51.回想/迷走
神聖歴348年 極の月 上旬
――移民の受け入れから、もう既に一月もの時が経過していた。
今回募集をかけたのは五百名の移民であったが、集まった人数は二千を超えていた。魔王の国へ望んで志願するだなんて、何とも度胸がある事だ。
その殆どは、先の魔族の侵攻により親族を亡くしていた子供たちであったが、移民希望者には少なくはない人数の貴族、大商人の身内がいた。
多くは家督の継承権のない者達ではあったが、彼らの意図は何となく解る。スパイ以外の目的であるならば、大方新天地での立身出世か、自国の為の外交及び販路ルートの確保あたりが目的なのだろう。
もしくは、純粋にこの国に魅かれた奇特な者かのどちらかだ。適度な向上心は構わないが、度が過ぎればそれは毒にもなる。
それを考慮して、邪な考えを持つ希望者を弾き、尚且つ半魔族や身分に偏見を持つ者を取り除いた。
……そうして蓋を開けてみれば、残ったのは三百名に満たなかったというのだから、これはもう苦笑するしかない。
別に必ずしも定員まで移民を受け入れると言っていたわけではないので、それは構わなかったけど。
「でも、ここまで問題と呼べる問題が起こらないと逆に不安になるな……」
そう、約三百名の移民を受け入れて早一月。
半魔族と移民同士の間で幾度か小さな諍いがあったが、その程度なら想定済みだったので対応は出来た。本当に、極々軽い物だったし。
危険分子は予め弾いていたとはいえ、それなりに心構えをしていたのに肩すかしをくらった気分だ。
「問題が無いのはいい事だと思いますけど。ですが、やはり『アレ』の効果が大きかったのでしょうね」
私がポツリと漏らした独り言に、レイチェルがそう返した。
「ああ、『アレ』か。正直かなり力技な気もしたけど、中々どうして上手くいくものだね」
「皆さんとても楽しそうでしたし、微笑ましかったですねぇ。またその内やりましょうか」
「……その、えっと、希望が多ければ考えない事も無いかな。うん」
「ふふっ、貴女も楽しんでいた癖に」
「それとこれとは話が別だよ。あの後どれだけ私が辛い目にあったか知っているのにそういう事言っちゃうの?」
「えー、辛いって言ってもただの筋肉痛じゃないですか……」
レイチェルが呆れた様に言う。
いや、結構辛いんだよ筋肉痛って。……実質的に六時間休み無しで行動してたからなぁ。たとえ運動不足でなくてもちょっとハード過ぎるだろう。
それは兎も角として、『アレ』が半魔族と移民達の関係を良いものに変えたのは事実だ。
……ん? 他の学者連中はどうしたかったって?
――あいつ等は論外だ。色々深く考えていた自分が馬鹿らしくなる。
よくよく考えてみれば、この国に望んで来ようと考える連中が真面な神経をしている筈が無かったのだ。
何と言うか、どいつもこいつも頭の螺子が数本外れてる変人しかいない。それでいて結果だけは出すのだから余計に始末に負えない。もしかしたら本国でも扱いに困っていたのかもしれないな……。
確かに始めの数日は大人しくしていたが、私が興味本位で彼らの専門分野の話を聞きに行ったら、それはもう大変な事になった。
『金属のバネ性の研究? 素材の提供だったら幾らでも出来るけど、私自身に知識はないからさ』
『そうですか……。いえ、資材を用意して研究室をいただける事だけでも我々にはありがたい事ですから。気になさらないで下さい、魔王陛下』
『ごめんね。私が知ってるバネって精々コイルスプリングぐらいだし。それに原理までは私には説明出来ないからね』
『コイル?』
『ああ、螺旋状に金属の丸線が巻かれている物なんだけど、……ん? もしかして一般的じゃないの?』
『そ、その話をもう少し詳しく!!』
『え、あの、ちょ、落ち着いて』
……いや、原理はべス君に聞けば解るけど、そこまでの情報公開は認められなし、認めてはいけない。
何とか初歩的な説明で誤魔化したが、その後めちゃくちゃ質問攻めにされた。
……他の連中とも大体そんな感じだったなぁ。
