43.麦の実の熟する時
――こんなに参加する連中がいるとは……。俄かには信じられん。
大陸の西側の国―――ガルーナの国王、レオナルドはその事実に驚いていた。
手紙には、護衛は三人まで、名代は王位継承権第一位の者までならば認めると書いてあった。
大広間にいる人の数はゆうに二百を超えており、その半数は護衛を兼ねた騎士だったが、それでも知っている顔を数えると、約三十程の国の王、もしくはその後継者候補の代理人がこの場にいる。吹けば飛ぶような弱小国から、歴史が深い大国まで様々だった。
だが帝国やその属国、それと去年魔王と小競り合いがあったフィリアは、どうやら来ていないようだ。
レオナルドの国、ガルーナは大陸の中では中級の国家ではあったが、今回の冷害の被害は自国内で賄えるレベルでは無かった。
国庫を切り崩せば今回のみは凌げたかもしれないが、流石にそれは後が怖い。それが今回の儀式に参加する事を決めた要因の一つだった。
だが、それ以上にレオナルドの祖父である、二代前の王――イヴァンが強く参加する事を提言したからだ。
なお、自身も参加すると言って聞かなかった為、最終的にはレオナルドが折れる形となった。現在はのんきに隣国の王と世間話に花を咲かせている。
――もういつ病に伏せったとしてもおかしくない歳なのに、元気な事だな。
レオナルドは感慨深げに祖父の事を眺めた。
イヴァンは決してボケたりしている訳ではないのだが、昔から時折ではあるが、周りが理解できない事を急に言い出したりする奇人だった。
大概は良い方向に進むので大きな事は言えないが、三年ほど前の『魔王討伐記念式典』の時は、流石に胆を冷やした。
今となっては笑い話の類、いや、ある意味笑えない話だが。
あの時もイヴァンが無理を言って式典に参加する運びとなったのだが、彼は事もあろうかその時、レーヴェンの王妃となったアンリに一人で話しかけに行ったのだ。
いや、話していたというのは少し語弊があるかもしれない。肝心のアンリは式の前半で退出してしまっていたし、話していた時間は精々数分程度だった筈。
イヴァンは「中々見所がある女子じゃ」などと言っていたが、何がどうしてそういう結論になったのかは、レオナルドにはさっぱり理解できなかった。
だが、その『見所』が今回の件に繋がるというならば、やはりイヴァンは慧眼であったという事なのだろう。
その頃の暗黙の了解というか、不文律の様な物だったが、『勇者アンリへの干渉を禁ず』という空気が出来上がってしまっていたのだ。
その理由は言うまでもなく、アンリの力が強大だった為だ。過ぎたる力は災厄を呼ぶ。
上手く使いこなせれば、世界の覇権を取る事も夢では無かっただろう。だが、その力を使わせるようなことはあってはならないのだ。
――自分以外の国が文字通り『一強』になってしまうのを望む国など、何処にもないのだから。
いくら制約で縛ろうとも、懇意になった者に加担して、玉砕覚悟で向かってこられたならば、我々に立ち向かう手段はない。
だからこそ、各国の上層部はアンリに干渉せず、ただ一国のお飾りの王妃として腐らせる道を選ばせたのだ。
だが、そもそも真名による制約すら出来ていなかったというのだから、なんとも胆の冷える話だ。それこそアンリが逃げ出した後に、復讐されなかったのが不思議なくらいに。
……そう、不思議でしょうがないのだ。アンリはあれだけ冷遇され我々に悪意を投げかけられ続けたというのに、目に見える報復というものをしてこない。
だが帝国やフィリアの件は、ある種の例外として見ていいだろうと思っている。一貫性が感じられないからだ。
なにしろ、アンリを抱えていたレーヴェンが何もされていないのだ。
だが彼だけが一概に悪いとは決して言えない。彼もまた、制約で縛られていたからだ。『アンリの力を無断で行使する事を禁ず』と。
そうでなければお飾りとはいえ、アンリを国の中枢におくことを他の国は許しはしなかっただろう。
そういった事情があった事はわかってはいるが、それでも何食わぬ顔でこの集まりに参加している彼は、何と言うか逆に尊敬に値する。
――合理主義な奴だとは思っていたが、まさかここまでとは。
