多次元宇宙の男 地球に残された人々のその後
正が死んだ後の残された人々の人生について書いてみたい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
SIDE:順子 (山科正の妻)
その日順子はショックで倒れるかと思った。警察から連絡が来て夫の正が殺されたというのだ。池袋警察署にいって遺体を確認した。間違いなく夫だった。どうして、どうして刺されたのか?逃げなかったのだろうか。夫がなぜ殺されたのか理由が知りたかった。見ていた人の証言によると皆が左右に分かれているのに夫はぼーと突っ立ったままで犯人の真正面に立ちふさがりそれで刺されたとのことだった。反撃もしないでただ刺されたのだ。日頃の夫からしたらあり得ないことだった。だって学生時代から空手を習い、喧嘩もしていた人なのだいくら武器をもっているからといって蹴りのひとつもだせなかったとは思えないのだ。
それを知っているだけに状況を聞くとなぜ、という思いが先に立つ。死んでしまった者を今更生き返らせることはできない。だが納得したかった。どうして夫は刺されたのか知りたかった。
遺体を自宅に運ぶことは葬儀社が全て行ってくれた。今回の事件でマスコミにはなぜか夫のことは伏せられていていつものならマンションの前に報道陣が鈴なりになっているはずなのに誰もいなかった。正直助かったと順子は思った。あんなカメラがあったらおちおち買い物にもいけやしない。
そして葬儀の日。夫の実家の年老いた母親が茨城からでてきた。なぜ親より先に死んだのかと棺に取りすがって泣いた。出棺の時に最後のお別れですと司会者がいって棺のふたを閉めた時、涙がこぼれ落ちて自分も棺にすがりついてしまった。なぜかはわからない。ただ悲しかった。後は下を向いていれば係の人が全て進めてくれた。火葬も無事終わった。お墓は実家の墓に入れてくれと言う実母の強い要請で茨城のお墓に後日納骨した。
死んでからも保険の手続きやらマンションの相続の手続き、さらには団信の手続きで銀行さんとかけあったりして会社を一週間休んでも終わらないぐらい忙しかった。
あっという間に一週間が過ぎた。夫の死を知らない不倫相手の彼から何度か連絡があったがそれどころではないので断ってしまった。以前だったら考えられないことだった。何を置いても彼が優先だったのに。どうしたことなのだろうと思う。
初七日の法要も終わり茨城のお墓に納骨にいった。これでやっと一息ついたと感じた。
次の日。会社に我が儘をいって有給全部使ってもいいから休ませてくれと部長に掛け合ってあと一週間休ませてもらうことになった。お葬式があんなに気持ちを張っていないといけないものだとは正直思わなかった。今は気が抜けている状態だ。食事も作る気力が無く子供が買ってくるお弁当かスーパーの出来合いのお総菜で済ませている。
そろそろ夫の部屋を片付けなくてはいけないと思いこの休みの内に作業をしてしまおうと重い腰を上げてリビングの隣の和室に入った。
つい昨日まで白木の祭壇に夫の遺影と遺骨がおいてあった部屋だ。今は葬儀社が片付けていったので何もない。遺影は置く場所がないので押し入れにいれてしまった。今更あのひとの顔を見てもどうしようもない。ほとほと愛想が尽きていたのだ。死んだからといって愛情が戻るわけではない。
パソコンはさっぱりわからないので娘が帰ってきたら片付けて貰うことにした。自分ができそうなのは書類だなと思い鞄などを見ては中身を確認していく。
押し入れの下の段に入っていた結構大きい紙袋を引っ張りだす。分厚いバインダーが7冊も入っていた。何かと思って一番上のバインダーをめくってみた。
めくった時、呼吸をするのを忘れてしまった。それは去年の年末から今年の年始にかけて自分と彼が旅行にいった京都の写真だった。東京駅で腕を組んで歩いている写真。新幹線の中で仲むつまじく彼と話している写真。京都についてあちこち歩き回っている写真。そしてホテルに入っていく写真。次の日の朝食事風景の写真。一緒にお土産を見て彼に寄り添っている私の写真。全部がそこには収められていた。
ページをめくる手が震えて上手くめくれなかった。
次のバインダーをおそるおそる見る。やはり、それは一昨年の11月に彼といった旅行の写真だった。こっちにも全部の行動が写されていた。写されていないのは部屋の中のできごとだけだった。
次のバインダーを見ると一昨年だった。その次は4年前、次が5年前で終わっていた。結局夫は全部最初から知っていたのだ。私が彼と不倫して同級会だとか友達との旅行といって出かけたことが嘘だったことを知っていたことになる。
