93.肥えた土ほど雑草がはびこるものだ
「三日後?」
「はい、三日後です」
「……どうしても?」
「無理なら連絡を入れますが」
「いや、うん、がんばってみるけど……」
シャルからもたらされた情報に、頭がパンクしそうになった。
知らない間に竜の族長の息子になっていただとか、どこかの英雄譚にありそうな設定だ。しかも、シャルの母親である族長――ニルヴァーナはすぐにでもこちらに訪れたいと言ってくれている。
協力を申し込んだ立場としては、ここで無為に会う時を引き伸ばすのは失礼にあたるかもしれない。
そう思い、三日後の邂逅を了承したのだが、それこそ忙しくて死ぬかと思った。
そもそも、この一週間の間にシャルから得た竜族の情報を使い何パターンかの外交戦略を考えていたというのに、今回の一件でそれが全部パァになってしまったのだ。それらを全部作り直すのは、流石に骨が折れる。いや、シャルはぜんぜん悪くないんだけれども。むしろお手柄なんだけど。でももう少し時間的猶予はほしかった。
果たして食べ物は何を用意すればいいのか、出迎えは、そもそも扱いは人間と同じものでいいのか。それらの事柄を細かくシャルに聞きつつ、動けるメンバー総出で準備にあたったのだ。むしろ三日以内にその準備を終わらせたことをほめてほしいくらいだ。
――そして約束の三日目の日。あと数時間で客人が訪れるということもあり、私はただ黙々と話し合うべき内容についての書類を読み返していた。
「竜族の協力は何とか取り付けられそうだし。これで百人力……と言いたい所だけど、まだぜんぜん足りないよね」
誰に聞かせるわけでもなく、まるで独り言のように私は呟く。
「盤上の駒取りゲームってわけじゃないけど、仮想敵はできるだけ少ないほうがいい。ヴォルフもそう思うでしょう?」
私は書類を渡しに来ていたヴォルフに、そう問いかけた。
「魔王様の立場上仕方がないことですが、この国には敵が多いですから。この大陸で一番の不安要素が消えただけでも重畳です」
「本当にシャルには感謝しなくちゃね。――はぁ、竜族の件は簡単にけりがつきそうなのに、残るのが人間同士の諍いっていうのが皮肉だよ」
実際のところ、ストレートな敵というよりは、利権や面子がかかった政治的敵対といったほうが正しいんだけれど。それでも感情論で『気に食わない』と言われるよりはマシだろうが。
「力をもって討ち滅ぼすだけならば簡単ですよ?」
まるで何でもないことのように、ヴォルフがさらりとそう言った。なんて恐ろしいことを言い出すんだこいつは。
「やらないよ」
冗談だとは思うが、一応釘を刺しておく。そりゃあ邪魔されるくらいなら消しちゃったほうが楽だろうけど、そんなことをしたら今まで地道に積み上げた信頼がパァになってしまう。
それをヴォルフも分かっているのか、私のぞんざいな物言いに、ヴォルフは肩をすくめた。
「ええ、知っていますとも。だからこうして何度も話し合いを重ねているのですから」
悪びれずにそう言ったヴォルフを見て、やはり軽口の類だったのかと安心した。
「自発的な協力というのはね、決して暴力による脅しでは勝ち取れない。でもだからといって、同情や憐憫では効果が薄い。ならばどうするか。――結局のところ、協力せざるを得ない状況に追い込むのが最良なんだけどね」
ヴォルフが言うように、もうすでに他国の協力を得るための大体の構想自体は大体方向性は決まっている。あとは竜族の出方をみて、数あるプランから最適なものを選び、内容を調節するだけだ。
「人は打算で動く生き物だから、もっともな大義名分と確かな利益があればそう反発はされない。どんな善人だって、多かれ少なかれそういうところはある。私だって例外じゃない。聖人君子じゃないんだから、理由もなしに命を預けるなんてもってのほかだろうし」
親しい人達ならばともかく、私が協力を願い出なくてはならないのは、海千山千の修羅場を潜り抜けてきた為政者達だ。利益も何もないのでは、彼らが動いてくれるはずもない。
……というかそもそも、彼らが私の訴えを信じてくれるかどうかすら危ういのだ。
「『世界が滅ぶ可能性がある』だなんて、そんなこと急に言われて信じられると思う? 私には到底無理だね」
そう考えると、簡単にこの話を信じてくれたシャルの母親には感謝するしかない。もしかしたらそれも何らかの策略の一種なのかもしれないけど、その時はその時だ。直接会わない限りは断定できない。
