32.第三戦目 トーリvs魔王
よ、よし。冷静になってもう一度よく考えてみよう。
確かにトーリの事は、今すぐにでも逃げ出したいくらいに苦手(かなりオブラートに包んだ表現)なのだが、周りがあれだけ高い評価をしているのだ。きちんと話し込んでみたら、意外とイイやつなのかも、……かも、……いや、ねーわ。
まさかの自己解決である。泣きたい。
はあぁぁ、とトーリに聞こえるようにため息を吐く。
「えー、ため息を吐くと幸せが逃げちゃいますよ? ほら、笑って笑って!折角のおめでたい席なんですから」
「何でだろう。間違った事は言われてないはずなのに、こうも苦々しい気持ちになるのは……。 はっ!」
トーリの言葉に思わず不満げな声を上げてしまった。しまった。
面倒な事になりそうなので、出来るだけ触れないようにしようと思っていたというのに。
「ふふふ、」
「……何さ」
「いえ、やっぱり貴女は優しいんだなぁって思って」
彼はそう言うと、スッと私の顔を覗き込むようにして視線を合わせてきた。猫の様な目を細めさせて、しっかりと私の眼を見つめてくる。ひどく、居心地が悪い。
――ああ、そうか。私はきっと、言動がどうこうは関係なしに、彼のこの見透かす様な『眼』がとても苦手なのだ。
まるで固く閉じた箱を無理やり暴いていくかのような、その瞳が。
「ま、『魔王』が優しいわけ無いじゃん。変な事言わないでよ」
「優しいですよ、貴女は。自身ではきっと認められないでしょうけど。素直になれないのは此処に来ても変わらないんですね」
トーリはふっ、と微笑むと私の前から身を引いた。
「本当はね、ずっと見ていたんです。貴女がこの世界に来た時から」
「………………。」
「えへへ、流石にそんなに早くから見てたなんて言うと、引かれちゃうかな、って思って」
「いやいやいや、言いたいことは山ほどあるんだけどさ、あの時他にもっと気を使わなきゃいけない発言があったよね?あったよね!?」
この際ストーカー宣言は置いておくとしてもだ。不本意だけど。もっとこう、気にすべき点はあるだろう?それとも私がおかしいのか?
私のその必死さが詰まった台詞に、彼はきょとんとした顔をして首を傾げた。
……いや、そんなに『何の事だか分かりません』みたいな顔されてもこっちが困るんですけど。
「千里眼を使って私の私生活を見る事は、この際千歩譲って許すとしてもだ。いや、できれば止めて欲しいけどね?
でもその時見た事を『見た』と直接言うのは、はっきり言ってデリカシーが無いと思うよ、私は」
ギフトは意外と融通が利かない。
『見よう』と思った事が『視』れても、『見たい』と思う事を止める事は実質的に不可能に近い。それ故に下手に制約で縛るとその能力自体に影響を及ぼす恐れがある。折角の利点を殺してしまうのは、あまりにも惜しい。
が、次にトーリから放たれた言葉に私は戦慄した。
「えっと、でも女の子って人に気づかれない所を褒められると嬉しいものなんでしょう? ――貴女が嫌がるのも、てっきり照れ隠しか何かかと思ってました」
「何一つ照れてねーよ!! 限度!!限度があるから!!」
あれって褒めてたの?私には正直辱めにしか聞こえなかったのだけれども。こんなのがカルチャーショックだというのならば、この世界に馴染める気がしない。
ていうかもうやだコイツ。もしかして天然? ヤンデレじゃなくて天然さんだったの?
……何にせよ性質が悪い事には変わりないのは確かだ。
でも何と言うか、初めてトーリと意思疎通が出来た気がする。それは大きな進歩かもしれないな。まぁはっきり言って何一つ解決してないけども。
「えーと、取りあえずもう少しだけ言動に気をつけたらいいんですね?」
「え、気を付けてくれるの?……ほんとに?」
正直な所、いつもの様に濁されて終わりだと思っていたのに。どうやら彼はそれなりにこちらに配慮する気があるらしい。何だこのびっくりな展開は。夢か何かか?
