37.悪徳の備え
その夏の冷害は、各国に大きな爪痕を残した。
冷害の主な原因は、曇りの日が続いた事による日照不足と平均気温の低下。
――だが、それは誰の眼から見ても、あまりに異常だった。
どんよりとした雲は、風が吹いても動く気配を見せず、空に留まり続けた。雲をどかす術など持ちえない人間達は、ただ、己が不幸を嘆く事しかできないでいた。だがしかし、中には何らかの作為を疑う者も居る。
『こんな神への御業にも似た事が出来るのは、そう。――あの魔王しかいない』、と。
ただ、それを声高に言っていたのは国の上層部であり、下々の民草はそれを信じなかった。
その仮説を聞いたとしても『あの方が、そんな事をするはずがない』と、口々に言い出したからだ。それどころか、魔王を批判した者を糾弾することすら多々見受けられた。
かの魔王が『勇者』だった頃すら、関わった事など無い者が大半だったというのに。
――それは、一体何故なのか?
◆ ◆ ◆
魔王の執務室内に、五つの人影があった。
「――『視』た所、今の所問題は見受けられません。騒いでるのは上層部だけですよ」
まず最初に話し始めたのは、トーリだった。
トーリはそう言うと、大陸の地図を二枚取り出した。
その地図は国ごとに色分けしてあり、魔王、ひいてはこの国に反感を持つ順に赤‐緑‐青で塗り潰されている。一枚目の国の上層部を指す地図は、比率で言うと赤が6割、緑が3割、青が1割といったところか。言うまでは無いが、帝国は真っ赤だったけど。
意外だったのが、私が以前いた国、――レーヴェンの色が緑だった事だ。緑は、中庸。批判はあるも、弁護の声も上がるといった風な国を指す色だ。
彼等にどんな心境の変化があったのかは知らないが、面倒な事にならないならばそれでいい。
二枚目の地図は、赤が0,5割、緑が3割、残りが青といった比率だ。一枚目と比べて、随分と対照的である。
その二枚目の地図を見て、フランシスカは小さく息を吐き出すと、安心した様に笑った。
「上手くいきましたわね」
「――シスカはよくやってくれたよ。君が居なくちゃこの計画は成り立たなかった。それに、彼女達もね」
――――事の始まりは、初夏の少し前の頃だった。
突然、ふと空を見つめたレイチェルが、大きな悲鳴を上げたのだ。
「あ、あぁ、何てこと!? 何故ですか、――――ヘメラ様!!」
……私たちは、少し思い違いをしていたのだ。『聖遺物は召喚の為に使われる』、ずっとそう考えていた。その為にしか使えないとすら思っていた節がある。
でもそれは間違っていた。
聖遺物とはつまり召喚だけではなく、『高度魔術』の触媒となりうるのだ。そこに術者の力量はあまり関係が無い。正しい魔法陣と高い神秘性がある聖遺物さえあれば、泡沫の魔術師だって、――――天変地異を起こすことが可能なのだ。
今回の冷害を引き起こすために使われたのは、昼を司る女神『ヘメラ』の聖遺物で間違いない、そうレイチェルは断言した。
一度だけ、魔術を使って大陸中の雲を消してみた事があった。だが、それも一日たったら元の曇天に戻ってしまう。
この国の上空だけならば、大した魔力は消費しないが、大陸全土をともなるとその消費は計り知れない。
この事態が分かったとき、一番冷静だったのはヴォルフだった。
「不味い事態になりましたね。誰が何の目的で行っているのかは知りませんが、――このままだと、魔王様の望む国の『未来』は無くなりますよ。ここまでの分かりやすい『異常』を作る事ができるのは、この世界では魔王様くらいなのですから」
――全部、貴方の仕業にされかねません。ヴォルフは目を伏せてそう言った。
「ですが、手が無いわけではありません」
そこで彼がとった対策は、二つ。
一つ目の『印象操作』、これが一番大変だった。大変だったのは、私ではなく彼女達なのだけれども。
空に異常が出始めた時、直ぐに私達は行動を開始した。
作戦は、フランシスカを中心にして秘密裏に進められた。やるべきことは、かなりシンプルだ。
