52.真意/心理
――結論から言うと、私は誘いを受けた。いや、特に断る理由も無かったから。
何だかんだで一年も一緒に居たんだ。色々慣れたし、好きか嫌いかで言えば寧ろ好きだと言ってもいいだろう。
でも、好きといってもそれは「人として好ましい」という意味であり、愛でも恋でも無いんだけれど。私が悪い訳ではないけど、やっぱりそこはかとなく罪悪感が湧いてくる。
……少し変質的とはいえ、直向きな好意を向けてくれるのはありがたい事だが、やっぱり私にとってその愛は重すぎる。
思えば昔からどうにも過剰な感情を向けられるのが苦手だった。よくよく考えてみれば、この忌避感は今は亡き両親の影響なのかもしれない。まぁ、どうでもいい事だけど。
「そもそも、ナナミさんは少し自己評価が低すぎやしませんか?」
運ばれてきた白身魚のフライをナイフで切り分けていると、唐突にトーリがそんな事を言い出した。
切り分けた物に、刻んだゆで卵と玉ねぎがベースになっているソースを付け、口に運ぶ。
あ、これ美味しい。基本的に揚げ物にはウスターソース派なのだが、鞍替えしてしまいそうだ。
まぁ、ウスターソース自体ここには無いんだけどさ。レシピを出せば作ってもらえるだろうけど、そこまではしなくてもいいだろう。その内時間がある時にでも材料を持ってお邪魔しようか。主に玉ねぎとトマト、それにリンゴと香辛料だっけ? ……記憶が曖昧だな、やっぱりべス君に見繕ってもらうとしよう。
余談ではあるが、彼は周りに人が居ない時には私の事を『ナナミ』と呼ぶ。普段は周りから『魔王』としか呼ばれないので中々新鮮だった。『アンリ』と呼ぶのは基本的に敵対者になる可能性がある奴だけだし。
でもたまにナナミと呼ばれても、誰の事か分からず反応が遅れるのは流石に危険かもしれない。自分の名前を忘れるとか、笑い話にもならないな。
「何、いきなり」
「先ほどのフランシスカとの話ですけど、彼らが問題を起こす筈が無いじゃないですか。心配し過ぎですってば」
「いや、それとさっきの発言の何の関係が……」
というか、やっぱり聞いてたんだ。タイミングが良すぎるから薄々は気付いていたけど。その上でシスカはあの扱いなのか……。やっぱり仲は悪いんだな。
「だって貴女が企画の中心なんでしょう? 恐らくはヴォルフの仕込みでしょうけど、相変わらずあざといですねぇ」
「確かにシスカはヴォルフと相談して決めたと言ってたけど、え、何で?」
あざとい? 私が訳が分からないとでも言いたげにそう問いかかると、トーリは呆れた様にため息を吐いた。
「ねぇ、ナナミさん。貴女は自分が彼らにどう思われているのか、深く考えた事はありますか?」
「どうって、普通に『この国の王』とかそんなんじゃないの?」
少なくとも私自身は、私の事をそう認識している。
だがトーリが欲しいのは、こんな曖昧な返答ではないという事に気が付いては居たけど、それは口には出さなかった。
「はぁ。ただ鈍いのか、それとも気が付きたくないだけなのかは知りませんけど。――その程度で済むわけがないじゃないですか」
そう言って、トーリは微笑んだ。嫌味を言っている風でもなく、まるで聞き分けのない子供を諭すような、そんな感じな笑顔だった。
「貴女が聞かないというのもあるんでしょうけど、みんな過去の事を話したがらないのは気付いてます?」
「それは、何となく」
半魔族の過去には、例外なく迫害が付きまとう。進んで話したい者など、誰も居ないだろう。誰にだって、触れられたくない事はある。私だってそれは一緒だった。
だから私は何も聞かずに、素のままで彼らに接している。それは上から押さえつけるような事はしないという、私なりの意思表示でもあった。
「貴女が魔族を駆逐した。それだけでも十分に感謝する理由には足ります。魔族は半魔族にとっても厄介者でしたから。ほら、いじめっ子は少ない方がいいでしょう? でもね、ナナミさん」