なのになぜ5年も黙っていたのか。信じられなかった。
次に少し薄い、それでも結構なボリュームのあるバインダーをめくる。一瞬で貧血になってしまったようであたまがくらくらした。
そこには愛の部屋といって彼のために借りた板橋区の志村坂上のマンションのベランダが移っていた。おそるおそる次のページをめくってみる。ひぃぃといってバインダーを放り投げてしまった。
そこには裸で窓ガラスに押しつけられ後ろから裸の彼が私を突き上げている写真だったのだ。
気を取り直して最後のバインダーを見る。そこにはさらにショッキングな写真だった。いつも彼が撮影している行為の時のビデオを静止画像にしたものだった。ビデオからコピーしたのだろうか。彼がもっているはずのDVDのものだとわかった。それがなぜここにあるのか。まったく理解できなかった。
それにしてもこれだけの証拠がありながら慰謝料や離婚の請求をしてこなかったのだろうか。思い返すと変な兆候はあった。旅行から帰ってきて松の内が終わった頃だったろうか、いきなりソファーに座らせられておまえを愛してるって叫んでいた。あれはどうしようとしていたのだろうか。まったく意味がわからない。あの時もし愛していると答えたらこれらを捨てるつもりだったのだろうか。それとも彼にだけ慰謝料を請求して再構築するつもりだったのだろうか。夫の行動がますます理解できない。
他にはないかと押し入れを探してみるがとくに怪しいものは無かった。あとで娘にパソコンの中身をみてもらおう。何か隠しているかもしれない。
とりあえずこの資料は寝室にもっていってベッドの下の隠し引き出しにしまっておくことにした。
ふと警察から返された当日の持ち物の鞄を開けてみてみた。たいしたものは入っていなかったがキーホルイダーについている鍵が引っかかった。よくみるとこの家の鍵の他にもう一本ある。どうも見たことがあると思って寝室から自分のキーホルダーを持ってきて志村坂上のマンションのキーと比べてみると同じだった。どういうことだろう。夫はあの部屋の鍵を持っているわけがない、なのにここにあるってことは私の鍵を複製したに違いない。
それであのDVDの件がわかった。誰もいない部屋に忍び込んで家捜しして見つけたのだ。あのDVDを。それで証拠にしようとしてバインダーにしておいたに違いない。
使っていた興信所にいって余計な資料が残っていないか確認しておかなくてはいけないと思った。
子供が帰ってきたのでパソコンのことをきくとパパのパソコンはパスワードが掛かっていて中身が見られないといってきた。しかたない。諦めるか。
バインダーのことは彼には黙っていた。そして以前と同じように週末は志村坂上のマンションで彼との結婚生活を楽しむ生活にいつのまにか戻っていった。
夫が亡くなったことで回りの人は随分気を遣ってくれるようになった。なぜかおかしかった。
2月になって娘の誕生日になった。お祝いだって二人でホールケーキを食べた。娘は複雑な心境だったのだろう。笑顔がなかった。
そして3月。卒業式に娘にレンタルだったが着物を着せて袴を履かせてあげられた。お金はなんとでもなる。保険金もおりるのだ。そして娘は就職するために静岡に家を借りてでていった。
ついに一人きりになった。煩わしい夫もいない。手の掛かる娘もいない。52歳になって手に入れた本当の一人きりの自由な生活だった。これで彼をこのマンションにも堂々と呼べる。嬉しい。夫が死んでくれたことがこれほど嬉しいとは思ってもみなかった。
毎晩、自由だーと叫んでシャンパンを飲んでいる気分だった。
そんな日がしばらく続いた。6月になって彼がこちらの家にこなくなった。捨てられてしまったのかと思ったが、我慢した。15年以上も待ったのだ。OL時代に上司である彼と不倫していたが別れて夫と結婚したが、5年前からまた以前のように不倫をしていた。今はW不倫だったのだけどね。夫が死んだのだから今はフリー。何をしても許されるの。
そうして6月が終わって彼がまた私の家にきてくれるようになった。志村坂上のマンションは解約した。家電やゴミの処分量で結構お金がかかったけど無駄な部屋代を払う必要もなくなっただから解約して当然だと思う。その分、彼と美味しいものを食べにあちこち旅行にいけるのだと単純に喜んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