フランシスカを含めた女性十数人に変装をしてもらい、大陸中を流れの吟遊詩人として回ってもらったのだ。その内容は、『魔王』の勇者だった頃の賛美だったり、国を作ってからの施政の話、その人柄を強調した語りだった。まぁ、かなり脚色が加えられてはいたけれど。
それに、普通であれば聞き流してしまうような歌でも、見目麗しい女性が語り手ならば、みんな自然と耳を傾ける。その内容が。あの『魔王』の事ならばなおさらだ。
しかもその内容は、多くの人の興味を引くように、あの人心掌握の名手、フランシスカが監修した物なのだ。そんなもの、上手くいかない訳がない。
問題は、フランシスカ以外の女性の事だった。いくら訓練をするとはいえ、その心の根幹に宿る人間への恐怖心が無くなるわけではない。それでも彼女たちは我先にとこの役目に立候補してくれた。
無理をする必要はない、と私は言ったけれど、それ以上の言葉はガルシアによって遮られてしまった。
――彼らは全て納得済みだから、これ以上は口を出すな。そう言われた。
それに、彼女達自身からも「大丈夫です」、「必ずお役に立ってみせます」、「安心して待っていてくださいね」と言われてしまい、私は黙るしかなかった。
それから夏の間、彼女たちは動き続けた。もちろんトラブルに巻き込まれないように、バックアップは全力で行ったが。
監視はトーリ、実働はべス君にお願いした。緊急時にはすぐに撤退させるように伝えて。時折こっそりと様子を見に行っていたのは内緒だ。
数か月の間、彼女たちは一切手を緩めたりはしなかった。初めは小さな村から始め、段々と都市部にその足を進めていく。反応が悪い場所があると、フランシスカを呼び、時に魔眼も行使しつつ、公演を行った。
――結果は見ての通り。彼女たちの努力は、無事実を結んだ。
二つ目の対策は、現状以上の魔石集め。
――これは言ってしまえば、大量に魔力を消費しなくてはならない理由があるという事。
これに関しては、今の所ギリギリとしか言いようがない。だが、何とかするしかないだろう。
「これで計画の第一段階は無事クリアしました。――あとは明日からの魔王様と女神様、そして巫子様の働き次第ですね。
ですけど、魔王様と女神様はともかく、本当に巫子様にお任せして大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
ヴォルフの問いに、私は間髪入れずに答えた。
「ユーグなら、絶対に大丈夫」
「……魔王様がそこまで言い切るなら、信じるしかないでしょうに。それにアイツはお前らが思ってるよりも、ずっと骨がある奴だよ。少なくとも、俺はそれを知ってる」
ガルシアが、苦笑しながらそう言った。
そういえば、彼はユーグが単身でこの国に来た事を知っている僅かな人物だ。何にせよ、背中を押してもらえるのはありがたい。
それを聞いたヴォルフは、やれやれと小さく肩を竦めてみせた。
「もう何を言った所で、魔王様も彼も自分の意思を曲げたりしないでしょうしね。――ただ、貴方達がこの国の命運を背負っている事だけは、決してお忘れなく。いいですね?」
「わかってる。――ここまでお膳立てされてるんだ。失敗なんて、するわけがないさ」
そう言って、腕を組んで不敵に笑って見せる。
――久々の大舞台だ。派手に立ち回ってみせようとも。
「ええ、その意気です。誰が仕組んだことかは知りませんが魔王様を、いえ、この国を陥れようとしたのですから、――――逆に利用されたって、文句は言えないでしょう?」
目を細めて、ヴォルフは笑った。
うわぁ、悪い顔。この状況をかなり楽しんでいるようにも見える。
元々の素養なのかは分からないが、彼も段々とこの国色に染まってきているようだ。
まぁ、うん、頼もしいんじゃないかな。
「ここからが正念場だ。――――みんな、頼りにしてるよ」
私がそう言うと、四人はしっかりと頷いて見せた。
まず手始めに、明日。――女神の神託でも告げてみせようか。




