48.命短し恋しろ乙女
フランシスカは眼前の光景を見て、何とも言えない微妙な気持ちになった。
――仮にも年頃の男女が手を握り合っているのに、こんなにも色気を感じないだなんて!!
魔王と自身の兄が、手を取り合って互いを見つめ合っている状況だというのに、何のときめきも感じない。
彼女にとってそれは、ある意味衝撃だった。
――事の発端は魔王がフランシスカ達の待つ部屋に帰ってきた時にまで遡る。
部屋に入った魔王は、その場の者達の顔を一通り見渡すと、少しだけばつの悪そうな顔をした。失敗を悔いるかのような、そんな表情だった。
だが、それだけではないような気もする。あえて言葉にするなら、焦りだろうか。
『何一つ失敗する訳にはいかなかったのに』という気負いさえ感じる。――まるで、もう時間が無いとでも言わんばかりに。
――……いえ、私の気にし過ぎでしょう。
そこまで考えてフランシスカは頭を振った。
確かに不安要素はあるが、魔王が居る限りこの国は安泰だ。あまり気に病むのはかえって良くない。
「ごめん。少しミスった」
魔王は軽く自嘲しながら言った。
フランシスカとしては、今回の結果は十分すぎるほど素晴らしい物だったと思うのだが、魔王自身はそう思っていないらしかった。
前々から感じてはいたが、どうやら魔王は少し完璧主義のきらいがあるのではないか。出し抜かれたことが悔しいのは、分かる。兄もレーヴェンの王の言葉を聞いた時、同じような反応をしていた。
「いや、謝らないで下さいよ魔王様。結果だけ見たら十分すぎるほど上出来だったでしょうに。俺なんかはヴォルフに言われるまで何が悪いのかさっぱり解らなかったんですから」
珍しく殊勝な魔王の様子に、ガルシアが困った様にそう返した。
それに対し、魔王はありがとう、と小さく笑った。
「うん、結果は上々だったよ。多分予想していたよりも私に同意してくれた国は多いだろうね。――でも、それがアイツのおかげかと思うと、やっぱり腹が立つ」
ギリッ、と歯を食いしばるような音が聞こえた。悔しげな表情で魔王は言う。
「本当に、――自分自身に腹が立つよ。ちゃんと最初からレイチェルの神殿を焦点に当てていれば、レーヴェンに対する対策は練れた筈なんだ。……これは一度出し抜けたからといって、相手を見下していた私のミスだ」
意外な事であるが、魔王が負の感情を表に出すことは実は少ない。あったとしても、それはただのポーズである事が大半だ。
――だからこそガルシアも、そしてフランシスカも、本気で後悔している魔王に対し、何を言ったらいいのか分からなかった。
魔王が悔いているのは、あくまでも『最善を尽くせなかった自分自身』であり、いくら言葉を掛けたところで慰めになるとは思えない。
そんな時、フランシスカの横に立っていたヴォルフが小さくため息を吐いた。
仕方がないなぁ、とでも言いたげに彼は自嘲の様な笑みを浮かべてみせる。
「謝るのは、俺の方なのに」
そう言うと、彼は魔王に向かって歩き出した。
彼が小さく零した言葉は、隣にいたフランシスカしか聞き取れなかった。
――恐らくだが、兄はこの作戦に絶対的な自信を持っていたのだろう。
それはそうだろう。自身の体調の悪さを押してまで、今まで準備してきたのだ。自信が無いわけがない。それなのに問題視すらしていなかった人物に、この作戦自体を利用されてしまったのだ。あのプライドの高い兄の事だ。その事が悔しくない筈が無い。
だが、フランシスカにとって今の兄の姿は少し意外でもあった。
――あのお兄様が、こうも悔しそうな反応をするなんて。
フランシスカにとって兄は絶対的な存在だった。
兄は幼い頃から何でもできた。……運動以外は、ではあるが。
彼は何時だってすまし顔で、大抵の事は何の苦労もなく、大人顔負けの精度で完遂してみせた。
誰かが言う、――彼は天才だと。
また誰かが言う、――彼は薄気味悪いと。