SIDE:敦子(山科正の妻の不倫相手の妻)
私は本城敦子。51歳。専業主婦。結婚して27年。夫に尽くしてきたつもりだった。だがそれは4月に私宛てに届いたある一通の手紙によって崩されてしまった。
差出人は山科結衣さん。名前からではどこの誰かもわからない。最初にその厚い手紙を受け取った時に中身はまたくだらない夫への誹謗中傷だろうと思った。以前も同じような封筒できたのだ。夫の子を身ごもったから金をよこせとか、よくあるパターンだった。
けれども中身を呼んでこれは本物だと思った。22歳の彼女がこんな嘘をでっちあげるわけがない。しかも彼女の死んだ父親が集めた資料だというのだ。もし会ってくれるなら全部渡してもよいといってきた。
私は悩んだ。この生活も悪くはない。女遊びしている夫はほとんど家に帰ってこない。子供が小さい頃に母子家庭だからね、お母さんと言われた時には涙がでた。
そうだこの子も泣いているのだ。母親の不実によって泣いているのだ。子供の心は傷ついている。それを私が癒やしてあげられるだろうか。たぶん彼女がしてほしいことをやればいくばくかは彼女の気が晴れるのだと思った。
それで四月の連休前の日曜日に品川で会うことにした。
最近訪れていなかったので相当昔と様変わりしている品川駅に迷ったが、改札口をでて直ぐにある時計台の下で待ち合わせをした。
どんなお嬢さんがくるのか少しわくわくしながら待っていた。
時間通りに来たのは167cmぐいらだろうか。165cmある私より少し高い。娘とほぼ同じようだった。体型も標準的で健康そうな今にもはち切れんばかりの肌をしていた。
一通りの挨拶をして連絡通路の先にある喫茶店に入った。
そこで彼女が重い鞄から取り出したのは分厚いバインダーで去年の暮れから今年の年始にかけて夫と不倫相手の彼女の母親がふたりで旅行に行っている写真だった。東京駅の中で手をつないで歩いているところや一緒に京都を観光しているところ。ホテルに入っていくところや食事をしているシーンが写されていた。
これと同じ不倫旅行のバインダーは全部で5冊あるのだという。最低でも5年前から不倫していたことになる。
最後に別のバインダーにはもっとえげつないものが移っていた。DVDからコピーした静止画像がたくさんあった。しかも全部セックスの写真だった。わざとしたのかもしれないが局部がアップになっていて見るのも嫌な写真が網羅されてあった。
これだけ証拠があれば母を不倫から辞めさせられますか?と尋ねられたが専門家ではないのでわからないけどこちらでも調べてみます。と答えておいた。
こんなかわいらしいお嬢さんの心を痛めてしかも旦那さんも相当悩んでいたらしい。娘さんからみてもいつ発狂するんじゃないかと思えるぐらいおかしな言動が多かったそうだ。そのお父さんは1月に池袋で通り魔に刺されて亡くなられたとのことだった。さぞ無念であったろう。これだけの証拠を抱えて一人で悩んでいたに違いない。
この証拠はいったん預からせてもらって弁護士さんと相談してみるといってその日は終わりになった。お互い連絡先は交換しておいたので何かあれば連絡がとれるようになっている。
私は喫茶店をでてどうするか考えた。今度の6月に娘が区会議員の次男と結婚式をするのだ。今騒いでも先方に迷惑がかかる。やるなら結婚式後の7月だと決めた。
決めたらあとは進むだけ。品川から山手線で東京駅にいって丸の内線に乗り換えて本郷三丁目で降りて本郷の実家にいった。
幸いなことに父も母も在宅だったので今日もらった資料を見せて夫の不倫のことと娘の結婚式が終わったら離婚したいことを伝えた。
そんな男だとわかっていたら結婚させなかったと父は憤っていたし、母はその大きな目に涙をたくさんためて私を抱きしめてくれた。成人してから母の胸で泣いたのは結婚式のとき以来かもしれない。
父の行動は早かった。顧問弁護士に連絡してくれたが企業専門だったので離婚に強い弁護士を紹介してもらって話をした。遠縁だから安心して任せなさいと父に言われた。
こちらの条件を話す。そして離婚は7月にしたいことを説明しておいた。その間にこちらも証拠をそろえたほうがいいということで興信所をつけておくことにした。弁護士さんが特別に紹介してくれるところだった。料金はいくらかかってもいいのでお願いしておいた。
5月のGWがやってきた。いつもは父の持っている旧軽井沢の別荘に行くのだが今年はこんな気分なので家でどこにもいかないで過ごした。娘は将来の旦那様とモルディブに行った。マリッジブルーにならないでね。お嬢さん!
