40.ローランドはかく語りき
その日の夜の内に、女神の名を冠した封書が届いた。その中には、参拝の是非を問う紙と、今回の件の仔細が書かれている。
嘗ての『魔王アンリ』の形式上の夫、レーヴェンの王――ローランド・ヴィ・レーヴェンは、その手紙を不愉快そうに握りしめた。
一週間後の正午までに、その札に署名し、扉に張りつければ魔王の城への道が開かれるらしい。その札に組み込まれた魔術術式に、城の魔術師達も舌を巻いていた。
相も変わらず、やる事が派手だ。と、ローランドは思った。
その中の文には、この様な事が書かれていた。
『これがただの自然災害であれば、神が前に出る事はありませんでした。
ですが、今回の冷害は何者かによる大陸全土への攻撃です。それも、聖遺物を使った高度な魔術式によるものです。神の力には、やはり神でしか対処できない。だからこそ、私が動いたのです』
たしかにここ近年、聖遺物を狙った事件が増えている。
今回使われたという聖遺物は、恐らくは十年前の事件の際に盗まれた物だろう。あそこもまた、女神ヘメラの神殿だった。それは、今でも語り草になるほど、不可解な事件であった。
――神殿内の人間が全員、一晩の内に姿を消していたのだ。それも、外で警護していた者達に、気取られる事なく。
当時は魔族の仕業と考えられていたが、その聖遺物が今回使われたとなると、魔族が犯人という線は薄くなってくる。
純粋な魔族は、あの『勇者』が皆殺しにした筈だ。
老若男女容赦なく、淡々とまるで雑務をこなすかのように、立ちふさがる魔族を虱潰しに一掃していった。執拗なまでに、念入りに。
『勇者』、……いや、今は『魔王』か。奴が魔族の取り溢しをするとは思えない。その一点だけは、ローランドも信頼できた。
何を考えたのかは知らないが、半魔族を集め出した時は正気を疑ったものだが。
――戦場から離れ、罪悪感でも抱いたとでも言うのか。はっ、下らない。
「陛下。どうなさるおつもりですか」
「誘いの件か? ――――無論、受ける」
当然の様に、ローランドは臣下にそう答えた。
迷いの無いその様子に、問うた臣下は些か驚いたようだった。
てっきりローランドが断るものだとばかり思っていたのだろう。この国は比較的暖かい地域に属しているため、冷害の被害が少なかったのもその考えの一因だ。
それにローランドと魔王とは、他の者とは比べ物にならないくらいの因縁がある。普通に考えれば、断るべき理由が多いのだから、そう考えるのも間違ってはいないだろう。
「……なんだ、その顔は。私が断るとでも思っていたのか?」
「あ、いえ、その、」
「いや、答えなくともいい。――――が、今回の件、断る理由が無い」
そう、ローランドに断る理由は無かった。むしろ断った時のリスクの方が高いだろう。
――それすら考えに及ばぬとは……、愚か者め。
ローランドは侮蔑の目で臣下を見た。
「考えてもみろ。あの女神は『冷害の被害を救済する』と言った。どんな方法を取るのかは知らないが、それは食料事情を改善するという事に相違ない。――最悪、受けなかった国は近いうちに破滅するぞ」
食料に余裕が出来た国は、それを他国に輸出できる。余裕が無い国は、それを高値で取引するほか無くなる。分かりやすい搾取の形だった。
単純に国益を考えればたかが頭を下げるくらいなんともないだろう。別に命が取られるわけでも無いというのに。そうローランドは考えていた。
これが対等な立ち位置の国に対してならば問題かもしれないが、相手はあの魔王だ。
奴自身が本当に望むのならば、この大陸など簡単に制圧できる力を持っている。その事をいまいち他の連中は理解していないようだ。
……嘆かわしい事だが、今は好都合だろう。
他の連中が何を心配しているのかは知らないが、あの魔王には人間を滅ぼす気など毛頭ない。そのつもりであれば、こんな回りくどい真似はしないで直に手を下している筈だ。
むしろ深読みすれば今回の件は、不器用ながらも他国との協調の姿勢を取ってきたとみてもおかしくはない。
そう思うと、何故だか笑えてきた。
かつての『魔王』は何を考えているのかも見当もつかない化け物であったが、今はどうだ。少なくとも行動の理由を予想することは出来る。何が原因かは知らないが、ここまで変わるとは、ローランドは全く思っていなかった。
「アレを今までの『化物』だと思わない方がいい。奴はもう既にこの国の首輪付きの獣ではなく、この大陸一の力を持つ国王だ。
それに、冷害の下手人の事も考えると、今後も似たような事態が起こりかねない。利用できる内は利用した方が賢いと思うがな」
少なくとも、『魔族を滅ぼすための怪物』だったアンリはもう存在しない。
きっと、そいつはもう死んだのだ。――あの日、この城から去った時に。
城下での噂で聞いたが、今は随分と人間らしく振舞っている様だった。
手放して惜しい事をした、とまでは思わないが、少しは話し合うべきであったと思う事はある。……それも今となっては、戯言に過ぎないが。
まぁ、殺されなかっただけで僥倖だと思うべきだろう。私たちはそうされても可笑しくないだけの仕打ちを奴にしてきたのだから。ローランドはそう思い自嘲した。
今回の一件にしても、大局を読めない愚者は淘汰される。それだけの事だ。まぁ、帝国はそれが分かっていても参加はしないだろう。矜持が高すぎるというのも、些か大変だ。
それに帝国は去年、秘密裏にだが大量の金を魔王から受け取っている。今回の一件で、その金を国外に吐き出させることが目的だというならば、魔王は大した策士だ。
それとも、魔王ではなく別の者の考えか?むしろその方が正しいかもしれない。
――ふん。フィリアでの一件といい、あの魔王には余程優秀な参謀がついているようだ。
……それにしても、女神レイチェルか。
このレーヴェンの地での重要度は魔王の存在で、以前に比べ格段に下がっているが、かの女神の聖遺物が置いてあるのはレーヴェンの神殿だけだ。
「……やはり手土産は必要か」
――今、あの神殿の権力は弱い。ならば、王命において聖遺物の一部を持ち出すことくらいならば可能だった。
あの魔王の中で、レーヴェンの印象は最悪とも言っていいだろう。それを公に表に出すことはなさそうだが、見せ掛けだけでも恩を売っておくのは、決して愚策ではない筈だ。
それに聖遺物さえあれば、魔王の国の神殿の箔付にもなるだろう。頭を下げるだけの価値がある、な。
そうして、ローランドはさらりと札に己の名を署名した。その動作に、迷いは無い。
――果たして、この一年で変わったのは『魔王』だけなのだろうか?
それは誰も知る由はない。




