33.魔王vs???
――七巳 『流』
私の、本当の名前。もう誰も呼ぶことなんて無いだろうと思っていた。
そもそも、誰かに教えるつもりも全くなかった。
『変わりたくなかったんでしょう?』
トーリにそう言われた時、何かが胸の奥にすとんと落ちた気がした。
私が本名を名乗らない理由。そんなのただの何となくの筈だった。そう、ずっと思っていた。
別にもう誰かを恨んでなんかいないし、今は結構楽しく過ごせているから過去の辛かった頃の事も水に流してもいいとすら思っている。
まぁ、ムカつくのは生涯変わらないだろうけど。寛容に見えて、私の心は局地的に狭いのだ。
冷静に考えると、きっと意地になってしまっていたのだと思う。自分から歩み寄るのは元から苦手だし、下手に出るのも何だか癪だった。それがズルズルと続いてしまって、完全に名乗る機会を失ってしまった。
昔から、強要されるのが好きではなかった。意固地で融通がきかないのも、同じく。
『変わる』というのが彼らの望む道具になるという事と同義ならば、私はまだ子供のままで居たかった。ピーターパン症候群と言えば聞こえがいいかもしれないが、そんなのはただの我儘だって事くらい解っているつもりだ。
変わらなくては、生きてこられなかった。それが尊敬も出来ない奴らのせいなのだから、尚更に気分が悪かった。悪循環である。
トーリは何も変わっていないと言ったけど、それは違うと思う。
最初から今の今までの私を見て『変わっていない』だなんて、……そんな訳があるはずないのに。
変わらないものなんて、この世には無いのだから。
それでも彼の言葉に、何だか少しだけ救われた気がした。その相手が重度のストーカーだというのはなんとも皮肉な話だが。
いや、寧ろずっと自分を見ていた事を宣告されたからこそ、説得力があったのかもしれないな。……不本意なのは変わらないけど。
プライベートの監視については、うん、もう諦めた方が心の安寧に繋がるかもしれない。ていうか対抗手段が見当たらないし。
言動さえ何とかなれば、耐えられなくもない。……と思い込もう。
それにしても、と私は考える。
なぜ彼は下の名前ではなく、姓の方を呼んだのだろうか――?
◆ ◆ ◆
「魔王様!! ちゃんと全部間違えずに言えました!!」
式が恙なく終わり、会食パーティーが始まってすぐに、豪奢な神官服に身を包んだユーグがパタパタと私に向かって駆け寄ってきた。
褒めて褒めて!とでも言いたげに耳が揺れている。
わざとではないのだが、途中からしか聞いていなかった為、罪悪感が半端ない。その純真な笑顔が心に刺さる。……本当の事は言えないなぁ。
「うん、よく頑張ったね」
後ろめたい心境は表に出さずに、労いの意味を込めて頭を撫でてあげた。そんな私たちの様子をレイチェルや周りの人達は微笑ましげに見つめていた。……なんか照れるな。
「あの、魔王様は何も言わなくて良かったんですか? 折角の集まりなのに」
「あー、ほら、私が前に出て話すと折角の主役の影が薄くなっちゃうでしょ? 私ってばカリスマオーラが凄いから。なーんて、」
「それもそうですね!!」
「……え、あはは、ありがとう?」
予想外の反応に思わずたじろぐ。
……満面の笑みで全肯定されてしまった。軽い冗談のつもりだったのに。
レイチェルがふるふると小刻みに震えながら、お腹と口を手で押えてるのが視界に入った。
あー、声を出すと笑ってるのがユーグにばれちゃうもんね。その努力は評価するが、絶対に許さないぞ。後で覚えておけ。
そんな風に和んでいると、「あ、ユーグいたよ」「魔王様も一緒だ」などと言いながら五人の子供が近づいてきた。いつも学校でユーグと共に勉強している子達だった。私も何回か遊んだことがある。
彼らは口々に、「わー、本当にユーグって神官だったんだ。ぼく魔王様の冗談だと思ってた」「でもカッコよかったよね、さっきの」「えっ。で、でも、俺の方が運動できるし」「なに張り合ってんだよ。あ、もしかして……」「それにしても今日の魔王様、大人しいね。お腹でも痛いのかな?」と言い出した。
うん、なんというか青春って感じだなぁ。
「どうしたの?」
と、ユーグが声をかけると、そのうちの一人の男の子が手を振りながら言った。
「こっちで一緒に食べようよー。 みんなが式の話とか聞きたいんだってさ」
それを聞いたユーグは、何故か困惑した顔で私を見た。どうしたのだろうか。
「どうしたの?呼んでるよ?」
「えっと、その、魔王様は……」
「いや、私は遠慮するよ。これから挨拶回りくらいはしておかなきゃいけないし」