そこでトーリは一度だけ目を伏せ、私をゆっくりと見つめて言った。
「奴隷時代の彼らの生活は知らないでしょう? ――汚水を啜り、腐りかけの野菜を齧り、理不尽な暴力と抗えぬ病に怯えながら、耐えがたい空腹に耐え続ける日々。まともな服も与えられず、寝床は蛆や虱だらけの藁と薄汚いボロ布だけ。希望なんて抱けない程に打ちひしがれている半魔族に手を差し伸べたのは、紛れもない貴女自身だ」
トーリのその言葉に対し、私はまるで遠い世界の出来事だなぁ、とまるで他人事のように思った。無責任な自覚はあるけれど、こればかりはどうする事も出来ない。
経験が無いから、実感できない。いくら口頭で説明されても、私には想像する事しか出来ないからだ。
……私はこの世界に来て過酷な戦闘と、精神的負荷を強いられはしたが、何だかんだで衣食住だけは保障されていた。だからこそ、彼が言う『餓える苦しみ』というヤツがいまいちピンとこない。
そんな状態なのに、彼等に対し下手な同情を抱くことは、私には酷く傲慢な事の様に思えたのだ。
例えば私が、平穏な場所でぬくぬく生きてきた奴にしたり顔で「今まで辛かったね、もう大丈夫だよ」などと言われたら、その顔面に右ストレートをお見舞いする自信がある。そう、「お前に私の何が解るんだ」というやつだ。別名逆切れともいう。
前にこれをレイチェルに言ったら「捻くれてますね」と返された。まぁ、その通りだけど。
「彼等を迎え入れる事を決めたのは、私じゃなくてレイチェルだよ。それは感謝する対象を間違えている」
「何言ってるんですか。偶像と現物じゃあ、後者を選ぶに決まってるじゃないですか。祭り上げられるのが嫌なら、それこそ引き取った後、全部彼らの自由意思に任せて放置しておけばよかっただけの話でしょう? そうせずに前に立って動き回って来たんですから当然の結果でしょうに」
「それは、そうだけど……」
私自身が動く意味を、そんなに深く考えていなかった、と言ったら怒られるだろうか。割と行き当たりばったりで行動しているため、そこまで頭がまわっていなかった。
それに言い訳かもしれないが、私自身としてはどう足掻いても『女神>魔王』の構図が抜けないため、予想出来なかったとも言える。
トーリはそこで言葉を区切った。
「それに――貴女はね、夢を見せてしまったんですよ。『半魔族でも幸せに人並みに生きていける』という夢を」
「………………」
「此処に来た当初はみんな最初は疑っていたんですよ? あ、僕は違いますけどね。
――だってそうでしょう? 貴女は、暖かい食事や、清潔な衣服、安全な住居までも碌な見返りも要求せずに与えてくれる。
――それを『夢』と言わず何と言えばいいのか、僕には分かりません。
恐らくですがきっと今なら、貴女が『死ね』と命じれば、彼等は文句も言わずに殉教するんでしょうね。そんな彼らが、貴女を中心とした催しに異を唱えるわけが無いじゃないですか」
トーリの言葉に私はため息を吐きつつ、フイッと視線を横に向けた。
――分かってるよ、そんな事。
「どいつもこいつも、面倒に考えすぎなんだよ。もっと気楽に生きればいいのに」
私みたいに、とは言わないでおこう。皆がみんな私みたいに好き勝手に生きたらソレはそれで問題だ。
それに態々言われずとも、彼らの私に対する過剰な程の信頼は知っていた。私だって、そこまで鈍感じゃない。
……でも、それを理由に自分達の心を押し殺してほしいとは全く思っていない。
「夢くらいだったら幾らでも見せるよ。少なくとも私が生きている間なら、何も問題ないし。それに勝手にこの国まで連れてきたのは私なんだから、衣食住くらいは当然の保障でしょ? そこまで感謝される謂れはないよ。
それに、別に私は崇め奉られたい訳じゃない。だから、『貴方の為に死にます』なんて言われても私は嬉しくないし、そんな事をされるくらいなら、いつもみたいに笑って過ごしてくれる方がずっと気分がいいよ。
