98.生きるか死ぬか、それが問題だ
月光の降り注ぐ舞台で高らかに宣言したニルヴァーナを見つめながら、私は心の中で大きな拍手を彼らに贈っていた。まさに『見事』としか言いようがない。
――ここで、一つ種明かしをしようと思う。
というよりも、そもそも今回起こったことのほぼ八割が、私と愉快な仲間達が仕組んだ茶番である。巻き込んだ人達にはちょっと申し訳ないことをしてしまった。反省はしないけども。
まずそもそもの発端は、とある時期から始まった『噂話』である。そう、夢枕に立つ神様のお話だ。
『三年目の雪解けに、白銀の御使いが姿を現すだろう。彼女の言葉に耳を傾けなさい。――抜け出せぬ程の深い闇に飲まれたくないのであれば』
この言葉を、今回の儀式に参加する重鎮達と、噂の伝播力がありそうな市外の者達へと流布したのも私の仕業である。普通に考えて、こんな都合のいい話があるわけがない。
それに私は先ほどローランドに、さも考え付いたという風に「三年目の雪解けとは今日のことなのではないか?」と語ったのだが、こじつけも何もそのお告げ自体が私のでっち上げた代物なんだから、当たらないほうがおかしいのだ。
それと以前に私は精神系――つまり人の意識に干渉する魔術を得手としないと言ったが、今回は少し事情が変わった。
前回蛇神――黒曜に勝利、というか退けた際にベヒモスの行使できる魔術の幅がかなり広がったらしい。それに加えて、使用魔力も大幅にコストダウンされたようだった。勝利特典としてみるにはちょっと割が合わない気がするが、今後の布石を打つためにはかなり助かった。
他者の夢に干渉し、その人が一番強く思う『神様』の姿となって言葉を告げる。一番多い神様の姿が白い靄状のものだったのは、それだけ自分が信じる神様の想像図があやふやな人達が多かったということだろう。私だったら多分レイチェルの形になっていただろうし。
ベス君を通じて偽のお告げを広め、市外にマリアさん等の密偵を放ち、一月以上の時間をかけて噂話を大陸中に広げたのだ。今まで以上に大変な大仕事であったと、マリアさんに満足げに告げられた。
そうして噂が帝国にまで行き渡ったところで――秘密裏に皇帝陛下に接触したのだ。正式な訪問手順をすっ飛ばし、こっそりと私室に忍び込んでの邂逅だったので、相手の心臓が止まりそうになるくらいに驚かれたけども。命に別状がなくて本当に良かったと思っている。
皇帝陛下は、あまり騒がずに私の言葉に耳を傾けてくれた。それは信頼してくれたというよりも、抵抗しても無駄だと諦めていただけかもしれない。
私はそこで、三つのことを話した。
一つ目は今噂になっているお告げの『雪解けの日』というのは魔王討伐記念式典であるということ。
もう一つは、御使いとして白銀の竜が来るということ。
そして最後に、帝国の意向に沿って式典に参加し、最終的な責任は取るので、どうか御使いの言うことに耳を傾けてほしいということ。
ただし、そのお告げと御使いが私の仕込みであることは黙っていた。だってこれを言ってしまったら絶対に協力してくれないだろうし。
因みに何故そんなことを知っているのかという質問に関しては、全部『レイチェルから聞いた』と言い張った。持つべきものは身近な女神様である。
もちろん最初は首を縦に振ってはくれなかった。まぁ一度だまし討ちのように半魔族を浚っていったこともあり、中々信用は出来ないだろうと思う。けれど私は渋る皇帝に懇々と帝国の現状と、この申し出を受けることのメリットを話し続けた。
御使いが来ないなら来ないでいつも通りの日々が送れる、そしてもしも御使いが現れて、その対応を帝国が一手に担うのであれば、それは全て皇帝陛下の手柄となりえる。
そんなことをつらつらとしつこく説得のために通い、約一週間程で承諾を得ることに成功した。もしかしたら毎晩忍びこまれることに辟易しただけかもしれない。