だが、それは言ってしまえばレーヴェンにも手紙がちゃんと届いていたという事だ。それならば、断った方がレーヴェンに対する魔王の心象が悪くなるかもしれない。そう考えると、その選択が間違っているとも言い難い。
――――……そういえば、そろそろ時間の筈だが、魔王はまだ現れないのだろうか。
そうレオナルドが思い始めた時、りんっ、と微かに鈴の音が聞こえた。
それはとても小さい音だったが、聞き流してしまうには何処か抗いがたい魅力があった。
りん、ともう一度音が聞こえる。その時にはもう既に話をしている者はおらず、誰しもが音の聞こえた方向――大広間の扉に目を向けていた。
――大勢の人間に見つめられながら、ゆっくりと扉が開いていく。
そこに居たのは魔王アンリと、白と銀を基調とした巫子服を身に纏った少年だった。
恐らく彼が女神レイチェルが言っていた巫子なのだろう。
――男なのは意外だったがな。
そして何よりも目を引くのが、彼の頭にあるモノだった。
本来人の耳がある位置には何もなく、それよりも少し高い位置にまるで狼の様なピンと立った獣耳が生えている。それはまぎれも無く、半魔族特有の種族顕現だった。
多くの者がその事を予測していたとはいえ、やはり動揺は隠せない。
今回の儀式の手前、声にだして非難をする者は居なかったが、それでも少年を見る目は厳しいものが多い。
だが、少年はそんな視線を物ともせずに、穏やかに微笑んでいる。中々どうして、強かな性格をしているようだ。
「この度は我が女神、レイチェルの『救済の儀式』にお集まりいただきありがとうございます。彼女もきっと喜んでいる事でしょう」
魔王は開口一番にそう切り出した。
レオナルドはその内容に、思わず眉を顰める。
まるで女神様が自分の所有物の様な尊大な言い方だ。
いや、それより問題なのは、今の発言で魔王は『女神よりも自分の方が格上』だと暗に告げたに等しいからだ。
彼等の関係が実際にどんなものなのかは知らないが、これはいただけない。
これではいくら『女神の救済』という大義名分があっても、それは魔王によって齎されたモノと捉えるしかなくなるからだ。
それは儀式の場所を借りる恩と比べたら、遥かに大きい借りになってしまう。
いくら見返りを求めないと明言されているとはいえ、これでは魔王に大きな借りを与えられたのと一緒だ。
それでも、今さら去る訳にもいかない。帰るための道は、忌々しいがこの魔王にしか開くことが出来ないのだから。
レオナルドが辺りを見渡してみると、魔王の言葉に憤慨する者、これくらいは予想の範疇だとでも言いたげに涼しい顔をする者、意味深に微笑む者と、十人十色の反応をしていた。
――それすらも織り込み済みの『奇跡』か。ふん、良くできた話だ。
魔王は場の動揺など気にもせずに続ける。
「そしてこちらが我が国の巫子、ユーグです。皆々様方、――どうか失礼のない様にお願い致します」
魔王がそう言うと、少年はゆっくりと頭を下げた。
「さてと、時間も押している事ですし、神殿の方へ向かいましょうか。――――その後でお話したい事も沢山ありますしね」
魔王は右手をゆっくり上にあげた。その手には、銀色のベルの様な物が握られている。
――チリン、と軽やかな音が大広間に響き渡った。レオナルドは一瞬襲ってきた眩暈に、おもわず目を瞑った。
――この感覚、何処かで知っているような気がする。
……そう、これは転移符によってこの大広間に来た時と同じ感覚だ。
そうレオナルドが気づいた時、彼はイヴァンと隣同士で長椅子に座っていた。逆隣りには連れてきた騎士が座っている。
レオナルドは驚愕のあまり咄嗟に立ち上がりそうになったが、何とかそれを耐える。……相手はあの魔王だ。これくらいの事に一々驚いていたら身が持たない。
冷静になって観察してみると、今自分達がいる神殿は、予想を超え遥かに立派な建物であった。
天井にはドーム状に色つきガラスが張り巡らされており、天使や女神を象った絵の様に見える。今座っている長椅子でさえも細工の一つ一つが繊細に作られており、それが何十脚もあるなど、どれだけの出資が掛かっているのか考えたくもない。
――たかが一年やそこらで、これだけの建物を作り上げたとでもいうのか。
だがそもそも、魔王が集めた奴隷たちにそんな高等な技術がある訳もない。だとすれば、コレは魔王が自ら作り上げたのだろうか?