そうそう山科結衣さんには電話で弁護士をやとって興信所もつけたことを連絡しておいた。母がご迷惑をおかけしますと涙声でいってきたのをきいて此の子のためにも私がしっかりしなくてはと改めて思った。同じ娘を持つ母親として子供にここまで心配させる母親は許せなかった。
6月になり娘の結婚式になった。事前準備も色々大変だったけどなんとか終わった。最後の母への手紙に泣かされてしまった。お化粧が崩れると思ったけど号泣してしまった。
そして結婚式が終わったとたん夫は一時は落ち着いていた不倫が再燃したようでまたどこかの愛人宅に入り浸るようになっていった。興信所の思うつぼだと思った。馬鹿な人だ。
そしていよいよ7月になった。内容証明を相手の職場と自宅、主人の職場に送った。中身は主人に対して慰謝料と夫婦としての共通財産の半分を請求した。ようは共通財産の分配分を全て慰謝料として請求したのだ。30年近い夫婦生活しているのだ。案分もそれなりにもらわないとね。車2台も売ったし土地も屋敷も名義は私に変更した。彼に残ったのはお給料だけになった。だって彼が銀行に隠していた隠し財産も全部根こそぎもらったのだから。そうそう将来もらえる企業年金も分割でもらうことにしたの。徹底的にこらしめてあげるわ。この27年間の不義理を許さない。
総額一億円以上が私の財産になりました。夫は何もなくなりました。
さらに弁護士さんから例のDVDの件を持ち出されて夫は青くなってしまった。もし今後このビデオがインターネットなどで見かけられたりもしくはDVDなど記録媒体などにも残っていたら追徴金で1000万円支払うことを公正証書にもりこんだのだ。
何をやっても無駄だと悟ったのだろう。主人が降参してすべて受け入れるといってきたのが7月の末だった。父のコネで会社の重役連中に圧力をかけてもらったのがきいたようである。これで将来の経営陣への出世はなくなったわけだ。ざまーみろでございます。
相手の女性、山科順子さんにも相当の慰謝料を請求しました。500万円の慰謝料。と今回の興信所の調査費用と弁護士費用を上乗せしたさらに300万円。合計800万円。彼女の夫の死亡保険は少なく見積もっても何千万だから問題ないのよね。いただいたお金は全てあの結衣ちゃんに渡すつもりだから。取れるだけとってやる。
夫は早速板橋の家をでて山科さんの豊島区千川のマンションに行ったみたい。それならそれでいいわ。いくらでもやりようがあるもの。見ていなさい。徹底的とはこうやるんだと思い知らせてあげるからね。
主人との離婚が無事済んで結衣ちゃんに終わったことを連絡したけれどどうもすっきりしない受け答えだった。奥歯に物が挟まっている感じかな。電話だったけど試しに娘に接するいつもの母親の口調で問い詰めたら白状したの。DVDってほかにもあってお父さんのノートパソコンに入っていたんだって。みたら気持ち悪くなって吐いてしまったんだとか。辛かったでしょう。それを発見したお父さんももっと辛かったでしょう。亡くなられてしまったけどさぞ無念だったでしょうね。私が代わって成敗してきます。成仏してくださいませ。
結衣ちゃんがなんとか自分でインターネットでノートパソコンのデータをDVDに記録する方法を調べてDVDを作成してくれた。それを届けてくれるというので東京駅で待ち合わせをして受け取った。
私は自分では見ないで弁護士さんにお願いしてどうするのが一番よいか考えてもらった。DVDの中身は古いものらしいけど元主人を課長と呼んでいたりするのでどうも会社関係の部下ではないかと弁護士さんがいってきた。ファイル名に名前と西暦が書いてあったそうなので結衣ちゃんがDVDの表面にそれを写して置いてくれたことが役に立った。
これを会社の総務部か担当役員に見せることができれば元主人は完膚なきまでにたたけるかもしれないと弁護士の意見だった。
ここはもう父に頼るしかないと思い意を決して父に頼み込んでみた。
暫く考えていたが、わかったといって弁護士同伴で行くといって計画をたてていたようだった。私はもう蚊帳の外で何もしていない。結衣ちゃんにどうやってお金を渡そうかとそればかり考えていた。