「では、どうなさいますか?」
トントン、と書類を片付けながら、ヴォルフがそう聞いた。
「魔王様の言葉では、きっと集まった連中の半分は説得することが出来ても、残り半数は懐疑の目で見てくるでしょう。『ついに魔王の計略が始まったのか』とね」
……相変わらず意地の悪い男だ。そんなことは、わざわざ言われなくても私が一番良く知っている。
「全くひどい話だ。私は何時だって嘘なんかついていないのに」
「その代わりに本当のことを口にしないくせに、よく言いますね」
「そういう風に振舞えって指示を出してる奴が言う台詞じゃないよ、それ」
非情に心外である。脚本家が登場人物に文句を言うようなものだぞ、それは。
だが、狼少年というわけではないけれど、各国への説得は私だけの言葉で事を上手く進めるには少し厳しい。
「やはり外部の協力者が必要だ。それも、できるだけ大きい権力を持った者が。……でも、気が進まない」
私の提案に賛成し、交渉次第で手を貸してくれる権力者。その条件に完全に合致する人物は、私には一人しか浮かばない。
「話し合う余地がある、って意味では最良の相手だと思うけどさ――皇帝陛下は」
やれやれ、当初の予定では緩やかに引導を渡してやろうと考えていたけれど、こちらも前とは事情が変わってしまっている。
帝国が持つ権力は言ってしまえば、レーヴェンや、ガルーナよりも強大だ。利用価値のあるうちに使っておかねば勿体ない。
「俺としてはああいった手合いに、貴方の頭を下げさせるのはあまり良い気分ではないのですけどね。今回ばかりは仕方ありません」
「ヴォルフってば私よりもそういうの気にするよね。実際我慢するのは私なんだからそんなに怒らないでもいいのに」
私が何となしにそう言うと、ヴォルフは不機嫌そうに眉をひそめた。
「貴方が無駄に下に見られるのが嫌なんですよ。察してください」
「えっと、それはありがとうと言うべきなのかな……?」
つまりは自分の上司が周りから下に見られるのが嫌、ということなのだろうか。いまいちその感覚がよく分からない。
「まぁでも、帝国側の協力――譲歩を引き出すのはわりと簡単だろうね。わざわざ一から策を練らなくても、すでに蒔いた種は芽吹いているから」
こちらが新たに動かなくても、帝国は時期に瓦解する予定だった。何年も続く凶作、他国や復讐に燃える他民族からの強襲。いくら帝国に力があろうとも、それら全てを押さえ込むには限界がある。
それ以前からもじわじわと国力は弱っていたみたいだけど、この前の冷害の一件がダメ押しになり、属国に対する支配力すら薄れてしまっている。利益がない隷属なんてしたがる奴はいない。
このままでは反旗を翻されるのも時間の問題だろう。盛者必衰とはよく聞くけれど、皮肉なものだな。
だがそんな有様でも帝国は、この大陸で最大の行動圏を有する大国だ。過度な独裁は困るけど、いくつもの国を纏め上げることの出来る存在は中々貴重だ。
けれど第三者からの目線で見れば、あの国ほど面倒な国はない。国の内部は汚職や利権で腐りきっている上に、大国という面子だけは死守しなくてはいけない。私が王様だったらとっくに投げ出していたくらいの詰み具合だ。皇帝陛下ももうだいぶお年なのに大変なことだ。
だが陛下は傲慢ではあるが、馬鹿ではない。多少の遺恨があるとはいえ、ある程度こちらが面子を立ててやれば、最低限の協力体制を取ることは可能だろう。
「では、目下の障害は一部の過激な宗教国家でしょうか」
「うん。そうなんだけど、よく考えたらかえって彼らの方が――というよりも、その上に立っている狂信者達の方が御しやすいんじゃないかな」
私がそう答えると、ヴォルフは怪訝そうな顔をして首をかしげた。
「そうでしょうか?」
「――何ていうかさ、そういう人達って私の言葉は絶対に信じないけど『神様』の言葉だったら簡単に信じるでしょう?」
そこで私は、目を細めてくすりと笑ってみせた。
困った時の神頼み、というには少し罰当たりかもしれないけど。
「ところで、だ。この世界に神様の声を聞くことができる人物がどれだけいると思う? 私は現状だとほぼ零に等しいと考えている」
ユーグやトーリなんかは例外中の例外だ。こう言うのもなんだが、二人は魔族の血を引いているからこそ、神秘を認識するための下地が大きかった、というのも少なからずあると思う。
