22.魔王様、ちょっと壊れる
「――――駄目だ」
そうしっかりとした口調で答えた。
私を見くびらないでほしいものだ。この程度の術ならば簡単に抵抗出来る。
フランシスカが驚いた様に目を見開いた。その目はもう既に元の紫色に戻っている。
その顔には、先ほどは見られなかった焦りが見て取れた。
「魔術ではなく、魔眼の類いか。――でも残念だったね。私に暗示は通用しない。まぁレベル差って奴だよ」
「……流石は魔王様ですわ。他の半魔族の方には効果があったので、大丈夫だと思ったんですけれど。――失敗してしまいましたわね」
やれやれとでも言いたげに、彼女は片手で髪を掻き上げた。どうやらこれ以上抵抗するつもりは無い様だ。
……本当だったらこの場で即刻処分しなきゃいけないんだろうけど、どうにも気が乗らない。何というか、彼女からは『魔王をどうにかしてやろう』といった気概が感じられないのだ。いうなれば、行き当たりばったり。そんな印象すら受ける。
正直さっきの魔眼なんて私にとっては児戯みたいなものだし、攻撃だと捉えるのも馬鹿馬鹿しい。
それよりも、問題はその『魔眼』にある。あれからは何とも懐かしい気配を感じたからだ。
「それで、吸血鬼と淫魔のどっちかな?」
「……………え?」
彼女の動揺は顧みず、唐突に切り出した。別にこの期に及んで隠す事でもないだろうし。
「これでも魔を統べる王だからね。君の魔眼が何処から来たものかくらい解るよ。
――身体的特徴も無いみたいだし、二代か三代くらい前に混じったのかな?」
それに魔眼の能力を使える種族だって限られている。その中で人に紛れて生活できるタイプのものは吸血鬼か淫魔くらいしかいない。
私のその言葉に、彼女は少し動揺を見せながら答えた。
「ええ、仰る通りですわ。母方の祖母が吸血鬼との半魔族でしたの。
――私は伯爵の娘と言ってもただの庶子ですの。母は妾ですから」
「でも悪い暮らしではなかったんでしょう?その力があれば何だって出来ただろうし」
私のその言葉に、彼女は苦笑して首を振った。
「いいえ。この魔眼の効力はもって一時間ほどですの。大した事には使えませんわ。
――まぁ、言質を取りたいときには便利ですけれど」
「いや、十分強力だと思うけど。
……それでだ、君が本当にフィリアの貴族だと仮定して、――何のためにこんな無駄な事をしようと思ったのかな?一歩間違えれば君の母国が無くなっていたのかもしれないのに」
だが、十中八九彼女の背後に国の存在は無いと言っていい。鉄砲玉だと考えてもおかしいし、何より計画に穴がありすぎる。
ならば、これは彼女の独断だ。
彼女だって最強と謳われている魔王に魔眼が通用するなんて本気では思っていなかっただろう。彼女は、きっと聡い人間だろうから。
――だからこそ、意図が読み取れない。
下手をすれば自分の母国すら滅びかねない暴挙だ。確固たる理由が無ければ私も納得できない。
「私としては、どう転んでも構わなかったのですけどね。でも、お友達になりたいというのは本当でしたのよ。少しだけ手段が間違っていたというだけで」
「………………ふうん」
「だって、」
そこで彼女は言葉を区切ると、今までにないほど綺麗に微笑んで見せた。
「その方がお願い事を聞いてもらいやすいでしょう?」
――うっわ、コイツ性格が悪い。素直にそう思った。
確かに下手な懐柔策よりは効果があるだろうけど、人としてその考え方はどうかと思う。ていうかそういうのを前提としちゃったら、それはもう友人とは言えないだろうに。
「つまり、その『お願い事』が主題であったと」
「あら?話を聞いて下さるのですか?――私ってばてっきり後は処分されるだけだと思ってましたのに」
「……一応、聞くだけだから。叶えてやるとは言ってないよ」
「ええ、勿論分かっていますわそんな事。でも話を聞いて下さるのなら、それで十分ですわ」
そう言うと、彼女は再度ソファに腰を下ろした。……どうやら長い話になりそうだった。
◆ ◆ ◆
「私の生まれは先ほど言った通りで相違ないですわ。お疑いならば調べてもらえば嘘は言っていないと分かっていただけると思いますの。
でも、一つだけ嘘になる事がございますわ。――私、もう伯爵家の令嬢じゃ無いのです。ああいえ、別に縁切りされたとかそういう訳ではないんですのよ?
