91.運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ
「お帰りなさい」
そう言って、シャルと同じ白銀の髪を持つ女性は朗らかに笑った。
「……長老達に言われて来たのか?」
シャルが憮然とした表情で問いかける。その問いに女性――ニルヴァーナは小さく首を振って否定した。
「いいえ、違うわ。私が来たいから来たの。――それにしても、そちらのお嬢さんはもしかして貴方のお嫁さんかしら?」
「ふえっ!?」
その唐突な言葉に、シャルは言葉を失い、エリザは真っ赤になっておろおろとシャルを見上げた。
家を出て行った息子が、可愛らしい少女を連れて帰ってきた。その字面だけ見れば、母親が勘違いをしてしまうのも致し方ないだろう。ただ、そう捉えるにしてはあまり穏やかな空気ではなかったが。
「ち、ちが、私まだそんな」
「あらそうなの? 残念だわ」
そんな二人の様子を、シャルは若干うんざりとした顔をして見つめていた。単純に、からかわれているだけだと感じたからだ。
くすくすとあどけない笑みを浮かべる母親を見て、複雑な気持ちになる。それと同時に、この場に来たのが母親であったことに安堵する自分がいた。
母は別に好戦的な性格ではないが、それでもその実力は長老達のお墨付きだ。だからこそ、他の竜達は彼女を恐れてこの場に現れなかったのだろう。
そのことに感謝こそすれど、反抗期の子供のように疎む理由はない。
けれど島に来る前は、血の気が多い若い竜達が戦いを仕掛けてくることも想定にいれていたのに、とんだ肩透かしを食らった気分だ。
気を取り直して、シャルは疑問を問いかけた。
「……母さん。別に世間話をしにきたわけじゃないんだろう? 何か俺に用があったんじゃないのか?」
きっと母は、扉を開いて島に入ってきたのがシャルだと分かっていた。だからこそ、彼女がわざわざ入り江でシャル達のことを出迎えたのだろう。
――だが、ただ『息子が心配だった』という理由で彼女がここに現れたとは少し考えにくい。母はそれなりに穏やかな性格をしているが、今までにこんな過保護なそぶりを見せたことがなかったからだ。
シャルが島を出ている間に、何らかの心境の変化があったのかもしれないが、それもいまいち想像が出来ない。
消去法で考えれば、何らかの意図をもって自分達を出迎えたと判断するのが一番妥当だ。
「もう、冷たい子ね。まぁでも、私も話したいことがあるから、ちょっとついて来てもらえるかしら?――その間に、貴方の今までの話も聞かせてちょうだい」
そう言って、母はシャル達の返事を待たずに森の方へと歩き出してしまった。取り付く島もない。
どうやら迎えの理由を話してくれるつもりはなさそうだ。
「……ああ言い出したら聞かないからな、あのひとは」
「あ、ほら、お母さん行っちゃうよ。早く行こう?」
エリザに手を引かれ、一抹の不安を胸の奥に抱えながらも、シャルは母の背を追って森の奥へと足を進めた。
――その後、請われるように今までの動向や、当たり障りのない現状を掻い摘んで話した。けれど本来の目的である、魔王への協力などは一切口にしなかった。
母の目的が分からない以上、下手に情報を与えてしまうのは良くないだろう。
それにしても、とシャルはさくさくと足を進める母の背を睨みつけながら、口を開いた。
「なぁ、母さん。俺の記憶が確かなら、この奥にあるのは長が治める祠だったはずなんだが……一体どういう了見だ?」
いやな予感は最初からしていた。彼女は明らかに何らかの意図を持って、長の間へとシャル達を誘導しようとしている。
彼女から悪意は感じない。いや、だからこそ恐ろしいのだ。
シャルだって、自分を大事にしてくれた親を疑うような真似はしたくない。けれど今は立場も状況も違う。何に変えても守らなければならない人が隣にいるのだ。たとえ血の繋がった肉親であろうと、目的が分からない以上信用は出来ない。
そんな猜疑のこもった息子の質問に、彼女は大きくため息を吐いて足を止めた。
ゆっくりと、白銀が振り返る。
「せっかちな子は嫌われるわよ? まったく、物事には順序というものがあるのだから、そんな風に言われても困るわ」
「はぐらかさないでくれ」
「はぁ。しょうがないわね。――二つだけ、本当のことを話してあげる。ニーズヘッグが一族のひとり、ニルヴァーナの名において誓いましょう」
その言葉に、シャルは思わず息を呑んだ。真名を名乗り、宣言する。それは竜にとって絶対に破ることの出来ない誓いだ。
竜はその血筋に誇りを持っている。その血を誇りに思いながらも疎ましくも思っているシャルはある意味例外だが、いくら浮世離れしているとはいえ、母がその道理を知らないわけがないだろう。
そんなシャルを尻目に、彼女はすっと指を一本立てた。
「一つ目は、この先に長老……ひいおじい様は待っていないの」
「……何故だ? 長老があの場から離れるなんて、尋常じゃないぞ」
「質問は受けつけないわ」
ぴしゃり、と遮るように言われる。
「二つ目は、そうね……」
彼女は少し考え込むかのように手を口元にやり、小首を傾げた。
「悪いことには、きっとならないわ」
何とも漠然とした台詞だった。その悪いこととやらが、何に掛かっているのかがさっぱり分からない。
だが、シャルには母が言いたいことが何となくではあるが分かる気がした。つまりこのひとは、多くは語れないが『心配するな』と言いたいのだろう。本当に、面倒な性格をしている。
「ついていけば、理由を教えてくれるんだな?」
「さっきからそう言っているじゃない」
母はそう言って不満げに繭を潜めたが、これ以上言うことはないといった風に、前を向いて歩き出してしまった。
