41.想いは静けさの中に
「死ぬかと思った……」
冗談ではなく、本気で死ぬかと思った。
……命の危機を感じたのは何時振りだろうか。魔王戦が最後だったような気がする。
ていうか、危うく三途の川らしきものを渡りかけたぞ……。
あの時、見知らぬお兄さんが「お前はまだ此処に来るべきではない」と言ってそこから追い返してくれなくちゃ、本気でヤバかったかもしれない。
そのお兄さんが超絶美形だった事は覚えてるんだけど、顔自体はよく思い出せないんだよなぁ。
やっぱりアレは夢だったのかもしれない。むしろその方がいいか。臨死体験とか怖すぎる。
「災難でしたねぇ、魔王様」
「笑い事じゃないよガルシア。あいつは天然だから気を付けろとあれほど言っておいたのに……」
ゲッソリとしながら私がそう言うと、ガルシアは苦笑しながら資料を机に置いた。
「俺も用事さえなければ、噂の女神様と会って見たかったんですけどね」
「あー、そう言えば神託の時は皆に事情を説明しに行ってもらってたんだっけ。……どう?みんな何か言ってた?」
私がそう問うと、ガルシアは少しばつが悪そうな顔をした。
「――――『人間なんて見捨ててしまえばいいのに』、そんな意見が大半でしたよ」
「…………そう」
予想はしていた。彼等が人間を助ける事を許容出来るとは、私も思っていはいない。
「一応、今後の国の展開の仕方も視野に入れて説明しておいたんで、少なくとも暴動が起こる可能性は無いですね。
でも、『理解』と『納得』は別でしょう。そう簡単に割り切れるもんじゃないでしょうに」
あの女神の行動が、国の為になる事は『理解』しているが、それでも人間を救うなんて『納得』出来ない。そう言いたいのだろう。
利益を取るか、感情を取るか。……それでも、耐えてもらうしかない。
他国を力で脅して従わせるのは、とても簡単だ。はっきり言って、城の一つでも落とせば事足りる。
だが、大した理由も無く強大な力を行使するのは、ただの弱い者いじめと一緒だ。美学が無い。我儘かもしれないが、私はそんな情けない様をさらしたくなかった。
それに『今』の感情で動くのは得策ではない。百年先、二百年先の未来。『魔族』の存在が御伽話になるくらいの時が過ぎた頃、半魔族が人間からどのような評価を受けるのかは、私達の働きにかかっている。
世代が変わっても尚、互いに憎み続ける事など無い様に、関係を改善していかなくてはいけない。『今』の彼らの為だけではなく、『未来』の彼らの為にも。
「それでも、割り切ってもらわなければ困る。……こればかりは、私じゃどうにも出来ないからさ、説得はガルシアに任せるよ。きっと元人間側の奴の言葉なんか、何を言っても薄っぺらく聞こえるだけだろうし」
「貴方に限ってなら、そんな事は無いと思いますけどね……。でも、その命令はしかと承りましたよ。俺も出来る限りの事はさせてもらいます」
ガルシアはそう言って、軽く頭を下げた。
「そういえば、以前魔王様は『王の自覚なんか無い』と仰いましたね」
「……言ったね」
あれは確かちょうどシスカが此処に来た頃だったな。色々な事を難しく考えすぎてて、軽くパンクしたんだよなぁ。
それからはほぼ勢いだけで行動してきたけど、割と何とかなってる。……『王の自覚』って奴は、まだよく分からないままだけど。
「あの時は俺も結構反発しましたけど、今の貴方は十分に『良い王様』ですよ。自覚があろうと無かろうとね」
まぁ、もう少し自重はしてほしいんですけど、と彼は続けた。
……ん?もしかして褒められてる?珍しいな。それとも、フォローを入れられるほどに酷い顔をしていたのだろうか。
――でも、『良い王様』か。そう思ってくれてる人達が居るならば、まだ頑張れる。やれるだけの事はやってやろうじゃないか。
「それはどーも。期待に添えるように頑張るよ。――よし、気持ちを切り替えて次の話をしようか。この後の最終確認なんだけど……。」
「あの、魔王様」