……そんなわけがない、と言えないのがあの魔王の恐ろしい所だ。
「儀式の間は何があっても大人しくしていて下さいね?巻き込まれてもしりませんから」
魔王は祭壇の最前列でそう言うと、ゆっくりと歩いて最後尾に向かい、扉の前に直立した。どうやら、座るつもりは無いらしい。
それとほぼ同時に、ユーグと呼ばれた少年がゆっくりと祭壇の前に立った。
「儀式の前に、今回参加していただいた国の目録を読み上げさせていただきます。 ――アルフィニアより、国王エンリコ・ド・アルフィニア様。――エメライナより、」
落ち着いた口調で、少年は計三十二にも及ぶ国を読み上げていく。
その他に、噂話でしか聞いた事の無い少数部族が混じっていたのは意外であったが、そんな事は別にどうでもいいだろう。
この行為は儀式の名目上の事と思うかもしれないが、魔王がそんな意味の無い事をさせるとは思えない。
「……お爺様、どう思われますか?」
「なぁに、見てればわかるじゃろうて」
レオナルドがこっそりそう耳打ちをしても、祖父ははぐらかす様に笑うばかりで明確な答えを言わない。謎かけでもしているかのような適当な回答だった。
それを少し不満に思いつつも、レオナルドは視線を前に向けた。
「――以上となります。皆様方の協力に、改めて深い感謝を。
――――それでは儀式を執り行います」
少年はそう告げると、ゆっくりと神殿の前に跪いた。
その瞬間、彼の頭上高くに大きな水の玉の様な物が出現した。その水球は、天井からの光を反射し、キラキラと七色に輝いている。
少年はその水球を見もせずに、穏やかな口調で聖句を紡いでいく。
内容はよくある豊穣祈願だったが、言葉が紡がれる度にこの場の空気が清涼になっていくのが解る。上手くは表現できないのだが、儀式の前とは明らかに空気の流れが違うのだ。
「――――レイチェル様の御加護が在らんことを」
少年は最後にそう告げると、こちらに背を向けたまま静かに立ち上がった。
――まさか、これで終わりだとでも言うのか?
レオナルドはこれでは拍子抜けだな、と思ったが少年が動かない所を見ると、まだ終わりではないらしい。
「清き水は、斯くも降り注がん」
少年は右手を水球にかざす様に高く上げた。その言葉と共に水球の中身が変化していく。
――あれは、外の映像か?
