27.青い空から降るもの
「随分と勿体ぶった登場だな、――魔王」
ヴォルフは笑った。それはもう、おかしくて仕方が無かった。
――本当に来てくれたのか、あの魔王が。それは何とも愉快な事だ。俺の価値もまだまだ捨てたものではないらしい。
「――『様』を付けろ。……と、言いたいところだが見逃してあげるよ」
ヴォルフにだけ聞こえる様な声量で、魔王はそう言った。不穏な台詞であったが、そこに悪意は見られない。
だが、魔王はこの状況で一体どうするつもりなのだろうか?正直、全く意図が分からない。
そんなヴォルフの困惑した様子を読み取ったのか、魔王がニヤリと笑った。
そして大きく息を吸い込んだかと思うと、不思議なくらいによく通る声で話し出した。
「ヴォルフガング・フォン・ベルジュ、『反逆者』である君に問いたい。
――――ねぇ、私に付いてくる気は無いかな?
探してたんだよ、――『王』にも逆らえるくらいの人材をね。変にへりくだる様な凡人は、私には必要ないから」
その言葉に、思わず目を見開く。
そしてヴォルフは、――魔王の『意図』を悟った。なるほど、茶番はこれからと言う事か。
――いいさ、乗ってやる。此処まで来たんだ、最後まで演じきってやろうじゃないか。
「――魔王様直々に勧誘とは、俺も偉くなったものですね。それで、その申し出を受けた場合のメリットは何ですか?」
ヴォルフはそう不敵に言い放った。決して引かずに、あくまでも強気で接する。
魔王がヴォルフのその態度を律する事はないと確信していた。だってその方が、――――舞台映えするだろう?魔王の意図をくみ取るのならば、これが一番無難だ。
「メリット?ふぅん、そういう事言っちゃうわけか……」
「――――っ、」
静かなる威圧の気配に、辺りに緊張が走った。
ヴォルフはおろか、下にいる誰もが魔王の次の言葉を待っている。まるで、魔に魅入られたかのように。
「――私から君に贈るのは『信頼』だよ」
「信頼?」
「魔王からの『信頼』だ。何物にも勝ると思うけどね。
――だから好きなように動けばいい。それが国の為になるのなら私は文句は言わないよ。魅力的でしょう?」
「なるほど。――首を縦に振るのには十分すぎる理由ですね」
「ふふっ、じゃあもちろんこの手を取ってくれるよね。――傷だらけの賢者様?」
魔王がそう言って右手を差し出すと、ヴォルフを拘束していた縄がはらりと解けた。
ヴォルフは下にあった薪に強かに体を打ち付けつつも、立ち上がる。……ちょっと今のは格好悪かったな、と自身の運動神経の無さに辟易しながらも、ヴォルフは魔王の前へと向かう。
ヴォルフを取り囲んでいた兵たちは、よろめきながらも道を譲った。流石にこの場で彼をどうこうする勇気は無いらしい。小心な事だ。
ヴォルフは魔王の前で片膝をつくと、迷わずに真っ直ぐと魔王の右手を取った。
――温かい小さな手だった。その当たり前の事実に少し驚いた。この矮躯で、生きている人間なのだからそんなの当然の事なのに、なんだか不思議だと思った。
魔王はぎゅっと、ヴォルフの右手を握りしめたかと思うと、その右手ごと、ぐいっと引っ張られて抱き寄せた。そして彼の耳元で魔王が囁く。
「ご苦労様。――上出来だよ」
――その言葉を最後に、ヴォルフの意識は途切れた。だから彼が知っているあの後の話は、全て魔王からの伝聞になる。
その顛末を聞いて、ヴォルフは笑った。「あぁ、何ともこの人らしいことだ」と。
◆ ◆ ◆
魔王がベルジュの小僧を引き寄せたかと思うと、ヴォルフガングの姿はその場から消え去ってしまった。――転移魔法、そう男にはわかっていたのだが、無詠唱のその行為に動揺を隠せないでいた。
「な、何をしたのだ!?」
「――はぁ?私の物に何をしようと勝手でしょ?」
進行役の男の動揺を伴った問いに、魔王はまるで鬱陶しいとでも言いたげにそう答えた。
「それにお前らの王とはもう話が付いてるんだよ。――金貨三万枚で彼を譲り渡すとね。ま、彼が是と答えたらって話だったけどね。良かったよ交渉が無駄にならなくて」
「…………そんな、信じられるわけがない」
「後で王様に聞いてみなよ。まぁ違っていたとしても、お前に私は止められないだろうけどねぇ。――さぁて、仕上げといきますか」
バッ、と片手を広げて魔王が民衆の目を奪った。民衆たちは今から何が起こるのかと、戦々恐々とした面持ちでいる。
魔王は民衆の方に向き直り、よく通る声で言った。
「……私は正直、君達から優秀な指導者候補を奪う事を心苦しく思っていてね。その詫びをしたいと思っているんだ。――諸君、空を見るといい」
そう言うと、魔王は指先を空に向けた。
魔王のその姿に、民衆はおろか、兵達までもが空を仰いだ。
……一体何だというのだろうか。そう思いつつも、男も空を見る。それは、雲一つない晴天だった。
魔王がパチン、と指を鳴らすと、――何もない青空から、急に大きな雪が降り出した。
……いや、雪ではない。――これは花か?
