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105.計算された恋は卑しいものだ

 名前も知らぬ十代後半に見えた少女は、隣に倒れていた獣人を抱き上げて、こちらを睨み付けながら城から落ちていった。

 随分とまぁ威勢のいいことだ、と他人事のように思いながら、青年は眼下に控える手駒達に指示を出した。



「――さあ好きなだけ殺せ、血に飢えた兵隊達よ。死の川を見せてやれ」



 青年がそう宣言すると、スケルトン達は心得たとでも言いたげに手に持った武器を振り上げ、自分達を鼓舞した。そして、散らばるようにして四方八方へと駆けていく。まさしく、無差別の進撃だった。

 それをどうでもよさそうな目で見つめながら、青年は古ぼけた埃の積もったソファーに腰掛けた。黒い服が汚れたが、青年は気にしている気配がなかった。


 真ん丸の月だけが、静かに青年を見つめていた。

 ――青年の出自は特に変わったものではない。平凡な家に生まれ、優しい両親の元で育ち、普通の少年として学校に通っていた。その平穏が崩れてしまったのは、きっと単なる巻き込み事故のようなものだったのだろう。


 青年は彼自身にもよく分からないままに、何らかの召喚の儀式に巻き込まれ、なし崩しのように世界を救う勇者として祭り上げられたのだ。そういうところだけ見ると、彼とアンリの境遇は似ているのかもしれない。

 唯一つ違うことがあるとすれば、青年はアンリと違って仲間に恵まれていたということだろう。


 互いの力を切磋琢磨しあえる姫騎士と、自分を神様のように慕ってくれる魔法使い。ただひたすら武の道を極め続ける僧侶。そして――自分ひとりでは生きていくことも出来ない病弱な聖女。


 この五人のパーティで、世界を脅かす化け物を退治する旅に出たのだ。紆余曲折を経て青年は人間ではなくなってしまったけれど、青年は自分の選択を後悔なんてしていない。


 そう、青年はたった一つの目的の為だけに、今まで生き延びてきた。その為ならば何を利用しても構わないと思っているし、何を踏みにじっても構わないと本気で考えている。

 そんな青年にとって、『聖杯』の存在は最後の救いだった。


 召喚される際の予兆はあった。ある程度の事前情報も、召喚と同時に頭の中に入ってきたので、さほど混乱することはなかったのが幸いである。体が解けて再構成される感覚だけは気持ち悪かったが。


 ……最初は聖杯の現行所有者をさっさと亡き者にして、目的を果たそうと思っていた。

それなのに猶予や温情を与えてまで見逃してしまったのは、故郷への憧憬と、少年を守りながらこちらを睨み付けるあの姿が――あまりにもかつての自分に似ていたから。だから、迷ってしまった。

 大切な人を奪われる辛さを知っているからこそ、情けをかけてしまった。


 馬鹿なことをしたとは思っている。だがその代りに、子飼いの兵達に十分なほどの食事を与える機会ができたのだから、それでいいのかもしれない。


 ――人間の骨(・・・・)を使って作り上げた、不死の軍勢。道を踏み外した青年を止めようとした者達の成れの果て。死んでもなお貶められる物言わぬ兵隊達。裏切りの勇者にはお似合いの部下だ。


 くくっ、と喉の奥で笑う。



「後悔だけは残してくるなよ『魔王』」



 そして血塗られた勇者は目を細めた。きっとそれが青年に最後に残された『優しさ』だったのだろう。

 ――いくら気遣ったところで、明日には殺すことになるというのに。


 そんなことを考えていると、部屋の外から声が聞こえてきた。



「――勇者様ぁ!!」


 