「あのね、シャル」
シャルの服の袖を引いて、エリザがこそっと小さな声で言った。
「多分だけど、大丈夫だよ」
「何で」
シャルのぶっきらぼうな問に、エリザは笑って答えた。
「だってシャルのお母さん、すごく優しい目をしてたから」
◆◆◆
あれから30分ほど歩き続け、エリザに疲れが見えはじめてきた頃、ニルヴァーナの足が止まった。
「さぁ、着いたわ。ここが、この島で最も強い者が守護している祠の入り口よ。今は事情があって誰もいないのだけれど」
シャル達の目の前には、樹齢が千年はゆうに越していそうな大樹が複雑に絡み合った、門のようなものが鎮座していた。
ここにはシャルが幼い頃に何度か来たことはあるが、その頃からあまり見た目は変わっていない――ある一点を除けばだが。
「葉の色が変わっている……?」
以前に見た時は、深い緑色をしていた。それが今はどうだ。
生い茂った葉は、植物らしさの感じられない白銀に染まってしまっている。そうまるで――母親の髪のような色に。
……今にして思えば、きっとシャルはこの時、真実に気がついてしまっていたのだと思う。ただそれが、あまりにも受け入れがたいことだった為、信じることが出来なかったのだ。
――そしてその予想は、見事に的中することになる。
大樹で出来た白銀の門を通り、その先にある祠――いや、便宜上祠と銘打ってはあるが、別にそこには神聖なものなど何もない。そこにあるのは、大きな洞窟を丸々ひとつ使って作られている、財宝を集めた宝物庫だけだ。
竜達がいう長とは、その宝物庫の所有者であり、管理者の総称だ。その宝物庫に安置してある『黄金の椅子』に座ることの出来るものだけが、このニーズヘッグの一族を従える権利を得るとされている。
財宝を持つ者が一番偉い、という考え方はいささか即物的ではあるが、金銀財宝を好む竜族としては、ひどく当然の風習なのかもしれない。
かつて、それこそ数千年も前には、その椅子をめぐって一族同士が対立し、凄惨な争いが起こっていたらしい。シャルと母親の血筋である、現在の長老と呼ばれている竜がその椅子を奪い、それ以降は大きな争いは起こっていないそうだが、詳しいことまでは分からない。
いや、恐らく長老が長の座についた後も小競り合いは起こっていたのだろうが、長老がその全てを撃退し、大事にしなかったのだろう。
直接対峙したことは数度しかないが、長老と呼ばれるだけあって、シャルから見ても、あの深い緑を湛えた大竜は次元が違う生き物だった。まぁ、底の知れなさで言えば、母親や魔王のほうが上な様な気がしなくもないが。
そんなことをつらつらと考えていると、早くも宝物庫の前にまで着いてしまった。不可思議なことに、ここに来るまでの道程の中で、誰一人として他の竜達に出会わなかった。人払いをされているのか、それとも他の理由があるのか。
――だが、普通に考えてそんなことがありえるのだろうか。
黙り込むシャルのことなど気にもせずに、母は厳重に閉められた扉の前で足を止め、そっとその扉に手をかざした。
その白い手に呼応するかのように、扉が白銀に輝き、ゆっくりと宝物庫の扉が開き始める。
「うわぁ、きらきらしてる……!」
――その眩い光景に、エリザが感嘆の声を上げた。
魔力によって灯された光により、宝物庫の中が照らされる。そこは一面に黄金のきらめきが反射し、目が痛いくらいだった。
シャルは軽く目を細めながら、扉の先にある光景を見やる。
――山のように置いてある財宝の真ん中に、黄金で出来た大きな椅子が鎮座している。竜族の権力の象徴であるその椅子は、空座だった。
……ここに来る前に母の言っていたことは本当だった。けれど、それはつまり――長老の身に何かがあったということに他ならない。この状況が、それを証明している。
ここまでくれば、もう疑う余地もない。けれど、その事実がどうしてもシャルには認められなかった。
宝物庫の扉を開けたのは、母――ニルヴァーナで、現にここには人っ子一人いやしない。答えなんて、分かりきっている。
ガタガタと、体に震えが走る。目の前を歩く母親のことを、自分はそれなりに理解していると思っていた。だからこそこの女が仕出かした事の重大さに、恐怖しか抱けない。この目の前にいる女は、果たして本当に自分の母なのだろうか?
「あんた、まさか――長老を討ったのか」
「討つって、え、何のこと?」
シャルが硬質な声音でそう問いかけた。いまいち事情を飲み込めてないエリザが困った様子で声を上げる。だが、シャルにはそれを答えてやれる余裕がない。
長老がいない。そして長老しか操作できないはずの扉を、母は容易に開けて見せた。答えなど、聞くまでもない。
「――だとしたら、何か問題でもある?」
「問題とかそういうことを聞いてるんじゃない! 俺は何故かと聞いてるんだ!」
そうだ、理由がない。権力にも財宝にも興味がない母が、何故長老を討ってまで長の座に納まろうとしたのだろうか。
そして何よりも、そんな死ぬかもしれないことを、どうして自分がいない間に行ったのか。聞きたいことは山ほどある。けれど、中々言葉が出てこない。
「……言いたくないわ。だって恥ずかしいもの」
彼女は振り返らずに、柔和な声音でいつものようにそう答えた。
母は顔色を悪くしたシャルに微笑みかけると、ゆっくりとした足取りで、椅子へと向かっていった。
そして――威風堂々とした様子で、その玉座に当然のように腰を下ろした。
彼女には大きすぎるはずのその椅子が、何故だが異様なほどにしっくりと似合っていた。それこそ、恐ろしいほどに。
白銀の竜は悠然と微笑みながら、言った。
「改めて挨拶をしなくてはね。――二人とも、私の島へようこそ」