「ん?何かな?」
「いや、そのですね。――――そろそろ廊下のあの状態を何とかしませんか? 理由は最初の説明で何となく分かりましたけど、流石に気になって集中できないんですが……。」
困ったように頬を掻きながら、ガルシアはもう片方の手で廊下を指差した。
「……気になる?」
「ええ、まぁ」
私は仕方がないなぁとでも言いたげに、ため息を吐くと、椅子から降りて廊下へと向かった。
そっと扉に手をかけ、顔だけを廊下に出す。
――あの儀式の後、意識の戻った私はその場に倒れ込んだ。
気分が悪い、なんて言葉じゃ足りない。頭がぐちゃぐちゃになったかの様な、強烈な不快感。少しでも気を抜いたら簡単に意識が刈り取られそうだった。
私のその様子に、流石の彼等も狼狽えた様だった。別にこちらとしても彼らに悪気が無いのは分かっているが、それでも怒りがわかない訳ではない。
もうね、儀式の間はギリギリ意識はあったけど体調は最悪だったわけで。それなのに和気藹々と世間話をしているのを、黙って聞くしかなかった私の気持ちも考えてほしい。
神妙な顔をして私を囲んでいる五人に、私は呻くように言った。
「――お前ら暫く廊下で正座してろッ!!」
カッとなって言った。あんまり後悔はしていない。
執務室から見える廊下には、儀式の場に居たレイチェルを含む五人が、私の言葉に素直に従いその場に正座していた。
彼等が正座を知っているのかだって?……べス君がその場で説明してたからだ。
でも何だか違和感がある。やっぱり正座は畳じゃなくちゃ駄目だな。廊下だと見栄えが悪い。
「もう止めてもいいよ。……立てる?」
私がそう問うと、彼らは口々に謝罪の言葉を述べた。が、その声には覇気がない。ヴォルフに至っては、なんかもう顔が蒼いし。
うーん、流石に直接床に座る文化が無い人達に正座はキツかったのかもしれない。まぁ、罰としてはこれくらいでいいだろう。溜飲もだいぶ下がったし。
「次は無いからね」
――いや、私の命がだけどね。
そう思うくらいにはキツかった。
味方に殺されるなんてかなり格好悪いので、出来れば御免被りたい。正直もう同じ事はやりたくないな。
あれは辛いとか苦しいとかそんなのじゃなくて、上手く言えないけどなんかとても怖いんだよ。
レイチェル曰く、それは私の巫子としての適性が低いかららしいが、もしかしてそれはアレか?私の心が汚いって事なの?……深く考えるのは止そう。悲しくなってくる。
「大丈夫?」
そう言って、取りあえず一番近くに居たヴォルフに右手を差し出した。ゆるゆると差し出された彼の右手をつかみ、そのままグイッと引っ張り上げる。
「すみませ、――――うわッ!」
――私は失念していた。正座に慣れていない人が長時間正座を続けた場合、どんな風になるのかを。
うん、足が痺れて動かなくなるよね。
引っ張り上げた時の反動と、ヴォルフの自重が全てかかり、そのままの勢いで二人揃って後ろに倒れ込む。
咄嗟に重力操作を試みようとしたが、先ほどの後遺症で体調を悪くしていた事もあって、上手く魔力が練れない。
――あ、やば。そう思った時にはもう手遅れだった。
ガツン、と頭の前後に衝撃を感じた。一瞬だけ目の前が真っ暗になる。空いていた左手で、多少は受け身を取ったのだが、それでも痛いものは痛い。
「……痛ったぁ」
「………………。」
強かな痛みに眉を顰める。本当に今日はついてないな。
あ、唇切れてる。どうりで顔も痛いはずだ。位置から見て、歯にでも当たったのだろうな。私はそう判断し、不満げにヴォルフを見たのだが、どうにも様子がおかしい。
ヴォルフは倒れた時のまま、私の上に乗ったまま微動だにしない。不思議におもい、私は頭の痛みに耐えつつも、ヴォルフの頭をぺしぺしと叩いた。
「あの、重いんだけど」
「………………。」
返事が無い。まるで屍の様だ、――――って、熱っ。
私の肩にもたれ掛っているヴォルフの額にそっと掌をあててみる。……どう考えても平熱とは思えない。