8月も終わりになって元主人から携帯に凄い量の着信があっていいかげん頭にきたので弁護士さん経由で接触禁止のお触れをだしてもらったらおとなしくなった。やれやれ。
そして9月になってたまたま実家に両親のご機嫌伺いにいった時に父からあの男は東北の支社に平社員で転勤になったと言われた。何があったのかわからないが父が制裁したのだろう。これで完全に出世はないし、あと2年で60歳で定年になって普通なら2年は嘱託で働けるのもだめになったようだ。愛人の山科さんとは会社から圧力をかけて別れさせたようだった。
これで私の27年に渡る結婚生活が終わった。余生は悠々自適で生活できる。夫は何も知らないけれど私は結婚前に祖父母からいただいた結構な額の株式と父から生前贈与でいただいた都内一等地にある賃貸マンションの家賃収入で同年代のサラリーマンと同じぐらいの年収はあるのだ。
煩わしい夫もいないので孫ができるのが楽しみ。結衣ちゃんも養子縁組してもよいかと思っている。あんなどうしようもない母親と一緒にいるのは可哀相だと思う。
あの牢獄のような結婚生活から救ってくれた私の勇者様は結衣ちゃんだったのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
SIDE:結衣(山科正の長女)
さっき本城のおばさまから電話がきて離婚届が受理されて27年間の結婚生活にピリオドが打てたわと喜びの報告があった。よかった。私の資料が役にたったのだ。生前の父がどんな思いであのバインダーを保管していたのかそれを思うと胸が締め付けられるように痛くなる。苦しかっただろう。20年も連れ添った妻に5年間も裏切られていたのだ。死にたくなったこともあるだろう。私も失恋したことがあるが、それとはくらべものにならない葛藤があったのだと想像できる。
でも父は別の理由であっけなく死んでしまった。無念をその胸に抱きながら。父らしいと言えばそうかもしれない。運命に翻弄された父。最初に就職した会社がバブルでつぶれ次の会社も不況で営業所が閉鎖になり、正社員に就職できなくてずーっと契約社員でがんばっていた父。私を母の代わりに学童保育まで迎えに来てくれていた父。直接的には母親が身の回りをしてくれていたが、子供心にも父の優しさがわかったし、私を愛してくれていると実感できる父の行動だった。それがなぜ死んだのか。未だに納得できない。
5年以上前から母親がなにか変だとは思っていた。中学生だった私だ。母親が女の色気を振りまいておめかしして家をでていくのだ。それぐらいわかる。父には話していい物か悩んでいるうちに、このざまだ。もっと早く気がついた時点で父に話していればと悔やまれてならない。
結局、不倫相手は離婚されて行き場がなくなったので私の実家の千川に居候しているらしい。らしいというのは私はあれこれ理由をつけてあの家に帰るのを拒否していたからだ。あんな女のいる家はもう実家ではないと父が死んだ時に決別したのだ。もう父の居ないあの家、あの女の家はいきたくない。こっちに就職するときも全部一人で決めた。
しかしお金だけはどうしようもなく頼ってしまったのが情けない。こうなることがわかっていたのだから事前にアルバイトでもして準備して置くべきだったのだ。卒業に浮かれてしまっていたことが悔やまれる。
でも本城さんがいい人で助かった。あの資料を有効に使ってもらえれば亡くなった父も本望だろうと思う。
でも結局父の死亡で家のローンがちゃらになったおかげと死亡保険金が何百万か入ったおかげで慰謝料800万円も余裕で支払ったそうだ。悔しい。自分の母親なのにもっと泣きわめいて許しを請うてほしかった。父にその不実を謝って欲しかった。それもやっていない。お父さん、ごめん、役立たずな娘です。でも精一杯やったから許してくれるよね?私はお父さんだけが家族だと思っています。母はあの時死んだの!もう私の母親はどこにもいいない。お父さん。いつかあの世であうことがあったらもっと沢山沢山話しようね。
子供のころ保育園のお迎えにオートバイで来るお父さんがかっこよかった。私をその懐に抱いて風を颯爽ときって走っているお父さんと乗るオートバイが好きだった。また、お父さんの子供になったらオートバイに乗せてくださいね。