どうやら私と離れるか、友達の所へ行くかで悩んでいるようだった。
「私は大丈夫だから行って来たら? ほら、楽しんでおいで」
まぁここで意地悪して、別に私と友達のどっちが大事なの?なんて言ったりはしないけど。さすがにそれは大人気ないだろうし。
……でも本当にいい子だなぁ。私が彼くらいの年の時は反抗期が酷くて、親と口もきかなかった頃もあったというのに。親代わりとしては、このまままっすぐに育ってほしいものだ。
笑って、彼の背中を押す。たまには子供同士ではしゃぐことも大事だ。それにいつも私とばかりいては教育に悪いだろう。私の性格はお世辞にもいいとは言えないし。
私に背を押されたユーグは一度振り返ると、はにかみながらぺこりとお辞儀をして彼らのもとへ駆けていった。
彼らが雑踏へ消えていくのを見送りつつ、何故だか淡い寂寥の念を抱いた気もしたが、おそらくは気のせいだろう。この年になってぼっちが寂しいとか言ってられないし。
それから、特に目的もなくプラプラと会場を歩いた。関係ないが、いくら昼とはいえ、やはり冬の外は冷える。一時的に魔力で会場一帯に温度調節は行っているが、私の体感温度に合わせてしまったらクレームが出そうだ。だって私、冷え症だし。
ちなみに式のイベントの一つであったブーケトスは、見事エリザが勝者の座に輝いたようだった。でも、私は思うのだ。
――あの場面で飛ぶのは流石にマナー違反だろう、と。
ブーケが高く放られ、落ちる前に空中でキャッチしたあの瞬間の気まずい空気が忘れられない。まぁ本人は楽しそうにはしゃいでいたので心の傷にはならないだろうけど。
……これからはちゃんと前もってルールを決めておこう。あの悲劇はもう決して繰り返してはならないのだから……。
そんな事を取り留めも無く思いつつも、足を進める。
だが、私に気づいた人達が次々と引き留めるので中々前に進めない。
でも皆が親しげに話しかけてくれるのは、やっぱり嬉しい。
話す内容は今日の式の事や新しい料理の話だったり、真面目な仕事の話や最近の子供たちの様子、故郷の事や此処に来るまでの凄惨な過去など、様々だった。
そして、その誰もが決まって最後に口を揃えてこう言うのだ。
『今がこんなにも満ち足りているのは、全部魔王様のおかげです。本当に感謝してもしきれません』と。中には私の両手を取って泣き出す者もいた。
でも私はそれを聞くたびに、何とも言えない微妙な気持ちになる。
誇らしい気持ちは、確かにある。でもそれ以上に正体不明の罪悪感が溢れてくるのだ。
――『偽善者』と、心の奥で誰かが言う。
彼等の父を、母を、あるいはその縁者を殺したのはお前自身かもしれないというのに、よくもまあそんな善人面ができたものだ。恥を知れ、クズめ。
――そう、淡々と語りかけてくる。
自分ではよくは分からないが、所謂戦争帰りの兵隊が陥る精神病に近いものなのだろう。
はっきり言って、日本人の死生観で考えると、相手が何であれ、知的生物の殺害というのは私の心には荷が重すぎた。自殺するほど私の心が弱くなかったのは不幸中の幸いだと思う。
でも、――それがどうしたというのだ。
誰がどう考えたって魔族は悪で、それを打ち倒す勇者はまぎれも無く正義だった。正義にしか、成りえなかった。
誰に憚る事も無く、胸を張って堂々としていればいいのだ。そう、今は言い張るしかない。言い続けていれば真実になると信じながら。……詭弁だけどね。
――ああもう、折角の祝いの席だというのに何だか湿っぽくなってしまった。こんなのはいつもの私ではない。そもそも、センチメンタルは性に合わないというのに。
はやくいつもの天上天下唯我独尊と素で言っちゃう系魔王の私に戻らなくては。今のままだと、きっと心配されてしまうから。
……これも全部、トーリのせいだ。アイツが踏み込んだことを言うから、変な事を考えてしまう。――いや、これもただの八つ当たりか。
物事をネガティブに考えてしまうのは私の悪い癖だ。この程度の事、笑い飛ばせる強い心を築かなくてはいけない。うん、鉄の女を目指そう。
……でもそれだと女子力がまた下がる様な気もしなくもない。それはちょっと嫌かもなぁ。
歩いている途中でフランシスカを見かけたがその様子を見て、どうにも声をかけるのは躊躇われた。
青年たちの熱烈なアピールを優雅に流すその様は、まさに社交界の花といってもよかった。格が違う。
いや、なんとなく予想はしていたのだが、実際に目にすると圧巻だった。……まぁ、ちょっと楽しそうで羨ましい気もするけどね。
それと、彼女とは別の意味で近づかなかった者が二名いる。