始めは心底嫌だった邂逅ではあったが、そう悪いものではなかったようだ。不幸中の幸い、とでも言っておこう。
「それでなんですけどね、魔王様」
「ん? 何かな?」
――……この時の私は、間違いなく油断していた。
気づいておくべきだったのかもしれない。この男は、やはり私にとって鬼門だったという事を。
嬉々として聞き返した私に、彼はてへっと笑いながら言った。
「ちゃんと気を付けるので、一つだけお願い事を聞いて下さい☆」
「一筋縄ではいかない事はわかってたけどさぁ、ほんっっっと図々しいなぁお前は!!」
分かってましたよ、ええ。コイツが只の天然ではない事くらい。
ヤンデレではないかもしれないが、腹黒なのは変わりませんよね。知ってた。ちょっと忘れちゃってただけですとも。
「だってこんなおいしい機会他に無いですし。そんな変な事は言いませんよ?」
「自分の欲望に正直な事は見ていて逆に清々しいけど、やっぱりムカつくわぁ。 はぁ、もういいよ……。とりあえず聞くだけ聞いてみるから言ってみたら?」
聞くだけな。叶えるのは確定じゃないからそこんとこよろしく。
諦めたような私の声に、トーリは嬉しげに笑って口を開いた。
「それじゃぁ、
――――――魔王様の、『名前』を教えて下さいませんか?」
◆ ◆ ◆
彼女はこの世界に来て一度も自身の『名』を口にした事が無い。一人でいる時も含め、只の一度も。女神を含め、誰一人として彼女の名を知る者は居ないのだ。
トーリとて、このギフトをのぞき見だけに使用してるわけではない。有効活用できるようにちゃんと努力もしている。その一つが読唇術だった。
その名の通り、唇を読んで何を言っているのかを把握する行為だ。どういった力が働いているのは知らないが、異界人である彼女がきちんとこちらの言葉を話していて助かった。と、トーリは思っている。
――まぁ、声を聴けないのは残念だったのだけれど。
その名を話さない理由は言わずもがな、真名による束縛を警戒しての事だろうが、その契約を破棄出来るほどの実力を持った今となっては、黙っている意味はあまりない。
それでも彼女が偽名を名乗り続ける理由は一体何なのだろうか?
「……その事を知っているという事は、アイツへの手紙も『視た』のか。やっぱり趣味が良いとは言えないね」
苦虫を噛み潰したかのような表情で、彼女は淡々とそう告げた。トーリを真っ直ぐと見つめるその目は、驚く程に冷たくて背筋が凍る。
そんな姿すら愛おしいと思ってしまう自分は、もう手遅れなのだろう。トーリは心の中で自嘲した。
「すいません。どうしても気になったので。 ――でもね、何となくは分かっているんですよ」
――貴女が、頑なに名乗らない理由を。
トーリのその言葉に、彼女はスッと目を細める。言ってみろ、とでも言いたげに。
「本当は、何にもなりたくなんてなかったんでしょう? 『勇者』にも『王妃』にも、きっと『魔王』にも。
だからこそ貴女は自身を偽った。この世界が与える物を、何一つとして受け入れる事が出来なかったから」
何一つ自身ではどうにもならない状況の中で、それがたった一つだけ出来た『抵抗』だった。
「貴女がかつて過ごしてた世界は、きっと美しくて優しい場所だったんでしょうね。 だからこそ貴女はこの世界に、いや、――あの状況に適応していくことを自身に許すことが出来なかった」
トーリは今でも鮮明に覚えている。
まだトーリが好奇心のみで彼女を観察していた頃の事だ。あの時は、只の暇つぶしのつもりだった。『勇者』だなんて、最高のエンターテイナーとしか思っていなかったから。
初めて魔族をその手に掛けた時の、絶望した瞳。僅かに震えるその肩がとても儚く見えた。
その夜に人知れず嗚咽を漏らしていた事は、きっと女神をのぞいたらトーリしか知らないだろう。
興味が好意に変わるのに、そう時間はかからなかった。
弱くて脆い彼女の事をトーリはとても愛おしく思うし、できれば支えたいと思っている。まぁ、空回りは否めないけれど。
