17 三週目 夜会 シャルル
「国王の妹君がご懐妊されたらしい。今週末に夜会を開いてその時に王都に住む貴族に報告されるようだ」
シャルルがアリエス学園に入学してから三週目の始めのことだった。
家族で晩御飯を食べるとき、グランは最近に王宮や市街で起きた大きな出来事をシャルルとイリアに話す。
「では、準備をしなければいけませんね」
イリアは夜会に着ていくドレスやグランの燕尾服を頭の中で選んでいく。食後に早速侍女たちに手配させる予定である。
「シャルルも次の夜会には出席しなさい」
「はい、お父様」
先日アルジェントが言っていた夜会とはこの事だったのだろうとシャルルは納得していた。
「祝いの席だからダンスもあるだろう。問題ないね?シャルル」
「はい、問題ありませんわ。テンポが速い曲はいまだに苦手ですが、それ以外は十分に踊れます」
「結構」
食事を終え、シャルルはイリアに連れられて衣装合わせなど夜会の準備をしていった。
そして夜会当日、シャルルはアルジェントのエスコートで会場である王宮の大広間に到着した。
王都に住む貴族たちが招待されているため、会場には多くの貴族たちであふれていた。それでも大広間には窮屈な印象はなく、十分に広く感じられる。
「人が多いですわね」
「王都に住む貴族たちが招待されているからね。さすがに地方の領地を治めている貴族たちはいないようだよ」
アルジェントは部屋を見回し、どれも見覚えのある顔であると確認する。王都に住む貴族たちは、地方の領地を治める貴族たちと会うことはほとんどないため、見覚えのない顔があればそれは地方の貴族なのである。
すると、国王の妹君の夫である大公が壇上に上り、挨拶を始める。
『我妻が第一子を宿したことをここに報告する。すでに安定期に入っており、およそ半年後に産まれてくる。実に楽しみである!』
その言葉に顔がほころぶ貴族たち。実に幸せそうな大公の様子を見てシャルルも自然と笑顔になる。
『今宵の夜会は我妻の懐妊祝いだ、ダンスに食事に色々楽しんでいってほしい。…乾杯!』
大公の乾杯の音頭に合わせて貴族たちも手に持っていたグラスを高く上げた。
楽師たちが演奏する曲が舞踏用の曲に変わる。ダンスの始まりである。
--------------------------
「シャルル、一曲踊ってくれないか?」
「喜んでお受けいたしますわ」
アルジェント様が一礼して私に手を差し伸べました。私もアルジェント様の手を取ってダンスの輪に入っていきます。
スローテンポなワルツは、私が最も得意とする曲です。アルジェント様は過去に何度も私と踊っていて、完璧なリードでした。
曲が終わり、私たちはダンスの輪から離れ、談笑していました。そこに、一人の初老の婦人がアルジェント様に声をかけられました
「ごきげんよう、アルジェントさん」
「ごきげんよう、公爵夫人。今宵もお美しいですね」
「フフ、ありがとう」
初老の婦人もとい公爵夫人はアルジェント様の父親、ヴェルナー伯爵の遠い親戚です。公爵夫人は眉目秀麗なアルジェント様が大変お気に入りです。若い貴族なら誰でもお気に入りにしているという話もあるようですが。
「ごきげんよう、公爵夫人」
「あら、婚約者のシャルルさんでしたわね。ごきげんよう」
お気に入りのアルジェント様を私に取られたせいか、公爵夫人は私にやや冷たいです。
「アルジェントさん、ぜひ一曲踊ってくださいませんこと?」
「はい、公爵夫人のお誘いでしたら喜んで。…シャルル、いってくる」
「はい」
公爵夫人はアルジェント様の手を取ってダンスの輪の中に入っていきました。
一人になってしまった私は、並んでいる晩餐を少し取り皿に乗せ、壁際に移動して舌鼓を打ちました。
(実に美味ですわ。王宮料理人の腕は天下一品ですわね)
そんなことを考えていますと、一人の男性に声をかけられました。
「シャルル嬢ではないか」
「ロッソ様!?ロッソ様もいらしてたのですね」
私に声をかけたのはロッソ様でした。ロッソ様が持っているお皿には肉料理ばかり乗っています。
「ああ。俺の家も王都にあるからな。…いやあ、実に美味い」
ロッソ様は次々と肉を口に運びます。
「えぇ、我が家のシェフが作る料理も美味しいですが、やはり王宮料理人が作る料理は群を抜いていますわ」