 それは喜色染みた声音で、どこか甘い響きを伴っていた。そして青年はゆっくりと声の方へと振り返って、笑みを浮かべた。



「久しぶり――ドロシー。元気そうで何よりだよ」



 桃色の長い髪に、成熟した肉体。最後に会った時より多少の差異は見られるものの、あの頃とほとんど変わっていない姿がそこにあった。


 ドロシー・グリンダ。彼女こそが青年を日常から非日常へと連れ去った長い時を生きる魔法使いであり、かつての仲間のうちの一人である。



「ああっ。ようやくお会いすることが出来ました……!!」



 そう言って彼女は青年に駆け寄り、そのまま押しつぶすように青年の胸へと飛び込んできた。青年は難なくドロシーのことを支えながら、朗らかな笑みを浮かべた。



「ありがとうドロシー。君は俺と約束した通りに、ちゃんと聖杯を見つけてくれたんだね」


「ええ、とても苦労しました。でもいいんです。勇者様が喜んでくださるならば、私はもう何も要りません」



 ぎゅっと青年に力強く抱きつきながら、感極まった風にドロシーは言った。

この世界に勝ってきて、苦節百年。聖杯のある世界を見つけるために、それよりも長い時間を時空の狭間で彷徨ったこともある。けれど、この愛すべき青年の為だと思えば、永久にも似た孤独も辛いとは感じなかった。


 何もいらない。ただ、褒めてほしい。それだけがドロシーの全てだった。

 そしてドロシーは今後の展望に思いを馳せる。青年が魔王に条件付の猶予を与えてしまったのは想定外だが、この青年があんな小娘に負けるはずがない。きっと明日には全ての勝敗が決していることだろう。そうしたら、自分はこの愛しい青年と二人きり(・・・・)だ。


 今はもう、邪魔をしてくる女騎士も、苦言を呈する僧侶も、目障りな聖女も皆いやしない。このままずっと青年と二人で生きていくのだ。それは何て幸せなことだろう。


 ――ドロシーはこの青年のことをずっと愛していた。己が呼び出し、心から隷属した唯一無二の勇者様。

それをずっと独占できる(・・・・・)。これを幸せとよばず何とよべばいいのだろうか。



「それにしてもあのお嬢さんの脇腹の傷……あれは君の仕業かな? 随分と可哀想なことをしたね」


「そうでしょうか?」


「だってあれには不治癒の呪いがかかっているだろう? 傷の深さによっては、明日の夜までもたない可能性があるな。それなりに対策はしてくるだろうが、失血によるパワーダウンは否めないはずだ」


「罠だと分かっていて、気づけない方が悪いのですよ」



 青年の言葉に、ドロシーはくすりと笑みを浮かべた。

 ドロシーが今まで身を削って聖遺物を集めてきたのは、ドロシーの言うところの『勇者様』を召喚するための下地にするためと、魔族に対する妨害手段として使用するためだった。

 青年を呼ぶための触媒を魔王の血にしたのは、単純にあの魔王を『贄』として定義づけるためである。


 ドロシーは青年の強さを心から信じているが、決してその相手となる魔王の実力を軽視しているわけではない。

 削れるものは削っておきたいし、あえて存在を定義づけることで魔王が弱体化するならば御の字であると思ったからだ。


 ――極めつけはあの短剣。巫子を操るために使用した聖遺物と、召喚の為の魔法陣に使った分の残りの聖遺物で作り上げた『傷が治らない』という呪いを秘めた短剣。

 竜殺しの剣の刃先に、邪神の牙、聖女の聖骸布に、持つ者を死に至らしめる呪いがかかっていた宝玉。それら全てを組み合わせて作り上げた究極の逸品だ。

 召喚の際のどさくさで紛失してしまったようだが、目的を果たした今となっては、短剣の行方などどうでもいいことだった。


 ――長かった。気が遠くなるくらいに長かった。

 勇者の願いを受け、たった一人で世界を渡り、聖杯の行方を探し出し、それを手に入れるための手順を整える。

 ドロシーは優れた魔法使いだったが、それは後方支援に関してのみだ。彼女自身は明確な攻撃手段を持ち合わせていない。それを補うために、この世界に存在している『聖遺物』――聖人や神様の残した品物を収集することにしたのだ。


 優れた神秘は、奇跡に近い現象を引き起こすことができる。ドロシーが生まれた世界では長く続いた戦いのせいで、それらが使い果たされていたけれど、この世界の聖遺物は全く手つかずのままだった。

 その理由としては、この世界では魔術が発展せずに廃れていったことや、ただ単純に聖なる物を道具のように使う、という発想が薄かったことが挙げられる。


 きっとあの魔王は、いきなり寵愛していた巫子が浚われたことに面をくらったことだろう。だがドロシーからしてみれば、きちんと段階を踏んで練り上げた作戦の成果であり、責められるいわれはない。