だが兄は何を言われたとしても、不敵に笑って流していた。所詮は凡俗の戯言だと。
それまで周りに碌な人物が居なかったのも要因の一つだろうが、兄は他者を対等として見ていない節があった。有能であるが故の傲慢と言ってしまえばそれまでなのだが、フランシスカはそれが歯痒かった。
――ずっと願っていた事がある。誰でも構わないから、兄と対等に対話が出来る人が現れて欲しいと。
『世界なんて所詮はこんなモノだ』と決め込んで、彼は全てを諦めていたのだろう。だから、彼は誰とも分かり合えなかった。
そんな事では婚期が余計に遠のきますわよ、とフランシスカはよく兄に言っていたのだが、それに対し、兄は曖昧に微笑むだけだった。
でもこの国に来てからの兄は、とても楽しそうに見えた。少なくともフランシスカはそう思っている。
――自分では駄目だった。所詮この身は兄の庇護下にある。そんな様で対等に語れるなど、そこまでフランシスカは自身を過大評価していない。
だが今は状況が違う。この国には、圧倒的な力を持つ魔王がいる。ヴォルフと同じ祝福持ちのトーリだっている。後は、彼次第だった。
「――それは違いますよ、魔王様」
ヴォルフはそう言うと、魔王の目の前に立った。
彼は魔王の堅く握りしめられた右手を、そっと自分の両手で握った。魔王が驚いた様に目を見開く。
「今回の責は全て、レーヴェンの行動を予期出来なかった俺にあります。魔王様が自分を責める必要は何一つありません」
「でも、」
「予測ができたのは、俺だって一緒ですよ。それに、作戦立案を任されていたのは俺です。ここで魔王様が自身を責めるとなっては、俺の立つ瀬がありませんから」
ヴォルフのはっきりとした言葉に、何も反論する事が出来なかったのか、魔王は少し困った顔で一言、――わかった、と口にした。
魔王は無言のまま目を閉じ、ゆっくりとその瞼を上げ、決意を秘めた真剣な顔で、ヴォルフを見つめた。
魔王は躊躇いなく、空いていた左手を自身の右手に添えられているヴォルフの手に添える。
「――でも、次は」
「はい」
「次は、勝とう。――絶対にだ」
魔王が力強くそう言うと、ヴォルフはその言葉にしっかりと頷いた。
「ええ、その意気です魔王様。次こそは完膚なきまでに圧倒してやりましょう。俺達が力を合わせれば、きっと出来ない事なんてありません」
ヴォルフの頼もしい言葉に、魔王が感動したかのように「うん、そうだね」と瞳を潤ませた。一方ヴォルフは、まるで教え子を見るかのような目で魔王を見つめている。傍から見ると感動的な主従の絆に見えなくもなかった。
――そうして冒頭の話に戻るのだが、いくら回想してみたところで、このノリはフランシスカには理解できなかった。
確かに対等と言えばそう見えなくもないのだが、何と言えばいいのだろうか。騎士道物語に出てくる男同士の友情に近い何かを感じる。
別にそれ自体が悪い訳ではないのだが、魔王は一応女性なのだし、彼女には恋愛方面での対等さを期待したかったのだが……。まぁ、あの兄と魔王の事だ、それは無理な話だろう。今はもう諦めかけている節がある。
魔王は常日頃から「モテない」と愚痴っているが、恐らく異性として見る事が出来ない独特の雰囲気が原因なのだろう。失礼だと自覚していたが、それ以外の理由が彼女には思いつかなかった。……魔王に世継ぎができるのは、色々な意味でまだ遠そうだ。
――それにしても、とフランシスカはずっと無言で自身の隣に立っている男を見上げた。
その男、トーリは若干不機嫌そうな目で二人を見つめている。
「……珍しいですわね。いつもの貴方でしたら真っ先に止めに入る光景ですのに」
気が付いたらそう口に出していた。しまった、と思いつつも言ってしまったからには覆せない。
トーリはフランシスカのその言葉に、はぁ、と小さく息を吐くと、嫌そうに話し出した。
「政治の話は僕の領分じゃない。最低限の役割くらいは弁えてる。……それに、アイツはそういう目で魔王様を見てないから、多少の事は我慢するよ」