水球の中に映し出されていたのは、どこかの寂れた村の様子であった。
その映像はまるで彷徨うかのように場面を切り替えると、どこかの渇いた畑を映したまま動きを止めた。
すると、ポツポツと畑の土に黒いシミの様な物が増えていくのがわかる。だんだんと黒の面積が増えていき、直に大きな雨粒が映像からも見て取れるようになった。
「祈りよ、形を成せ」
少年は先ほどと同じように左手を高く掲げた。
その瞬間、ダン、とでも音が聞こえてきそうな勢いで畑が揺れた。正確には、揺れた様に見えただけだが。
少年はそれを確認すると、ゆっくり右腕を下ろした。それに合わせて雨足も収まっていき、完全に右手が下がる頃には雨はすっかり止んで、晴れ間さえも広がっていた。
午後の暖かな日差しに当てられた畑には、等間隔に小さな穴の様な物が空いている。恐らくあれが先程の揺れの原因なのだと思う。
「――命の種よ。暗闇より出で光を望め。いざや、芽吹きの時ぞ」
少年は左腕を降ろし、そのまま両腕を大きく広げた。
そして、その両手を勢いよく合わせる。パンッ、と渇いた音が響き渡った。
水球の映像に変化が現れる。空けられた穴から、ぽつぽつと緑色の何かが出てきていた。
しかもその芽はこちらが瞬きをする度に成長していき、数十秒後には大きな麦穂を付けるまでとなった。
「そんな、まさか……」
レオナルドは思わずそう呟いた。
自身は農業の事などさっぱりわからないが、作物がこんなにも早く育つなど聞いた事も無い。
自分と同じような考えを持つ者も多いのか、場が少しだけ騒がしくなり始めた。
その時、
「――皆様、お静かに」
そう有無を言わせぬ声音で、魔王が告げた。それに逆らえるような者は、誰も居ない。皆この異常な空気に飲まれていたのだから。
レオナルドが目線を水球に戻すと、水球はスルスルとその質量を減らしていき、ついにはその場から消えてしまった。
少年はそれを見届けた後、ゆっくりとこちらに振り向く。
「以上を持ちまして『救済の儀式』を終了とさせていただきます。
――先ほど見ていただいた通り、皆様の国の耕作地において同じ現象が起こっています。後数日もすれば収穫できると思いますので、国に戻りましたら詳しくご確認していただければと思います」
少年がそう締めくくると、一人、また一人と、小さくであるが拍手を始めた。
……誰しもが、此処に来るまでは『何か凄い事が起きるのだろう』くらいには思っていただろう。だが、ここまでとは思っていなかったのだ。
中には憮然とした態度を取り続ける者や、憎々しげに少年を睨みつける者もいたが、それはごく少数だ。
最初の拍手に続くかのように人が増えていき、最後には耳が痛くなるほどの歓声が溢れていた。
少年はその光景に少しだけ目を見張ると、薄く笑ってお辞儀をした。
――確かにこれならば、冷害の被害など無かったも同然になる。それどころか、あの様子を見るに例年よりも多い収穫を見込めるかもしれない。
……これが、女神の力だというのか。なんて規格外な力だ。
それと同時に、女神レイチェルへの畏怖の念が高まっていく。
神格自体は泡沫の存在だというのに、他の祀られている神々の誰よりも人々の助けになってくれている。
今思えば、あの『勇者召喚』の時もそうだった。この女神の力があったからこそ、魔王を打倒しうる存在をこの世界に呼ぶことが出来たのだ。
その女神の力を代行してみせたこの少年に対して『半魔族にしては中々やるじゃないか』という思いすら浮かんでくる。それが、この鳴り止まぬ歓声の理由なのだろう。
拍手が段々と治まってきたころ、少年が居る祭壇に向かって足を進める者が居た。
――――魔王その人であった。
魔王は少年の肩にそっと労わるように右手を乗せ、しっかりとこちらを見て話し出した。
「皆様方、ご協力の程ありがとうございました。
――お疲れかと思いますので、休憩を兼ねて軽食を用意してあります。どうかささやかではありますが、ご歓談をお楽しみ下さい」
魔王はそう言い終わると、先ほど此処に来た時と同じようにベルを鳴らした。
――ああ、またこの転移魔法か。
そう思いながら、レオナルドはそっと目を伏せた。これは確かに便利ではあるが、どうにも独特の浮遊感が苦手だった。
……彼、いや、多くの者はその時気付いていなかった。――そう魔王が神殿に来る前に言った言葉を。
この場の穏やかな空気がそうさせていたのかは分からないが、それでも先刻の奇跡のインパクトが強すぎたのだろう。
『――その後でお話したい事も沢山ありますしね』
魔王は確かにそう言っていた。
彼らにさらなる波乱が待ち受けているのは、もはや言うまでも無かった。
次回予告
魔王様切れるの巻