「俺の家のシェフも肉料理が天下一品なんだが、王宮料理人の腕前はさらにその上だ。んん、美味い!」
私たちはしばらく料理について歓談していました。
「ところで、連れはどうしたんだ?」
「公爵夫人と踊っていますわ」
「…あー、あの公爵夫人か。俺もさっき踊ったよ。若い貴族なら婚約者がいようが誰でも構わないようだな」
公爵夫人はロッソ様のこともお気に入りのようです。
「せっかくの舞踏会だ。シャルル嬢、私と一曲踊ってくれないか?」
「えぇ、喜んで」
私はロッソ様の手をって再びダンスの輪に入っていきました。
この時の曲はハイテンポな曲で、私が苦手とするものでした。ですが、ロッソ様は完璧に踊り、リードも素晴らしく私はみっともない姿をさらすことなく無事に踊りきることができました。
「とてもお上手ですわね」
「剣術も舞踏と同じくリズムが大切だからな。剣術の次に稽古を積んでいるかもな」
ワハハと笑うロッソ様。剣術での軽やかな動きは舞踏も関係していたのですね。
「それでは、いったん失礼する。また学園で会おう」
「はい」
そう言ってロッソ様は食事をとりに行ってしまいました。また肉料理ばかり取るのでしょう。
再び一人になってしまった私は、アルジェント様の姿を探しました。ですが、まだ公爵夫人に捕まっているようです。
再び大広間の中を見渡すと、学園の教師たちの姿も確認することができました。
(…リューク先生はいらっしゃらないようですね)
学園の教師たちも王宮に仕官している扱いになるので、爵位を持っています。尤も、ほとんどの教師たちは貴族の出なのですが。
(リューク先生は夜会より研究を取るのでしょうね)
よっぽどのことがない限りリューク先生は研究に没頭していることでしょう。
夜会も終盤になり、流れるダンスの曲も静かなものへと変わっていきます。完全にアルジェント様の姿を見失ってしまいました。
「こんばんは、シャルルさん」
「ごきげんよう、ピエールさん」
音楽に耳を傾けていますと、ピエールさんがやってきました。普段、皺ひとつなく制服を着ているピエールさんは、夜会でも同じように皺ひとつなく燕尾服を着こなしています。
「ピエールさんはもうダンスは踊ったのかしら?」
「…いえ、生憎ダンスは苦手でして、公爵夫人に見つからないように姿を隠してました」
「あらあら」
困ったように笑うピエールさん。ダンスが大好きな公爵夫人は、休む間もなくお気に入りの貴族を誘っては踊っています。ピエールさんは上手いこと隠れていたようです。
「…あの、もしよかったら僕と一曲踊ってくれませんか?」
「え、えぇ。ですが、ダンスは苦手と…」
「今流れている曲なら、踊れますよ。それにシャルルさんと踊りたいんです」
ダメですか?と聞かれてしまっては、答えないわけにはいきません。
「喜んでお受けいたしますわ」
ピエールさんの手を取って今宵最後のダンスを踊ります。
ピエールさんが踊れるといったこの曲は、アルジェント様と踊った時よりもスローテンポな曲です。実は、私が初めてダンスを習った曲でもあります。
曲が終わり、夜会も終わりになります。
「また学園で会いましょう、シャルルさん」
「はい。ごきげんよう、ピエールさん」
私はピエールさんに別れの挨拶をし、アルジェント様の姿を探しました。
--------------------------
シャルルはアルジェントを探して大広間を見渡すが、そこに姿はなかった。客間にもおらず、残すは庭園だけとなった。
「…いましたわ」
庭園を歩いていたシャルルは、アルジェントの姿を見つける。
アルジェントは、庭園の噴水を眺めていた。庭園の噴水は、王都の広場にある噴水と同じ形である。
「アルジェント様!」
「シャルル、すまないな。はぐれてしまって」
シャルルが声をかけると、アルジェントは微笑みながら謝罪した。
「大丈夫でしたわ。…アルジェント様、いつからここに?」
シャルルはアルジェントの手に触れる。さっきまで室内にいたシャルルの手は温かい。しかし、アルジェントの手はとても冷たかった。
「さあ、いつからだろうね」
そう答えるアルジェントの表情はよくわからないものだった。
「風邪ひきますわよ?」
「そうだね。そろそろ帰ろうか」
アルジェントはそっと腕を出す。シャルルはその腕を取り、二人は帰宅した。