けれど、そうと決めたら皇帝陛下はきちんと耳を傾けてくれたし、それなりに積極的に対処方法などを提案してくれた。
取り決めに関してはちゃんと明文化した書状を秘密裏に交わしてあるし、もし土壇場で反古にされても、最悪帝国の担うべきだった役割を他の国――そう例えばレーヴェンやガルーナ等に押し付けてしまえばいい。ニルヴァーナが来る前にバルコニーにローランドを呼び出したのはそういった打算もあった。まぁ、意外と楽しく話が出来たのは嬉しい誤算であったが。
そして皇帝陛下は見事に役割を果たしてくれた。ニルヴァーナの降臨の様も見事なものだった。
――後は私の出番が来るのをゆっくりと待つだけ。
ローランドに見えないように安堵の息を吐きながら、私はそっと目を伏せた。
願わくば、これからの目論見がうまくいきますように。
◆ ◆ ◆
――白銀の御使いこと、ニルヴァーナは大広間に通された後、粛々と『高次元の存在から託されたありがたいお言葉』を皆の前で述べ続けた。誰もが文句も言わずにニルヴァーナの言葉にしっかりと耳を傾けている。
その荘厳かつ気品のある語り口は、聞く者に疑念を抱かせないだけの魔力を帯びていた。
無駄に言葉が難しく、ところどころ各人によって解釈が異なるような場面もあったが、誰もが唯一つだけ分かることがあった。
――この白銀の竜を使わした神様は、『この世界に危険が迫っている』と伝えたいのだ。それも魔族と同等、いやそれ以上の脅威が身近に迫っていると。
それを理解した瞬間、誰もがその身を恐怖に震わせた。
「また、夜も眠れぬような暗黒の時代が巡ってくるのか……?」
「い、いやだ!! 折角暮らしが安定してきたところなのに、また大勢の民が死ぬことになるなんて!!」
「ああ、神よ。何故このような仕打ちをなさるのか……」
最初は恭しく話を聞いていた者達も、魔族以上の脅威がやってくるとなっては冷静ではいられなかったらしい。動揺を隠せずにいる彼らは、顔を青くしてぶつぶつと悲観の声を上げている。
私はその様子を、じっと黙ったまま見つめていた。
ニルヴァーナは別に嘘を言っているわけではない。七割方は本当のことだ。この世界を滅ぼす要因となる敵は必ずやってくるし、生き残りたいのであればそれと対決しなければいけない。
時が来れば嫌が応にも巻き込まれることになる。どう転ぶにせよ、早いうちに覚悟を決めてもらわなければ自分がつらくなるだけだ。
俄かに騒ぎ出した場内に、ここは一つ私が調整をした方がいいのか、と思い始めた時――鋭い一喝が響いた。
「――静まれ、皆の者!!」
それはまさに怒号であった。その場にいる者全員が、声の主へと目を向ける。
――般若のように目を吊り上げ、怒りに顔を赤く染めた皇帝がそこに居た。
「どいつもこいつもくだらない弱音ばかりを吐きおって……!! うろたえてもどうにも成らんことくらい分かるだろうが!!」
鶴の一声、とでも言うべきだろうか。皇帝のその一喝により、大広間は嘘のように静まり返ってしまった。
何か言いたげに私の方を見る者もいるが、今回に限って言えば、私は黙っていたほうがよさそうな気もしたし。
「そうね。逃げたいなら別に止めはしないけれど、戦わなければ死ぬだけよ?」
淡々とした声音でニルヴァーナは続ける。
「魔族がこの世界に現れた時、人類の危機にも関わらず、神々は何も仰らなかった。それはきっと、あれは人類のみの危機で、その他の生き物の危機ではなかったから。――ああいえ、別に神々が人の存続に興味がないということではないの。けれど、人間が滅んでもこの世界は終わらない。だから神々は動かなかった。でも今回に限って言えば、神様が重い腰を上げた――その意味は言わなくても分かるわよね」