紫水晶を宿した瞳は、今は苦しげに閉じられ、心なしか息も荒い。もしかしてこれはヤバいのではないだろうか。
「お、お兄様!?」
尋常ではない事を察したのか、フランシスカがよろけながらも此方に近寄ってくる。そのままヴォルフを抱き起すと、困ったように私を見つめた。
「お兄様は元々お体が強くないのです。最近は倒れる事も無くなってきていたので、安心していたのですけれど……」
「……ここ暫く休みなしで、かなり忙しかったからなぁ。――――せめて今日明日くらいはゆっくり休んでもらおうか。薬は後で持って行くから、ガルシアは彼を自室まで運んであげて」
残念な事に私の治癒魔法は怪我の治療にしか使えないので、体調不良等には一切の効果が無い。基本的に体が丈夫なので覚える必要も無かったから、とも言える。……私も肝心な時に使えないなぁ。
「分かりました。……うわ、軽いな。ちゃんと飯食ってんのか、こいつ」
ガルシアは危うげも無くヴォルフを背負いあげると、シスカに案内され廊下の奥に消えて行った。
廊下に倒れ込んだままだった私も、ユーグとトーリの手を借りてようやく上体を起こした。一応強打した頭に治癒魔法を掛けてはおいたので痛みはないが、まだちょっとクラクラする。
……でもそうか、ヴォルフは倒れる程に体調が悪かったのか。気が付けないなんて、私も不甲斐ないなぁ。
あれだけ毎日側に居たのというのに。情けない。
「って、トーリ。いい加減、私の口を拭うのは止めてよ。痛いからさぁ」
トーリは先程からずっと無言で、ぐいぐいとハンカチらしきもので私の唇を拭いてくる。
それになんか鬼気迫ってて怖い。目も据わってるし……。
私がそう言うと、トーリはぴたりと動きを止めて私を睨みつけた。
「だって、僕の魔王様が汚されたんですよ!?」
くわっと目を見開いて、トーリはそう耳元で叫んだ。
いや、私はお前のじゃないから。違うから。そう思ったが、声にはならなかった。
トーリはそのままの勢いで、ガクガクと私の肩を両手で揺らしてくる。止めろってば、まだ頭が痛いんだからさぁ。
「あんなの不慮の事故だろう……」
はぁぁ、とため息を吐いて、トーリの手を振り払って立ち上がる。その際、くらりと視界が揺れたが、気にせず真っ直ぐに向き合った。
「でもちょっとドキドキしたんでしょう?」
「……少し黙ってろ、駄女神」
「あら、怖い顔ですね」
私の背後で、緊張感の無い声が響いた。
……やめて、ホントにそういうの止めて。
レイチェル、お願いだから空気を読んで下さい。今はそういう話をしてるんじゃないんだ。ガールズトークなら後でシスカを含めていくらでもやってやるから、今は放っておいてくれ。私がときめいたかどうかは、その、今は関係ないだろうに。
「う、浮気?浮気ですか魔王様!?」
「落ち着け。冷静にもう一度よく考えてほしいんだけど、私とお前は別に付き合って無いよね?そうだよね?」
「そんな!!僕らは将来を誓い合った仲じゃないですか!!」
「さらっと重大な嘘をつくな!!ユーグが信じたらどうするんだよ」
というよりも、お前ってほんと何があってもブレないよな……。そういう所だけは評価している。良いか悪いかはまた別だけど。
トーリは私に対し物怖じしないし、それなりに先を見る目も持っている。それは得難い資質だ。
有事の際に私の意見を真っ向から否定できる人材という者も、将来的には確かに必要だが、その役目をコイツに任せるのは不安である。この変態性だけを除けば、かなりまともなんだけどなぁ。つくづく惜しい。
あーもう、それにしたってレイチェルのせいで余計に面倒な事になった。
やっぱり僕が消毒を、と、そこまでトーリが言ったかと思うと、何故か彼はその場に倒れ込んだ。右足の脛辺りをを両手で押さえて呻いている。
その横で、ユーグが無表情でジッとトーリを見つめているのが印象的だった。……え。もしかして蹴った?蹴ったの?