ただ、――ベルジュ伯爵家が取り潰しにあったというだけで」
「取り潰し?」
「ええ、取り潰しです。――お父様ったら少しばかり熱血な方で、今の王家に対してクーデターを目論んでいたようなのです」
それは、穏やかではないな。確かにこのご時世、真っ当な政治を行っている国なんて数えるほどしかない。
詳しくは知らないが、フィリアも例にもれず王族と貴族による搾取が横行する国だったのだろう。
「勿論、そんなもの成功する訳がないのです。私もお兄様も必死で止めましたが、大義の為だと聞き入れてくれませんでしたわ。
……反逆罪は一族郎党全員が処刑と相場が決まっています。私と兄様はお父様が行動を起こした時には、もう先を見据えて、家から逃げだす事にしましたの。
――処刑はつい三日前でした。酷いものでしたわ」
彼女はそういうと、目尻に滲んだ涙を拭った。
――ここで、彼女が嘘を言う必要性はない。調べればすぐに分かる事だからだ。
「それで?私に代わりに復讐でも頼むつもりでいたの?」
「いいえ」
私の言葉に、彼女は強い口調で否定を示した。その迫力に、少し気圧される。
「お父様の不始末を、どうこう言うつもりは無いんですの。ただ、私は――お兄様を救いたいだけなのです」
「さっき一緒に逃げたって言わなかった?」
「ええ、でも捕まりました。お兄様は運動神経が無いので逃亡には向いていないのですわ」
……それ、もう死んでるんじゃないの?と、思ったが黙っておく。彼女の顔があまりにも真剣だったからだ。
「……言いたいことは分かりますわ。もう死んでいるとでも言いたのでしょう?
――でも、それだけはあり得ませんわ」
そう確信が籠った声で彼女は言う。
「お兄様は物事の真理を見抜く『超直感』の持ち主なのです。その価値は計り知れませんわ。
お兄様が施政に口を出すか出さないかで税収が倍近く変わってくるのですもの」
なにそれすごい。チートだ。
それにしてもギフトか、話には聞いた事があったけど本当に実在するとは……。ユーグのそれが近いんだろうけど、あれはそのレベルまでは達していないらしいし。
魔術ではなく念動力などの能力もギフトに分類されている筈だけど、それを持っている人は本当に稀だ。しかも実用的ときたものだ。そりゃあ確保されても仕方ないだろう。
「そもそも、わざわざ回りくどい事をしないで、それを先に言えばよかったのに。何の意味があったの、あれ」
兄を助けたい。それが本題だというのならばあの問答は全て無意味だったはずだ。訳が分らない。
その私の問いに、彼女はニコリと笑った。
「どう転んでもいい、と言ったでしょう?
――私があの場で殺されようと、フィリアが滅びようと、その余波でお兄様が死のうが、そんな事は只の些事です」
「……些事なんだ」
「些事です。お兄様が捕らわれているというのに、私だけがおめおめと生き延びるなんて耐えられないですもの。逆にフィリアが滅んでくれるのならば御の字でしたし。
それに、私が捕まっていない事が分れば、お兄様も遠くない内に自害なさるでしょうね。結果はどう足掻いても変わらないのです。
……申し訳ありません。半ば自棄になっていたのでしょうね。ご迷惑をおかけしましたわ。
あ、でも、ちゃんと他の意味合いもありましたのよ?