 ――この時を何百年(・・・)も待ったのだ。今さら何を言われたところで、ドロシーの心には響かない。

 半魔族との融和。人間の協力。大層ご立派な思想だ。だがそれがどうした。皆みんな聖杯にくべる贄として死に絶えればいい。今まで自分を邪魔してきたあいつらにはそれがお似合いだ。そんなことを心の中で思いながら、ドロシーは満足げに青年に擦り寄った。――彼の目が、とても冷えたものであることにも気づかずに。



「勇者様……これからずっと一緒にいてくださいね」



 万感の思いを込めて、そう告げる。彼も肯定の返事を返してくれると疑わなかった。だからこそ、反応が出来なかったのだろう。



「ああ、了解した」



 青年はそう言うと、抱き付かれた姿勢はそのままに、ドロシーの白い首筋へと牙をたてた。ぶちぶちと耳元で筋繊維の切れる音が聞こえる。

 ドロシーが、それがエナジードレインだと気づいたのは、すぐのことだった。



「ゆ、しゃ、さま?」



 魂を蹂躙される痛みに耐えながらも。ドロシーは困惑の視線を青年に向けた。何故、どうしてという疑問が消えない。私はこんなにも貴方の為にがんばってきたのに。



「いや、やめて、どうして、なんで、いや、いや、――死にたくないっ!!」



 抵抗するように両手足をばたつかせながら、大きな声で悲鳴を上げる。けれど、青年からの拘束は一向に解ける気配がない。じわじわと自分の命数が減っていくのを肌で感じながら、ドロシーは絶望の涙を流した。



「どう、してぇ?」



 その一言を最後に、ドロシーの体は水分が抜け落ちたかのようなミイラになり、だらんと両腕の力を失った。その見るも無残な死体を、青年は汚らわしいものでも見たかのように、ぞんざいに部屋の隅へと投げ捨てた。


 まるで長年の怨敵でも見るかのような目でドロシーだった物の残骸を見つめると、青年は服の内ポケットから小さなロケットのようなものを取り出した。



「ここまで連れてきてくれたことに感謝はしているさ。……でもそれ以上に、俺はお前のことを許せない」



 そう言って青年はロケットを開いた。そこには、修道服のようなものを着た白髪の少女が、はにかんだ笑みを浮かべた写真が収まっていた。

 それを愛おしそうにそっと撫でながら、青年は言った。



「ドロシー。お前は俺が何故聖杯を望んだのか、ちゃんと理解していたか? 俺は別に永遠の命も、財宝も、ましてや神様になんてなりたいとは思っていない。……俺はただ、お前が殺した(・・・)彼女のことを取り戻したかっただけなんだ」



 ――世の中には、殺人の理由として『痴情の縺れ』というものがある。


 魔を払う旅の中で、青年はか弱き聖女に恋をした。聖女もまた、青年のことを想っていた。

 それが面白くなかったのは、召喚当初より青年に懸想していたドロシーである。


 嫉妬に駆られたドロシーは、あろうことか最終決戦の際に、わざと聖女へのサポートの手を抜き、結果的に聖女を絶命へと追い込んだのだ。

 青年はその事実を知り、緩やかにだが、確実に狂気の道へと進んでいった。邪法を学び人の体を捨て、幾人もの人間を踏みにじり、恋慕の情を利用してドロシーに聖杯の行方を探らせたのだ。

 正直この女が自分の甘言に乗って無駄な努力をしていたかと思うと、胸がすく思いだった。


 ――けれど、これで復讐は果たされた。後は聖杯を使って元の世界に帰り、聖女を蘇らせるだけだ。

 そして青年は目を伏せた。兵達がどれだけ人間の命を刈り取るのかは、正直興味がない。ただ今はゆっくりと休みたかった。



「もうすぐ会える。ああ、長かったなぁ」



 そして青年は夢を見る。あの日失ったはずの未来の夢を。


 ――かくして戦いの賽は投げられた。たとえどんな目が出ようとも、我らはそれを受けいれるより他にないのだ。


※一部誤字修正しました

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