というか、仮にも魔王に対し本当に物怖じしないなあいつ等……。
確かに安易に話した私も悪かったと思うけど、この世界の技術の発展状況まで全部記憶できるほど私の脳細胞は優秀ではない。ある程度の近代知識の漏洩は目こぼししてもらうしかない。まぁ、後でしっかり叱られたけど。
何だかんだ言って、連中もしっかり例の『アレ』に参加していたし。それもこっちが引くくらい乗り気だった。やりたいようにやれなんて言うんじゃなかった。
でも、そのおかげで張り合いが出たのも事実だったけど。
……先程から私が言っている、『アレ』の事だが、別に大した事ではない。
――移民の入植から十日目に催された、半魔族と人間が入り乱れたフランシスカ主催の『鬼ごっこ』
半魔族375名。移民278名。学者関係者82名。
その内、参加出来なかった幼すぎる子供を除き、総勢600名程が《追う者》として私という鬼を追いかける、大規模なゲームを開催した。
時間は正午から日没まで。……いくら冬場で日が落ちるのが早いとはいえ、何時間も走り続けるのは流石に堪えた。
◆ ◆ ◆
そう、あれは今から一月程前の話。移民入植の一週間前の事だった。
「――これ、本気?」
フランシスカに渡された企画書を見ながら、私は引き攣った笑顔でそう言った。
「ええ。 本気ですわ、魔王様。何かご質問がおありですか?」
「鬼ごっこにしてはハードだね。私の知っているルールとはちょっと違うけど」
「お、『鬼ごっこ』? いえ、そんなに物騒なものではないのですが……」
フランシスカが怯えた様に言う。
おかしいな……。私は何も変な事は言っていない筈なのに。
「やはり魔王様の世界は人外魔境の……、いえ、止めましょう。私の勝手な予想で場を混乱させたくありませんし」
「待って、話し合おう。何か大事な事が噛みあって無いっ……!!」
「ええ、そうですわね。あまり吹聴していい事ではないでしょうし」
そう、フランシスカが物憂げな様子で言った。
だから何の事なの!? と思ったがフランシスカは聞く耳を持たない。
状況から判断するに、全くもって理不尽な誤解を受けている事だけは確かだ。
それから暫く不毛な討論を続けたが、無駄だった。そんなに私の話は信用性に欠けるのか……。正直へこむ。
ああ、ごめんなさい故郷の人々よ。私のせいでこの世界の人々に地球は人外が住まう魔都と認識されてしまったようです。
「コホン、オリエンテーションとしては分かりやすくていいと思うけど、逃げるのは私一人だけ? 流石にハード過ぎない?」
気を取り直して別の話題を振る。流石にいくらなんでもこの人数対比は酷い。360度囲まれたって、それでもまだ人数が余るじゃないか。
「でも、それでも逃げ役に最適なのは魔王様しかいないのです。他の者では公平性に欠けますし。ですが、魔王様ならきっと成し遂げられると私は信じていますわ」
フランシスカが笑顔で言った。
いや、出来るけど、出来るけどね? そういう問題じゃなくて気持ちの面が問題というか……。うん、まぁ、やれって言うならやるけどさぁ。
フランシスカの笑顔から目を逸らしながら、若干不満に思いつつも、もう一度企画書に目を通す。
オリエンテーションの全容はこうだ。
半魔族と移民と学者が力を合わせて一人の鬼を追いかける。
『追儀』と呼ばれる元は宮廷行事だった儀式を参考にした、分りやすく言うと鬼ごっこの様なゲームだ。元々は厄を追い払うための儀式だったそうなので、便宜上逃げる方を鬼という事にしておこう。
そこに様々なミニゲームを加えて退屈な者が出ないように調節を行い、運動が苦手な者でも活躍出来る場を作り上げる。つまり、昔に流行った逃走ゲームの反対版みたいなものだろう。
見事逃げ役を捕まえたチームには褒賞が与えられる。その内容はまだ検討中との事だ。
――ただし、鬼役はこの魔王一人きり。
追跡者は一週間の準備期間を経て、競技に挑む。えげつない罠、鬼に対する多少手荒な捕縛行為、魔術行使、何でもありの狩りに等しい。