「――それはつまり、今度こそは『世界そのものが終わってしまう』可能性がある。……ということか?」
「その通りよ。魔族なんか比でもないくらいの厄災が直にやってくる。それはもう既に確定事項であり、覆ることはないの」
ニルヴァーナのはっきりとした返答に、多くの者が絶望的な顔をした。何の心構えもなかったところに、無慈悲な余命宣告を受けたようなものなのだ。気持ちは分からなくもない。
「竜族以外にも、この世界に住まう幻想種には声を掛けたわ。彼らは協力を約束してくれた」
この言葉は事実である。ニルヴァーナはまだ新しい長とはいえ、今までの竜族の歴史に基づいた、これなりのコネクションを持っていた。
空を駆ける天馬ペガサス。清廉な風の谷に住まう精霊シルフ。深い地下洞窟に隠れ潜む大蛇バジリスク。海をさまよい続ける暴食の大魚バハムート。錚々たる顔ぶれだ。
――ひと月前、私との会談を終えた後、ニルヴァーナには彼らに接触を取るようにお願いをした。
最初は排他的で高圧的、尚且つ引きこもりの三重苦の竜族が交渉に来たことで彼らも面食らったようだったが、腐っても鯛、いや、この世界で一番の古種である竜族の言葉はそれなりの強制力があったのだろう。全面的な協力とまではいかないが、有事の際には必ず手を貸してくれることを約束してくれた。
「――けれど、それでは足りない。だから私は、神の声に従って貴方達人間に声をかけにきたの」
「……だが、人間に何ができる」
苦渋に満ちた表情で、皇帝は絞り出すように言った。
「数十年前に、とある魔族の居城が一晩の内に焼失したことがあった。あの時は神の御業か何かだとばかり思っていたが、よくよく考えてみれば、そんなことがあるはずもない。きっとあれは、貴殿の様な幻想に属する者達がなしたことなのだろう。――それに比べて人間はどうだ? 神々から脅威とみなされていない魔族にすら劣る我らに何ができる。……どう転んでも、我々は無為に死ぬだけではないか」
皇帝のその言葉は、恐らくこの場にいる者達の総意だった。彼らはまだ魔族に虐げられていた時代のことを何一つ忘れてはいない。自分達の無力さに泣いたあの頃を、忘れられるはずがない。だって、魔族が死んでからまだ三年しか経っていないのだ。
今こうして魔族に脅かされずに生きていられるのは、起死回生の一手として呼び出された存在が上手く機能したからだ。私という諸刃の剣を用い、冷遇する心の底では裏切りに怯え、自分達にできないことをやってのけたアンリに感謝する一方で、不甲斐ないわが身を思い嫉妬心を拗らせた。
彼らが当初私のことを『化け物』だと扱ったのは、人間に出来ないことを成し遂げた私がが、同じ存在であると思いたくなかっただけなのかもしれない。
彼らは自分達が、一騎当千の英雄に成れないことを痛いほど自覚していたのだ。
――だがその複雑な感情の機微を、私はきっと生涯知ることはないだろう。良くも悪くも、『強い者』というのは鈍感なのが常なのだから。
「……言っている意味がよく分からないのだけど、自分達は役立たずだから協力できないと言いたいの?」
「そう煽らずとも貴殿の魂胆は分かっている。どうせ我らなど添え物にすぎん。貴殿は我らの協力に託けて、そこの魔王の尽力を得たいだけであろう? その者は、魔族を打倒した紛れもない『英雄』なのだからな」
吐き捨てるようにして、皇帝はそう言った。一斉に集まった視線に、私は軽く肩を竦める。……これはあんまりよろしくない展開だ。
――さて、どう流れを修正したものかな。少しだけ焦りつつ、口を開こうとした瞬間。
「……英雄だって、死んでしまうんですよ?」
その声は、私のすぐ隣から聞こえてきた。成長期の間近の様な、ほんの少しだけ高い柔らかな声音。その声の持ち主を、私は痛いほどに知っていた。
