44.罪と×××
レオナルドが次に目を開けた時、初めに見えたのは眩い光だった。
そして次に見えたのは、――一部の者にとっては、恐らく『絶望』と呼んでしまっても差し支えが無かっただろう。
レオナルド達が立っていたのは、恐らくは魔王城の広いバルコニーの様な場所で あった。
そこからは魔王城の城下がよく見渡せる。――見渡せてしまった。
「なっ、何だこれは……」
レオナルドは思わずそう口に出した。
――誰もが呆然とその光景を眺めていた。
洗練された建築美を誇る建物群。均等な石畳で舗装された道。そして何よりも、その規模だ。
この城を中心として裏側にも同じような景観が広がっているとするならば、恐らくこの城下は数万人規模の都市だとみていいだろう。
数年前の『魔王討伐』の時に、魔王城の周りにこれ程の建物があったなど聞いた事も無い。そうなると先程の神殿と同じく、魔王アンリが造り上げたものだと推測するしかない。
普通の人間であれば、たかが街の風景だと思うかもしれない。だが、少しでも政治に関わった事がある者には、この状況は異常にしか見えない。
ここまでの物を作り上げる『技術』『労働力』『資材』『資金』、どれか一つが欠けていても成り立たない。
レオナルドの治める国はそれなりに豊かではあるが、こんなものを真面目に作るとなれば、ゆうに数十年は掛かる。
もし他の国が同じ物を一年で作ると言ったならば、きっとレオナルドは鼻で笑ってしまう事だろう。
――馬鹿げた妄想も大概にしろ、と。
言ってしまえば、ここまでの物を作りあげる事が出来る『何か』が魔王アンリにはあるという事だ。彼等が持ちえない、何かが。
……それはもう、人外の力だ。こちらの理解の範疇を遥かに超えてしまっている。
ここまでの差を見せつけられると、もう嫉妬心すらわかない。むしろ、背筋を這い上がってくるような恐怖を抱く。そう思ったのは、どうやらレオナルド一人だけではないようだった。
――場の空気は、もはや異様なモノとなっていた。
バルコニーにはテーブルが並べられ、見た目は食欲をそそりそうな軽食が並べられていたが、誰も手を付けようとしない。それもそうだろう、とてもじゃないが食事がとれるような状況ではない。
それどころか誰一人として口を開かず、周りの出方を窺っている始末。
――今話しの口火を切る事が出来るのは、それこそ賢人か余程の、
「――ふざけるなよ、この化け物が!!」
――そう、余程の愚か者でなければ無理だろう。
たった今叫んだ青年は、恐らく後者だ。
……確か彼は兄王が急病で死去したため、二月ほど前に王位を継いだと誰かに聞いた事がある。大陸の北に位置する小さい国なので、冷害の被害も酷かった筈だ。だからこそこの集まりに参加しているのだろう。
だが、あの国には特に魔王との対立は無かった筈だ。だからこそ、彼の唐突な物言いにレオナルドは疑問抱かずにはいられなかった。
「……私が何をふざけていると?」
魔王アンリは特に気にした様子もなく、微笑んでそう言った。
青年はその魔王の余裕な態度が気に障ったのか、より鋭い目つきで魔王を睨みつけた。
「冷害も何もかもお前の仕込みの癖に、何をそんな善人面をしてるんだ!? 挙句の果てにこんな風に自分の力を見せつけるなんて、ふざけているとしか思えないだろうが!! そんなに俺達を馬鹿にして楽しいのか!?」
そうは言うものの、彼の言葉の端々から見て取れるのは、魔王への欺瞞と言うよりも、むしろあれは『嫉妬』に近い物なのではないだろうか。
――自分が押し付けられたのは矮小で貧しい国だと言うのに、何故お前なんかがこんなにも豊かな国を治めているんだ。
レオナルドの勝手な推測であるが、恐らくはそんな事を思っているのではないだろうか。
……気持ちは分からなくもないが、それはあまりにも浅慮だ。
「ふぅん。私の仕込みですか」