私への攻撃はちゃんと避ければ問題無い。流石に首を捕りにくるような馬鹿は居ないだろうし、正直な所、即死さえ避ければどうとでもなる。
でも、他に怪我人が出ないように防御結界を張る必要があるな……。遊びに夢中になると頭に血が上る奴も出てくるしね。
ちなみに行動範囲は工業地区を除く王都全域。 はっきり言って広すぎるだろう。
その上ハンデとして上半身は拘束、尚且つ使用できる魔術は身体強化と重力操作のみときた。使用魔術の選定はヴォルフがしたらしい。
指示書には『魔王様も含め、全力で挑む事』と書かれているので、ハンデは必須なのだろうけど。手加減されたら、お互いに冷めるからね。
……でも、ほんっとギリギリまで削りにきたな。パワーバランスとして見れば、私の逃げ切る率は凡そ七割から六割といった所か。うっかりすると簡単に捕まってしまいそうだ。
聞くに、本当はこの重力操作も省く予定だったらしいが、それ無しだと踏み込んだ際に壁が破壊される恐れがあるので渋々許可したらしい。何それ酷い。
確かに最終的な勝者が私じゃ、周りも興ざめだろうけどさぁ。
――まぁ、それは何とか我慢できるけど、真の懸念は他にある。
追跡者は人種年齢関係なく十人のチームを組み、『鬼』を追いかける。
準備期間は一週間。その間に作戦と罠の設置を開始する、……というのが建前で本当は親交を深めるのが目的だ。
チームの人員は勝手にこちらで決めさせてもらうけど、本当に大丈夫なのだろうか?
いくら移民はヴォルフが選別したとはいえ、頭ごなしに半魔族と仲よくしなさいと言っても簡単には受け入れられないだろう。半魔族だってそうだ。
私がその疑問を告げると、フランシスカはゆっくりと頷いた。
「はい。確かに、不安要素はあります。ですが、鉄を叩くには熱いうちが良いと言うでしょう? 今ならばまだレイチェル様の奇跡の余韻が残っています。人側の半魔族に対する悪感情が薄れているこの期を逃せば、恐らく融和には長い時間が掛かってしまうと思いますわ」
その考えも、確かに一理ある。人の感情は、簡単に移ろうものだ。今が機だというのであれば、それに乗るのもまた上策だろう。
「確かに、多少の争い事くらいだったら寧ろ推奨した方がいいのかもしれないね。喧嘩から始まる友情も存在しない訳じゃないし」
私も小学校くらいの頃はよく同級生(男子)と喧嘩したものだ。
あの頃は私もやんちゃだったからなぁ、腕の骨にひびが入って救急車で運ばれた時は、流石に姉さんに怒られたっけ。
因みに相手は肋骨が四本折れていた。被害で考えれば私の勝ちだったと言っても過言ではないだろう。
彼とは最初こそ血で血を洗うと言っても過言でないほどの仲の悪さだったが、中学に上がる頃にはすっかり意気投合していた。何故そうなったのか自分自身不思議で仕方がない。
高校は学力の格差によって違う場所になってしまったが、家が近くなので帰り道等で遭遇する事が何度もあった。相変わらずだったけど。
……彼は今でも元気にしているだろうか。陰険な暴力野郎だったので社会にでて上手くやれているのか正直心配だ。魔王なんてやってる私が言えた義理じゃないけどさ。
そこまで思い起こし、考えが変な方向に逸れてしまっていることに気が付いた。
……おっと、いけない。
そう思い、再度フランシスカに意識を向けた瞬間、ズキッと頭に鈍痛が走った。思わず片手で頭を押さえる。
「……いッ」
「魔王様? またいつもの頭痛ですか?」
「ああ、うん。気にしないで、大した事はないから」
心配気に顔を覗き込んでくるフランシスカにそう返しつつ、気を落ち着けるように息を吐く。
いつもの頭痛。ここ最近、というか一年ほど前の冬頃からこうして時折原因不明の頭痛が起こる事があった。あまりに長い間続くので、一度べス君に調べてもらったのだが、特に脳に異常はなかった。あっても困るけど。
薄気味悪いが、身体自体に問題が無いのならば私には対処のしようがない。まぁ言ってしまえばそれ以外に異常はないわけだし、これくらいの病は仕方ないのかもしれない。
