかー」
エルザが悪びれもせずに背伸びをしながらポツリとこぼす。
「今、やっぱって言ったのか?」
すかさずギードが殺意のこもった顔で聞き返す。
「相性のいい相手や、眠っている人にならもっと上手く入れる気がするのよねー。
じゃあ次、ロウさんお願いします」
「こんな大惨事の後に、まだやる気なのか!?」
ロウが思いも掛けない展開に逃げようと後ずさるが――――
「……どこに行く気だ……?」
背後からギードが愛銃を二丁、ロウの後頭部と心臓に向けて押し当てながら『ニヤ……』と怖い顔で笑っていた。