そう、ヴォルフとトーリだ。何故か彼らは一緒に行動していた。
さっきはあれほど険悪な感じの出会いだったというのに、この短時間で一体何があったというのか。知りたい気もするが、知ってしまったら後に引けなくなる気がする。何か怖い。
そんな嫌な予感がしたので、ゆっくりと方向転換をしようとしたのだが、案の定トーリに見つかってしまった。全くもって千里眼の無駄遣いである。
それでもやっぱり近づくのは何となく嫌だったので、私に向かって笑顔で手をふるトーリに対し、軽く手を振りかえすにとどめた。
その時のヴォルフの奇妙な物を見る眼が忘れられない。失礼な奴だなぁ、もう。
自分でも急な態度の軟化には正直驚いているとも。
でも、やってる事は頭が可笑しいとしか言えないけど、それでも『私』の本質を見抜いているという事実に、――何だか肩の力が抜けてしまったのだ。
というよりも、そもそも好感度が最初どん底だったから、後はもう上がるだけだったという風に考えたら分かりやすいかもしれない。何だかんだ言っても怒りって結構すぐに風化しちゃう感情だしね。
でも本当に私って単純だな……。これはもうヴォルフには「うわ、魔王様ちょろすぎ……」とドン引きされてもおかしくはない気がする。
いや、別にトーリが好きってわけでは無いんだけど。あの時はちょっと上げて落とされて、また上げられたから羞恥でうわぁぁ、ってなっただけだし。全然恋とかじゃないし。うん、無いはず。
そんな事を自問自答していると、後ろから誰かに声を掛けられた。
「魔王様、」
「ん? おお、ガルシアにタニアさんか。お疲れ様、主役はやっぱり大変だったかな?」
振り向くとそこには格式張った礼服を着たガルシアと、清純かつ愛らしいドレスを着たタニアさんが立っていた。
「お蔭様でヘトヘトですよ。……あー、その」
ガルシアはそう言うと、バツが悪そうに頭を下げた。
「今回は生意気な事を言ってすいませんでした。 何だかんだ言いましたが、こんな風に祝ってもらう事が嫌なわけじゃ無かったんです。ただ、少しだけ抑えが利かなくなってしまいました」
ガルシアはそう言って深々と頭を下げたまま、動かない。
タニアさんも、「私も一緒に謝らせて下さい。申し訳ありませんでした」と言って同じように頭を下げた。
いきなりの事に、うまく思考が追い付かない。きっと私はこの時、かなり間抜けな顔をしていたと思う。
だって、私はもうそんな事全然気にしていなかったというのに。
私が言葉を発しないためか、二人は微動だにして動かない。
タニアさんの肩は、小さく震えていた。それでも気丈にしっかりと頭を下げている。
……ガルシアってば、本当に良い人を捕まえたな。良かったなぁ。やっぱり彼には幸せになって欲しいなぁ。
「いいから頭を上げてよ。別に怒ってなんかいないから」
「ですが、」
「そんな謝罪なんかよりも、私に言うべきことがあるんじゃないの?ん?」
ふふん、と悪戯気に笑って見せる。高圧的に見えないように、からかう様な口調にする事も忘れずに。こんなおめでたい席で湿っぽい話はごめんだ。
そんな私の様子にガルシア達は顔を見合わせ、緊張が解けたかのように、笑った。
「本当に、貴女は……いえ、それでこそ魔王様ですね。
――――今回は本当にありがとうございました。幸せになります」
「うん。 ――貴方達に女神レイチェルの加護が在らんことを。どうかこれからも末永くお幸せにね」
「はい」
その返事を聞いて、私は右手をスッと上にあげた。ガルシアはそれを見て怪訝そうな顔をしたが、私が左手で彼の右手を指差すと、やっと合点がいったという風に頷き己の右手を上げた。
そのままお互い一歩近づいて、パンッ!!と大きくハイタッチを交わす。
私達には握手なんかより、こっちの方が似合っているだろう?
何事かと見守っていたギャラリーも、私達のその様子を見てワァァと拍手を始めた。ま、これで仲直りって事でいいだろう。
「よし、新婚だからって私は容赦しないから。これからもよろしく頼むね!!」
「え、あれってそんな意味だったんですか? 勘弁してくださいよ」
そうやっていつもの様に軽口を叩いて、皆で笑いあった。
――うん、やっぱり此処は楽しいや。
頑なに受け入れる事が出来なかった世界だけど、それでも守りたいものが出来た。
変わりたいわけではないけれど、それが『成長』というのならば話は別だろう。
前へ進みたいという気持ちは、――――きっと何より尊いものなんだから。
第四戦目
魔王vs『私』
自問自答が十分ではないため、無効試合。