――でもおかしいなぁ、今は亡き母さんが教えてくれた『女心を掴む10の方法』を実行していただけだというのに。
だが、その好意が空回りしていた事は、本人は全く気が付いていなかった。他者との関わりあいが少なかった故の悲劇である。
「……ふぅん?それで? 随分な考察だけどさぁ、結局何が言いたいわけ?」
にやり、と彼女がトーリを見上げて笑う。トーリの台詞など、気にしてないとでも言いたげに。
それを見て、随分と本心を隠すのが上手くなったなぁとトーリは感心した。最初の頃は押し殺す事しか出来なくて、まるで人形の様だったというのに。
「変わってないですよ、貴女は」
「は、」
「何も変わってなんていないです。貴女はずっと、優しいままでした。――少しだけ、割り切る事を覚えただけです。本質が変わったわけではありません。
だって考えても見てくださいよ。貴女が『悪者』なんて成れるわけがないじゃないですか」
――どんなに強がってみたところで、人なんて殺せない癖に。
トーリはそう思ったが、口には出さないでおいた。何故だか言ってはいけないような気がしたからだ。
トーリにはイマイチよく分からないが、きっとそれが彼女の超えてはいけない一線なのだと思う。それが無意識なのかどうかまではわからないけど。
魔族にこそ容赦がなくなったものの、彼女の殺意が人に向くことは決して無かった。
暴言を吐かれても、石を投げられても、毒を盛られても、彼女は何もやり返さない。ただ諦めたように遠くを見るだけだった。
責める事も、嘆く事も、恨むことすらしない。
別に気にしていなかったというわけではないだろう。だからこそあの爆発なのだろうし。
「………………。」
「知った風な口を聞くな、とでも言いたげな顔ですね。でもずっと見てきたから分かるんですよ、――あぁ、やっぱり無理をしてるなって。
だから、もう少しだけこの世界を受け入れてくれませんか?別に僕じゃなくてもいいんです。悔しいけど、貴女の周りには信用できる人たちが揃ってるみたいですし」
――愛する人が辛い思いをしているのは、正直苦しい。
元の世界に帰る?それは駄目だ。諦めてほしい。何より僕が嫌だ。
だからこそ、この世界を受け入れて生きる為の第一歩として、名前を教えてほしい。トーリはそう考えていた。
これは、間違いなくトーリのエゴでしかないけれど。それでも構わないと思っていた。
――嫌われるのは、慣れているから。
「…………はぁ」
彼女はトーリに顔が見えないように俯くと、脱力したかのようなため息を吐いた。いくら俯こうとも、トーリには『視える』。
その表情には先程の様な殺気も怒気も感じられない。寧ろ困ったように笑うほどの余裕すら見て取れた。
「いや、うん。まさか君にそんな事を言われるとは思ってなかったからさ、ちょっと驚いた」
予想外だったよ、彼女は嘯く。でもその声に先程までの棘は見られない。
「私はトーリのその眼が嫌いだよ。自分の深い所を探られるのは正直不快だ。 ――でもさぁ、何ていうか? 無駄に説得力があるからさ、反論できないや」
クルクルと髪先を指で弄りながら、彼女は顔を上げた。
「私ってそんなに分かりやすいかなぁ。情けないよ、ほんと」
「そんな事は無いですよ。きっと気が付いているのは僕と女神様くらいでしょうから」
中には、彼女の危うさに気が付いている人はいる事だろう。例えば、学校にいる鬼の翁とかがそうだ。
でも、きっと彼らはその事を口にすることは無い。信頼しているとはいえ、やはり彼女の底の知れなさは無意識の内に腰をひけさせる。異界人という素性もあり、何が琴線に触れるのか分かりにくい事も原因の一つだろう。
でも、トーリは違う。寧ろ彼女の事を世界で一番理解しているのは自分だという自負がある。
「……そう言えばスルーしてたけど、トーリってレイチェルの事見えたんだよね。まぁ、別に言わなくても良いんだけどさ」