桜色の五枚の花弁を持った大きな花が、大量にひらひらと落ちてくる。
「国とは、民が居てこそ成り立つものだ」
魔王が凛とした声で言う。
「すなわち国が民の写し鏡と言うのならば、――私がしている事は、何も間違っていない」
男は目の前に振ってきた花弁をそっと掴んでみる。何の変哲もない花に見えたが、手に取った瞬間にその形は変貌した。
花弁が融けるようにして消え、中からずっしりとした金色の何かが出てくる。その見覚えのある形に思わず大声を上げた。
「こ、これはイリス金貨!?」
「あ、金貨が当たったの?ラッキーだったね」
「どういう事なんだ……。まさか、あの花全部がっ!?」
あれらがすべて硬貨だとすると、――ゆうに万は超えるのではないだろうか。だとすれば、まさか!?
思いついた事実に、男は戦慄した。
「金貨三万枚とは、あの花の事なのか!?」
「ご名答!!――私がアンタらの王様と約束したのは『ヴォルフガング・フォン・ベルジュの引き渡しに、《フィリア》に金貨三万枚を支払う』という事だけ。国とは民そのものなのだから、彼らが報酬を受け取る事は何もおかしくないでしょう?
あ、でも、今回は水増しの為に二万枚ほど銀貨に変換してるんだけどね。総額は一緒だから見逃してよ」
魔王はそう言って笑った。まるで悪戯が成功した時の様な無邪気な笑みだった。
「それに、――もう遅い」
魔王は舞台の下を指差した。もう誰も進行役の話などは聞いていない。
――なぜなら誰しもが花を奪い合って喧騒に身を投じているのだから。
「――衛兵ども!!急いで民衆たちをこの広場から追い出せ!!」
早くしなければ硬貨の回収が出来なくなる。集まった奴らから無理やり徴収しても構わないが、それでは反乱がおこる。一度手にしたものをあの愚民どもが手離す筈が無い!!そう思い、男は声を張り上げた。
が、肝心の衛兵の姿が見えない。
――まさか、奴等もこの馬鹿げた騒ぎに混じっているのか?くっ、使えない奴らめ!!
「くそっ、こんな真似をして国が黙っていると思っているのか!?」
男は苛立ち紛れに、魔王を怒鳴りつける。
――そうだ、国だ。こんな面子を潰されるような真似をされたら、いくら相手が魔王とはいえ、王が黙っている筈が無い。
「――もちろん思っているさ。まぁ見てなよ」
魔王は男を一瞥し、不敵に笑うと、さっと舞台の最前に歩き出した。
その様子を見た民衆が、一人、また一人と動きを止める。そして誰もが魔王の姿に釘づけになっているその時、魔王はゆっくりと右腕を上げてみせた。
――その姿に、爆音の歓声が沸く。その中には魔王を賛美する声が後を絶たない。
あまりに理不尽な光景に、絶望が襲った。……あぁ、何てことだ。
クスクスと、魔王が嘲るかのように笑う。
「こんなものだよ、人なんて。
――人間大事な物なんてたいしてありはしない。信念を持って生きている奴なんてごく僅かだ。日々苦しい生活を余儀なくされているのならば尚更だろう」
壇上にしか聞こえないような声で魔王は言った。
「大概のものは金で動くし、金で買える。――金と意思、それさえあればほらこの通り。他人の国だって動かせる。
――――この様で魔王に喧嘩を売るっていうのなら、それこそお終いだろうね?民衆たちの反乱は流石に怖いだろう?――ほら、民意は大切にしなくちゃ」
くるりと、魔王は男の前に向き直った。
――何も言い返すことが出来ない。
確かに今の現状で戦を起こそうものなら、どんな大義を掲げたとしても民衆からは不満が出るだろう。――今の王権より、この魔王の方が良いと言いかねない。そんな空気だった。
「アンタの所の王様に言っておいてね。『金貨三万枚相当の貨幣、確かに《フィリア》に渡しました』ってさ。念書にも金貨三万枚相当って書いてあるからちゃんと確認してね。
――それと、此処だけじゃ不公平だから、今回の映像ごと国中に流しておいたから。もちろん硬貨も。だから、全部回収するのは無理だろうね」
「……この、悪魔め」
進行役の男が苦々しく吐きだした言葉を、魔王は笑いながら受け止めた。
「残念だけど、悪魔じゃなくて魔王だよ。
――それでは皆さん、お元気で」
魔王はそう言って、民衆の方に深々とお辞儀をすると、瞬きをするうちに消えてしまった。
男は魔王と対峙した疲労感の為か、その場にへたりと座り込んでしまった。
――何て失態だ。いくらあの男の息子が憎いからと言って、こんな損な役目を引き受けるんじゃなかった。
「この事を王に何と報告すべきか……」
男は確かにその時、――紛れもない、この国の崩壊の足音を聞いた気がした。