誰かに言うつもりもないが、勇者時代は相当の無茶をしてきたわけだし。この程度の負荷で済めばむしろ御の字だろう。
それは置いておくとして、今は半魔族と移民の関係の方が重要だ。後々に響く様な争い事は、できるだけ避けたい。
これはもう、『ルールの順守』とかそういう制約を作って、《参加者に対する暴力を禁止する》とかを盛り込んだ方がいいだろう。その為の魔力消費ぐらいは大目に見よう。
「うん、わかった。これで進めてくれて構わないよ。細かいルールの設定だけ考えたらまた説明をよろしく。専用の制約も組まなきゃならないしね」
「はい、ありがとうございます。これで私も少し肩の荷が下りましたわ」
「いや、寧ろ大変なのはこれからだと思うけどね……」
移民の取りまとめの担当は、フランシスカだ。何人もの補佐をつけてはいるが、実質彼女が動かなければ機能しない。
補佐の子達がその仕事に慣れていないのは仕方ない事だし、今後の成長に期待するしかない。
それまで私も出来る限りのフォローはするが、やはり最後は彼女の手腕になってくる。
「暫くはキツイだろうけど、出来る事は私も協力するから。もう少し頑張ろう」
「ええ、此処が正念場ですから。不肖の身ではありますが、必ずや魔王様のご期待に応えてみせますわ」
そう言って彼女は誇らしげに笑って見せた。目の下に微かに見える隈ですら、勲章の様に見えてくる。
――私も頑張らなくちゃなぁ。
そうして雑談しながら退室の準備を進めていると、いきなりバンッと大きな音を立てて執務室の扉が開いた。
突然の事に、フランシスカがきゃぁ、と小さな悲鳴をもらした。無理もないだろう。私だって、いきなり背後で大きな音を出されたら驚く。
フランシスカは後ろを振り返ると、そこに立っていた人物をキッと睨みつけた。
「も、もう!! 常識的に考えてノックぐらいするのが当然でしょう!?」
「すいません魔王様。どうしても逸る気持ちが抑えられなくて……。――あ、なんだ。君も居たんだ。興味が無さすぎて目に入らなかったよ」
「……ちょっと表に出て下さいまし。私達一度きちんとお話した方がいいと思いますの。ええ、お話を」
「そう言いながら拳を構えるのは止めてくれないかなぁ。すぐに暴力に訴えるなんて君ってゴリラか何かなの? ――それは兎も角として、君も魔王様もこの打ち合わせが終わったら今日はもうお休みでしょ? 折角の半休なんだし、休める時間くらいしっかり休んだら?」
「そ、その手には乗りませんわよ。気遣う様な事を言って、この場から私を退かせるのが目的なのでしょう? ちゃんと分かっているんですからね!」
「チッ、理解してるならさっさと出て行けばいいのに」
「お黙りなさい、トーリ!! 今日こそは白黒つけさせていただきますわっ……!!」
乱入者、――トーリは部屋に入ってくるなりフランシスカと舌戦を始めてしまった。あまりのテンポの良さに口も挿めない。
何と言うか、儀式の頃から言い争いをしている姿をよく見かけるが、そろそろ私が止めに入った方がいいのだろうか? ヴォルフは放って置いても大丈夫だと言っていたが、些か心配だ。
でも、こう間近で聞くと、何だか逆に仲が良さそうに見えてくる。不思議だ。
「君達、本当は仲いいんじゃない?」
「あり得ません。酷い誤解ですわ」
「僕も同感です。誰がこんな女狐と」
私が何となしにそう呟くと、二人はハァ!?とでも言いそうな顔で否定の意を述べた。
……藪蛇だったかもしれないな。話を逸らすか。
「まぁ喧嘩は後で思う存分してもらうとして、トーリは何か急ぎの用でもあったの? 今日の仕事はこれで終わりの予定だし、話なら聞けるけど」
「ん、ああ、そうです。僕はその為に来たんですよ。決して不毛な争いをする為じゃありませんから」
トーリは気を取り直してそう言うと、徐に私の前に右手を差し出してこう言った。
「――魔王様、よかったらこれから僕と一緒に昼食に行きませんか?」
……休みがどうのと言っていたので何となく予想はついていたが、想像通りお食事の誘いだった。
――――さぁて、どうしたものかな。