――いいじゃん別に。全部忘れて呑気に生きたって。理不尽な日々の後くらい、普通の生活を送ったって罰は当たらないんだからさ」
私がそう言うと、トーリは不満げに口を尖らせた。
「その普通、が何よりも尊いものなんですけどね……。まぁ、貴女がそれでいいなら、別にいいんですけど」
「ごちゃごちゃ暗い事を考えるのは、出来るだけ止めるようにしてるんだ。心の健康に悪いし、何より楽しくない。
――でもまぁ、最近は働きづめだったし、一応心配してくれたんだよね? だから相談に乗る心づもりで此処まで連れだしたんでしょう? ありがとね」
そう言って、私は笑った。
最近は確かに忙しかったし、息抜きに出かける回数も減っていた。多分、私が無理をしているように見えたのだろう。分りづらい優しさではあったが、彼の言いたかった事は何となく察せられた。
――きっと、吐き出させたかったのだと思う。私が潰れる前に。
私が色々溜めこむ性格なのは周知の事だが、私としては上手く隠しているつもりだし、それに気が付いてを何とかしようと行動を起こすのは恐らくトーリとレイチェルくらいだろう。
そう言うとトーリは、まぁ、別にそういうつもりじゃ無いんですけどね。と、嘯くように続けた。
「あーあ、僕としてはここでナナミさんが『そんな風に思われていたなんて……。どうしようトーリ、私これからやっていけるかなぁ?』みたいな風に弱音を吐いてですね、その弱音を全力で受け止めたかったんですけど。僕はナナミさんの人間的成長が残念でなりません」
私はそんな可愛い台詞は言わない。彼の想像の中の私は一体どうなっているんだろうか。怖くて聞けない。
「――って、よく聞いたらそれってとてつもなく性質の悪いマッチポンプじゃ……」
「そうとも言います。でも僕としては、こうして考えを赤裸々に語っているだけまだ誠実な方だと思うんですけどね」
「……うわぁ、感謝の言葉を取り消したくなってきた」
私がげんなりとした顔でそう言うと、トーリはおかしそうに笑った。
「だってこうでもしないと相手にしてくれないじゃないですか。ほら、ナナミさんって基本的に周りに相談しないで色々溜め込むタイプですし。僕みたいな何を言ったとしても貴女に幻滅しない人材は相談に打って付けだと思いますよ?
――それに、好きな人に頼られたいと思うのは男の性でしょう?」
そう恥じらいもなく言われ、ぐっと答えに詰まった。
その気遣いは有難いと思う。それと同時に申し訳ないとも思う。
トーリは私を『魔王』として見ず、あくまでも『ナナミ』として扱う。それは、何だかくすぐったくて、――少しばかり息苦しい。
その辺りはレイチェルのスタンスにどことなく似ているが、彼女は決して最後まで踏み込んでこない。私から話すまで、何も問わずに待っていてくれる。それはそれで、辛い時もあるけど。
――『弱い』自分を誰かに見せるのは、私には耐えられないから。
……つくづく可愛くない性格だな、と心の中で自嘲した。私が誰かに頼って甘える事を是とする性格だったなら、もっと楽に生きられたんだろうけど。三つ子の魂百までとも言うし、いまさら矯正は無理だろう。
過去と現在。割り切りたいと願っても、どうしても捨てきれない感情は確かにある。心の柔い部分に踏み込まれるのは、どうにも慣れない。
「僕は貴女が何を思い、何を選択しようとも決して離れて行ったりはしませんから。重責に負けて全てを投げ出したり、心が壊れて廃人になったとしても、僕は貴女を肯定し続けます。だから、全部捨てて投げ出して逃げたくなった時は、僕を誘ってくださいね。人目が付かない所を探すのは得意ですし」
「……それは、魅力的な誘いだね」
逃げ出してもいいと、そう言ってくれるのはきっとトーリだけだろう。彼は周りにも公言している通り、私にしか興味が無い。私が全てを放棄する事によって起こる問題など、彼には関係ないのだ。だからそんな事を軽く言える。
でも、きちんと話せば私の意思は尊重してくれるし、最近はおかしな言動も減って大人しいものだった。