別に人間の神官や巫女達を馬鹿にするつもりはないけれど、その宗教国家で偉い立場にいるからといって、神様の声が聞こえるわけではない。信仰心だけでは、神様を見ることなんてめったにできないのだから。
というよりも、今のこの世界で神様と呼ばれる存在とコンタクトが取れるような人がいるのなら、間違いなく祭り上げられて有名になっているはずだ。そんな人物の噂は、今まで聞いたこともない。
そもそも、彼らの信仰する神様の殆どが、今の現状において行動することができないのだから、神託など受け取れるはずもないし。
そしてもし、何らかの奇跡が起こり神の声を聞くことができたとしても、果たしてそれが本物だと一体誰が証明できる? そんなものは、所詮は悪魔の証明に過ぎないのに。
「だからこそ、そんな信心深い人達が『神様の声』を聞くことができたら、きっとすごく喜ぶんじゃないかって私は思うんだけど、どうかな」
もしこの話をレイチェルあたりが聞いていたならば、ひどい罰当たりだと渋い顔をされたかもしれない。けれど、この場にいるのは、神様ですら駒として扱うことができる不心得者達だけだ。咎める者なんて誰もいやしない。
ゆるりと、楽しげに微笑みながら、ヴォルフは言った。
「神の言葉だと騙るおつもりですか」
「人聞きが悪いなぁ。彼らがそれを『神の声』だと思うかぎり、その言葉は紛れもない神託だよ。それにヴォルフもこういうの嫌いじゃないでしょ?」
騙すこと自体は、ちょっと悪いなとは感じるけど、仕方がないよね、という諦めもある。だって、普通に話して分かってくれるような人達じゃないし。
「まぁ、そうなんですけどね。少なくとも、俺は一概に騙す方だけが悪であるとは思いませんよ。騙される方にだって、責任はある。自分の信じるべきものくらい、きちんと己で見極めるべきなのですから」
これはまた手厳しい意見である。その言い方だとまるで被害者の方が悪いかのように聞こえる。
でも私としては、やっぱり騙す方が悪いと思うけど。嘘も方便、なんていうのは結局のところ詭弁に過ぎないとも思う。嘘はどこまでいっても嘘であり、真実には成りえない。
――だからせめて、嘘だと分からないようにきれいに騙してあげるのが、ある種の優しさなのかもしれない。
「最終的に皆で生き残れば全部チャラ、とまでは言わないけど、やるからにはちゃんと勝たないとなぁ」
「どちらにせよ負ければそれでご破算です。もしも贖罪がしたいのなら全部が終わった後にしてください」
「そうだね」
騙したことを公にするつもりはさらさらないけれど、神殿や技術の寄贈とか、別の形で省みることは考えてもいいかもしれない。
でも先のことを心配できるというのは、ある意味心に余裕がある証拠だろう。焦ってばかりでは、出来ることも出来なくなってしまう。
「シャルの話によると、新しい竜族の長――彼の母親はそれなりに話の分かる人格者らしいからね。よい返事を期待してもいいと思う。もともと協力体制が成立すれば、竜族には一枚噛んでもらうつもりだったからね」
そう言って私は、意味あり気に笑った。
――そうして、ヴォルフとの歓談から数時間後。予定通りの時間に、わが国の上空に大きな白銀の竜が現れた。
その巨体のきらめく銀の鱗が太陽の光を反射し、きらきらとガラス細工のように輝いて見える。その荘厳な姿に、思わず見とれてしまった。
シャルが合図を送ると、人払いをしていた無尽の大広場に、白銀の竜が下りてきた。その後ろ足が地面につくその瞬間、銀色の粒子が舞うように、竜の体を包み込んだ。
膨大な量の魔力の威圧感に、空気が震える。なるほど。流石伝説の存在と謳われるだけのことはある。
その光の粒子が消えた時、その場には妙齢の白銀の髪を持つ女性が、柔和な笑みを浮かべながら立っていた。
彼女の面立ちは、シャルにとても似ていた。
見たところ、書状にあったようにこちらに敵対する意思はなさそうだ。それに、ベヒモスの管理下に置かれているこの国なら、いくら竜族最強の力を持っているとはいえ、滅多なことはできないだろう。
私は、警戒していることを気取られぬようにゆっくりと彼女に近づき、そっと右手を差し出してこう言ったのだ。
「――ようこそ、ディストピアへ。歓迎いたします、ニルヴァーナ様」