さようなら、お父さん。死んじゃったけど元気でね。来世で逢いましょう!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
SIDE:順子 再び(山科正の妻)
ついにきてしまった。不倫の慰謝料の請求書が内容証明郵便で届いた。午前中の顧客を回って事務所に帰ってきて事務員さんから渡された茶封筒は弁護士事務所の名前が書いてあった。
トイレに駆け込んで同僚に見られないように封をきる。やはり中身は慰謝料の請求書だった。慰謝料500万円に調査費用と弁護士費用の300万円で合計800万円だった。これぐらいなら余裕で支払える。夫の死亡保険がおりればなんとでもなるのでよかったと思った。これが家のローンが残っていたら大変だった。死んでくれて助かったと思う。
何食わぬ顔で封筒を鞄に仕舞い、仕事を続ける。午後のアポイントのお客様に会うために事務所を後にした。途中携帯で彼の電話にかける。緊急時以外かけるなと言われていたが今が緊急時だからと思い切ってかけてみた。
すぐでてくれたが会議中らしく夕方千川の家で逢うことにした。それで気分が落ち着いたのかお客様との営業トークもスムースにいき契約一歩手前までこぎつけた感じだった。
その夜、家に来た彼と相談する。奥様がどの程度の証拠をもっているかで慰謝料が変わってくるから全て彼が答える通りに答えるんだと念を押された。
次の土曜が弁護士との顔合わせだった。こちらはまだ弁護士を立てていない。相手の弁護士が不倫についての経過を細かく聞いてきたので彼の言うとおり返事をしていた。だんだん弁護士の口調が氷のような冷たさを帯びてきた。なにかおかしい。決定的なものがあるのではないかと思ったときそれはでてきた。
DVDだった。そう私と彼との不倫を録画したセックスビデオだ。だがなぜそれがそこにあるのだ。彼が保管しているはずなのに。
そこで死んだ夫が持っていた志村坂上のマンションの鍵を思い出した。きっと夫が持ち出していたのだ。せこいことをする。しかし、あの慰謝料ならなんてことはない。黙って払ってやるさ。こちらは何を言われてもはい、はいといっていたらいつのまにか終わっていて請求通り一括で支払うことで合意して私は帰された。
その後、彼がどうなったのかわからなかったが、夜帰ってきたのできいてみたら相当まずいらしい。隠し口座まで全て押さえられていたと嘆いていた。しかたなく弁護士をやとって対抗するみたいだ。その点私は気が楽だった。たかが800万円で彼と一緒にいられるのだ。気分はうきうきである。彼は高給取りなのだから心配ないよって慰めてあげた。
7月の終わりになって彼ががっくり肩を落として帰ってきた。離婚協議でぐうの音もでないほどやっつけられてしまったらしい。どうも会社からもけりをつけないと退職だと言外にちらつかされたみたいだった。結局、財産の取り分を全部慰謝料として渡さなければならくなくなったと言っていた。残念だたわね。でも私がいるから大丈夫よ。
8月になってお盆休みに旅行に行こうと計画したのだが、彼が待ったをかけてきたので行きそびれてしまった。
お盆休みがあけてしばらくした時、彼が家に帰ってこず心配した。朝帰りしてきた彼に問い詰めたら東北支社に平社員として出向させられることになったらしい。どうしてそうなった!!彼に聞いても一向に理由を教えてくれなかった。
そして一週間後彼は東北に行ってしまった。荷物はあとで引っ越し便で送ることになった。彼と一緒について行きたかったが彼が来るなと強く反対したので行かなかった。行くには私も仕事を辞めないといけないし、時間がかかるから待っててといったのだが彼からはその後何の連絡もない。
8月の終わりに娘からメールがきた。たった一行だった。
『育ててくれてありがとう。さようなら。』
22年間も愛情をもって育ててきたのにこの仕打ちは許せなかった。娘の携帯に電話をしても通じなかった。呼び出し音がなるから着信拒否にはされていないようだが出る気配がなかった。会社からかけてもでなかった。会社の番号を登録でもしているのだろうか。