「僕は魔王様が見えていればそれでいいので。女神様とかどうでもいいです」
「お、おう」
彼女の笑顔が引き攣った。
――何もおかしなことは言っていないというのに、何故だろうか。と、思いトーリは首を傾げた。
「ま、まぁなんだ。君が私の事好きなのは嫌というほど分かったからさ、お互いに落ち着こうか」
「え?好き?」
「え。 ――――――え?」
彼女は、え、何それマジ?散々勘違いさせるような言動させておいて、まさかの被害妄想説が正しかった?と呟きつつ、青い顔であわあわと口を押えていた。
――うわ、可愛い。
「『好き』なんかじゃないです」
「え、あ、うん。そっか。……なんかごめんね」
「?ええ、そんな表現じゃ足りないですよ。――僕は貴女を愛してるんです。『好き』だなんて軽い言葉で括られたくないですね」
「………………。」
無言で右足にローキックを繰り出された。あまり力は込められてないが地味に痛い攻撃だった。
もしかして聞こえなかったのだろか。ならもう一度言おうと、トーリは口を開いた。
「愛しています。結婚してください。あ、なんならちょうど場所も設備も整ってますしついでに式も挙げましょうよ!」
「しねぇよバァカ!! 何なの!?マジ何なのお前!? ――あーもう、ほんっと調子狂う」
ほんのりと頬を赤く染めながら、彼女は吠えた。
……いや、何なのと言われても。僕は僕だし。それ以下でもそれ以上でもない。
「――――ナナミ」
「え?」
「七巳 ×××。――私の名前だよ。偽名じゃない、本当のね」
あ、人前では絶対呼ばないでね。何だかんだでアンリの方が浸透しちゃってるから使う機会も無いし。と彼女は告げる。
だが、ナナミ、の後に言った言葉が聞き取れなかった。ちゃんと聞いていたはずなのに、まるでそこだけノイズがかかったかのように耳に入ってこない。
でも、きっと先に聞こえた『ナナミ』というのが名前なのだろう。ならば、無理に姓を知る必要は無い。
「ナナミ、さん?」
トーリのその問いかけに、彼女は少しだけ不思議そうな顔をすると、一度だけうなづいて見せた。
――それに、さっきの言葉の意味。つまり二人きりの時ならば、そう呼んでもいいという事だろうか。
トーリはその事に辿りつくと、パァっと笑顔になった。
そんなトーリの様子を見て、彼女はハッとした顔で否定の言葉を吐いた。
「か、勘違いしないでね。別にお前に気を許した訳じゃないから。ちょっとだけ妥協しただけなんだからね。――約束は守ってよ」
「はいっ!!ちゃんと気をつけますね!!」
――唇を尖らせて不貞腐れる彼女の姿はとても可愛かった。凄く可愛かった。なんかもう一挙一動全てが愛おしい。恋は盲目というが、こんなにも幸せならそれもいいかもしれない。トーリはそう幸せを噛みしめた。
「でも、いいんですか?」
「何が? トーリが教えろって言ったんでしょ?」
「あ、いえ、そうではなくて。
――――式、見なくていいんですか? もうすぐ終わりますよ?」
「――……え。 ええぇぇぇっ!?」
彼女はバッと壇上の方を向くと、泣きそうな顔で主役を見つめ始めた。
――分かっていたけど、こうもきっぱり無視されるとやっぱり悔しい。
――あーあ。この一件であのムカつく神官もどきと仲たがいしちゃえばいいのに、と思う自分はやっぱり歪んでいるのだろうな。そう思い、トーリは小さく笑った。
自分の想いと同じくらい、彼女に想ってほしいとまでは言わないけれど、少しは気に留めて欲しいと思う。それはきっとトーリのわがままに過ぎない事はわかってる。
「――――ナナミさん」
「今ちょっと忙しいから黙ってて」
「抱きしめていいですか?」
「ふざけんな死ね」
取りつく暇もない返答に、思わずトーリは笑ってしまった。だって、
「耳、赤いですよ」
「……それはアレだ。今が冬で此処は外だし、寒いからだよ」
――そういう事にしておきましょうか。今はまだ、ね。
第三戦目
トーリvs魔王
トーリの棄権により、魔王の勝利。 ……勝利?