こうして動く時ですら、基本的には私を思っての行動が多い。嘗ての異常とも言える行為も、一度割り切ってしまえば別にどうという事でもない。
それなのに、何故だろう。
――なんで私の心は全く動かないのだろうか。
行動の大小で気持ちが決まる訳ではないけれど、彼が私を想っている事だけはちゃんと理解している。愛情を等価として扱う訳ではないけれど、何も返せないという現状は、正直心が痛い。
ときめいたり、緊張したりする時は確かにある。でも、それでも私の心はどこか冷めてしまっている。
おかしいな、とは思う。別に他に義理立てすべき人が居るわけでもないのに。
まるで、一定以上の感情に鍵を掛けられているような違和感。誰かに魔術を掛けられた記憶も無いし、そんな訳ないだろうけど。
そう思った時、激しい頭痛が私を襲った。
――痛みが走った刹那、フラッシュバックの様に幾つかの情景が浮かんでくる。
――――長い石畳の階段。
――――赤い鳥居。
――――その奥に佇む小さな神社。
――――裏手にある森の中の、小さな池。
――――そこに佇んでいる、黒い着流しの青年。
青年が、幼い私に向かって話しかけている。
『――七巳は、』
『――七巳は、×××××だから』
『――だから、決して×××××ちゃいけないよ』
そこまでで、映像は途切れた。
「――くっ、う」
「ナナミさん? 大丈夫ですか、顔色が真っ青ですよ!?」
「だ、大丈夫。見た目よりも酷くはないから」
未だにくらくらする頭を押さえながら、先ほどの光景を思い出す。
――なんで、
――なんで今さら実家の光景なんて思いだすんだろう。
それに、あの青年は誰だ? 思い起こしてもあんな奴今まで見た事もないし、全く記憶にない。
何か言っていたみたいだったけど、詳しい台詞がノイズが掛かった様になっていて、聞き取れなかった。何なんだよ、もう。訳がわからない。
「やっぱり少し休んだ方がいいんじゃないですか? なんなら僕からヴォルフに打診しましょうか?」
「いや、いいよ。異常はないんだし、そこまでする程じゃないから」
「……無理だけはしないで下さいね。その、もうナナミさん一人の身体じゃないんですから」
トーリはそう言うと、わざとらしく照れたように顔を抑えてみせた。……空気を軽くしてくれているのは解るんだが、そのせいでさっきの発言を素直に心配のみと受け取っていいのかちょっと迷う。
「心配して貰えるのはありがたいけど、誤解を招きかねない発言は控えようか」
「もう、相変わらず気の無い返事ですねぇ。まぁ、ナナミさんは理想が高い人ですから、僕じゃまだ力不足でしょうけど、もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃないですか」
「理想が高い? そうでもないと思うけど」
トーリの言葉に首を傾げる。私は果たしてそんな高望みな発言をした事があっただろうか。正直記憶に無い。
言ったとしても、精々『優しくて誠実でまともな人』くらいだろうに。それを理想が高いと称されるなら、選択肢がもう無いじゃないか。
私がそう言うと、トーリは少し驚いたかのように目を見開いた。
「この辺はやっぱり自覚の差なんでしょうね」
「何の話?」
「気になります?」
私の問いに、トーリは苦笑してそう言った。いつも飄々としてる彼にしては珍しい反応だな、と思ったが、それよりも好奇心の方が勝った。
私が頷くと、トーリは少しだけ考え込むような仕草を見せ、話し出した。
「この件については、僕よりもヴォルフの方が適任だと思いますよ。正直、癪ですけど」
「……なんでヴォルフ? シスカとかじゃなくて?」
理由が分からなかった。あの『恋愛なんて興味がありません』を地で行くヴォルフに何の関係が?
私の困惑を読み取ったのか、トーリが何とも複雑そうな表情で口を開いた。
「――だって、ナナミさんとヴォルフは『同類』じゃないですか」