夫が死んでやっとせいせいしたと思って彼とラブラブの生活を夢見たのだがたった3ヶ月で終わってしまった。彼が離婚したので結婚しようと言ったのにいざとなったら出向だと逃げられてしまった。
さらに娘からは縁切りのメールが届いた。いったい私の周りで何がおきているのだろう。わからない。
ある日曜日。巣鴨で買い物をしていたら偶然、本城さんの奥様だった女性にであった。あちらもあら?という感じでどう接するか迷っているようだったのでこちらから挨拶した。
「お久しぶりです。その後いかがですか?」
「あら、ご無沙汰しております。元主人とは上手くいっていますか?」
「はい、毎日らぶらぶです。」
にっこり笑う。
「それはそれは。東北のほうに出向したと伺ってますので毎日あちらとお電話されてるのかしら?」
「はい、毎日してますよ。それが何か?」
「ええ、離婚の条件であなたと連絡をとったら一回についき100万円いただけることになっているのです。いいことを教えていただきました。毎日ということは離婚してからですから一月としても30日、3000万円もいただけるのですね。嬉しいです。」
「な、なにをいっているのよ。彼とはあの日以来一度も話してないわ。今のは冗談です。」
「そうですか。冗談ですか?私はあなたのいうことを信じて請求してしまいますわよ。あまり変なことをおっしゃらないほうが身のためだと思いますけど?」
「わかりました。ごめんなさい。以後気をつけますから。」
「そうですか。それと彼がなぜあなたと接触できないか理由がわかりますか?彼があなたの元に返ってくることは私が死ななければできないことなの。あなたに接触したら仕事も辞めないといけない誓約になってるからね。ああ会社にもあなたは連絡したらだめなのよ。彼が会社を辞めさせられるからね。おわかり?」
「いったいなぜそこまでするのですかぁぁぁ?酷いです!」
「えっ何が酷いの?あなたを心から愛していた旦那様を5年以上もだまして不倫していたあなたが他人のことを責められるの?もしかしたら結婚する前から20年以上もじゃないのかしら?お子さんだって本当に亡くなったご主人の子供さんかしらね。」
「よ、よくもどの口でそれをいいますか!!それとこれとは別です。」
「別じゃないわ。全てあなたが悪いからあなたの周りから誰もいなくなったのよ。」
「あなた娘さんいるでしょ?結衣ちゃんっていう可愛い女の子が」
「い、居ますけどそれが何か?」
「最近連絡してる?お話できてる?」
「できてませんけど。あの子ももう成人したんだからいつまでも親に甘えないでいいんです。」
「そういうお考えなのね。おかわいそうに。彼女がどうして苦しんでいるか全部あなたの不倫のせいなのにね。可哀相だわ。」
「な、なにを言ってるんです。結衣がなにを知ってるんですか?」
「結衣ちゃんはね、中学生の時からあなたの不倫をしっていたそうよ。元主人との前にも彼氏がいて不倫なさっていたんでしょう?全部知っているって私の前で号泣していたわ。もっと早くお父様に話していればお父様が死なないで離婚できていたかもと小さな心を悩ませていて私に相談してきたのよ。」
「うそよぉぉ!」
「あなたは何もしらなかったでしょう。今回あの人、元主人が左遷させられた証拠はね。結衣ちゃんが亡くなったお父様の遺品を整理していて見つけた証拠を使わせてもらったのよ。あなたも知っているかしらね。あの会社にいた若いOLとおつきあいしていてね。ビデオに録画していたのよ。内容が悪質だということで降格処分で左遷させられたの。その過程であなたとのことも発覚してね。22年前かしら。子会社の○○物産であなたOLしていたわよね。その時元主人と不倫していたでしょう?それがわかったの。そしてあなたのご主人との結婚式に上司として出席していたんですってね。さぞ愉快だったでしょうね。自分の愛人の結婚式に上司として出席してスピーチまでしたんですからね。旦那様がさぞ嘆かれるでしょう。でももうお亡くなりになっているからよかったわね。悲しみが増えなかったわ。」