「確かにお兄様には他意はないでしょうけれど」
「魔王様はそうじゃないかもしれないって? ――それこそ愚問だね」
トーリはそう言うと、目を細めて笑った。
「あの人はああ見えて極端な性格だから。一つの事が片付くまでは他の事に目を向ける余裕はないと思うよ?少なくとも、この国が落ち着くまでは恋愛事は諦めた方がいいだろうね」
「あら、随分と他人事のように言うのですね」
「もちろん僕だって諦めるつもりはないよ。でもさぁ、僕としては最悪の場合、側に居られればそれでいいんだよね。愛っていうのは、ほら、本来は見返りを求めないのが基本だし」
それは欲しいモノは手練手管を尽くし手に入れる主義のフランシスカには、理解出来ない思考だった。だが、それにしては腑に落ちない事が幾つかある。
「その割にはいつも魔王様に詰め寄っているイメージがあるのですけど」
「それはソレ。これはコレだよ」
「貴方は本当にいい加減ですわねぇ……」
悪びれもなくそう言ってのけるトーリに、フランシスカは呆れたような顔を見せた。
ガルシア辺りはこの男を応援しているようだったが、フランシスカは正直反対だった。
ガルシアとしては半魔族と魔王が結ばれれば、彼等としても安泰なのだろうと思う。
だが、トーリはあまりにも人格的に難があるのではないだろうか。少なくとも、フランシスカであれば、トーリの様な愛情表現が歪な男はごめんだ。大抵の女性は同じように思う事だろう。
だからこそ、自分としては兄と魔王が結ばれてくれるのが一番なのだが、どうもそれは無理そうだ。相性は悪くはないと思うが、あの二人には恋愛のレの字も見えない。
彼らが互いに恋愛事に疎いのが一因だと、フランシスカは考えている。どちらかが相手を意識しだしたらあの関係も変わってくると思うのだが、まだまだ道は遠いだろう。
ならば後はユーグくらいしか選択肢が無いのだが、それだけは無いとフランシスカは断言できた。
ユーグは魔王にとって特別な存在だが、そこにあるのは親愛のみで、それが情愛に発展する可能性はほぼゼロに近い。何より、魔王自身がそれを望んでいない。
魔王が彼に望んでいるのは、家族としての役割だ。そこに恋愛感情が入り込む余地はない。
傍から見て、これもまた歪な関係ではあるが、本人たちが幸せそうだからそれはそれでいいのだろう。
だからといって、他国から婿を取るというのは論外だ。
そうなるとやはり選択肢がトーリしか無くなってくる。
フランシスカとしては、表立って応援はしないが、当人同士が幸せになれるのならばちゃんと祝福しようとは考えている。あくまでも互いの納得があっての話だが。
……だがこのままだと魔王が折れるのが早いかもしれない。あの魔王は、フランシスカとの一件しかり、意外と押しに弱いのだ。
「でも最大の敵は、ユーグよりもあの女神なんだけどね」
トーリはそう言うと、ユーグの方を見て舌打ちをした。見えないフランシスカには推測する事しか出来ないが、もしかしたらその方向に女神が居るのかもしれない。
それにしても失礼すぎる発言だった。この事を魔王が聞いたら怒りそうだ。いつもの魔王の言動を思い浮かべてみる。
――『私の女神が今日も鬱陶しい』
――『またレイチェルに無理を言われた……』
――『なんかレイチェルが最近冷たいんだけど』
………………。
フランシスカは回想を終えると、ふっと達観した様に笑った。
「あれは勝てないですわねぇ……。」
何だかんだと言いながらも、魔王は女神に甘い。それに正直『私の女神』という発言は、割と本気で言っている節がある。少なくとも、魔王と心の距離が一番近いのはあの女神なのだろう。
「あの女神が男神じゃなくてホントに良かったよ。流石にそれだと勝ち目が無いからね。やっぱりずっと一緒に居たっていうのは、結構大きなアドバンテージになるからさぁ。巻き返すのは中々難しいよね」