「もう。あんまり魔王様を困らせないで下さい!!」
「……ごめんなさい」
トーリは息も絶え絶えに、それだけ返した。いまだに悶絶している所を見ると、そうとう良い所に貰ったらしい。ユーグすげぇ……。
ユーグは私の方を向くと、いつものように笑って見せた。そのまま小走りで近づくと、ギュッと私の右手を握った。
「――――魔王様」
「な、何かな?」
「今日はもう、お仕事は終わりにしましょう?御加減も良くないみたいですし」
心配です、とその顔にははっきり描いてあった。視界の隅で呻くトーリが見えたが、ユーグがそちらを気にしている様子はない。
背後で「ユーグ、成長しましたね……」と感慨深げに言っている女神の言葉が聞こえた。まさか、お前の仕込みなのかっ……!?
どうやら女神とは一度話し合いが必要なようだな……。
だが今日の所は勘弁してやろう。
というよりも、今日は本当に頭が働かないので早く部屋に戻りたい。
「……戻ろうか、ユーグ」
「はいっ!」
「トーリ、ガルシアが戻ったら続きの話は明日するって伝えておいてね。……それと、えー、お大事に?」
「あ、ちょ、待って下さいよ。僕の話だって終わってないんですからね!!また後でいいのでこの件についてははっきりさせてもらいますから!!」
「わかった、わかったから……。儀式が終わった後にいくらでも時間は作るから落ち着いてよ。まだ、仕事は残ってるんだからさ」
「……約束ですよ」
私の言葉に、トーリは拗ねた様にそう返した。
「私は嘘は吐くけど、約束は守るよ。知ってるだろ?」
そう悪戯気に笑って見せた。トーリはその言葉に納得したのか、その場は大人しく引き下がった。
「ずるいです、魔王様。そんな風に言われたら何も言えないじゃないですか。――――はぁ、今日はお疲れ様でした。お大事に」
「ありがとう、トーリもね」
トーリと別れ、部屋に戻る廊下の途中でふと視線を向けると、ユーグに心配そうな顔を向けられた。
大丈夫だ、という意味を込めてそっと彼の頭に手を乗せて、二回ほど軽く撫でた。その際に、何故か違和感を感じた。
その場にピタリと立ち止まり、ユーグの頭の辺りにをまじまじと見つめた。……あれ、これって、もしかして。
私の突然の行動に、ユーグは首を傾げる。
「魔王様?」
「いや、何ていうか、……身長伸びたね」
ずっと一緒に居たから意識していなかったが、確実に成長している。
初めて会った頃は私の腰くらいの身長しかなかったというのに、今は私の胸くらいまである。子供って、一年程でこんなに大きくなるものなのか。
なんか、私もこんな事を考えるなんて、年を取った証拠なのかな。もうすぐ花の十代が終わるしなぁ……。
「えへへ、この調子だったら魔王様の身長を超すのも直ぐですね」
「男の子だからなぁ。私もあんまり背が高い方じゃないから、来年には本当に超されちゃってるかもね」
私より大きいユーグか……。それはすぐに来る未来なのだろうけど、あまり上手く想像出来ない。
でも、反抗期がきたら悲しいなぁ。親代わりかつ姉代わりな身としては、どんな事があっても受け入れるつもりだが、もしウザいとか言われたら、ちょっと泣いてしまうかもしれない。
――彼は私には分不相応なほど、一途な信頼を向けてくる。その事に今まで何度救われた事か。
何があっても離れて行かない人。私はずっとそれが欲しくてたまらなかったから。
だからといって縛りつけるつもりは無い。最後は彼自身が進む道を選べればいいと思う。
彼はレイチェルとはまた違う意味で、私の良心に成りうる存在だ。だからこそ、誰よりも幸せになって欲しいと思う。
……なんだかしんみりしてしまったな。
「魔王様。――僕、頑張りますから」
「ん?」
「だから、ずっと側に居てくださいね」
そう言ってユーグは、はにかみながら笑った。耳が照れたかのように、パタパタと動いていて可愛らしい。
私は何も言わずに、返事の代わりに彼の頭を撫でた。だって、言うまでも無い事だと思ったから。
そんなの、当たり前じゃないか。――――私たちは家族なんだから。