「な、なんであんたがそこまでしっているのよぉぉ。」
「だってあの会社は私の祖父が設立した会社よ。それに私一応株主ですからね。知る権利はあるわ。私の父もあそこの経営陣とは仲良く仕事をさせてもらっているから。父が一声かければあんな男どうにでもできるのよ。その力を当てにして私と結婚したみたいだけど残念だったようね。ふふふ」
「くっ。彼を帰してよ。あんたの力でこっちに戻しなさいよ!!。」
「あらら、そんな無理なことはおっしゃらないで。あなた相当頭が悪いのかしら。私の一存で社員を動かすことなんてできるわけないでしょうに。困ったかたね。」
「うるさーい。はやく彼を元にもどしなさいよ!」
「だから無理ですって。ききわけのないかたね。あなたにも接触禁止を宣言してお金をいただくことにしようかしら?もし我が家に来たりしたら即刻手続きをとるから覚悟なさい!」
「くそおぉ。」
「そうそう結衣ちゃんね。今度一緒にお食事することになったのよ。あなたは誘ってもらえないんですってね。残念でしたね。それでは失礼!」
「ま、まってーー。結衣がなんですってぇぇぇ・・・」
後ろも向かずに立ち去った彼の奥様。私はしばらく呆然と立ち尽くしてしまった。彼にも逃げられた。娘にも逃げられた。私はひとりぼっち。慰謝料の支払いで夫の保険金は消えた。900万円しかなかったのよ。あの馬鹿夫はこちらの知らないところで解約していて知り合いに頼まれて入った死亡特約で900万円にしかならない保険だけが残っていた。
ああ、頼る人が誰もいなくなってしまった。
千川のマンションに帰っても誰も迎えてくれない。彼と一緒に座ろうと思っていた元の夫が気に入っていたソファーはいつの間にか傷が付いていてそこから皮がはがれてきていた。背もたれの一番目立つところだった。クッションで隠しては居るが見つかったらみっともない場所だった。
ソファーに座って考える。どうしてこうなった。全ては誰が悪いのだろう?
もしかして彼の奥様は結衣から資料をもらっていたのかもしれないことに思い当たった。だとしたらあの結託具合は理解できる。私を悪者にして彼を破滅に追い込んだのだ。
しかし、夫の遺品を整理していてって遺品なんてあの子に見せたのはノートパソコンだけのはずだ。パスワードがあるから見れないといっていたのに資料があることになぜか納得ができない。
急いで寝室のベッドの下の隠し場所をみると不倫旅行のバインダーが軒並みなくなっていた。結衣が持ち出したのだろう。もっと恐ろしいことがわかった。志村坂上のマンションから持ってきておいたDVD20枚とSDカードを入れておいたお菓子の缶がなくなっていたのだ。
結衣がもっていったのだろう。それを証拠に会社に出されてしまったのだ。あのDVDが彼の致命傷になったのだ。結衣よ。そこまでなぜ彼を嫌うのか。新しいお父さんになる人だよと紹介したのに知らん振りをされてしまった時に気がついていればよかった。もう遅い。全てが手遅れだった。
私はこうしてたった一人の娘を失った。金がなんだというのだろう。自分のお腹を痛めて生んだ娘が可愛いのにこの仕打ちだ。私がいったい何をしたというんだ。
20年前の元夫との結婚だって彼とはきっぱり別れてから結婚したのに今更、不倫の延長で愛人を結婚させた悪い男の烙印を押されたのだ。えん罪だ。彼がますます可哀相になった。
その時はそう思っていた。彼は可哀相な人だと。
しかし。冷静になって考えてみれば彼が全ての元凶なのではないだろうか?
彼が私と不倫しなければ今回の左遷もなかったのだ。私だって夫と娘と3人で仲良く暮らせていたかもしれないのだ。
そうか、全ては彼の自業自得なんだと思い知らされた。当然その因縁も私に降りかかってきて、夫を亡くし彼もいなくなり娘にも逃げられた馬鹿な五十路の女がここにいる。
どうやって生きていこう。もう仕事しか残っていない・・・・・・
少しなら飲んでいいよね。お酒って美味しいと思わなかったけど。今は美味しいと思う。
そうやって自分の心を殺していかないとどうしようもない。
お酒に頼らないと生きていけなくなってしまう自分が怖い。
あなた助けて。結衣助けて。誰か私をこの暗闇から助けて!