「あぁ、そうだ。何のつもりかは分らないが、俺は騙されないぞ。どうせあの半魔族の奴ともグルなんだろう?」
「何を馬鹿な事を……。それに、彼と女神が起こした奇跡を蔑む様な物言いはやめてくれませんか? ――気分が悪いです」
魔王はつまらなそうにそう言うと、テーブルに置いてある花瓶から、そっと黄色い薔薇の花を一本抜き出した。……どうやら、あまり興味がないようだ。
レオナルドとしても、無駄な争いは避けたいと考えている。だからあの魔王の彼に対する対応は、こちらとしても願ったりなのだが、青年の暴走は収まらない。
「なんだ、図星か? ……おい、何とか言ったらどうだ」
「………………。」
魔王は下らないとでも言いたげに、それを無視し、片手で薔薇をくるくると弄んでいる。
青年の配下の者が制止しようとするも、彼の魔王に対する侮蔑の言葉は止まらない。
……そこまで聞いて、流石にこれはまずいとレオナルドは思った。
今はまだ魔王の方が大人の対応を取っているから大事に至らずに済んでいるものの、見ている方は気が気ではない。
敵対する同レベルの国同士であれば、多少の罵り合いは日常茶飯事ではあるが、それと今の状況はかなり異なる。相手はよりによってあの魔王だ。はっきり言って、彼は頭がどうかしているのではないかとしか思えない。
彼の話は明らかに裏付けのない空論であるし、それと何より魔王と彼の国とでは、格が違う。
格とは言ってしまえば歴史であったり、文化だったりするが、今ここで一番に物を言うのは、国としての『強さ』である。それこそ、魔王に敵う者など誰一人としていないというのに。どう考えても無謀だとしか言えなかった。
普通であれば、このような常識破りの行いをした国は、知らないうちに他国から外交の梯子を外され衰退していく。
だが、魔王が『普通』の対応をしてくるとはどう考えても思えない。……嫌な予感がした。
そう思い、レオナルドが仲裁に向かおうとしたその瞬間。魔王の纏う空気が変わった。
――切っ掛けは、青年の一言だった。
「――はっ、どうせ今までの復讐のつもりなんだろう。相手にされなかった事を逆恨みするだなんて、何とも惨めな事だな」
「……復讐ねぇ」
魔王はそう小さくつぶやいた。
魔王はスッと背筋を伸ばしたかと思うと、手に持った薔薇の茎を両手で抱えるように持ちかえ、ゆっくりを口元に持って行った。
――それは、何だか祈りの姿に似ていた。
魔王は軽く天を仰ぐと、すぅ、と息を吸い込んだ。そして、真っ直ぐに青年を見やると、ゆっくりと口を開く。
「もしも私が貴方達に本気で復讐したいと思っていたなら、」
魔王は薔薇を右手に持ち替え、すっと頭上高くに掲げた。黄色い薔薇が、揺れる。
すると花弁が一枚、また一枚と剥がれ落ちるようにして空に向かって散っていくではないか。
葉や茎は緑色の粒子となって、魔王の周りをクルクルと回り、黄色の花弁は渦を描くようにして広がっていった。まるで、そこに竜巻でもあるかの如く。
「――――そんな回りくどい真似をしないで直接叩き潰していたに決まっているだろうが!!」
怒気を孕んだ声で魔王が叫ぶ。その刹那、宙に舞っていた花弁を中心として、数えきれないほどの魔法陣が展開された。
晴天を埋め尽くすかのように浮かぶそれらは、赤黒い光を纏っており、見る者を否応なくに恐怖の底へと叩き込む威圧感を放っていた。
レオナルドは心臓が早鐘を打つ音を聞きながら、生唾を飲み込んだ。喉が、異常なほどに渇く。
今までに命の危機は何度か経験してきたが、これ程までの死の重圧を感じたのは初めてだった。
何重にも連なる魔法陣は、その一つ一つから滲み出るような邪悪の念を感じる。まるで死神の鎌を首に突き付けられている様な気分だった。
――あ、ああ。やはり最初の時に、無理をしてでも止めるべきだった!! 奴の口をふさぐべきだったのだ!!