「……いえ、貴方はそれ以前の問題があるのでは?」
「えっ、何が?」
トーリは驚いたような顔で、フランシスカにそう聞き返した。
一つ一つ悪い所を列挙してやろうかと考えたが、止めておくことにする。今さら無駄な労力を払う事は無いだろう。
「まぁ、精々頑張って下さいまし。私は何があってもお兄様を押しますので」
「勝手に言ってろよ、女狐」
トーリは不愉快そうに言うと、魔王達がいる方に目を向けた。
魔王とヴォルフの二人は、真剣な様子で言葉を交わしている。
ヴォルフが憂鬱気な様子で魔王から目線を逸らしつつ、さらに両手に力を込めた。対する魔王は若干顔色を悪くしながら、自身の拘束された右手を見つめている。
「あそこまで無様に利用されたのは生まれて初めてなんです。『腸が煮えくり返る』というのはきっとこの様な感情を指すのでしょうね」
「うん。それは私も全面的に同意するんだけどさ、そろそろ手を放してくれない? 爪が食い込んで痛いんだけど」
「――もちろん、魔王様も俺と同じ気持ちですよね? 国家戦略担当としては、同じ価値観を共有できるのはありがたいです。……あ、思い出したらまた苛立ちが」
「いたたたたっ!? 地味に痛いって!! ……あ、あのさ、本当は私の事もちょっとは怒ってたりするの?それならそれで正直に言ってくれて構わないんだけど」
「暫くしたらまた会議をしなくてはなりません。移民に関しては視野には入れていましたが、まだ内容を詰めていませんから。国民からの反発が大きいでしょうが、何とか妥協案が無いか話し合いましょう。やれやれ、また忙しくなりそうですね……」
「無視!? 私の話ちゃんと聞いてる!?」
「聞いてますけど?」
「なにそれこわい」
始めの空気はいざ知らず、何時の間にやら掛け合いが始まっていた。
……あの人達は長くシリアスを続けられない病気にでも掛かっているのだろうか。フランシスカは遠い眼をしながらそう思った。
変な風に落ち込まれるよりはずっとマシではあるが、なんであの二人はあんなにも残念なのだろうか。不思議でしょうがない。
トーリはその光景を暫く見つめていたかと思うと、大きく息を吐いて、爽やかに笑った。
そして彼はフランシスカの方を向くと、後ろ手に親指で二人を指差しながら言った。
「羨ましくてムカつくから止めてくる」
「……私、貴方のそういう素直なところは嫌いじゃないですわよ?」
清々しいまでのトーリの物言いに、フランシスカが思わずそう言うと、トーリは真顔で彼女の前に両手を突き出した。
「あ、そういうのは結構です。僕は魔王様一筋だから」
フランシスカはまさかの真剣な返答に、ヒクリと頬を引き攣らせた。
――あくまでも冗談の範疇ですし、全くそういうつもりなど何一つありませんのに。
何よりも許せないのは、その勘弁してくれよ、とでも言いたげな彼の態度だ。いくら彼女でも、彼の様な男との付き合いは頼まれたとしても願い下げというのに。
だがいくら冗談とはいえ、恋愛事に関して百戦錬磨の彼女が、男性からこんなにも嫌そうな反応されたのは生まれて初めてだった。
――別に冗談の様なものですし、私が傷つく謂れは無いのですが、何でしょうかこの気持ちは。
沸々と胸の奥からあふれ出してくる、この形容し難いドロドロとした感情。
そう、紛れもない殺意であった。
――やはり彼とは相容れないですわ。フランシスカはそう深く心に刻み込んだ。
「前言は撤回します。貴方なんてやっぱり大嫌いですわ」
「そっか。僕は君の事なんかどうでもいいや」
「ほんっと、貴方って最低ですわ!!」
――――余談ではあるが、この日こそがこれから数年に渡るトーリ派VSフランシスカ派(ヴォルフと魔王を応援する会)の水面下による戦いの始まりであった事は、その場の誰にもまだ分からなかった。
――無論、魔王はそんな派閥がある事すら生涯知る事は無い。
本人の知らない所で結婚相手が決定しそうな魔王様ェ……。