そもそもあの程度で激昂なさるような方ならば、これから先お兄様を部下に据えるなんて到底無理ですもの。お兄様は、残念なことにかなりの毒舌でいらっしゃるから」
「うん?」
言葉の意味が分からず、思わず気の抜けた声で聞き返してしまった。彼女は私のそんな様子を気に留めず続ける。
「『対価』の話です、魔王様。もし、魔王様があの国からお兄様を救いだしてくださるのならば、私とお兄様共々に魔王様の軍門に下りましょう。誠心誠意お仕えさせていただきますわ」
凛とした態度で彼女はそう言い切った。
ああ、なるほど。確かにそのまま言葉を鵜呑みにすれば、彼女の兄はこの国にとって願ってもない人材となる事だろう。それは十分に対価としてふさわしい。でも、
「――それはちょっと、君に都合が良すぎると思わない?」
上から目線で人格を試されて、攻撃を仕掛けられ、仕舞いには部下になってやる?――笑わせるなよ。
彼女は自身の兄の絶対的な価値を信じている。だからこそ、そのカードを切った。
でも、私がそのカードを受け取ってやる義理はない。 寧ろ、この状況下で引き受けたら私が馬鹿みたいじゃないか。
「……それは重々理解しておりますわ。そもそも、この話をする段階まで生きていられた事すら、奇跡に等しいのですもの」
沈痛な面持ちで、彼女は弱弱しくそう告げた。
この時点で私は、彼女の行為に対するお咎めはもう無しでいいんじゃないかな、と思い始めていた。面倒だし。
不法侵入と果物の窃盗はともかくとして、後は私が個人的に不快感を被っただけだ。ばれたら大事だが、私が黙っていれば問題ないだろう。何も無かった訳だから。
魔眼は制約か何かで無効化しておけばいいし、此処の住民の資格である魔族の血も混じっている。別に彼女一人くらい増えた所で問題はない筈だ。
でも、それはフランシスカ本人が認めないだろう。私が彼女の兄を助けない限り、彼女は自ら死を選ぶ。
……貴族という連中はこれだからめんどくさい。
それに助けないとなると、彼女の処分を決めなくてはならなくなる。皆にどうやって説明しよう。悩む。
……そもそも一応はまだフィリアの国の人間なんだから、外交的に抗議とかした方がいいのかな?どうしよう。何をすればいいのか分からない。
でも下手に圧力を加えたらまた勇者に対するリスクが上がるだろうし、ああもうどうしたらいいのだろう。
「あ、あの魔王様?どうかなされたのですか?」
急に黙り込んだ私を見て不安に思ったのか、フランシスカが心配そうに問いかけてきた。
……元はといえば、この女が厄介事を持ち込んでくるから、私はこんなにも悩むことになってしまったのだ。
――そもそもだ。悩んで苦しくて辛かったから、私は王妃の役を投げ出して此処に逃げてきたんじゃなかったのか?
それなのになんだこの有様は。前よりもずっと苦しいじゃないか。何でだよ。おかしいだろ。
国の事で悩んで、民の事で悩んで、勇者の事で悩んで、外交の事で悩んで、――――ああもう吐きそうだ。
クラクラと眩暈がしてきて、私は思わず両手で頭を抱え込んでしまった。
その刹那、私は『ぶちり』と何かが切れる音を確かに聞いた気がした。
――そうだ。私が我慢をする必要なんて何処にもないんだ。
どうせ何をやったところで勇者は召喚されるだろうし、もうそれに対してやれることは無いし、もう好きにやっても良くないかな?いいよね?いい加減ストレスが限界だ。
それに元々私って自己犠牲精神とかこれっぽっちも持ってないしさぁ。責任とか言われても正直困る。結局のところ、最後に綺麗にまとめれば文句ないでしょ?うん、そうしよう!!
――じゃあ、ちょっと魔王らしく問題を解決してしまおうか。
自分の口角が自然と上がっていくのが分かった。こんなに楽しいのはあの逃亡以来だ。
――ああ、心が躍る。あははっ!!
魔王様は溜めこんで溜めこんで爆発するタイプ。適度なガス抜きが必要です。