レオナルドはそう歯噛みしたが、もう時はすでに遅い。
あの青年は、ついに『魔王の逆鱗』にふれてしまったのだから。
――それにあのアンリがこれ程までに感情を顕にする姿など、見た事も聞いた事も無い。
少なくともレオナルドは、何もかも興味が無いと言いたげな顔で黙り込んでいる姿くらいしか見た事が無かった。
……結局の所この時点まで、彼らは魔王アンリを『脅威』だとは思っていたが、明確な『敵』になるとまでは考えていなかった。
この異界より呼ばれた少女が、怒り、泣き、嘆く。そんな当たり前 の事すら、今まで一度も理解しようとしなかったのだから。
『所詮は異界の化物』『我々人間とは考えが違う』『――だから何を言っても構わない』
……そういった侮蔑の心が、根底にはあったのだと思う。
だからこそ、あの若き青年王が最初に魔王に食って掛かった時に、誰も止めようとはしなかったのだ。
だがその予想に反して、魔王はこうも激昂している。それも、明確な敵意を伴って。
魔王は先ほど絡んできた青年を見据えながら、ゆっくりと口を開いた。
「私だって自分の立ち位置くらい理解している。それを考えたらアンタらの危惧だって当然の事だと思うよ。
確かに怖いよねぇ、こんな手に負えない化物に自分が恨まれてると思ったら。
――でもさぁ、それを踏まえた上で聞きたいんだけど、
――――私に喧嘩を売って何の得があるの?
遠回りな自殺志願? あ、それともまさか私に敵うとでも思ってたりする?
……それはちょっと冗談が過ぎるんじゃない?」
声こそは落ち着いたものの、未だに頭上の魔法陣は展開されたままだ。それどころか、魔王は嘲るような笑みを浮かべ、なお一層威圧感を増している。
「う、うぅっ、だが、」
「だが?」
「お前は『魔王』で、世界の敵だっ……。認めるわけにはいかないっ……!!」
気圧されながらも、青年はそう言い切った。
それに対し、魔王は少しだけ感心したかのような表情を見せると、ニヤリと笑って見せる。
そして、ゆっくりと右手を青年の前に向けた。その動作に呼応するかのように、魔法陣の向きが一斉に青年の方へと向けられる。
「へぇ、世界の敵か。別にそうなって欲しいのなら、成ってあげてもいいけど。
――あ、それじゃあまた世界を巻き込んだ大戦でも始めようか? 『魔王』の名に相応しくさ。
朝は鶏声の代わりに怨嗟の声を紡ごうか。
昼は休む間もなくの槍の雨を降らそう。
夜は明るく過ごせるように火球や雷を一晩中落とすとしよう。
動くモノが居なくなるまで、ずっと。
……なぁ?そうされるのが望みなんだろう?
だから私の事を敵にしたがるんじゃないのか?
――答えてみろよ、正義の味方気取り」
「っ、ぐっ………………。」
あまりにも一方的な展開だった。
青年は小さく呻くと、ヨロリとその場に膝をついてしまった。斜め後ろからでも、大量の冷や汗が流れているのが見て取れる。
……あれだけの悪意を一身に向けられているのだ。今意識を保っている事だけでも評価するべきかもしれない。
――敵うわけがない。
レオナルドは此処に来る前までは、魔王アンリの事を畏怖しながらも多少は見下していた。
いくら『魔王』を自称しようとも、所詮はただの異界から来た小娘に過ぎない。奴隷を集めてごっこ遊びをしているだけだろう。そんな奴に今まで帝王学を叩きこまれて育ってきた我々が後れを取る訳ない。そう、思っていた。
だが、その自負ですらこうも簡単に手折ってくる。
あの魔王は、理屈で語れる存在ではない。立ち向かう方が愚かなのだと思い知らされる。
――あぁ、認めよう。認めようじゃないか。
この魔王は紛れもなく、我々よりも『格上』の存在だ。
我等の下らない対抗心や畏怖や嫉妬などで、意味もなく冷遇すべきではなかったのだ。
下手をすれば、魔族とは比べ物にもならないくらいの禍つ神を生んでいたかもしれなかったというのに。
レオナルドはその考えに辿りつき、思わず震えた。
今までの自分の言動の危うさはいざ知らず、自分以外の国王とて似たり寄ったりの思考だった筈だ。
だからこそ、愚かな事に今までアンリの事を冷遇し続けることが出来たのだ。それが、どれほど危険なのかを理解していなかったから。
……無論魔王との戦争など、此処にいる誰もそんな事を望んでいないし、結果が分かりきった戦など死んでもごめんだ。
だが今の状態の魔王に話しかけるなど、どう考えても自殺行為だ。最悪矛先がこちらに向けられかねない。
それどころか、この威圧感の中で動ける者など皆無に等しかった。視認できる形で命を握られてしまっているのだ。当然だろう。
誰もがこの瞬間、死を覚悟した。
――もう誰にも魔王を止めることは出来ないと。
だがその考えは、思わぬ者によって覆される事になる。