「一騎当千の英雄も、伝説と謳われる竜も、その心臓がとまれば生きていられない。――魔王様だって、決して例外ではないんです。だってこの方は――人間なんだから」
ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、私の大事な家族――ユーグは続ける。
「魔王様は色んなことができるけど、何でもできるわけじゃない。ここにいる人達は魔王様にいっぱい酷いことをしたくせに、また嫌なことは全部押し付けるつもりなの?」
「ちょ、ちょっと待って」
慌ててユーグを止めようとするも、斜め後ろにいたフランシスカにそっと腕をつかまれる。フランシスカはじっと私の目を見ると、小さく横に首を振った。――止めるなということなのだろうか。
でも、と迷いが生じる。ユーグを信じていないわけではない。けれど、結果的に彼が泥を被るようなことにはなってほしくなかった。人の悪意は時に鋭い凶器となりえる。そんなもので彼が傷つく必要は何もないのに。
「人間は魔族には勝てなかったかもしれない。でも、それでも決して滅ぶことはなかった。百年の間死なずに生き延びることができた。そして今もその血筋は続いている。貴方達は英雄ではなかったかもしれないけれど、滅ぶことを良しとせず、魔族と戦い続けることを選んだ誉れ高い人達に連なる者のはずだ。それなのに、今度は全部投げ出して知らん顔をするつもりなの? なんで? どうして!?」
「……だが魔族以上の敵だなんて、我々では勝てるわけない」
誰かが、恐れるようにそう言った。
「――半魔族を蹂躙した人間が今さら弱者ぶるな!!」
それはまさに咆哮だった。普段は隠れて見えることもない牙をむき出しにしながら、ユーグは吠えるように叫び続ける。
「あんなに酷い扱いを受けたのに、魔王様がこうして貴方達に友好的に接している理由が本当に分からないの? 貴方達が、――人間のことが怖いからだよ!!」
その言葉に、誰かが息をのむ音が聞こえた。ありえない、という呟きもだ。
「魔王様はいつも言ってるんだ。『自分が人間にとって悪しき存在になり果てれば、いつかきっとそのツケが回ってくる。私という【勇者】が魔族に対するカウンターとしてこの世界に呼ばれたようにね。それに人間は基本的にみんな図太いから。何年かかっても、それこそ何十年かかっても、自分自身の為ではなく、大切に思う誰かの未来の為に彼らは何度でも立ち上がる。……それが、人という種の強さなんだよ』って褒めるんだ。どうしてだと思う? それは魔王様が人間は強くてたくましい生き物だって心から信じているからだよ。貴方達が足手まといだなんて誰も思っていないのに、そんな言葉で逃げようとしないでよぉ……!!」
そう言い切って、彼は大声をあげて泣き出してしまった。周りにいた人達は、どこか居心地悪そうに俯いたり、小難しい顔をして考え込んでいるようだった。
「もういい。分かったから。――後はちゃんと私が言うから」
泣きじゃくるユーグを抱えるように抱きしめて、私は目を伏せた。
『弱者ぶるな』
――これは、何もユーグだけの意見ではない。もしこの場にいたのがガルシアやマリィベルだったとしても、内容の差異はあるだろうが似たようなことを考えたはずだ。いくら人と和解したように見えたところで、心の奥底には消えない傷が残っている。
半魔族達は身に染みて分かっている。人の強さも、怖さも、何もかも。
けれど彼らは私の意を酌んで、人との同和を受け入れてくれているのだ。
彼らは私が人間側に対し、一定の配慮をしていることをよく知っている。そんな風に気遣われているくせに、いざという時になって今までのことを全部棚に上げて尻尾を巻いて逃げ出すなんてふざけるな!と彼らが考えてしまうのは、致し方ないことだろう。
……それに私は今回の作戦の全てをユーグに伝えていたわけではない。いくら仕込みあるから静観していなさい、と言われていても、この純粋な子は人間側の身勝手さが腹に据えかねたのだろう。
最初から何もかもを話してあげていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。でも私は、あえて薄暗い部分は黙っていた。それはきっと、私自身が彼に軽蔑されたくなかったからだ。化かしあいや嘘や裏切りを、時と場合により是とする私のことを知られたくなかった。
――せめて彼だけは綺麗なままでいてほしい。そう思うのは、私のエゴなのだろうか。……でも、その私の弱さが彼の心を傷つけた。
「ありがとう。嫌なことを言わせてごめんね」
最後にユーグの頭を一撫でし、フランシスカへと託した。
そうだ――本当に覚悟を決めなくてはいけないのは彼らではなく、きっと私の方だ。
「――竜王ニルヴァーナ殿。私は貴方の説明を聞いたときから、元よりその要請を断るつもりはありませんでした。この世界の危機というのであれば、私は喜んで戦いに身を投じましょう。……たとえ、私一人になろうとも」
「……そう」
どこか困惑した様子のニルヴァーナに、私は恭しく頭を下げた。ニルヴァーナも、この展開にどう合わせたらいいのか分からないのだろう。この現状は、私にとっても彼女にとっても予想外だ。だって、肝心の人間側の協力をまだ得られていないのだから。
本当はもっと単純かつスマートに口車に乗せて、彼らの協力を勝ち取りたかった。事前に帝国側が男を見せたことで、決断のラインが軽くなるかと考えていたけれど、想定が甘かった。考えていた以上に彼らが及び腰だったのもある。
でも違うのだ。それだけではなかった。――きっと私には『誠意』が足りなかった。
私はニルヴァーナの側に寄り、話を聞いていた者達の方へと向き直った。困惑と動揺、そしてほんの僅かな憐憫のこもった視線が私を貫く。
「まずは皆様に、我が国の巫子が無礼な言葉を吐いたことを謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
そう言って私は深々と頭を下げた。どういう理由があったにせよ、非礼は詫びなくてはいかない。たとえそれが、全部私の為に行われた優しさだったとしても。それにあの子の名誉を守るためならば、頭なんていくらでも下げられる。
「けれど、私の言いたいことは全部彼が言ってくれました。――その上で、伝えたいことがあります。よろしいですか? 皇帝陛下」
「……構わん。好きに話すといい」
「ありがとうございます。実の所、私はこの世界に危機が迫っていることを、女神から事前に聞いておりました」
その私の発言に、周囲から驚愕の声が上がる。
「では何故今まで黙っていたのだ!!」
そんな声がどこからか聞こえてきた。
「だって、結果は見えていたから」
そりゃそうだ。どうせまともに協力を要請したって、適当にはぐらかされて反故にされるに決まっている。だから私はこうして竜族や偽のお告げなんかを巻き込んで、くだらない茶番を実行しようとしたのだ。正攻法では無理だって、本気で思っていたから。
「そもそも私は最初から貴方達のことなんて当てにしていなかった。力の強い弱いではなく、単純に手を貸してくれないと思っていたから。……誰だって、命は惜しい。それくらいは私にだって分かる」
そっと片手で胸を押さえる。誰しもが、私のように戦うことを決断できるわけではない。ただそれだけのことだ。
「――じゃあ、貴方は何故戦うと決めたの?」
ニルヴァーナは、静かにそう言った。
「守りたいものがある。――それは、命を懸ける理由にはなりませんか?」
私はあたりを見回し、一人一人の顔を見つめながら話し出した。
「どんな人間だって、人生の中では避けられない戦いというものがあると思います。先ほどの皇帝陛下だって、逃げようと思えば逃げられたはずだ。危険を冒してまで、ニルヴァーナ殿に立ち向かう必要はなかった。でもそうしなかったのは、命よりも優先すべき何かがあったからではないのですか?」
「それは……」
皇帝は歯切れ悪く言葉を詰まらせた。彼がこの問いに返答できないことくらいちゃんと分かっている。事前に私から一部の情報提供を受けていたなんて話してしまったら、先程の雄姿が全部無駄になる。
「人としての誇りを胸に抱いて、勝ち目の薄い戦いに挑めだなんて綺麗事は言いません。逃げること自体は、決して悪ではないのだから。それに私は、一人で戦うのには慣れています」
私だって、逃げられるのであれば逃げたい。痛い思いをするのはもううんざりだ。でも、それでも戦い抜くと約束したから。
「私は腕が折れても、足が切れられても、目を抉られても、体を焼かれても、たとえ頭を潰されようと、戦い続ける覚悟はできている。きっとそれが、私に課せられた運命なんだと思います。……それにもし自惚れでないならば、きっとその戦いは私の存在が鍵となるでしょう。私は強い。それは私を呼んだ貴方達が誰よりも知っていると思います。だからきっと――私が負けた時点で、この世界は滅亡するんでしょうね」
そう言って、私は微笑んだ。
別に取り繕うことはない。全部事実だ。私が負ければ全部が終わる。
というか敵の特性から考えると、もし私じゃなくて他の誰かが敵に勝ってしまったら、また別の挑戦者がやってきてしまう気がする。結局のところ、私の勝敗に全てがかかっているのだ。その責任は、重い。
「神様が私だけではなく、貴方達にも声をかけた本当の意味が、私には分かる気がします。……きっと、無理なんでしょうね。私だけの力で勝つことは」
ふっ、と自嘲の笑みを浮かべる。これはやっぱり架空の神様を作り上げた罰なのかもしれない。
私だって勝ちたいとは思っている。でも、その気持ちだけでは足りない。それを私が一番よくわかっていた。だからどんな手を使ってでも、協力してくれる者の人数を増やしたかった。
それに私だけの問題だったなら、こんな風にあくどい手を使って巻き込むような真似はしなかった。でも、彼らにだって戦いに参加する権利がある。自分達の生き死にに関わるのだから、せめて決断くらいは自分達でするべきだ。
……いや、これは結局のところ私の詭弁だ。私は心の底から彼らに協力をしてほしいと思っている。それこそ、彼らが何もできなくてもだ。負けたくないから。死にたくないから――ほんの少しでも希望がほしい。
この世界に呼ばれて、半ば強制的に魔族という人外と戦わされて、私は死ぬような思いをして魔王を討ち取った。
私を呼び出した彼らは生活や移動の手助けはしてくれたけど、私と一緒に戦ってくれはしなかった。実力差があるのから、そんなことをしたら逆に足手まといになることくらい分かっている。それでも、肩を並べる仲間がいないことは、ちょっとだけ寂しかった。
ああ、そうさ。今こそ私の本当の気持ちを伝えよう。良いも悪いも、全てをありのままに。
「――一つだけ我儘を言ってもいいですか?」
告白します。――私はとても臆病な人間でした。不遜なふりをして、いくつもの予防線を張って、嫌なことはいつも『仕方ない』と諦めてしまう様な脆弱者でした。でもなまじ才能があったので、どんな苦難があっても何となく乗り越えてこられた。乗り越えてしまった。
そんな私だから、いつだって他人に頼ることが苦手だった。それが恥だと考えていた時代もあった。
でも国を作って、誰かに頼ることを知って、私はようやく地に足がついた気がした。他者に頼ることのできる者こそが、本当に強い人なのだとやっと気づけた。だから私は、今こうして笑って生きていられる。
だから――ごめんなさい。
「私と一緒に、死んでください」
そう微笑みながら、私は言い放ったのだ。




